第105話 ドレステルへ
石造りの門をくぐると、乾いた風と共に煤の匂いが鼻を掠めた。
ヴァレンシュタイン王国と隣国ロンダールの間にある大きな山脈、その山間部にある街───ドレステル。
地面は踏み固められた土のままで、王都のような整備された街道は見当たらない。荷馬車の車輪がゴトゴトと揺れるたびに、白い砂埃が舞い上がった。
街の両脇には、重たげな扉を備えた鍛冶場や製鉄の工房が立ち並んでいる。どの建物も煤で黒ずみ、そこかしこに鉄の匂いが染みついていた。ガンッ、ガンッと鉄槌を打つ音が絶えず響き、煙突からは煙が途切れることなく立ち昇っている。
やがて中心部に差しかかると、開けた広場が見えてきた。石畳ではなく土の広場だったが、そこには多くの露店が並び、人々が行き交っていた。
山で採れた鉱石や手作りの工具、簡素な食事を出す屋台などが並び、観光向けというよりは、鉱夫や工房の職人たちが日常的に利用する実用本位の市といった印象だ。
「街道も山道になると、けっこうガタガタなんだね。この辺ももう少し整備してくれたらいいのに」
テオが馬車を降りながらぼやく。
「……でも、活気のある街だ」
キールは周囲を見渡しながら答えた。
すぐ傍らには、商人の格好に着替えたリィナとベルン、モッグスの姿があった。リィナは外套の裾を軽く払って荷馬車から降りると、日差しの向こうを睨むように街を見つめる。
「……さて、叩けば何が出てくるか。楽しみですね」
小声でそう言うリィナに、ベルンがゴホンと咳払いをした。
「護衛役の皆様、道中の護衛ありがとうございました」
それは依頼人を装うための台詞。もしこの街で良からぬことが起きているなら、外から来た者に目を光らせる輩もいるかもしれない。
「これは報酬になります。皆様はすぐにお戻りになるので?」
革の袋を差し出しながら、ベルンが問いかけると、テオが口を開いた。
「いや? 数日はいるよ。せっかく鉱山の街に来たんだし、武器見たり、鉱山の魔物を狩ったりとかね」
「そうでしたか。では宿はもうお決まりで?」
ベルンが優しい声音で続ける。
「いや、まだだけど」
テオも自然に返す。
「そうだと思いまして、既に手配しております。宿代はこちら持ちですので、どうぞ安心してお泊まり下さいませ」
(……こうやって演技してるってことは、この街を相当警戒してるんだよね)
ルーチェは黙ってやり取りを見ていた。その心の声に、リヒトが応じる。
『ええ。気を引き締めていきましょう、お嬢様』
街の裏を調査するベルンたちと別行動になったルーチェたちは、とりあえず街中を見て回ることにした。
三人が歩く道すがら、至るところからカンカンと鉄を打つ音が響いてくる。
「それにしても……すごい音」
ルーチェがぽつりと呟く。
「特にこの辺りは職人の工房が多いらしいからね」
テオが答え、辺りを見回した。
その傍らで、行き交う人々の中には少女の姿をじろじろと見たり、あからさまに睨むような視線を向けてくる者たちがいた。
「……どうやら、かなり黒っぽいね」
キールが小声で呟き、隣のテオに視線を送る。テオは無言で頷くと、前を行くルーチェを見据えた。
「ルーチェ」
「……はい?」
前を向いていたルーチェが振り返る。テオは心配そうな顔をして、ルーチェを見据えた。
「……一人でどこか行かないでね?」
「行きませんってば……」
少し拗ねたように言い返すルーチェ。
三人はそんな空気をまといながら、広場の方へと歩いていった。
露店の並ぶ広場は、見たところ賑やかだった。
鉱山の町らしく、労働者風の男たちが立ち寄って腹を満たし、簡単な衣類や道具が並ぶ店で買い物をしている。
だが──何かが、変だった。
目立った異常はない。だが、露店の主たちはどこか落ち着かず、視線が時折きょろきょろと周囲を窺っている。
すれ違う住人たちも、よそ者の姿を見ると一瞬だけ目を逸らすような仕草を見せた。
ルーチェはその空気を肌で感じ取った。
「……なんか変ですよね。皆さん、どこか警戒している感じがあるというか……」
そう呟いた彼女に、隣を歩いていたテオがふと立ち止まり、にやりと笑った。
「ちょっと待ってな。こういうのは俺の得意分野だから」
言い残して、テオは広場の端にある串焼き屋へ向かっていく。
小さな屋台には、年配の女性が立っていた。
ぽつんと取り残されたルーチェとキールは、木製のベンチに並んで腰を下ろす。
テオは屋台の前で軽く手を振りながら、自然な様子で話しかけていた。
「……あれで話術は達者ですからね。僕よりも、ああいう人たちとの距離の詰め方が上手いんですよ」
「へぇ……さすがですね」
ルーチェが感心したように言うと、キールは少し誇らしげに笑った。
──待つこと数分後。
「お待たせ〜」
軽い足取りで戻ってきたテオの手には、紙の袋が三つあった。
「一本ずつ買うつもりだったんだけど、めっちゃオマケしてもらっちゃった。ほら、一人三本ね」
「……まったく」
呆れたように言いながらも、キールは袋を受け取り、ルーチェにも手渡した。
「ルーチェさん、これがテオなんですよ。こういう時だけは僕なんかより頼りになりますから」
「打算とかそういうのじゃなくて、仲良く話すのが得意なだけだって。こういうのは貴族より、庶民の得意分野だろ?」
テオはにかっと笑い、串焼きの一本を齧った。
ルーチェも袋の中から一本を取り出し、はふはふと頬張る。香ばしい肉の香りと、ちょっと濃いめのタレが口の中に広がった。
「それで……、何か分かりました……?」
口の端をソースで汚しながら尋ねるルーチェに、テオが眉をひそめた。
「こら、食べながら聞かないの。……まあ、情報は後で。食べ終わったら、ちょっと移動しよう」
串焼きを食べ終えたテオは、手を拭きながら歩き出す。しばらく進んだところで、声を落としながら話し始める。
「で、さっきのおばちゃんから聞いた話なんだけどさ」
ルーチェとキールが耳を傾ける。
「なんでも、閉鎖されてるはずの廃坑に、最近人の出入りが増えてるらしい。しかも、それが冒険者とか鉱山関係者って感じじゃなくて、見た目も妙に物々しい奴らばかりなんだと」
「……正式には、廃坑って立ち入り制限されてるんじゃ?」
ルーチェの問いに、テオがうなずく。
「そう。ただ、ギルドから依頼を受けて、許可さえ取れば入れるってのもあるから、管理所も全部把握できてるかは怪しいってさ」
そしてテオはやや声を低くして続けた。
「それだけじゃない。街の子供たちが何人か行方不明になってるって話も聞いた。ただ、はっきりと“事件”として扱われてはいないみたいで、皆どこか怯えてる感じだった」
ルーチェが不安そうに眉をひそめる。
「そんな……誰も何も言わないんですか……?」
「外には話さないって空気みたいだな。なんつーか、口にしたら自分たちも危ない、みたいな……」
キールが唇を引き結ぶ。
「情報が封じられてるというか……暗黙の了解みたいなものを感じますね」
「あと気になったのは、街に似つかわしくない連中が増えてるって話。旅人っぽくない妙にごつい男たちが出入りしてるとか、両方の国から来てる商人の数が不自然に多いとか……」
「観光客が来るような街でもないのに、ですか?」
ルーチェが問いかける。
「ああ。それに、鉱山の方にやたらと大きな荷物を抱えた連中が入っていったのを見たってさ。あのおばちゃんの息子が見たらしい。詳しくは分からねえけど、普通の納品には見えなかったらしい」
ルーチェは俯いた。
「……何か、おかしいですよね。やっぱり、調べた方がいいんじゃないでしょうか」
「だよな。俺たちにできる範囲で、街の様子と廃坑周辺を見て回るか」
テオの言葉に、キールも同意するように。
「はい。……できるだけ、慎重に」
夕方が過ぎ、空が夜色に染まり始めた頃。
宿に戻って一息ついた三人は、作戦を立て直していた。
「──夜の見回り、私が行きましょうか?」
張り切った様子で名乗り出たルーチェに、即座にキールとテオの声が重なる。
「「却下」」
「えぇ……」
肩を落とすルーチェに、テオが呆れたように言う。
「一人行動しないでねって、言ったばっかでしょ?」
「……うぅ、そうでした」
苦笑しつつも、キールがやんわりと続ける。
「夜は特に危険でしょうから、僕たちが行きます」
「いや、キールは残って。定期連絡あるっしょ?」
テオが通信装置を指差すように言えば、キールはわずかに眉を下げる。
「……テオ一人で行くのも危ないと思うけど……」
そんな二人のやり取りを見ていたルーチェが、ふっと表情を引き締めて言った。
「なら、ノクスを連れて行ってください。──ノクス」
その声に応じて、ルーチェの影から影狼のノクスがひょっこりと顔を出した。
「……ワフ」
静かに尻尾を揺らすノクスに、ルーチェが優しく語りかける。
「テオさんについて行ってくれる?」
「……ワフ!」
その直後、ルーチェは《意思疎通》でノクスに言う。
(ノクス、何かあったら《影潜り》と《影移動》で、テオさんを守ってあげて)
『ワカッタ、アルジ。マカセロ』
しっかりとした意志を宿したノクスの声が、ルーチェの心に届く。
やがて、テオが軽く息を吐いて立ち上がった。
「よし、行くぞ、ノクス」
「……ワフ」
ノクスはふわりと影へと溶け込み、音もなくテオの足元へ潜り込む。
夜、宿の一室にて。
キールは手元の通信装置に向かって、落ち着いた声で報告を終えた。
「……報告は以上です、父上」
ぴたりと装置の蓋を閉じると、彼は小さく息をついた。
その様子を、ルーチェはじっと黙って見つめていた。
「……ルーチェさん。一つお願いがあるのですが」
「お願い……ですか?」
キールのまっすぐな目に、ルーチェは思わず背筋を伸ばした。
「先ほど、ベルンさんに会って今の内容を共有しました。あちらの調査もまだ時間がかかるそうです。それで、こちらからももう少し踏み込んで調べたいと考えているのですが──」
そこでキールは少しだけ言葉を切り、慎重に続ける。
「冒険者としての権限を使って、廃坑へ調査に入りたいと思っています」
「えっと……、それで?」
「ルーチェさんには、明日ギルドへ行って、廃坑に関する依頼を受けていただきたいんです。魔物討伐系の──Cランクのものを」
「Cランク……ですか?」
「はい。低ランクの依頼では、立ち入りが許可されるのは浅い階層まで。今回の調査には、より奥まで入る必要があります。僕たちの中で最もランクが高いのは、ルーチェさんのDランクですから」
「なるほど、そういうことですね。分かりました、行ってきます」
素直にうなずくルーチェに、キールはやや申し訳なさそうに付け加える。
「ただし、依頼は単独で受けてください。Fランクの冒険者が同行するとなると、Cランク依頼そのものが通らない場合がありますので」
「……了解しました。でも、調査の方はどうしますか?」
「そこも、ルーチェさんとノクスに力を借りたいと思っています」
そう言って、キールはいたずらっぽく口元をゆるめた。
「ルーチェさんとノクスの力で、“ギルドには申請されていないルート”を探りたいんです」
「……私とノクスの……?」
ルーチェは目をぱちくりとさせ、思わず首を傾げた。




