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2.記憶力は年々衰えてゆくもの。

 30代も半ばに差し掛かってくると、気力体力がガクッと落ちるのである。

 ソースはここにいる私である。


 前世の私は日本人で、日々あくせく働く真面目な会社員だった。


 通勤電車で心身をすり減らし、一日の大半を会社で過ごして帰宅するのは夜遅く。一人暮らしなので家の事もやらねばならず、女性多めの職場で他に出会いもないため、最後の交際相手と別れてからピーーー年間誰とも付き合っていない。


 交際相手に費やす時間がない分オタク趣味にのめり込める……というのは気力体力が充実している20代の頃の話。


(30代になると、長編マンガはあんまり読まなくなった。元気な時じゃないと目が滑って難しい内容が頭に入らなくなるから。アニメは通勤中にスマホで見るからそんなに集中できないし、ゲーム機に至っては触ってる時間もない……)


 健康的な友人は毎晩必ずオンラインゲームに接続しているようだけど、仕事で一日中PCとにらめっこしている私には厳しい。


 こうして10代~20代の頃親しんでいたあらゆる娯楽から遠ざかり、疲れた30代でも楽しめる娯楽を探した結果、ソシャゲをちょこちょこやるようになった。スマホで気軽にプレイできるのが最大の利点だ。


 そして乙女ゲームに手を出し、そのお手軽さとシナリオの面白さにのめり込み、次から次へと似たようなゲームに手を出し、そこから更にWEB小説の世界に辿り着いた。


(たまたまプレイした乙女ゲームの原作がWEB小説で、その作者が何作品も書籍化してる人気作家だったのは運が良かったな。「この作品を読んでいる人はこちらも読んでいます」のオススメ欄から次々に新しい作品に出会えて、お陰で読むものには困らなかった)


 こうして前世の私はありとあらゆる乙女ゲームや異世界での恋愛をテーマにした小説に手を出し、そのコミカライズやアニメも楽しんだ。


 どの作品も魅力的で、舞台が異世界だからか現実と切り離して楽しめるのもよかった。続きが読みたくてどんどん電子書籍で購入し、これが紙の本だったらとんでもない物量になるので電子書籍ばんざいと思いながら軽率に増やしていった。


 だがしかし、ハマっているとはいえど前世の私はアラフォー。


「うーん……ヴァイオレット?ヴィオレッタ?っていう悪役令嬢が出てくる作品はいくつか読んだことがある……えーっと、貧乏子爵家の長女アイリスが家計のために女騎士になって、隣国の筆頭騎士と恋に落ちる小説を読んだ記憶はあるけど、あの作品の悪役令嬢ヴィオなんとかは赤毛だった気がする……そもそもタイトルはなんだっけ……?」


 そう。多くの作品に手を出した結果、タイトルと内容が一致しない現象が度々起こるようになった。


 決して作品への愛がないわけではないと声を大にして言いたい。30も半ばを過ぎると、昼前でもその日の朝ご飯の献立すら思い出すのが困難な日があるのだ。


 つまり、記憶力がポンコツ。


「異世界転生して前世の記憶が蘇ったのに、肝心の記憶力がこれじゃ詰みだよ……!ま、いっか。今は考えるのはやめやめ。ここが知ってる作品の世界とも限らないしね」


 そして、年を取ると人は諦めが早くなる。近年の口癖は「ま、いっか」だ。諦めが肝心。


 これは決して頑張ることを放棄しているのではなく、自分の記憶力を正しく評価しているだけなのだ。要するに考えたところで思い出せる自信がまるでない。


 どうしても必要なことならいつか自然と思い出すでしょう、と自分自身に期待しながら、とりあえず医者の勧めに従ってゆっくり休むことにする。庶民暮らしの前世じゃ考えられないほど上等なベッドに寝そべり、三秒で眠りの世界にダイブした。夢の中で何か重要なことを思い出せることを期待する。


◇◇◇


「お嬢様、明日から登校しますか?旦那様からは、あまり無理をさせないようにと言われていますけど……」


 前世を思い出してからの五日間、ほとんどの時間を自室で過ごした。


 まだ前世の記憶がハッキリしているうちに「ヴィオレッタ」に近い名前のキャラが出てくるゲームや小説の内容を思い出してメモを取るぞ!と気合を入れたけど、思い出せた内容が雑多すぎて、相変わらずここがどの作品の世界なのかは特定できないでいる。


 取り巻きのご令嬢に『ヴィオレッタ様は学園三大美女なのですわ!あなたみたいな地味顔なんてお呼びじゃないのよ!!』とヒロインが虐められてるシーンとか、何のヒントにもならない。


 そして地味顔呼ばわりされているヒロインは大抵美少女だ。私にはわかる。


 もう少し手掛かりをと思い家族や使用人と交流して情報を集めたけど、この世界特有の変わった設定などはなさそうな、極めて普通の異世界だった(普通の異世界ってなんだ?)。


 一部の高位貴族は魔力持ちだけど、今はほとんど魔法を使える人はいないらしい。


 ミラン公爵家には現在魔力持ちはいない。魔力持ちの男性は国の要職に就けるほど重宝されて、魔力持ちの女性は次代にその力を受け継がせたいと考える貴族たちから引く手あまたで嫁ぎ先に困らないとか、創作の世界ではスタンダードな設定はあるみたいだ。


 きっとヒロインは珍しい属性の魔力持ちの美少女だろう。それが推測できただけでも、とりあえずよしとする。


「そうね、そろそろ登校したいわ。お医者様も構わないと言ってるのよね?」


 この五日間はメイドのリラが身の回りのことを全てやってくれたし、毎日よく食べてよく寝たので、ぶつけた頭の痛みもすっかりなくなった。


 前世で働き過ぎた反動かまだ休みたい願望もあるけど、この生活を続けてると真人間に戻れなくなりそうなので、重い腰を上げることにした。


 そう……貴族としての義務をこなさず怠惰でいたせいで断罪される令嬢の作品も沢山読んできたのだ……。


「明日から行くわ。生徒会の仕事も溜まってると思うし、いつまでも休んでいられないもの」

「では、そのように手配しますね!」

「なんだか嬉しそうね、リラ」

「お医者様がおっしゃってたじゃないですか。外部からの刺激を得ることで記憶が戻るかもしれない、って。お屋敷に居る間は困らないかもしれませんけど、このままじゃきっと不便ですよ」


 リラの言う通りだ。彼女の名前をパッと思い出せず大きなショックを与えてしまったし、両親の顔を見てもしっくりこなくてしばらく黙り込んでいたら、母を号泣させて父を青褪めさせてしまった。


 私自身は今のところそこまで困っていないけど、なるべく周りに迷惑を掛けたくない。


 それに、実害があるとすればきっとこれからだ。


 貴族の子供たちが大勢集まる学園でヴィオレッタがどんな立ち位置なのか、どんな扱いを受けるのか。

 恐らく悪役令嬢なので、それを知るのはちょっと怖い気持ちもある。だけど、この世界で生きていくためには避けて通れない。学園を卒業しないと一人前の貴族として見做されないのだ。


「普段は生徒会のお仕事のため早めに登校されていますけど、明日はゆっくり行きましょうね」

「え、そういうわけにはいかないわ。きっと仕事が溜まって……」

「だから!そういうところがよくないのですよ!!今は御身の事を第一に考えてください。ね?」


 リラはヴィオレッタの3歳年上で、幼い頃からヴィオレッタに仕えているため、主人とメイドという関係ながら時に厳しく接してくれる貴重な存在だ。彼女の言うことは聞いておくべきだと、本能が訴えてくる。きっとリラは、ヴィオレッタが国外追放になってもついて来てくれるに違いない。


 今の私はヴィオレッタの記憶と知識だけがある状態で、ヴィオレッタとしての自我はない。彼女が今まで経験したことは薄らぼんやりわかるけど、それを自分事として捉えられないのですぐに思い出せず、非常に中途半端な状態だ。だからこそ本能には従っておくべきだろう。


「では、明日は普通の生徒と同じ時間帯に登校するわ」

「えぇ、そうしましょう!ただでさえあの生徒会はお嬢様にばかり働かせるのですから、たまには他の役員たちも苦労すべきだと常々思っておりました!」

「……私が先回りしてなんでもやってしまうのもよくなかったのよ。これからは気を付けるわね」


 前世で社畜気味だった私と同じで、ヴィオレッタも生徒会の仕事に随分熱心だったようだ。彼女のカバンに収められていた持ち帰りの書類を見るとなんとなく伝わってくるものがある。


 公爵家のご令嬢だというのに、真面目で勤勉なのだろう。それはそれとして、他の役員は何をしているのか。


(うーん……ヴィオレッタは本当に悪役令嬢なのかな。顔と名前がそれっぽいってだけで決めつけるのはよくないかも?でも、最悪の事を想定しておいた方が、何かあった時の傷は浅いよね……)


 なんにせよ明日登校すればわかることもあるだろう。


「では、おやすみなさいませ」

「えぇ、おやすみなさい。明日もよろしくね」


 明日への不安と期待を胸に、眠りについた。

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