第107話 廃坑の奥で見たもの
ルーチェは静かに杖を構えた。
(魔法はイメージ……大丈夫。デッドタートルと戦った時みたいに……ノクスみたいに、自然に影を──)
握る手に、自然と力がこもる。
「行きます……《影潜り》!」
唱えた瞬間、彼女の足元の影が水のように広がり出す。三人の身体がゆっくりと、闇の中へと沈んでいく。
──そして。
ルーチェがゆっくりと目を開けると、そこは“影の中”。
光を拒んだ世界、しかしそこには外の気配が、皮膚の裏側を撫でるように伝わってくる。
「ルーチェ、大丈夫?」
テオが覗き込むように声をかけるが──ルーチェは答えなかった。ただ、じっと前を見据えたまま、一歩、また一歩と歩き出す。
彼女は今、外の気配を探っている。
“影”を通して、この先に待つものを、感じ取ろうとしていた。
「……行こう、テオ」
「あぁ」
影の中を、三人は静かに進んでいった。
数分、影の中を慎重に歩いていたルーチェは、ふと立ち止まった。
「……あの、肩車してもらえませんか?」
「「え?」」
「ノクスはいつも“ひゅんっ”て影から出るんですけど、今回は私が顔だけ出して周囲を見たいんです。その……肩車で、ひょこって……」
「よしキール、任せた」
テオがキールの肩にポンと手を置くと、キールが真っ赤になる。
「は!? なぜ僕!?」
「お前の方が背高いだろ? より高く見えるなら、その方がいいって」
「いやいや、それは……! ていうか、普通に恥ずかしいから!」
「じゃあ俺でもいいよ、ルーチェ。どっちがいい?」
「えっと、多分どちらでも大丈夫だとは……」
「よし、決まり。おいで」
ルーチェはおずおずとテオの肩に跨る。
「よし、しっかり掴まってな?」
テオがゆっくりと立ち上がると、影の中でルーチェが少しよろめいた。
「わっ……!」
「軽……。っと、で、見える?」
「あ、はい、多分……」
ルーチェはそっと顔だけを影の外へと出す。
──坑道。だがその先、地面はなかった。
「……縦穴?」
足場の終端は大きな縦穴になっており、その暗がりの先には何かがある──そう、ルーチェは感じた。
目を細め、《鑑定》で周囲を見回す。
『お嬢様、《鑑定》の結果、今のところ、周囲に罠などはございません。この一帯は安全な空間と見受けられます』
ルーチェは再び影の中へと戻った。
「怪しい仕掛けや魔法は、見当たりませんでした。すぐ先に大きな縦穴があって……そこから下層を見渡せるかもしれません」
「ナイス、ルーチェ。じゃあ──一度外に出ようか」
「はい!」
三人は坑道の奥、通路の先にあった縦穴の端へと慎重に近づき、そっと身を屈める。
縦穴の下──ちょうど二階建ての家の屋根くらいの高さだ。その下層には灯りがあり、人影があった。
「いやぁ、今回は随分沢山仕入れましたね…兄貴」
岩肌に反響する声。見張りか、関係者か、それとも──
「まあな。過去にやった市で来た客が、その筋に噂を流してくれたおかげで、今回は街に大勢の買い手が集まってきてるからな」
(市…? 買い手…? 何の話…?)
ルーチェが小さく息を呑む。
「…やっぱり目玉はあのデカブツですか?」
「あぁ、アイツは買値よりも確実に高値で売れる…俺の勘がそう言ってる」
「しかし、アイツは何の魔獣なんです? 見たことねぇですけど…」
「ここだけの話…あれは“精霊獣”だ」
(っ……! 精霊獣!?)
ルーチェたち三人は、思わず口元を押さえた。背筋に冷たいものが走る。
「精霊獣!? …それはマジなんですか?」
「あぁ、その精霊獣を売ってきた女が言ってたし、鑑定アイテムを使ったから間違いねぇ。アイツは高位の精霊様だよ」
「一体いくらで売れるんでしょうかね…!」
「……そういや、ガキどもはどうしてる?」
「騒いで仕方ねぇんで、特にうるせぇのには躾と、少しだけ薬を…」
「……あんまり傷をつけすぎるなよ。売りもんにならなくなったら、“あっち”に回さねぇといけなくなるんだからな」
(“あっち”……?)
「そこら辺は気をつけてるんで、今んとこ大丈夫っすよ」
「ならいい。《奈落の市》、今回は過去最大規模だ。しくじらねぇように、躾は慎重にな…」
「了解です…」
足音。男たちは部屋を後にした。
下層は再び静寂に包まれる。
テオは歯を食いしばる。キールの表情は鋭くなり、ルーチェは顔面蒼白で拳を握っていた。
「どうしますか…?」
坑道の縁でルーチェが小声で尋ねる。
キールは静かにポケットからアンティークな銀の懐中時計を取り出し、パチンと音を立てて開いた。文字盤を見たキールの表情がさらに険しくなる。
「……一度、撤収しましょう。ベルンさんたちへ報告を。今後の方針も決めねばなりません」
「……分かりました」
ルーチェはうなずくと杖を構えた。
「《影潜り》」
黒い影が波のように三人を包み込み、静かに地中へと沈んでいく。
***
ギルドの受付にて。
「──はい、確かに10匹ですね。鉱食いムカデとスレートワーム、両方とも確認しました。こちらが討伐報酬となります」
受付係が袋に入った硬貨を差し出す。
「ありがとうございます…」
ルーチェは軽く頭を下げて報酬を受け取ると、そのままギルドを後にした。
向かう先は宿──今後の作戦を、仲間たちと共に話し合うために。
場所は宿の一室。重苦しい空気の中、全員が顔を揃えていた。
「潜入して調べてきましたが……やはり、帳簿にない資金の流れが複数確認されました。形式上は“整備費”“修繕費”といった名目ですが、実態は不明です」
リィナがそう言うと、ベルンが小さな手帳を捲る。
「特に、管理所と市長の金の動きが、きな臭いです。かなりの大金が彼らの懐に入っている──それは間違いないでしょう」
ベルンの言葉の後に、再びリィナが口を開く。
「ここ最近になって急激に金の流れが活発化していることからも──《何か》が大きく動いているのは確かです」
壁際に座っていたモッグスが、口を開く。
「こっちも見えてきましたよ。ここに来ている一部の商人たち、妙な共通点がありましてね。表向きは別件で訪れたように見せているが、調べれば調べるほど“この街で開かれる市”を目的に来ているとしか思えません」
「“市”…ですか?」
ベルンの問いかけにモッグスがうなずいた。
「ああ。名前までは掴めなかったが、一般に開かれている市ではない。情報を持つ者同士の繋がりでのみ成立する……“闇市”でしょうね」
「──そして、私たちが廃坑の奥で確認したのが、その“市”の実態です」
キールは声を低くして言う。
「名称は《奈落の市》。世界的に売買取引が禁止されている精霊獣──それが“目玉商品”として売買されようとしていました。あくまで盗み聞いただけなので、どのような姿なのかまでは分かりませんが……」
キールの報国に、ベルンが目を見開いた。
「……なんと……!」
「そして、子供たちも囚われていると見て間違いないでしょう。おそらく、奴隷として売られるために……」
キールの言葉の後、しばしの沈黙。
「……これは放っておけません」
リィナが呟いた。モッグスもうなずく。
「精霊獣を手に入れようとする者が現れれば、国際的な問題になりますぜ」
「──準備を急ぎましょう。市長への内偵と並行して、廃坑奥への突入作戦を立てます。そのために、辛いでしょうが、廃坑の調査を引き続きお願いいたします」
ベルンは苦々しい顔で、ルーチェたち三人に頭を下げる。ルーチェたちは、力強くうなずいた。
────しかし、これから待ち受ける闇の深さを、まだ誰も知る由はなかった。
***
キールが通信装置を通じて王都へ報告を送った一時間後──返答が届く。
だが再生してみると、それは予想していたカイルの声ではなかった。
「……私だ、エステルだ」
その声はエステル・ヴァレンティーナ、ヴァレンシュタイン王国の第一王女のものだった。
「驚いたかもしれないが、たまたま今、エミルと一緒に叔父上の元を訪れていたんだ。おかげでキールの報告、すぐに耳に入った」
一拍置いて、エステルの声色が変わる。
「結論から言う。今回の件は王国として放置できない。父上に進言し、王国騎士団の一部を動かすよう手配した」
「精霊獣の違法取引、そして子供の誘拐や奴隷としての売買。しかもそれが“市”という名目で組織的に行われているとなれば、これはただの犯罪では済まされない」
「だが、動かせる部隊を編成し、街まで到達するには早馬を使っても三日程かかる。それまではそちらに任せるしかない」
「……街の自警団や管理所の上層部が関わっている可能性がある以上、現地の協力は期待できない。騎士団が到着するまで、何があっても軽率な行動はするな。下手に動けば、子供たちや精霊獣に被害が及ぶ恐れもある」
「とはいえ、救出までに証拠を確保できるならありがたい。必要なら王命での介入も検討する」
「……どうか無理はするな。お前たちを信じている」
録音は、そこでぷつりと終わった。




