【第十一話】否定できない違和感
白いページをめくっては閉じ、まためくる。
真っ白な紙の匂いが、部屋の空気に混ざる。
私はペンを握り、
白いページにそっと線を一本だけ引いた。
何を描くかなんてまだ決めていない。わからない。
ただ、この白さに何かを残したくなった。
そこから1分…3分…10分……。
電池が切れたように動かない私。
「ん-……。なんで買っちゃったかな。」
高城さんに触発されて、
それっぽく盛り上がってるだけかもしんないじゃん?
勢いで買ってダンボール送りになる啓発本と
同じパターンになりそうじゃん?
しかし私は、自然と線を一本引いていた。
——数日後。
職場で私はいつものデスクワークに勤しんでいた。
目線を変えると相も変わらず、
夏美ちゃんが慌てながら仕事をしている。
そういえば夏美ちゃんは彼氏と上手くやっているのだろうか。
恋愛での俯瞰さを仕事に活かせばいいものを…
まあ、そう簡単にはいかないよね。
そして昼休憩。
弁当派と外食派といる中、私は毎日弁当なんぞ作る気力もなく
外で軽食を済ます。
「先輩、お昼一緒に行きません?」
夏美ちゃんだ。
「あ、もちろん、行こう行こうー。」
近くのファミレスに向かう道中、夏美ちゃんが問う。
「先輩…最近、なんかありました?」
「……え?どうして?」
「ん-…なんとなくです。」
「怖い怖い(笑)。何もないよー?」
「旅行とか遊園地行ってきた人って、
いつもと微妙にトーンが違ったりしません?
特別元気とかじゃないんですけど、
ちょっとだけ違和感あるみたいな。」
「んー…でもどこにも行ってもないしなあ…。」
「そうですか、てっきりなんか新しい出会いがあったとか、
いつもしないことでもしたのかと。」
「(……あ。)」
恐ろしいな……なんでこの子仕事下手なの?
ファミレスに着いてコーヒーとサンドウィッチを頼む二人。
「(夏美ちゃんには話さざるを得ないか。)」
隣人の高城さんとの経緯、スケッチブックを買ったこと。
色々と複雑で私も噛み砕けないが、
隠すことでもないので順を追って話した。
「……先輩。」
「う、うん?」
「めちゃくちゃいろんなこと起きてるじゃないですか(笑)。」
「いやいや…取るに足らないことだと思ってるからさ。
話すようになったのもたまたまだし、
スケッチブックも気分で買ってみただけで。」
「その気分になったのって、お隣さん…高城さんでしたっけ?
その人のおかげなんですよね?」
「ま、まあ……たぶん。」
「……先輩?(笑)。」
「なにっ(笑)。いやいや、そういうのじゃないからね?」
「……いい人なんですか?」
「やめて(笑)。」
「先輩、仕事でよく『自分を俯瞰してみるの大事』って
教えてくれるじゃないですか。」
「あー…うん。」
「恋愛だと先輩でも俯瞰できなくなるんですね。」
「ちょ、ちょっとやめてよ恋愛って…ただの隣人だよ?」
「だって意識してますもん、明らかに。」
「隣だとよく会っちゃうんだから意識は向けちゃうけど、
別にそういう変な意識じゃないというか…。」
「隣の部屋から歌が漏れて迷惑だっただけなのに、
普通そこまで仲良くなります?」
言われてみれば確かに。
なんで普通に話す仲になってるんだ…。
「……でも、まだそんなによく知ってるわけでもないし。」
苦し紛れにそう言った私に、
夏美ちゃんはストローを少し噛みながら首を傾げた。
「先輩、前に飲み会でタイプの話してた時に言ってたじゃないですか。
『よく知らないのに、妙に落ち着く人がいたらそれは大事』って。」
「え、そんなこと言ったっけ?」
「はい、言いましたよ。
先輩ってサラっと言うから自分では忘れてそうですね。」
夏美ちゃんはニヤニヤしながら、さらに畳みかける。
「高城さんって、その“落ち着く人”でもあるんじゃないですか?」
「……さあ、どうだろ。」
「あと、先輩が笑うときって、
普段は“ふっ”て感じなのに、
その人の話になると“ふふっ”って音が一拍長いんですよ。」
「え、ちょっと待って、そんな違いある!?」
「あります。先輩たちのことはよく観察してますから。」
恐ろしい。私は知らないうちに、そんなに露骨に出してたのか。
「……なにそれ、完全に恥ずかしいんだけど。」
「いいことじゃないですか。無意識は自然体とイコールってやつです。」
夏美ちゃんは少し真面目な顔になり、テーブルに肘をついて言った。
「私は、恋愛のきっかけってなんでもいいと思ってますから。
今さっきも先輩、話しながら『ただの隣人』って何度も言ってましたけど、
正直重要ではないというか。
大事なのはその後何が起きてどう感じたかじゃないですか?」
「……プロセスが大事なのはまあ…同感だけども。」
「です。第一印象が良くてもその後冷める人もいるし、
逆もあるわけで。」
「……。」
「隣人の異性って普通は警戒しますけど、
それをすでにクリアしてる時点で
第一印象すら突破してますし。」
私は返す言葉を失い、コーヒーを啜った。
当たり前のように「恋愛」というワードが出てきていることに
混乱して落ち着かない。
「だから結論。先輩はもう、気になってます。」
「……はあ。」
「そもそも高城さんが先輩のタイプと真逆で、
どうでも良いモブだと思ってたら、
こんなことになってませんよ。」
「……(たまに口悪いな、この子)。」
「反論なしですね。」
「ぐ……。」
私は窓の外に視線を逃がす。
夏美ちゃんは軽快にサンドウィッチをつまんだ。
——帰り道。
彼女の言葉がずっと頭の中でリピートしていた。
「気になってる」なんて断定されると、反射的に否定したくなる。
同時に、今までの出来事をひとつひとつ追いかける。
壁の向こうから聞こえてきた健気な歌を思い出す。
まっすぐな眼を思い出す。
カフェで交わしたやりとりを思い出す。
そして昨日、自転車で去っていった背中を思い出す。
——気になってる?私が?
まさか。
恋愛のスイッチなんてずっと入れていない。
高城さんも、私が話しかけやすい丁度良い女だから
コミュニケーション取ってるのかもしれないじゃん。
今までもそんな男たくさん寄ってきてたよ。
よく、わからない。
でも、スケッチブックに線を引いたときと同じように、
気づけば心に一本の線があるような感覚があった。
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