第112話 届かぬ祈り
「───突入!!」
坑道の奥、遠くから複数の足音と号令が響く。
重装備の騎士たちが、一斉に《奈落の市》へと突入してくる音だった。
騎士たちは買い手として来ていた者たちや市の関係者を取り押さえ、そして市の証拠となる商品を押収していく。
ルーチェは少年オルトの手を引き、その音のする方へと歩を進めた。ようやく光が差すような広いエリアへ出たところで、馴染みのある顔が駆け寄ってくる。
「ルーチェ!! 大丈夫か? ボロボロじゃねぇか……!」
第二騎士団・機動遊撃部隊副隊長、レオニスだった。
「レオニスさん……! 私は平気です。子供たちとテオさんは?」
「団長と、上に残ってた騎士たちがもう保護してる。全員無事だから安心していい」
レオニスはルーチェに笑顔を向ける。
「よかった……」
その報告に、ルーチェの肩から緊張が抜ける。
だがすぐに、忘れてはならない存在を思い出す。
───精霊獣。
「レオニスさん、この子を……オルトくんのこと、お願いします!」
「おい!? ルーチェ!! 待て!」
レオニスの制止の声も聞かず、ルーチェは傷ついた体を引きずりながら走り出していた。
目指すは、精霊獣が閉じ込められていた場所──。
通路の奥、檻がずらりと並ぶエリアを抜け、目的の檻の前へたどり着く。
そこに────
「……え……?」
───精霊獣の姿はなかった。
檻は確かに存在している。だが、その中はもぬけの殻。
かつてそこにあった圧倒的な存在感すら、今は風のように消えていた。
ただ一枚、ぶら下げられた木札だけが虚しく揺れている。
───【売却済み】。
「そんな……!?」
絶望の声を上げたその時、後ろから駆け寄る足音。
「ルーチェさん!!」
現れたのはキールだった。精霊獣が囚われていた檻を見るや、彼もまた悔しそうに目を伏せる。
「……先程、奴隷商や客の取り押さえ中に判明したのですが、どうやら僕らの把握していなかった隠し通路があったようで……恐らく、そのルートを使って精霊獣は既に連れ出されたものと思われます……」
「────ッ……」
ルーチェの膝が崩れる。
重力に負けるように、そのまま前のめりに倒れ込んだ。
「ルーチェさん!!」
キールが咄嗟に抱きとめる。その腕の中で、ルーチェの意識は……ゆっくりと、沈むように遠のいていった。
───目を覚ますと、そこは見知らぬ天井……いや、布でできた天幕の内側だった。
乾いた風が隙間から吹き込み、布がわずかに揺れている。横を見ると、椅子に腰掛けたキールとテオが静かにこちらを見つめていた。
「……ここは……?」
ルーチェの声に、キールが穏やかに答える。
「目を覚ましたのですね。ここは、街の外の騎士団の拠点ですよ。街の中はまだ混乱状態にありますので、僕たちも一度撤退という形を取りました」
「どう? 騎士団の中に治癒魔法使えるやつがいたから治癒かけてもらったけど……どっか痛いとこ、残ってない?」
テオが少し心配そうに覗き込む。
「……はい、楽になりました。けど……」
ルーチェは、手に握っていたものに目を落とす。
折れてしまった杖の残骸。片手に収まるほどの破片が、まるで今も痛みを宿しているかのようだった。
───そして、彼女の脳裏に浮かんだのは、精霊獣のことだった。
キールが静かに告げる。
「……あの後、街で聞き込みを行いました。どうやら、精霊獣はある男とともに、山の上へ向かう姿が目撃されていたようです」
「山の上……?」
ルーチェは思い出す。
あのとき、街で調査をしていた最中に、ベンチに座っていたおじいさんが語ってくれた話だ。
───“山の上には祠があって、大地の精霊様が祀られている”と。
(……もしかして……)
その思考に熱が宿る。
キールが続ける。
「現在、捕らえた商人たちや関係者から事情聴取を進めているところです」
「子供たちは別の天幕で休ませてるってさ。少し怖がってるけど、オルトくんが落ち着いたら、きっと安心できると思う」
テオが柔らかく言う。
ルーチェは俯き、唇を噛んだまま一度だけ拳を握る。
そして、意を決して顔を上げると、震えるように言葉を口にした。
「……あの、私───精霊獣を助けに行きたいです」
テオは、思っていた通りだとでも言うように笑みを浮かべた。
「ルーチェなら、そう言う気がしてたよ。でも……体の方、本当に大丈夫?」
「……問題ないです」
ルーチェははっきりと告げる。テオはうなずき、キールもまた、その意志を感じ取り、穏やかな声で答える。
「少し、待っていてください。騎士団に伝えてきます」
それだけ言い残して、キールは天幕の布をくぐり、外へと出ていった。
ルーチェは、折れた杖の破片を見つめる。
そしてそれを、そっと脇に置いた。
───過去の失敗は、後悔にはしない。
これは、次に繋げるための“選択”なのだと、強く心に誓って。
天幕の布が揺れ、キールが中へと戻ってきた。
その後ろには、白い軍服を纏った凛然たる姿───王女エステル。そしてレオニスが続く。
「ルーチェ。……平気か?」
体を起こしかけていたルーチェは、靴紐を結んでいた手をふと止め、顔を上げた。
「……エステル様。はい、大丈夫です」
エステルは短くうなずき、天幕の中を一瞥するように視線を巡らせたあと、口を開いた。
「キールから話は聞いた。……私としても、そのような連中を野放しにはしておけない。だが───」
一拍、言葉を切って、後ろのレオニスに目を向ける。
「私は今回の作戦全体の指揮を任されている。故に、ここを離れるわけにはいかない」
そして、彼女は一歩前に出たレオニスに視線を向けると、はっきりと告げた。
「レオニス。騎士の一部を捜索隊として編成、人選は任せる。ルーチェたちに力を貸してやれ」
「はっ!」
まっすぐな敬礼。その眼差しには、ルーチェの危険を案じる親しみと、任務への覚悟が宿っていた。
エステルは改めてルーチェに向き直る。
「ルーチェ」
「はい、エステル様」
エステルの声が、少しだけ柔らかくなった。
「……精霊獣を救えなかったこと、悔しいか?」
ルーチェは、数秒だけ言葉に詰まり、それから唇を噛みしめて頷いた。
「……はい。とても、悔しいです」
エステルは目を細めて、ほんの僅かに微笑んだ。
「ならば───今度こそ、救ってやれ。……ルーチェの、その手で」
ルーチェは真っ直ぐに立ち上がり、折れた杖の残骸ではなく、新たな想いを胸に、力強く答えた。
「……はいっ!」
レオニスによって捜索隊が編成された。
ルーチェは外套を羽織ると、一度大きく深呼吸をした。
夜明け前の冷えた空気が肺の奥に入り込み、心のざわめきをわずかに落ち着かせてくれる。
そのまま一歩、また一歩と、レオニス率いる捜索隊と共に山道へと足を踏み入れた。
足元の石がごつごつと音を立てる。険しい山道は、木の根や濡れた岩に覆われ、決して歩きやすい道ではない。
後ろを歩くテオがふと声をかける。
「ルーチェ、道がガタガタしてるから気をつけて。ほら、手でも握っとく?」
どこか冗談めかした調子だが、その声にはちゃんと心配が滲んでいた。
ルーチェは振り向き、にこりと笑って──
「大丈夫、です……!」
そう言って、少しだけはにかむように笑ったあと、また前を向いた。
そして──駆け出すように先頭へと進んでいく。
「おいおい、ルーチェ……あんまりハイペースで行くと、後でバテるぞー?」
木々の間から洩れる朝の光が、ルーチェの背を照らす。
(それでも……なるべく早く……!)
焦り、悔しさ、そして希望。
その全てを背負って、ルーチェはしっかりとした足取りで山を登っていった。




