表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
絆ノ幻想譚  作者: 花明 メル
第一章 光と絆のはじまり
11/70

第11話 誘われた森の奥で



───戦闘後のことだった。


 ルーチェは、思わずその場にぺたんと座り込んでしまった。左腕がズキズキと痛む。破けた袖から覗く肌を確認すると、傷から血が流れ、患部は赤黒く腫れ上がっている。


「……あの時、爪の一撃をもらっちゃったからかな……」


『お嬢様! 急いで止血を……!』


「うん……ぷるる、ちょっとだけ、きれいなお水もらえる?」


 呼びかけに応え、ぷるるが威力を限界まで抑えたやわらかな水流をぴゅーっと放出する。その水で傷口を洗い流すと、ルーチェは魔法で出した光のリボンをぎゅっと巻きつけて止血した。


 そもそも論だが、光魔法を扱うルーチェが、なぜ回復魔法を使わないのか……?


 理由は簡単だ。使えないのだ。

 回復魔法は、ただ光を灯すだけでは通用しない。損傷した血管、筋肉、皮膚の再生───それらすべてを正確に“イメージ”できなければ効果を発揮しない。痛みを感じ、組織の構造を理解し、それを再構築するほどの想像力と集中力が必要なのだ。


 十四歳の少女であるルーチェには、まだそれは難しい。


「んぐっ……」


 傷から広がる痛みに、ルーチェは思わず唇を噛みしめる。


『お嬢様……』


 リヒトの声はとても心配そうだ。


「……大丈夫。痛いけど……動けるよ。ねぇぷるる、あのブラッディホーンベアの角……《水刃旋回(アクアスピン)》で切り取ってくれる?」


 その視線は、倒れた魔獣───ブラッディホーンベアへと向いていた。


「この子の体は……少しだけ浄化してから、森に還してあげよう」


『はい、それがよろしいかと存じます』


 ぷるるが静かに頷くように跳ね、角に水の刃を走らせる。シュッという音と共に、立派な角が切り離された。それを見届けて、ルーチェはそっとブラッディホーンベアの亡骸に近づく。


 両手を胸元で組み、そっと囁くように詠唱する。


「《浄化(ピュリフィケーション)》……!」


 ルーチェの手から零れた淡い光が、魔獣の亡骸に降り注ぐ。光が触れた部分から、どす黒い禍々しさがふっと消えていく。まるで波紋のように、穏やかな光が優しくゆっくりと全身へと広がっていった。


「……これで、この子を安全に供養してあげられる……かな」


『えぇ。……お嬢様。《絆の光(コネクション)》の操作権を一時、お貸しいただけますか?』


「いいよ……お願い」


 ルーチェの止血用のリボン以外の、手足を彩っていたリボンがふわりと解けて宙を舞う。腰のリボンに魔力が集中し、形を変え始める。編み込まれ、大きな腕のような形になったリボンが、ゆっくりと地面を掘り始めた。


 その様子を見守りながら、ルーチェはぽつりと呟く。


「この子……この森に、帰れるかな……?」


『きっと帰れますよ。お嬢様が心から願えば……』


 しばらくして、土が十分に掘られ、魔獣の遺骸が丁寧に移される。再び土がかぶせられ、リボンの腕がぽんぽんと表面をならすと、そっとほどけて消えていった。

 魔力がルーチェの中に戻る感覚が、微かに体を温める。


 ルーチェは、盛り上がった土の前に膝をつき、手を合わせた。すぐそばに、ぷるるもぴたりと寄り添う。


「……どうか、安らかに……」


 静かな、けれど深い想いを込めたルーチェの祈りが、森の空気に溶けていった。

 


***


 

 ルーチェは、先ほどぷるるが切り取ってくれた角を拾い上げた。その表面には、うっすらと魔力の名残が残っている。きっと素材として価値があるだろう。

 カバンに丁寧にしまい込むと、ルーチェは小さく気合を入れるように拳を握った。


「よしっ……予定外の戦闘になっちゃったけど、ミリーナちゃんを探さないと…!」


『えぇ。急ぎましょう、お嬢様』


「ぷるる、頭の上に乗って」


 声をかけられたぷるるは、ぴょんと軽やかに跳ねて、ルーチェの頭の上にちょこんと乗った。その重みと存在が、ルーチェに安心感を与えてくれる。


───その時だった。


 背後の茂みが、ガサガサッと音を立てて揺れた。


(また敵!?)


 反射的に身構え、ルーチェは勢いよく振り返る。


 ……しかし、そこにいたのは敵ではなかった。


 姿を現したのは、まるで木のような角を持つ、鹿のような魔物だった。その瞳は深い森の静けさを湛えていて、どこか神秘的な気配を纏っている。


『……あれは、この森に生息する鹿型の魔物、ハーヴェストディアなのですが……。本来警戒心が高く、人前に出てくることはないはずです……』


 リヒトの声には、少しばかりの戸惑いがあった。


 その鹿の魔物は、ルーチェの後ろ───すなわち、先ほどブラッディホーンベアを埋葬した土の盛り上がりを一瞥し、それから、ルーチェをまっすぐに見つめた。


 静かな時間が流れる。


 互いに動かずに見つめ合っていたが、やがて先に動いたのは鹿の方だった。


 くるりと背を向け、数歩だけ進む。


───そして、振り返る。


 まるで、“ついてこい”と言っているかのように。


 ルーチェはその瞳に、敵意や警戒ではなく、導くような意思を感じ取った。


『……お嬢様?』


「……多分、大丈夫。一緒に来てほしい……んだと思う」


(そう言われている……気がする……)


 ルーチェは案内役の鹿との距離を取りつつ、その後を追いかけて歩き出した。


 どこかへ導かれている。そんな不思議な感覚に、ルーチェの胸の鼓動が高鳴る。

 それに対して森はまだ静かなままだった。


 だが、奥に進むにつれて、空気がわずかに変わり始めていた。


 草を掻き分け、木々の間を縫うようにして──ルーチェはただひたすらに、目の前を歩く鹿の後を追っていた。


「この先に……何があるんだろう……」


 そう呟いた頃には、周囲の空気が更に変わっていた。


 数分の歩みの果て。ルーチェは、ふと視界が開けた先に辿り着いた。そこは、森の中とは思えないほど、穏やかで静謐な空間だった。


 柔らかな陽光が、木々の隙間から差し込み、小さな花と草が風にそよいで揺れている。中央には、日光を反射してキラキラと輝く泉が広がっていた。この場所だけが、まるで“聖域”とでも呼ぶべき、特別な空気を纏っている。


 ルーチェは一瞬、ためらうように足を止め、そっとその聖域のような空間に足を踏み入れた。


───そして、気づいた。


 大きな木の根元……その傍に、誰かが眠っている。


「まさか……ミリーナちゃん!?」


 思わず声が漏れ、駆け出そうとしたその瞬間。ルーチェは、もう一つの違和感に気づいた。


 ミリーナらしき少女が寄り添っている“大きな木の根”……そう見えていたそれは、実は木ではなかったのだ。


 それはまるで、樹木と一体化したかのような巨大な生き物だった。

 体は木の幹と見紛うような色合いに覆われ、頭の角から枝のように伸びた木が生えており、そこには青々とした葉と熟した果実が揺れていた。顔はどこか、ヘラジカにも似た印象を受ける。

 

───その生き物の存在が、まるで“森”そのものと化していたのだ。


 その魔獣は、ゆっくりと首を動かし、ルーチェを見つめた。


(まさか……魔物? ……いや、これは……魔獣?)


「ブムォォォ……!」


 その声は、吠えるでも威嚇するでもなく、どこか切なさと憂いを孕んだ、深い鳴き声だった。


 ルーチェは、はっと息を飲んだ。


(そっか。鹿さんが私をここまで導いてくれたのは───このためだったんだ)

 

 ……根拠はない。けれど、ルーチェは確かにそう“感じた”。


 ルーチェは一歩、また一歩と慎重に近づいた。魔獣は動かず、ただ静かにルーチェを見つめている。


 まずルーチェは、大きな身体の脇で眠っているミリーナらしき子供に駆け寄り、その無事を確かめた。そっと口元に手をかざす。微かに、けれど確かに呼吸の気配がある。


「……良かった……」


 胸を撫で下ろし、ルーチェはほっと息をついた。


 それから、改めて魔獣に視線を向ける。魔獣は、じっとルーチェの左腕《絆の光(コネクション)》で生み出したリボンが巻かれた腕を見つめていた。


(……もしかして、このリボンが気になってる?)


『お嬢様。……《絆の光(コネクション)》を使えば、もしかすると……』

 

「……もしかすると?」


『“知恵ある獣”──先ほどのおばあさんが言っていた《緑癒獣(りょくゆじゅう)》がこの存在であるなら、リボンを通じて意思疎通することができるかもしれません』


 リヒトの声に、ルーチェは一瞬戸惑いながらも頷いた。


 《絆の光(コネクション)》のリボンを手の中に生み出し、その片端をそっと魔獣の角に結びつける。


───その瞬間。


『……よく来たのう、人の子よ……』


 どこか懐かしく、温かみのある、老人のような声が頭の中に響いてきた。


「……もしかして、貴方が……《緑癒獣(りょくゆじゅう)》さんなの?」


『……懐かしい響きじゃのう……。──いかにも。儂は……いや、儂らはずっとこの森を守り続けておる。今の“緑癒獣(りょくゆじゅう)”は、儂じゃよ』


 柔らかな声に、ルーチェは自然と息を呑んだ。それは、まるで森そのものが語りかけてくるような、静かで深い、命の声だった。


 こうして───少女と、森を護る知恵ある魔獣《緑癒獣(りょくゆじゅう)》との出会った。

 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ