レーヴェルランドの女王とベルハルト王国の第二王子 8
セシル達を残して、リュシアンと王宮の応接室に戻ってきたアリシアは、レーヴェルランドの戦士達の滞在先について、リュシアンから説明を聞いて、ミーシャやセイレーンと一緒に場所の確認に回ってみることにした。
王宮内の客間に女王と側近達、その他は近衛と王宮警備隊の宿舎や、王都にある官舎や宿を借り上げたりなど、6箇所ほどに分散して滞在することになる。
それらを一通り見て回ってから王宮に戻って来る頃には、すっかり日も暮れて、月明かりが煌々と地上を照らしていた。
軽く食事を済ませ、湯を使ったアリシアは、王宮の展望台に出てベンチに座り、ボンヤリと月と街灯りを眺めていた。
レーヴェルランドとは随分と違った眺めに、飽きることなく人の営みを感じていると、後方から慣れた気配が近づいてくる。
「アリシア」
穏やかな声が、彼女を呼んだ。
「……レオン」
振り向いたアリシアに、小さく笑ったレオンハルトは、「隣、いいかな?」と律儀に断って、アリシアが頷くのを見てから、隣に腰を下ろす。
(なんていうか……育ちがいいよね。本当に王子様って感じ)
無表情の下でアリシアがそんなことを考えていると、
「ここに居るって、ミーシャさんに聞いたんだ。あれから、宿舎を見て回ったんだって? ベルハルトの王都はどうだった?」
と、レオンハルトがアリシアを探していたことを知る。部屋に居なくて手間かけさせたかな?と思いながら、アリシアは素直に街の感想をレオンハルトに伝えた。
「いい街だね。それに皆生き生きしてる。ベルハルト国王がいい仕事をしてる」
「ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいよ」
「そう?」
「セシルさん……いや姉のことも、ありがとう。母にも会ったんだ。覚えてないはずなのに、姉をひと目見て、涙をこぼして抱き締めていた」
「そっか」
あれから、家族全員で再会したらしい。
セシルはカリーナに育てられたけど、ハーミリアのことと彼女の家族のことを知りたがっていた。特に4年前に彼女が母親になったときから。
「でも父は、姉を一人残してきたことを、ずっと後悔してたって。誰にも、母にも言えず、きっと辛かったと思う」
「……セシルは?」
「両親を見ていたら、もう良いって。幸せそうで良かったって言ってくれた」
(良かった。セシルはきっと自分で折り合いをつけられたんだ。でも……)
「……ここには、残らないんだね」
「レーヴェルランドに子供がいるって聞いたけど?」
「男の子だよ。あと1年もすれば外に出る。ここに連れてくることだって出来る」
「姉は、レーヴェルランドが自分の故郷だから、と言ってたよ。僕達と君達は、全く違う価値観や習慣、文化の中で生きている。それは簡単には、変えられない。でも、母はベルハルトを選んだ。母のこと、君はどう思ってるんだい?」
セシルがレーヴェルランドに残ると聞いて、アリシアはほっとした。アリシアにとって、レーヴェルランドの女達は、皆家族のようなものだ。それに、レオンハルトの言うように、セシルはこの国では生き辛いだろう。
でも、どう生きるかは、結局は個人が決めること。それは先々代女王も同じだ、とアリシアは思っている。
「私は女王であったときのハーミリアしか知らない。彼女は28歳で譲位した。それだけ。でも、今、貴方達が存在している。平和なこの国で、元女王とその家族が生きている。それは、嬉しく思う」
先程から、レオンハルトの視線を痛いほど感じる。思わず隣を振り返ると、レオンハルトの琥珀色の瞳が、まっすぐにアリシアの瞳を捉えた。
「君は、女王として生きて、幸せ?」
レオンハルトは知りたかった。
アリシアは昨日、女王となったのは神の意志だと言っていた。そこに彼女の希望はない。生まれたときから女王になると決められていた。
母は、女王として生まれたのに、父を選び女王であることを捨てた。そういう生き方もアリシアは否定しなかった。それどころか、母が幸せで嬉しいと言う。
父も兄もそうだ。王になることが決まっていた。
レオンハルトは、自分が2番目に生まれたからこそ、まだ選択肢が持てる。だけど、王族として生まれたことに重圧感というかこの立場に少しだけいとわしさを感じている自分も、確かにいる。
アリシアは、そんなレオンハルトの問いに、迷わず応える。
「レーヴェルランドとそこに住む人たちが好き。皆が笑っていると嬉しい。私の女王の力が、皆を守って、生かしている。仕事は面倒だと思うけど、私はきっと辞めないと思う」
アリシアの額に女王の聖石が浮かぶ。濃い紫色の中に、キラキラと光る小さな金の欠片が美しい。
表情はあまり変わらないのに、菫色の瞳には強い光をたたえて、女王であることを誇りに思っているのだと、その瞳が語る。
(アリシア……自信を持ち、誇りを持って生きている君は、本当に綺麗だ。そして……)
「神は、ちゃんと相応しい人を、今代女王に選んだんだね」
レオンハルトにとって、神に選ばれたアリシアはとても眩しい。
「レオンもでしょ?」
当たり前のようにアリシアに返されて、レオンハルトは目を見開いた。
「僕?」
思わず自分を指差して確認してしまう。
アリシアはそれに当たり前だと頷いて、続ける。
「レオンはこの国が大好きで、国や民の為に一生懸命やれることをやってる。だから、戦争になるかもしれないけど、皆笑ってる」
「それは……国民にはまだ知らせていないから」
「全く気づいてないってことはない。でも、皆、国王やレオン達を信じてるから、悲観的でも絶望的でもない」
そう断言したアリシアに、なんだか過大評価されてるみたいで居た堪れず、レオンハルトはグシャっと前髪を握り締めて、俯いた。
「…………こんな状態になる前に、もっと手を打っていれば良かったと、思う。何か出来なかったのか?って何度も考えた。でも、結局、君たちの手を借りる事になってしまった」
そう、帝国からの書状が来てからずっと、自分の中の至らなさで苦しくて、更に自分達では解決できず、外国のレーヴェルランドの女性達に、尻拭いを任せてしまう申し訳無さでいっぱいだった。
「いいんだよ……」と小さく呟いたアリシアの声に、レオンハルトは顔を上げる。
「……28年前、この国の王を選んだハーミリアを、きっと神も祝福してる。だから、私達がここに来た」
「え?」
「これは運命」
「運命?」
「そう、人間の手で収めきれなくなった流れを変えるため、私達に乱世を収めてみろって……この地に戦士達が神の意志で遣わされた。だから、平和になったら、今度こそレオン達が自分達で頑張って?」
アリシアがそう言って柔らかく微笑んだ。
引き起こされた乱世は、ベルハルトではどうにもならなかった。だから、レーヴェルランドの女性戦士が、神の意志でこの地に来た。これは運命だから、気にするな。お前は間違っていない。今までを誇りに思い、平和になったら、また力を尽くせばいい。
そうアリシアは言っているのだ。
彼女は本当にズルい。
こんな風に君が笑うなんて、知らなかった。
こんな風に恋に堕とされるなんて、知らなかった。
でも…………
「君は……君達は、まるで僕達とは違う世界で生きているように言うんだね。
父と姉から自由恋愛のことも聞いた。君たちの国の成り立ちも。僕はそれを否定はしない。
でも、酷く寂しいと思う」
(君と重ならない未来が…………とても、寂しくて悲しい)
レオンハルトをじっと見つめていたアリシアは、そっと目を伏せた。その口元に微笑みの残滓は消えていて、小さな肯定だけが紡がれた。
「そうだね」
(やっぱり、あっという間に玉砕だ)
レオンハルトの初めての恋は、自覚した瞬間に散ってしまった。苦い気持ちが込み上げてきて、表情を取り繕う事が出来ず、レオンハルトは顔を伏せる。
やがてアリシアの立ち上がる気配がした。
「私はもう寝る。お休み、レオン。また明日」
いつもの涼やかな声が今日の終わりを告げて、アリシアの後ろ姿が建物の中へと消えていくのを、レオンハルトはじっと見送った。