第116話 小さな二人
ルーチェとオルトが宿に戻ろうとするとエステルが、口を開いた。
「ルーチェたちはドレステルの宿に泊まっているのだろう? 私たちはこのまま街の外で野営し、明朝には王都へ引き上げる」
「分かりました。私は……とりあえず、この街でオルトくんのために、最低限の旅支度を整えてから王都へ戻ります」
「そうか。ならば先に戻っている。……気をつけてな」
まるで姉のような、友のような、そんな表情だった。
「はい、エステルさん。ありがとうございます……」
そのままルーチェはオルトと共に、街の宿へと戻った。
宿に戻ると、先に戻っていたキールとテオが部屋でくつろいでいた。
「レオニスから、亜人の子供たちの件は聞きました。それで、その子は……?」
キールが問いかけ、 テオは興味深そうに見つめる。
「ルーチェ。もしかして、新しい仲間ってこと?」
「はい。えっと……私の方で保護することになりました」
「「……へぇ〜」」
なんとも言えない顔でうなずく二人に、ルーチェはオルトの背をそっと押す。
「オルトくん。こっちがキールお兄ちゃんで、こっちがテオお兄ちゃんだよ」
ルーチェは屈み、オルトと目線を合わせながら、二人を紹介した。
「えっと……」
一歩踏み出しかけたオルトだったが、すぐにルーチェの後ろに隠れてしまった。
「あらま、恥ずかしがり屋さんだ」
「まぁ、急に仲良くってわけにはいかないですよね」
ルーチェは少し苦笑しながら、話題を切り替えた。
「とりあえず、王都までの旅に向けて、最低限の支度を整えたいです。明日、オルトくんの服や靴を買いに行こうと思っていて……」
「おっけー、それなら分担しようか」
テオが軽いノリで返す。キールも同意するようにうなずいてから口を開いた。
「そうですね。ベルンさんたちも、騎士団と一緒に押収した証拠を持って先に王都へ戻るそうですし」
「じゃ、俺とキールで馬車の手配や食料の調達をやっとくよ。ルーチェはオルトの身の回りの準備を優先して。こっちでは最低限にして、足りない分はセシか王都でゆっくり買い足そう」
「ありがとうございます。それで大丈夫? オルトくん」
オルトはルーチェを見上げて、こくんと小さく首を振る。
「じゃあ今日は、しっかり食べて早めに休みましょう」
「賛成〜。身体も頭もぐったりだよ」
ルーチェと二人のやりとりに、オルトはじっと目を向けていた。その瞳には、ほんの少し──安心と、憧れのようなものが滲んでいた。
「ご飯はね、宿の食堂で食べるんだよ」
廊下を歩きながら、ルーチェ達は食堂へ向かっていた。
一階に降りる階段に差し掛かると、ガヤガヤとした笑い声が聞こえてくる。既にもう食事や酒を楽しんでいる別の客がいるようだ。
オルトはビクッと体を震わせると、足を止めた。オルトは小さく震えて、耳も尻尾もペタンと垂れている。
ルーチェがそっと手を握ると、その手をぎゅっと握り返してきた。
「オルトくん…? どうしたの? 怖いかな…?」
彼は何も言わなかったが、そっとルーチェの腰に腕を回し、離れたくないと言わんばかりに寄り添ってくる。
先に降りていたキールが戻ってくる。
「ルーチェさん?」
「キールさん。オルトくん、人が多いのが少し怖いみたいで…」
「そうですか…」
「じゃあみんなで部屋で食べる?」
ルーチェはオルトをジッと見つめた。その提案にもあまり乗り気ではないようだ。
「キールさんとテオさんは、食堂で食べてきてください。私とオルトくんはお部屋で食べますから」
「了解。宿の女将に二人分の食事頼んでくるから、部屋で待ってて」
「分かりました。じゃあ、お部屋に戻ろうね、オルトくん」
オルトはルーチェにしがみつきながら、二階にある部屋へと戻って行った。
ルーチェは皿の上の焼き肉を一切れフォークで刺し、オルトの方に向けてにっこりと微笑んだ。
「食べられるかな〜?」
恐る恐る、オルトはそのフォークを見つめたあと、ちょこんと身を乗り出し、ぱくりと口にする。モグモグとゆっくり咀嚼を始めると、その表情が少しずつ和らいでいく。
ルーチェは嬉しそうに笑い、自分の分の肉を口に運んだ。
(んん! このきのこのソース…きのこの旨味がすごい…お肉も柔らかくて美味しい…!)
パンをちぎって口に運ぶと、オルトがそれを真似して、小さな手でパンをちぎり始めた。スープをひと口飲めば、またそれを真似てスープを啜る。
ルーチェはそっと問いかける。
「美味しい?」
オルトは小さく、こくんとうなずいた。
「良かった〜」
部屋の中には、どこか落ち着いた静けさが漂っていた。
窓の外では風が木々を揺らしているが、この小さな部屋だけは、暖かくて穏やかな時間が静かに流れていた。
食事を終えると、ルーチェはオルトの肩にそっと手を置いた。
「オルトくん、ちょっとだけ体、綺麗にしようか」
オルトは一瞬びくっとしたが、すぐにルーチェの優しい目を見て、こくりとうなずいた。
宿には風呂はない。だが、頼んでおいた温かい湯が入った桶と、柔らかい布を部屋に運んでもらっていた。
ルーチェはお湯に布を浸して絞り、オルトの服の汚れ具合を確かめながら声をかける。
「嫌かもしれないけど、我慢してね」
オルトはその様子を静かに見つめていた。
優しく、そっと、泥で汚れた手や腕、首元を拭っていく。擦らないように、痛くないように──ただ、綺麗にしてあげたい一心で。
「はい、終わり。頑張ったね、オルトくん」
ルーチェは微笑んで、柔らかな白い布でそっと水気を拭き取る。
「それでね、テオさんが貸してくれたTシャツがあるんだ。大きいけど…パジャマ代わりにしようね」
オルトに袖を通させると、ぶかぶかのTシャツがまるでワンピースのようになった。裾を少し摘んでくすぐったそうに笑うオルトの表情に、ルーチェもふっと微笑む。
夜も更け、ランプの明かりだけが部屋を優しく照らしていた。
「今日は一緒に寝ようか。……怖くないように」
オルトは少しだけためらいながらも、ルーチェの布団にもぐりこんだ。
背中を向けていたけれど、眠る前にそっと、ルーチェの服の裾をつまむ。ルーチェはその手にそっと自分の手を重ねる。
「おやすみ、オルトくん」
「……おやすみなさい、お姉ちゃん……」
外は風が木々を揺らしている。
けれど、この小さな部屋だけは、ぽかぽかとした穏やかな夜に包まれていた。
ルーチェは疲れていたのかすぐに眠ってしまった。
しかし、オルトは環境が変わったせいか、柔らかいベッドで寝るのに慣れていないせいか、ソワソワと体を動かし何回も寝返りを打ってしまう。
そして何回か寝返りを打った後、オルトは眠るルーチェを見た。
(僕を助けてくれた、ルーチェ…お姉ちゃん……)
オルトはその小さな手でルーチェの頭を撫で、その胸に顔を埋めた。
(あったかい…)
オルトは安心したのか、ようやく眠り始めた。
翌朝、ルーチェはふと目を覚ました。
自分の腕の中に、小さな温もりがあることに気づく。
「……オルトくん?」
ルーチェがそっと覗き込むと、オルトは小さく寝息を立てながら、自分の胸に顔を埋めたまま、安心しきったように眠っていた。
その寝顔を見て、ルーチェはふっと笑みを浮かべる。
(昨日まで、あんなに怖がってたのに…)
ルーチェはそっとその髪を撫でると、もう一度目を閉じた。
(もう少しだけ、寝かせておこう……)
その朝、窓の外には、柔らかな光が差し始めていた。
***
ルーチェはオルトと一緒に街へ出ていた。
「今日はオルトくんの服を買うからね」
そう言って足を運んだのは、子供服を扱う店だった。店内に並ぶ色とりどりの服を前に、ルーチェは思わず目を輝かせる。
「これかな……いや、こっちの方がいいかな……」
小さな子の服を選ぶのは初めてで、自然と目が真剣になる。
「そのくらいのお子様でしたら、このサイズがよろしいかと。試着もできますので、どうぞご遠慮なく」
店員のアドバイスに頷きながら、ルーチェはオルトの普段着になりそうな半袖と短パンをいくつか選んでみせた。
「オルトくん、どう?」
オルトは黙って服に触れる。ふわりとした布地に指を滑らせたとき、尻尾がわずかに揺れた。
それを見たルーチェが微笑む。
「柔らかいものの方がいいかな……じゃあ普段着はこれにしよう。寝巻きは……」
ルーチェは可愛らしい鳥の絵が描かれたパジャマを手に取った。
「見て、これ、鳥さんが描いてあるよ」
だがオルトは視線を逸らし、明らかに気乗りしない様子。
「……これは無しか、うん」
ルーチェは苦笑しつつ服を戻し、代わりに別のパジャマを手にした。生成りの布に小さな星が散らばる、落ち着いた柄だ。
「こっちはどうかな。星が沢山描いてあって、かわいいと思うよ」
オルトはじっとそれを見つめ、そっと布地に触れる。尻尾がほんの少し揺れた。
「うん、これなら大丈夫そうだね」
その反応を見て、ルーチェは安心したように柔らかく微笑んだ。
「こんにちは〜。子供用の靴を探していて…」
店内の店主がにこやかに迎えてくれ、さっそくサイズを計ってくれる。
「ふむ、この子なら……少し大きめにして中敷きで調整すれば、成長してもしばらく履けるでしょうな」
ルーチェはオルトにいくつかの靴を試してもらった。
「この色どう? ほら、茶色にちょっと金の飾りがついてるよ」
オルトはそれを手に取ると、じっと見つめ、履いて足踏みをする。歩き方はまだぎこちないが、嫌ではないらしい。
「じゃあ、それにしようか。動きやすいし、脱げにくそうだしね」
続いて、仕立屋で外套と下着を選ぶ。
外套は昼夜の気温差を考えて、風を通しにくいけれど軽い布地のものを選んだ。色は地味だが、汚れが目立たない茶系で、内側は少しだけ柔らかな起毛。
「これなら寒い日も安心だよ。……ふふ、これ着ると小さな旅人さんだね」
オルトは、服と靴と外套を身につけ、少し照れくさそうにルーチェを見た。
「うん、よく似合ってる。オルトくん、かっこいいよ」
オルトは恥ずかしそうに顔を背けたが、尻尾は嬉しそうにゆらゆらと揺れていた。
「あ、そうだ。鞄買うの忘れて……あ」
ふと思い出したように声を上げたルーチェは、オルトを連れて近くのベンチに腰を下ろした。
オルトは不思議そうにルーチェを見つめていた。
ルーチェは背負っていたふわっとリュックを漁った。
そして取り出したのは、白いショルダーバッグ。
それは、かつて神様から初期装備として渡された、ごく普通の白い鞄だった。
(罰当たりかな……ごめんなさい神様。でも、神様ならきっと許してくれるよね)
使ったのは一ヶ月と少し。けれど異世界の旅を始める彼女を支えてくれた、大切な装備品の一つだ。
「ねぇ、オルトくん」
ルーチェはバッグを抱えながら、少し緊張したように口を開いた。
「あのね……オルトくんが嫌じゃなかったら、なんだけど。この鞄、貰ってくれる?」
ピクリとオルトの耳が動き、尻尾が小さく揺れる。
「これはね、私が旅立つときに貰った大切な鞄なんだ。でも今は使ってなくて……だから、オルトくんに使ってもらえたら嬉しいなって」
肩紐を調節しながら、ルーチェは優しく言葉を重ねる。
「お姉ちゃん……あの……」
「ん?」
「……もらって、いいの?」
その問いに、ルーチェは微笑んで答えた。
「もちろん。使ってくれたらすごく嬉しい。あ、でも壊れた時はちゃんと言ってね。その時は新しいのを買うから」
彼女の言葉に、オルトは小さくうなずく。
ルーチェはそっとショルダーバッグをオルトの肩にかけてあげた。
「うん、長さは大丈夫そう。よく似合ってるよ!」
その言葉に、オルトはわずかに口角を上げ、尻尾をパタパタと揺らした。
「買い物は終わりだから、宿に戻ろっか」
そう言ってルーチェが手を差し出すと、オルトは自然にその手を取る。
二人は仲良く手を繋ぎながら、宿へと歩き出した。




