【第九話】余韻と高鳴り
コーヒーが冷めきっていたことに気付いたのは、
寝る直前だった。
テーブルに置きっぱなしのマグカップが、
思いがけず長くなった会話の余韻を思い出させた。
人見知りの私には、隣人の男性と会話するのは
ひどく疲れるのだが、同時に刺激でもあり
夜更けについコーヒーを手に取る羽目になっていた。
コーヒーも彼の話も、消化しきれずにいる。
彼の「認められたい」「自分の曲を披露したい」
という真っ直ぐさに
私は妙に心をざわつかせていた。
ボーっと考えながら自然と見つめていたキャンバス。
いつもやらない理由が勝っていた「絵を描く」という行為。
私に彼のようなバイタリティはあるのだろうか。
彼は今、芽が出ないかもしれなくとも、
夢を求めて実際に行動している。
……作りたい曲はどのくらいできたかな?
そもそもどんな曲を作りたいんだろう?
どんな……か。
私だったら……
何を描きたいんだろう……?
……。
自称丁度良しな女、宮坂 柚希。
本当は、わかっている。
不満がない生活などと言いながら、
丁度良いことに私は辟易していると。
学生時代は、
風景、人物、抽象画、漫画絵、色々と表現してきた。
キャンバスに描く前に
まずスケッチブックにあれこれ妄想を投げつけたものだ。
それだけで確かに楽しかった。
しかし私は平凡な人間。
味となる独特な画風なんてないし、
オリジナリティを出せるレベルに達する気もしなかった。
仕事にするのは現実的じゃないとか、
実力も足りないとか、
所詮趣味は趣味だと、
ホウキで掃いて隅に追いやった。
そんな中、同じく足りない高城さんから溢れる
熱意に対する羨ましさ、
そして遠ざけたかったリスペクトが、
いまも壁越しに聞こえる歌に乗せて
地味にペチペチ私の頭を叩く。
壁の向こうは、いつもの練習曲をはさみながらも、
歌にならないような歌を試すように奏でているのがわかる。
書きながら、メロディを探りながら、作っているのだろう。
断片的に聞こえる歌詞の一部も、
メロディも、まだ曖昧で、不安定で。
「私は何を聞かせられてるんだか。」
そう呟きながらも、なんだか心かキュっとなった。
今、彼は、自分の中にある何かを手繰り寄せている。
彼は「下手でもいいから、早く作って披露したい」と感じている。
その葛藤と、軽やかな決意のバランスは、
私が日々鎧を纏ってきた丁度良さのバランスとは
きっと根本的に違う。
彼は不安定なのだ。
「あんなふうに、ちゃんと不安定なままでいられるのって、すごいな……。」
いつもの私なら、
こういう時にまず劣等感に溺れ、
何か理由をつけて「なかったこと」にして
平穏を保つはず。
しかし、いつもと何かが違う気がする。
歌漏れの日々と、たまにある彼との対話の連続で、
サブリミナルのような効果でも出てるのかしら。
ほんと迷惑だわ……。
……。
……茶化してばっかりで、ずるいな、私。
冷めきったマグカップを洗い、
ベッドに横たわる。
「ああ……。なんだろう。」
……高城さんともっと話してみたい。