【第三話】出会いはなんとも言えない日常の一部
エレベータに向かってくる彼。
ただ隣に住んでいる人が偶然居合わせたというだけのシーンなのに
私は肩が少しクッとなった。なんだか少し悔しい。
彼はエレベータの前、私の隣の一歩後ろに到着する。
到着の瞬間、無反応なわけにもいかず、顔を半分だけ彼に向け、
「(一応、同じ階ですしね、でもお互いプライベートなのでね、でも無視して変な感じにもなりたくないからね、『どうもどうも』的なやつやりまっせ…!)」
という念を込めて軽い会釈をした。
私は彼に焦点を合わせるか否かの微妙な動きで、顔を正面に戻した。
ちらっと見えた彼は、少しだけ細めの中肉中背。
身長は私より頭一個分ぐらい高い。
彼の顔については、私が見たのはあまりにもブレた残像だったので、よくわからない。
――――エレベータが開く。
ほぼ同時に乗り込んだが、彼は率先してボタン側に行き「1F」を押す。
すると彼は、こちらを見た。
「1Fで大丈夫ですか?」
「あ、は、はい…」
そりゃ大体1階だろう。
しかし一応の可能性を考えて、念のため聞いてくれた彼。
でもびっくりしたじゃんか、慌てて人見知り全開の返事してしまったじゃんか。
なんかやっぱり悔しい。あなた騒音ですよ?
音が小さいから許してあげてるのよ?
しかもサビの盛り上がりでつっかえて止まるくせに。
なんであなたの方が平然としているのよ。
そんな意味のわからない念を唱える中、
脳内再生されたのは、彼が「1Fで大丈夫ですか?」と言った瞬間に見えた
まっすぐな目だった。
隣人付き合いの文化に乏しいこのマンションで、
まっすぐ顔を見て話しかけられることは少ない。
顔立ちは、私がいうのもなんだが悪くなく、
むしろ清潔感と優しさを感じるものだった。
おそらく同い年ぐらいだろうか。
歌うジャンル的に、前髪が長くてわざと暗い雰囲気を醸し出すルックスか、
茶髪でチャリティグッズを身にまとっているかのどちらかを想像していたが、
私のJ-POPに対する勝手な偏見に反省した。
慌ててしまったが、正体が知れたことで、
心の中でちょっとだけ微笑んだ。ものすごく、普通の人だ。
逆に、ギターを持って歌う姿があまり想像できない。
……彼は、私の部屋に歌声が漏れていることをおそらく知らない。
私にとってもただの隣人だけど、
毎日聴こえるBGMの正体がようやく現れたわけで。
この狭い空間で二人、ほんの少し意識の差があった。ほんの少し。
――――エレベータが開き、彼は「開」を押したまま待ってくれた。
私はお得意の、
「すみません、ありがとうございます」
をギュっとまとめ、風で遮ったような
「ア、スマs…ェ…」
と小さく言い、先に出た。万国共通言語である。
私がただの半端な丁度良し女ではなく、
美人でオシャレなバッグでも持っていればこの人も心の中で
「おっ」とか思うのだろうか。
私はキラキラ堂々と振る舞うのだろうか。
しかし私は美人ではなく、持っているのはゴミ袋だ。
存在感を残したら大事件である。これで良かったのだ。
私はゴミを捨てた。それはそれは猛スピードで捨てた。
彼はマンションの駐輪場に向かっていった。
土曜日の朝早い時間なのに、
彼はシンプルながらもキチっとした服で出かけている。
「仕事かな?」
ちょっと気になった。
部屋に戻ろうと振り返ると、
彼が自転車で私の横を通り過ぎた。
ああ、二度めまして。
……いや、隣人に二回も見られるなら、せめて少し化粧してちゃんとした服にしとけば良かった。
さて、今日はインドアの私に珍しく、ランチの約束がある。
後輩の夏美ちゃんに誘われたのだ。
家に戻り、何を着ていこうか悩んでいる時、一瞬だけ彼を思い出した。
名前も知らないけど、いつもうるさいけど、目だけはまっすぐな彼、
とりあえず、いってらっしゃい。
今日の空は、いつもより少し青く晴れていた。
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