レーヴェルランドの女王とベルハルト王国の第二王子 7
ベルハルト王国の王宮に到着すると、アリシアとレオンハルトは、早速国王の執務室に向かう。
側近たちは、応接室に通され待機となった。
王宮の廊下を第二王子のレオンハルトと近衛騎士のリュシアン、そしてローブを羽織りフードを被ったアリシアが進んでいく。
カルディス帝国との戦争を前に、王宮の雰囲気はどこかピリピリとして、軍服姿の軍人や魔法師とも何度かすれ違った。
国王の執務室にやってくると、扉の前に立つ近衛が敬礼する。
「レオンハルト殿下、無事のお戻り、お疲れ様です」
「ありがとう。父は今大丈夫かな?」
レオンハルトは軽く手を上げてそれに応え、国王の在室を確認した。
「先程から、王太子殿下とお待ちです」
「そうか。アリシア、行こう」
「…………ん」
アリシアの背に軽く手をあて、近衛が開けた扉を通り過ぎ、室内へと進む。
扉が閉まったのを確認すると、アリシアはフードを外した。
目の前に立つ二人の男性が、アリシアを見て、軽く目を瞠る。
「レーヴェルランド第63代女王、アリシア・シェリル・ラ・クィーヌ・レーヴェルランドだ。ベルハルト王国からの依頼を受け、レオンハルト王子殿下と共に参った」
アリシアの口上に、焦げ茶色の髪にヘーゼルの瞳を持つ穏やかな雰囲気の壮年の男性が、微笑みを浮かべて目礼する。
「お待ちしておりました、女王陛下。私は、コンラート・アーダイン・ル・ベルンハルト。当代のベルハルト王国国王です。この度は依頼をお受け頂き、感謝申し上げます」
レオンハルトは、父の様子に内心首を傾げる。
父とアリシアは同じ国家元首だ。今回、こちらからの仕事の依頼になるが、父とアリシアの年齢差を考えると、父の言葉運びがいささか丁寧すぎる気もする。
と、今度は、父王によく似ているものの、しっかりした体格に精悍な印象のある20代半ばの男性。レオンハルトの兄である王太子が口を開く。
「王太子のアルベルト・スタイン・ル・ベルンハルトだ。女王陛下のお越しに感謝する」
(うん。兄の方が父よりも態度が大きい。まあ、アリシアは気にもしないだろうけど)
王太子である兄アルベルトは、レオンハルトの4歳上の26歳。おおらかで器の大きい、太陽のような王太子だ。
名乗りが終わると、アリシアは早速本題にはいる。レオンハルトは、この2日でだいぶん彼女に慣れてきた気がしていた。
「親書は読んだ。今回うちからは300の戦士を動員する。私も出る予定だ。まずは、私達が滞在する場所と、装備を整えられるよう取り計らって欲しい」
相変わらずの無表情で、無駄を省いて淡々と話す。アルベルトがそんな彼女をポカンと口を開けて、呆気にとられたように見ている。
だが、コンラート王はさすがだ。
「もちろん、準備しております。後ほど案内いたしましょう」
「あと、戦場に大将として立つのは、誰?」
「それは僕が」
レオンハルトがそう言うと、アルベルトが慌てて間に入った。
「レオン、俺は承諾していない。俺が行くと言っているだろう?」
前回レーヴェルランドへの出立前に話は着いたと思っていたけど、どうやら兄は違ったらしい。弟を戦場に出したくない兄心らしいが、役割というものがある。
レオンハルトは溜息を殺して続ける。
「兄上、兄上にはここでやらなければならない仕事があるはずです。それに……アリシアなら、きっとこの国を守ってくれます。大丈夫ですよ」
アリシアがじっと二人を見た。そして、何やら口を開こうとしたが、その前にコンラート王に宣言されてしまう。
「女王陛下、大将はレオンハルトが務めます」
「わかった。では、レオンハルト殿下と彼を守る近衛10名以外の同行は、遠慮してもらいたい。」
あっさり頷いたアリシアだが、まさかのベルハルト軍の出撃兵力ゼロ宣言にベルハルト側の思考が止まる。
「……は?」「何を言って?」
狼狽えたような声が溢れた二人を無視し、その様子を気に掛けるでもなく、アリシアは淡々と続ける。
「カルディス帝国が進軍準備している兵力は、約5万。我々300で充分対応可能だ。むしろ、ベルハルト軍の一般兵を守り、攻撃の範囲も限定されながらの対応の方が、やりにくい。だから、レオンハルト殿下とその護衛以外の同行はやめていただきたい。条件をのんでいただけなければ、この仕事は受けられない」
「ちょっと待ってくれ!我が国の防衛戦を、外国人であるあなた方女性300の兵士に任せろと?」
我に返ったアルベルトが声を上げた。
「一任していただければ、お望み通りの結果を約束しよう」
堂々とアリシアは言い切った。つまり、自信を持って、その数でカルディス帝国軍を撤退させると言っているのだ。脳裏に、昨晩宿の食堂で交わした会話が思い浮かぶ。あれは、誇張でも何でもなく、事実だったのだ。
アルベルトはそれ以上何も言えずに黙り込む。
そして、コンラート王はその実力を知っている。だから冷静に
「…………軍部が納得するかどうか?」
とアリシアを見た。
「説得はあなた方の仕事だ。こちらとしては訓練を兼ねた腕試し程度なら協力するが?」
「わかりました。条件をのみましょう」
王は頷き、契約書面に加えた。
(彼女たちの実力を示し、軍を納得させる。それが多分次の僕の仕事になる)
レオンハルトの頭に軍の関係者で交渉可能な者が何人か浮かんだ。
そして……とアリシアは更に続ける。
「あとは、報酬の件だ」
「金額に不足が?」
「いや。金額は問題ない。戦士たちの自由恋愛を認めて欲しい」
「は?」
戦士たちの自由恋愛?……これ、傭兵契約だよな?
そして、始まるのは戦争だぞ?
恋愛とか言っている場合じゃ…………
だが、困惑するアルベルトとレオンハルトを無視して、二人の話は進んでいく。
「国王陛下は、私達の状況を良くご存知のはずだ」
「そうですね。それは、承知していますが……」
「倫理に反すること……つまり妻帯者や、パートナーがいる者には手を出さないように徹底させておく」
「え……と、アリシア?」
レオンハルトの呼びかけは、二人に無視された。
「断れませんね。それも条件に入れて、契約を交わしましょう。それとカルディス帝国への返信期限まであと、10日ちょっとありますが、返事を早めますか?」
「うちの戦士たち全員がこの国に揃うまで、5日かかる。あとは、そちらの軍部の説得と、戦場周辺の国民の避難、それと敵国の間者次第じゃないか?」
「それでは、それはこちらで判断します。決まり次第お知らせしましょう」
「では契約を」
あっという間に契約に至ってしまった。
そして書面で書かれた契約内容を互いに確認し、魔法で拘束力を与え、正式な魔法契約を交わす。
そうして、ベルハルト王国とレーヴェルランドの傭兵契約は、正式に結ばれたのだった。
契約書を持ったアリシアが、「ここから話は変わるが……」と切り出した。
全員の視線が彼女に集中する。
「道中レオンから、貴方達家族の話を聞いた。ハーミリアは幸せだと」
(…………ん?僕はアリシアに母の名を言ったっけ?)
レオンハルトは首を傾げた。
「そうですか。ですが、彼女は……」
じっとアリシアを見つめて、父が言い淀む。
うちの母は、父と結婚するまでの記憶が朧気なんだそうだ。出自もはっきりせず、ただ父と恋仲であったことだけは覚えていたという。だから、公の場にはあまり出てこないが、普通に優しくて、おおらかで、明るい母だ。僕達家族は、彼女の笑顔と愛情に助けられている。
「貴方と家族の記憶が、彼女を幸せにしているのだろう?」
「アリシア?」「女王陛下?」
まるで、母を知っているような口ぶりに、僕と兄が揃って彼女に問いかけた。
だが、アリシアはじっと父を見ている。
「セシルを、連れてきている」
「⁉」
セシルの名に父の顔色がサッと変わった。そして、唇と両手を震わせて、呆然とアリシアを見ている。顔色もどんどん悪くなる。
「父上?」
思わず父に駆け寄りその身体を支えた。兄も父の左腕を掴むように手を伸ばしている。
「アル、レオン。セシルは私とハーミリアの娘、お前たちの姉だ」
父が震える声で、でもはっきりとそう言った。
(セシルって、あのセシルさんのことだよな?)
レオンハルトは、母親になんとなく似た雰囲気のある、つい先程まで一緒にいたレーヴェルランドの戦士を思い浮かべる。
「姉上がいる? 俺達に?」
兄も、咄嗟に理解できないのだろう。父の顔を覗き込む。
そんなレオンハルト達に、アリシアはゆっくりと説明した。
「ハーミリアは、レーヴェルランドの先々代女王。
コンラート陛下が王太子の時代に恋仲になり、セシルを産んだ。だが、その後国王になった陛下に請われ、ハーミリアは聖石を失った。
女王の聖石は記憶を継いでいる。ハーミリアはレーヴェルランドの女王としての記憶と力を失ったんだよ。セシルのことも……」
それは、レオンハルトにとって衝撃的な話だった。
アリシアの話は、父が何故レーヴェルランドに詳しかったのか、母が何故記憶を失ったのか、そして今、普通の人間としてベルハルトの王妃でいるのか、セシルさんが母に似ていると感じたのか、全ての話に辻褄が合う。
「そんな……だから母上は……」
(父に関する事以外の、記憶を無くしていたんだ……)
「それでもレオン、貴方は、ハーミリアが大切で、貴方達は幸せな家族だと言った。そこにセシルを加えてやってくれないか?」
驚きと意外な事実の衝撃から、未だ覚めないレオンハルトは、アリシアの声にノロノロと彼女に視線を向ける。相変わらずの無表情だけど、その菫色の瞳には、明らかにレオンハルトを気遣う色が浮かんでいて。
(そっか。僕の家族の話を聞きたがったのは、母のことを知りたかったからか……)
それがちょっと寂しいな、と思うのはなぜだろう?
ただアリシアが、父と母、そしてセシルさんのことを一生懸命考えてくれたのは、よくわかるから、ちゃんと向き合わないと、と思う。
「セシルは私を恨んでいるだろうか?」
父が、ポツリとこぼした一言を、アリシアが拾う。
もう、彼の震えは収まっていた。
「さあ? でも、そうなら彼女はここには来なかったんじゃないか? それに……ハーミリアの記憶は私の聖石が持っている。私は一度それをセシルに見せたことがあるよ。若い頃の貴方も一緒だった」
それを聞いた父の目から涙が溢れる。
止まらない涙を拭うこともせず、父はアリシアに頭を下げた。
「彼女に、セシルに会わせてくれ……」
「うん。そう言うと思ってた……セシル!」
アリシアが、扉の方を振り向いて、声を大きくしてセシルの名を呼ぶ。
すると、先程応接室で別れたはずの彼女が、扉を開けて現れた。
「じゃあ、私は行くね。セシルはゆっくりしてきて」
「ありがとうございます。アリシア」
そう言って、一瞬レオンハルトを振り返り、アリシアは部屋を出て行った。