【第二話】独り言と出会いの狭間
「自分自身ほどわかりにくいものは無い。
人は時たま目の前を通り過ぎる何かを、
取るに足らないと判断したがる。
第三者から見ると、明らかに通常ではなかったりするものだ。」
あれから何日か経ったが、壁からの歌声は相変わらず。
およそ21時前後になると、あの声が漏れて部屋に入ってくる。
ボディブローのようだ。
「ああ、また……」
ため息をつきながら横になるのが、いつの間にか日課になった。
仕事に疲れ、何もしたくない夜の空気のなか、
髪の毛が一本だけ、ピンと立つのだ。
一本だけだから、絶妙に許さざるを得ない程度。
いくつかわかったことがある。
彼は何度も同じ曲を、繰り返し、繰り返し、歌うことが多い。
ランキング上位の有名アーティスト曲を、弾き語りに合うようにアレンジしている。
少しスローテンポで切ないJ-POP。
たまに副菜として元気な歌も聞こえてくるが、気分転換だろう。
主菜はおそらく本番用かな?
本番があるのかどうかわからないけど…。
今夜も私の部屋は、スマホから流れるショート動画の音と、
かすかに聞こえる歌声のミクスチャーで構成されている。
安いマンションあるあるだろう。
――――すると、不意に歌が止まった。
いつもはフルで一曲分は歌い切っていたのに。
ここは405号室。彼は406号室。
私の部屋から割と近いところにエレベータがあり、
静寂の中だと、人の通行が気配でわかる。
どうやら彼は曲を待たせて出掛けるようだ。
ドアからこそっと覗けば一瞬見えるかもなんて思ったけど
さすがに趣味が悪いなと思ってやめた。
声だけをこんなに聴いてるのだから、
ちょっと顔ぐらい見たくもなるじゃん?
こっちは迷惑被ってるんだからね。うん。
――――30分程でまた歌が鳴り出した。
「……あ、なんだ、帰ってきたんだ。」
ベッドに横になりながら、ボーっとする。
ヨガでもすればそれっぽくなるかな。
今日はいいや。明日やってみようかな。覚えてたらね。
小さくとも人の声が聞こえることが普通な空間だからか
ついつい私の独り言も容易くなっていた。
「まだ早いのになんか眠いなー……。
あー、今日は月末で忙しかったから。」
「……今日の松田さんも機嫌悪かったなあ。
後輩のあんな凡ミス、よくあるんだから事前対策しとけばいいのに。
同じこと起きて毎回アワアワ。夏美も夏美でかわいそ。」
「……」
「……またこの曲かい、そうかい、そうかい。」
「頑張るねえ…」
「……」
「ライブしてるのかな。路上とか?
こんだけ同じ曲練習するって、結構すごいことじゃんね」
「……あー眠い。」
「……」
「……夢があるんだろうなーきっと。……。」
音楽で成功するなんて一握り。
能力と容姿と縁、そこに加えて運をつかんだ者だけが、
「SNSでちょっとバズる」とは一線を画す本物になれる。
そんなことは、彼も百も承知だろう。
きっと散々聞いてきた言葉なのだろう。
彼はボディブローの五月蠅さではあるけど、
たぶん働いて家賃を払いながら、毎日夢と向き合っている。
練習の仕方を聞いていると、ただの勢いやノリなどではないこともなんとなくわかる。
もちろん、まだ全部想像だけど。
「夢か……そういえば私の夢って……結局なんだろう。
いや、なんだったんだろう。
いや、なんだろう でいいのか……」
――――翌朝。
休日だけどたまたま早く目が覚めた。
そういえば昨日は早めに寝ていた。
いつもより早くゴミ出しに行くべく、
とりあえずマヨネーズかけといたから不味くはないでしょレベルの格好でドアを開ける私。
エレベータの前でボーっと待つ私。
この時の顔って、世界中で最も力の抜ける不細工。
すると……ガチャっと音がした。
406号室あたりからの音。
……彼だ……!!
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前回(序章)では初投稿にも関わらず
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