【第二十五話】恋とキャンバスのあいだで
私はいろんな考え方を試した。
私の得意な、現実では何も前に進まない
頭の中だけの試行錯誤。
まっすぐ道を引いてシンプルに歩いても、
あらゆるひねくれた道順を
ウロウロ歩いても、
今回はどうしても同じゴールが見える。
そんな頭と心の中。
好きなんだ。へえ……。
これは、成長期の初々しい
桃より綺麗な桃色のハートが
甘酸っぱい雫を垂らすような、
そんな微笑ましいことじゃない。
……この気持ち、
恋愛にしてしまっていいのかな?
私はたぶん今、欲張りなんだろうね。
やっと絵と向き合い直したところ。
もうすぐ展示会に出品することにもなる。
一世一代の大勝負というわけではないけど
私に変化が訪れた大事な時期。
恋愛に浮かれるなんて、
私はたぶん贅沢だ。
そもそも恋の仕方なんて忘れた。
そもそも思い出したとしても、
どうせ下手だった経験の数々が
掘り返されるだけ……。
この関係を恋愛にしてしまうと、
何かが壊れてしまうかもしれないことが怖い。
この部屋のように
ひとつ壁を挟んだ距離感が
丁度良いのかもしれない。
ましてや隣人、別れた時最悪じゃないの。
ああ、すっかり考え込んじゃったな……。
筆が進んだり止まったり、
ほんと、厄介な存在だなあ。
……今日はもう、寝よう。
———そして一週間が経った。
展示会はあと三週間後。
主催者への挨拶は真理の紹介で
既に済ませている。
その時の話によると
作品の事前確認は不要らしい。
ただし、作品名やサイズなどは
ネームプレートの関係で
一週間前に知らせる必要があり、
完成品は展示三日前には提出、搬送。
つまり完成まで実質あと二週間程度。
絵はというと、
スケッチブックでの構想を終え
本番用に移っていた。
ワンルームの小さい部屋で
キャンバスの前に座って筆を持つ姿。
誰も見てないのに、少し照れ臭い。
今日も帰宅後すぐに描き始めている。
「うーん、大きくなると見え方が
やっぱり違ってくるわね……」
私はひたすら手を動かし続けていた。
すると真里から着信があり、
急いでタオルで手を拭き電話に出た。
「も、もしもし」
「あ、柚希?夜にごめん、
もしかして描いてた?」
「あーうん、でも大丈夫よ。
そんな集中できてなかったから」
「そっか。いつでもいいんだけど
経過について話さない?
本番で見せ合うのも面白いけど
昔は一緒に感想言いながら
描いてたなーと思ってさ」
確かに、まだまだ優柔不断が
抜けない私にとっても
彼女の意見を聞くのは
良いことかもしれない。
「いいよ、私も助かる。
まあ真理に対しては
言うことなさそうだけど(笑)」
「そんなことないない、
いろいろ描きすぎてどうしようか
迷ってるんだよねー」
明日、真里は職場で少し用事済ませたら
あとはオフで余裕があるらしく、
こっちに来てくれるとのこと。
高城さんとナポリタンを食べた
行きつけの喫茶店で会うことになった。
電話を切り、とりあえずカメラに切り替え
下描きをしていたスケッチを撮る。
「カシャ」という音がなるやいなや
画面は急に着信に切り替わり
今度は「高城湊」と表示された。
「え、ちょ、ちょっとちょっと」
これまで閑古鳥が鳴いていた携帯に
こんな連続で来られると緊張するじゃないの。
勢いのままワンコールで出てしまって
恥ずかしい気持ちになった。
「も、もしもし……?」
「もしもし柚希さん、夜にごめんね」
デジャヴだ。
「ううん、全然大丈夫。どうしたの?」
「えっと……」と少しトーンが真面目になる声で
彼は続けた。
「来週の土曜、僕がいつも言ってた
ミュージックバーの定期ライブで
また演奏するんだけど」
「う、うん」
これは……まさか。
「よかったら……空いてたら
観に来てほしいなって。
一応チケット代があるんだけど
それは僕が出すからさ」
「えっ、い、いいの?……行っても」
「うん……よかったら」
「……行くよ、もちろん。
ていうかチケット代ぐらい、
ちゃんと自分で払わせてよ」
「そう言ってくれるなら、
せめてドリンクぐらいは奢らせてね。
何組か出る中の一人だから
大したもんじゃないんだけど……
時間とか詳細はまた送るね!」
「わかった、楽しみにしてる」
電話を切った。
「ライブのお誘い……」
これまで音楽の話を散々聞いてきたけど、
誘われたことはなかった。
私がそれに興味ないと思ってるのかな、
とも考えた時はあったけど、
今思うにたぶん違う。
すぐに誘うと、ただの客数稼ぎに見えるから
避けたのだと思う。
そして、私に吐露してきた裏側があるから
彼の中で何か区切りのようなものが付くまで
誘うのはためらっていたのだと思う。
つまり、彼の自作曲は
納得いく形で完成したんだ。
電話中、少し下を向いていた顔が
自然と上にあがり、そして微笑んだ。
私は、自分事のように嬉しかった。
同時に、何か得体の知れない緊張感も
胸の奥でジワジワと滲んでいた。




