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絆ノ幻想譚  作者: 花明 メル
第二章 広がる世界、潜む闇
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第114話 少女と精霊獣



「大丈夫か!? すげぇ音がしたが……!」


 山道を駆け上がってきたレオニスたちが広場に到着し、異様な気配を察して足を止めた。


 彼らの視線の先──そこには、異形の気迫を纏う巨大な白い獅子がいた。


「……愚かな」


 唸るような声の中に、確かな言葉が混じっていた。とても男性のような低い声だ。


「まさか、このような下劣な人間に囚われていたとは……怒りで我を見失うところだった」


 それは紛れもなく、精霊獣から発せられる声だった。


「なっ……なにしてやがる! 早く殺せ!!」


 男は狼狽しながら叫び、精霊獣に命じる。しかし──


「貴様との忌々しい“繋がり”など、すでに断たれた。貴様の命令など、もはや届かぬ」


 精霊獣は獲物を睨む獣の目で男を見据え、唸りを深くする。


──ルーチェは慌てて男の前へと立ち、両手を広げて精霊獣の行く手を遮った。


「……何の真似だ?」


 精霊獣の声は、怒りに濁っていた。


「このままあなたがこの人を殺してしまえば……人を害する危険な魔獣として、討伐されることになっちゃう。それだけは、避けたい。私は、あなたを助けたいの。元いた場所に帰してあげたい……!」


「助ける? 世迷言を……半端な力しか持たぬ小娘が、何を言うか!」


「私はあなたを傷つけたりしない。だからお願い、怒りを鎮めて、精霊獣さん!」


 精霊獣は鋭く睨みつける。


「腰から剣を下げておきながら、よくもそんなことが言えたものだ。口では優しさを説きながら、腰には殺すための刃を下げている。矛盾した存在の言葉のどこに信を置けというのだ!!」


 ルーチェは言葉を失い、ハッとして静かに目を伏せた。


(……確かに、精霊獣さんの言う通りだ。そうだよね…)


 少しの沈黙の後、ルーチェはゆっくりと剣のベルトを外し、鞘ごと地面に叩きつけた。背中の荷物も、すべてその場へ置く。


「……ごめんなさい。確かに、あなたの言う通り。だから、これで……少しでも、信じてほしい」


 予想外の行動に、精霊獣の目がわずかに揺れる。


「……そこまでして、なぜ我を救おうとする? “精霊獣を救った英雄”にでもなりたいのか。人間の好きな、富や名声が目当てか?」


 ルーチェは首を横に振った。


「ううん、そんなのいらない。ただ……」


「では何のためだ。そなたの心が、我には分からぬ」


 精霊獣の疑念の声に、ルーチェはふっと微笑む。


「私ね、あなたと“お友達”になりたいの」


 その言葉に、精霊獣は目を細め、呆れたように唸る。


「……友だと? くだらぬ。精霊と人間では、力も、考えも、生きる時の流れすらも違う。理解など到底できぬ、相容れない存在だ。……そんな甘い言葉で、我を籠絡できると思うな!」


 精霊獣は怒りを爆発させ、咆哮とともに跳躍する。


 キールとテオが動こうとするが、ルーチェは手を広げて制した。


「ルーチェ、危ない!!」

「ルーチェさんっ!!」


 だが、彼女は動かない。ただまっすぐ、精霊獣の目を見つめて笑っていた。


「……!」


 爪が触れようとしたその瞬間、精霊獣の動きが止まる。


「なぜ……逃げぬ。なぜ怯えぬ。なぜ……そんな顔で、笑う……?」


 ルーチェは小さく答えた。


「だってね……こんな大きくて、もふもふしたライオンさんに会ったの、初めてだったから。すごくかっこよくて、綺麗で、全然怖くなかったよ」


 その言葉に、精霊獣の目が揺れた。


「……太陽の力を持つ、気高き我に“ライオンさん”とは……貴様が初めてだ。まったく……」


 精霊獣は目を瞑る。

 この不思議な少女によって、心に燻っていたものが僅かに取り除かれたように感じた。

 

 


 長い沈黙の末に、精霊獣はそっと一歩進み出て、ルーチェの額へ鼻先を寄せる。

 そして、その頬をゆっくりと擦り寄せた。


「……我の負けだ。そなたと友になり、しばしの間、力を貸してやろう」


 ルーチェはぱあっと表情を輝かせた。


「ほんと……!? ありがとう、精霊獣さん……!」


 精霊獣も、やや呆れながら、どこか嬉しそうに微笑む。


「だが、勘違いするな。これは借りを返すため。友とは、簡単になれるものではない」


 ルーチェは抱きついた。


「これから、よろしくね……精霊獣さん!」


 目の前の少女の笑顔に、精霊獣はため息を吐いた。


「……仮であっても、これは契約に違いない。小娘よ、我に“名”を与えよ」


「名前、つけていいの?」


「それが契約の証となる。……我を象徴する、気高き名にせよ。まさかとは思うが、“ライオンさん”などとつけるなよ?」


「う〜ん……。じゃあ、“レオ”じゃ、だめ?」


 精霊獣は首をかしげ、しばらく思案するように黙った。


「レオ……か。悪くない響きだ。よかろう。これからは“レオ”として、しばらくの間、そなたに力を貸そう」


 ルーチェはにこにこしながら叫ぶ。


「よろしくね、レオ!」


 ルーチェの手首と、精霊獣レオの前足にあたる手首とが、淡い光のリボンで結ばれる。


 やがてそれはゆっくりと消えていった。


 その瞬間──


『お嬢様。精霊獣レオ様との仮契約が成立しました。それに伴い、レオ様を《魂の休息地(ソウルルーム)》で休ませることが可能です。かなり消耗されているご様子ですので……』


 ルーチェはこくりとうなずき、レオへと歩み寄る。


「レオ……あのね、《魂の休息地(ソウルルーム)》って言って……私の精神の中で、契約した魔物たちが休める場所があるの。だから、少しだけ……休んで?」


 おずおずと耳打ちするように告げると、レオは黙って目を閉じ、静かにうなずいた。


 次の瞬間、レオの身体は淡い光となり、ルーチェの胸元に吸い込まれるようにして消えていく。


『……しばし、借りるとしよう』


意思疎通(フレンズチャンネル)》で、ルーチェの心へ直接響く声が届く。


(リヒト、レオのこと……お願い)


『承知いたしました、お嬢様。お任せください』


 騎士たちによって男はすでに拘束されており、辺りは落ち着きを取り戻しつつあった。


 キール、テオ、そしてレオニスが、ルーチェのもとへと歩いてくる。


「いやあ、まさか精霊獣とまで契約しちゃうなんてね……」


 呆れたような声音で、テオが言う。それに続いてレオニスが感心したようにルーチェを見下ろす。


「お前……すげぇな……ルーチェ」


 ルーチェは、少し照れたように視線を逸らした。


「レオが……私と“友達”になることを許してくれたおかげ、です。私の力だけじゃ……どうにもならなかった」


 ルーチェのその視線の先に、祠が映る。

 キールが首をかしげる。


「ルーチェさん?」


 ルーチェは、何かに引かれるように祠を見つめた。


「……呼ばれてる気がする」


 ルーチェの呟きに、レオニスが怪訝そうな顔をする。


「呼ばれてる? 誰にだ?」


 ルーチェは曖昧に首を横に振りながらも、ふらりと祠の方へと歩き出す。






 石造りの拝殿──その中は、ひんやりとした静寂に包まれていた。


 小さな祭壇、今は燃え尽きた燭台。誰かが供物を捧げていたと思われる台が、かつてこの場所が神聖であったことを物語っている。


 ふと、壁に描かれた壁画が目に映る。


──山と大地に手をかざし、そこへ力を注ぐように佇む、女神のような存在。


(もしかして……あれが、この山の精霊様……?)


 無意識のうちに、ルーチェはひざを折って座り込み、そっと目を閉じた。


 祠の中は、深い静寂に包まれていた。

 壁に描かれた精霊は、変わらず山に手をかざしたまま、黙して何も語らない。


 ルーチェはそっと胸の前で手を組む。


「……ごめんなさい」


 それは小さな、小さな謝罪の言葉だった。


「もっと早く……気づけていればよかったのに。レオも、子どもたちも……ずっと苦しかったのに……」


 祈りとも、懺悔ともつかないその声は、石の祭壇へと静かに吸い込まれていった。


──そのとき。


 空間がわずかに揺れる。風のような、光のようなものが祭壇の奥に漂い始めた。


 壁画の精霊の足元から、淡い光の粒がゆっくりと舞い上がる。まるで霧が立ち昇るように、やがてそれは人の姿を象る。


 現れたのは、性別も年齢もわからない、長い衣をまとう存在だった。銀白の髪が風に揺れ、瞳は山のように穏やかで、どこまでも深い。


 その存在は、柔らかく微笑んだ。


「……貴女が謝ることではありませんよ」


 声は音にならず、まるで心へ直接語りかけるように、優しく響いた。


「精霊獣を呪縛から解き放ち……この祠に祈りを捧げてくれた。その行いに、私たちは感謝しています」


 ルーチェが顔を上げると、精霊はどこか母のようにも、姉のようにも、友のようにも見える微笑を浮かべていた。


「心優しき人の娘。どうか──」


 精霊はそっと手を差し出し、ルーチェの胸元へ、その掌を重ねた。


 ほんのりと温かな、大地の息吹のような力が、彼女の内に伝わってくる。


 そして──組んだ手の中に、何かが生まれる気配をルーチェは感じた。


「これは、精霊獣を救ってくれたことへの、ささやかな贈り物。山に眠る恵み……貴女なら、きっと上手に使えるはずです」


 精霊は手を離し、静かに言葉を続ける。


「どうか、これからも──この山のように。健やかに、おおらかに、そして……強くあらんことを」


 光がふわりと舞い、精霊の姿は徐々に薄れていく。


 やがてその身体は無数の光の粒となり、祠の天井から差し込む光の中へと溶けていった。


──残されたのは、ルーチェの手の中に残った、小さな温もりと、白く、神秘的に光る鉱石。


 そして確かに宿る、精霊の加護の気配だった。


 

 

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