嫉妬
4章が始まる以前の、番外編「昔話」よりも前。
北部地域で巡礼中の二人の日常の一コマです。
約1万字……少々長いですがお付き合い下さいませ。
アイツヴァイン大公国に入って間もなくの小さな町で、ヴォルフとアリシアは、目の前で繰り広げられるやり取りに足を止めた。
役人らしき数人の男達と、彼らに囲まれて頭を下げる中年の男。
「申し訳ありません。来週までには少しでも用意しますから……」
「ふざけるなよ。定められた税金が払えないなら、お前の娘を連れて行くと言ったはずだ」
「それは、どうか……どうかご勘弁下さい。代わりに私が」
「お前なんかより、娘の方がよっぽど金になるだろう。おい!邪魔だ!」
家の入口を必死に塞いでいた男が、突き飛ばされ膝をついたところに、15、6歳くらいの少女が飛び出してきて、彼を支える。
「もう、やめて下さい! 私、行きますから。それでもう、取り立ては終わりなんですよね」
「ハハハッ。娘の方がよっぽど物分りがいいなあ」
「エマ! 駄目だ!」
役人らしき男達は、少女の腕を取り、馬車へと押し込む。
追い縋ろうとしていた父親は、男達に足蹴にされ馬車に追いつくことは出来なかった。
「ヴォルフ……」
じっと様子を見ていたアリシアが、隣に立つ相方の名を呼ぶ。
それだけで彼は、彼女のやりたいことを察した。
「ああ、少し事情を探ってみるか」
「うん。私は父親とかこの辺の人に話を聞いてみる。あっち、お願いしていい?」
「わかった。気をつけろよ」
「そっちもね」
そして、諸々の事情を大方把握したアリシアが、宿の部屋でヴォルフを待っていると、そう遅くならずに彼も帰ってきた。
「お帰り、ヴォルフ。どうだった?」
「ああ……想像以上に、根が深そうだぞ」
早速二人は、互いが集めた情報を交換する。
この町は、いやこの大公国は、人々が生活に困窮する程の税金をかけ、払えなければ女や子供をその代わりに連れて行くという、人身売買まがいな事が行われているという。
連れて行かれた者達は、まずは大公国の領都に送られ、その先で無償の労働力として各地に割り当てられ、奴隷のように働かされているらしい。
領都辺りでは女子供を誘拐し、役人に差し出すことで税逃れをする者もいるということだった。
ヴォルフは、アリシアの頭に手をやり、くしゃりと髪をかき混ぜる。
「お前、ここでは徹底的に顔隠して、少年のふりで通せ」
「え? それ無理ない? 髪、切る?」
何度か瞬きを繰り返したアリシアが、首を傾げながらヴォルフに尋ねた。
「声は魔法で変えられるだろ? 髪切るのは駄目、結んどけ。フード被って、いつもみたいに顔の下半分隠せば、問題ないだろ? 後は俺も気をつける」
気をつけるというのは、ヴォルフがベタベタと人前でアリシアに触れるのをやめるということだろう。
それだけでも効果はありそうだ。
「それくらいなら、いけそうだね」
「器量の良い若い娘が狙われて、拐われてるらしいからな。女だってバレると面倒だ」
「そうみたいだね。この辺の人達の話だと、税率がおかしいし、領民も生かさず殺さずっていったところだから」
「ああ、あの娘には追跡魔法をかけておいた。明日には移動するらしいから、俺達もついて行くぞ」
当面は、領都の様子を探ることになりそうだった。
二人がエマと呼ばれていた少女の追跡魔法を追って辿り着いたアイツヴァイン大公国の領都は、大公が住む城を中心に高い石造りの城壁が囲む、北部地方でも規模の大きい都市だった。
「ここが、アイツヴァインの領都」
「へえ、結構な城塞都市だな」
寂れた地方と違い、ここは多くの人々が行き交う街だった。
賑わいを見せる通りにはしかし、女性や子供の独り歩きは見られない。親子連れや、護衛を連れて歩く女性達は多くいるが、女性同士や子供達だけで、という姿は見られなかった。
しばらく通りを眺めていたアリシアが、ヴォルフを見上げる。
「エマの行き先は?」
少年の声で尋ねたアリシアに、ヴォルフは城を指差した。
「あそこ。つまり、城だな」
「ふ〜ん。日が暮れたら様子見に行こうか。それまでは、街で情報収集かな」
「ああ、とりあえず宿探してからな」
二人は宿を押さえると、街の様子を探りながら夜を待った。
そして、大公が住む城に忍び込む。
「ここだな……」
衛兵や使用人の目から姿を隠しながら、追跡魔法の先を辿って着いたところは、ある部屋の前だった。人払いがされているのか?見張りはいない。ただ鍵がかかっているようだ。まあ、アリシアには問題にならないが。
「今ここでの私の仕事は、お前達の乙女を散らすことだ。これからいろんな男を慰めて回るお前達に、男の喜ばせ方をじっくりと仕込んでやろう」
二人は中から漏れ聞こえた男の声に、顔を見合わせた。
「…………最低」
立ち昇るアリシアの怒気が爆発しないよう、ヴォルフは彼女の肩に手を置いた。
「気持ちはわかるが、今は抑えろ。男を落として記憶を曖昧に、とか出来るか?」
「うん」
「じゃあ、それで頼む」
そうして二人は、あっさりと部屋の扉を開けて、中に入った。
振り返った男が何事かと声を上げる前に、アリシアの魔法が男の意識を落とす。
「え? いったい……」
いきなり倒れた男を掴み上げ寝台へと落としたヴォルフに、部屋にいた三人の女がぎょっとしたように二人の侵入者をオロオロと見た。
アリシアは、人差し指を布越しの口元に当てると、女性達に向き合う。
「落ち着いて、騒がないで。僕達は、依頼を受けた冒険者だ。人を探している」
「冒険者? もしかして、レジスタンスから」
一人の女が、ヴォルフを見て言った。
「レジスタンス? いや違うが……ところで、この男が大公だな」
ヴォルフはその女の問いに首を横に振り、投げた男を指差した。
それにはアリシア達が地方で見かけた少女、エマが答える。
「はい。ここに連れてこられて、初めての仕事だと……」
「そう」
アリシアの瞳が、スッと細くなった。
すると先程ヴォルフに声を掛けた女が、彼のローブの裾を掴んで縋るように見上げた。
「あの、人を探しているって、言ってましたよね? 誰のことですか? ここから逃がしてくれるの? 私、ここには攫われてきたの。助けて……」
「マリア、駄目よ。私達が逃げたら、残った子たちが酷い罰を受けるわ」
三人目の女が、マリアと呼ばれた女の手をローブから離すように握って、そう諭した。
「……今すぐには、無理だ。さっきも言った通り、俺達は人探しの依頼を受けた冒険者だが、それはお前達じゃない」
ヴォルフの言葉に、マリアの表情が哀しげに歪むが、今ここで彼女達を連れ出すのは愚策だ。
「……ところで、さっきレジスタンスと言ったな? そいつらは何者だ?」
「わからないけど、領主に対抗しているっていう噂があるわ」
三人目の女が答えた。
アリシアは今度はエマに尋ねる。
「ふうん。他にここに連れてこられた人達はどこ?」
「地下にある牢屋みたいな、部屋」
その答えに、ヴォルフとアリシアは視線を合わせて頷きあう。
「わかった。その男は、朝まで起きないだろう。お前達も今晩は大丈夫だ。俺達はそろそろ行く」
「あの……」
ヴォルフが言い置いて二人が部屋を出ていこうとしたとき、マリアが声を掛けた。
「なんだ?」
「私達は、助かりますか?」
「すぐには無理だが……努力はする」
「私、待ってます。どうかよろしくお願いします」
祈るように手を組んだマリアと、もう一人の女とエマが、隠せない不安に瞳を揺らしながら、二人を見送った。
二人は城の地下へと見張りの目を掻い潜りながら進んでいく。
「ヴォルフ、どうする?」
前方から視線を外さず歩きながら尋ねたアリシアに、ヴォルフは少し考えながら答える。
「女達が囚われている場所を確認したら、レジスタンス、だな」
「うん。元を断たないと、繰り返されるだけだからね。でも、時間はかけられないね。彼女達をそう長くはここに置いておけない」
「ああ。地下を出たら、街で少し種をまいて、宿に戻るとしよう。城の内部もだいたい把握したしな」
こういうのはヴォルフの方が得意だ。アリシアは頷いて、彼に従うことにした。
翌々日の夜。
ヴォルフとアリシアは、街外れの酒場の2階にある一室で、10人ほどの強面の男達に囲まれていた。レジスタンスを探っていたら、男達に声を掛けられ逃げ場を塞がれて、この場に連れてこられたのだ。二人は剣を男達に預けさせられて、部屋へと通された。
「俺達を嗅ぎ回ってるネズミはお前達か」
そう声を掛けたのは、椅子に足を組んで座っている30歳位の中肉中背の男だ。栗色の髪に理知的な顔立ちだが、視線は鋭い。
おそらく彼が、レジスタンスと呼ばれる組織のリーダーだ。
ヴォルフは片方の口角を上げて、男の視線を受け流す。
「へえ、思いの外早いご対面で、助かるぜ」
「余所者らしいが、こちらの邪魔をされたら面倒だからな」
「邪魔、ね。あの色ボケ大公を引きずり下ろすなら手伝うぞ?」
「⁉ そっちが何を企んでいるのかは知らないが、冒険者だと言ったな。事情がわからないヤツが、首を突っ込もうとするのは、怪しいな。どこの回し者だ?」
「どこ、ね」
ヴォルフは目の前の男の、意外と慎重な態度に感心しながら、さてどう説得するか……と考えを巡らす。
だが、男は何度か首を横に振ると、隣に立っているもう一人の男に鍵を渡した。
「まあ、いい。だが、ここまで来たんだ。悪いが、コトが済むまで、拘束させてもらう」
「コトってことは、反乱でも起こすつもりか?………あの領主、悪知恵は働くし、兵力もそこそこあるぞ? 自信はあるのかもしれないが、寄せ集めには荷が重いだろう。
俺達が手を貸そうか?」
ヴォルフの提案に、周囲にいた男達が笑う。
「ハッ……たかが二人、しかも一人はまだ子供だろう? なんの役に立つんだ?」
彼らの嘲笑に、ヴォルフが気分を害する様子はない。ストレージから1枚カードを取り出すと、それを目の前の男が見えるように突き出した。
「俺達はS級冒険者パーティー「紫紅」だ。北部を旅しながら、魔獣討伐依頼を受けてる」
「なっ……S級……まさか、噂の。だが、聞くところ、夫婦じゃなかったか?」
カードを見た男が、瞠目してヴォルフとアリシア、そしてカードへと何度か視線を巡らせる。
「コイツは妻だが、ここで女だとバレると厄介なんでな。声は魔法で変えている」
「あ、ああ。そうか、でも、なんで?」
それでも、すぐには彼らが味方になるとは、信じられないのだろう。探るような視線が、ヴォルフを見つめる。
「この国で、胸糞悪い事を、何度か見たからな。元凶を探りに来たら、お前達の存在を知った」
「そうだったのか。力を貸してもらえるのはありがたいが……残念ながら、俺達にお前達を雇える余裕はない」
すると、今までずっと黙っていたアリシアが口を開いた。声は少年のそれだ。
「ギルドは通さなくていいよ。個人依頼で、対価は、革命後の善政で、どう?」
「何?」
聞き返した男を試すように、ヴォルフは問う。
「当然、領主を潰した後、どうするのか考えているんだろう?」
「当たり前だ! 俺達は、その為にここまでやって来たし、大公にバレないように、人も支持も集めて来たからな」
「じゃあ、いい。支持層がそれなりにあるっていうなら、人材は大切にした方がいい。
領主の城を落とすのはこちらで引き受ける。お前達は、囚われている者達を助けることに専念しろ」
「……どうして、そこまでしてくれるんだ?」
まだ半信半疑な男に、アリシアが言う。
「女性がね、虐げらるのは見たくないの」
「……そうか。俺達も、妻や子供達には笑っていて欲しいと思うよ。そんな国にしたいと思っている」
「うん、報酬は、それで充分」
そうして、レジスタンスと「紫紅」は、大公国で反乱を起こすことになる。
反乱決行の日、ヴォルフとアリシアは、本当に二人だけで、大公が率いる軍勢を無力化し、レジスタンス達の前に、大公とその側近達を引き摺り出した。
圧倒的な冒険者達の戦力に、レジスタンス達は恐れ慄きながらも、味方の人的被害なくして城と領都を制圧し、捕らえられていた女性や子供、奴隷たちを解放したのだった。
そして、レジスタンスの旗頭であるガイは……議会政治の纏め役、首相としてこの国の領主を名乗ることになった。
それから、数ヶ月。
新政府のトップであるガイは、住民達の代表となって領主を名乗りながらも、重要な方針や法律は、議会の代議士達の話し合いによって決めていく、議会政治を機能させる為に奔走した。
「紫紅」は、隠れていた大公側の残党を次々と捕らえ、領都の治安維持に協力したり、地方の役人達をガイ達の意を汲む者に入れ替えたり、とガイ達に無償で協力しつつ、周辺の魔獣討伐依頼をこなしたりしていた。
そんな中、解放された女性や子供達の中で、帰る場所がなくなってしまった者達が一定数いた。
家族が死亡していたり、行方不明になっている者達だ。
そんな彼らの為に、ガイは孤児院を建て、行き場のない女達を子供達の世話役として雇い入れたのだ。
ヴォルフは、忙しいガイに直接頼まれて、孤児院の片付けの手伝いに来ていた。
「こっちはこれでいいか?」
大きな棚や重い箱などの整理が終わって、ヴォルフは一緒に整理をしていた女…以前城で助けたマリアに声をかけた。
彼女も家族の行方が知れず、ここで働くことにしたらしい。反乱後、彼女とは時々顔を合わせていた。
「ありがとうございます、ヴォルフさん。お手伝いしてもらって、助かりました」
「いや。手が空いたからな。こういう力仕事は、ギルドに頼んでみてもいいんじゃないか?」
「はい。今度はそうします。
あの……ヴォルフさん。ちょっと、お話したいことがあるんですけど。いいですか?」
「ああ、なんだ?」
マリアの遠慮がちな物言いに、ガイへの言伝だろうかと、ヴォルフはあっさりと答える。
だが、少々様子がおかしい。
「あの……私、お城で会ったときから、ずっとヴォルフさんのこと忘れられなくて……助けてもらって、時々こうやって声も掛けてもらって、どんどん好きになって……
その、よければ、私と結婚を前提にお付き合いしていただけませんか?」
マリアに熱の籠もった視線を向けられて、ヴォルフはため息をつきたくなるのを辛うじて堪えた。冷たく突き放すのも駄目だ。後でアリシアとの間にしこりを残すかもしれない。アリシアもここには時々訪れているのだ。
今日は別件で一緒に行動はしていないが。
ヴォルフは言葉を選びながら答える。
「…………あ〜、何か誤解させたか? 俺は、既婚者だから、悪い、それは無理だ」
「え?」
傷ついたというより、驚いたといった様子で、マリアがヴォルフを見上げた。
「「紫紅」の片割れは、少年のフリをさせて声も魔法で変えているが、俺の妻だ」
「あの子が……どうして?」
紫色の瞳だけを見せて、他の部分を布で隠している少年をマリアは思い浮かべる。
15歳くらいの彼は、あまり口数は多くはないが、手が空くとここにふらっとやって来ては、子供達の世話をしたり、マリア達を手助けしてくれたりと、細やかに気を使ってくれていた。
彼は、少年ではなかったのだ。しかもヴォルフの妻だったなんて、俄には信じられない。
でも、ヴォルフの紅い瞳が妻を語りながら、優しげに緩む。
「とんでもない美人だし、いい女だからな。この街ではトラブルのもとになるし、他の男に目をつけられたくないから、だな」
それはもう、表情と言葉とで、盛大に惚気られて、マリアはヴォルフへの恋心が実ることはないのだと知った。
「そうなんだ。ヴォルフさんにそこまで言われる奥さんが羨ましい……ごめんなさい」
肩を落として去っていくマリアを見送りながら、ヴォルフはアリシアを思う。
自分には、彼女しかいないのだ。アリシアがいるから、ヴォルフはここにいる。
愛しい女を思い浮かべながら、いつものようにアリシアの気配を追おうとして……
それがどこにも感じられなくなっているのに気が付いたヴォルフは、愕然とした。
少し時間は遡る。
ヴォルフが孤児院にいると聞いてやって来たアリシアは、彼の気配を追って歩いている途中、壁向こうでマリアと二人で話す声を聞いて足を止めた。
「あの……私、お城で会ったときから、ずっとヴォルフさんのこと忘れられなくて……助けてもらって、時々こうやって声も掛けてもらって、どんどん好きになって……
その、よければ、私と結婚を前提にお付き合いしていただけませんか?」
耳にした瞬間、アリシアは思わずヴォルフとの繋がりを切って、そこから逃げ出した。
マリアのヴォルフに向けた言葉に、彼女の溢れ出る恋情を感じて、衝動的に逃げ出したのだ。
なんでだろう。
ヴォルフがモテるのなんて知っていた。
それでも、彼はずっと側にいてくれるし、アリシアだけだと、伝えてくれている。
だから、ヴォルフの言葉を疑ってるわけじゃない。
ただ、今、彼らに声をかけられたら……
アリシアは、自分が二人に何を言ってしまうか、わからなかったから。
一方、ヴォルフは、アリシアを探して街中を走り回った。
宿の部屋には一番に戻ってきたが、そこにアリシアがいなかったから、思い当たる場所を片っ端から探し回った。
彼女が誰かに害されるなんてことは想像できないが、辿れない気配に焦燥が募った。
最後にもう一度宿に戻って、それでもいなければ街を出て探しに行こうと考えていたのだが……
「帰って、いたのか……」
暗い部屋で明かりもつけずに、ぼんやりとベッドに腰掛けていたアリシアを見つけて、ヴォルフは心底安堵した。
「ヴォルフ」
ノロノロと顔を上げたアリシアが、ヴォルフを見た。
「阿呆! なんで黙って居なくなった? いや、それはいい。なんで俺達の繋がりを勝手に切った?」
「だって……」
思わず大声が出てしまったが、唇を噛んでうつむいてしまったアリシアに、ヴォルフは深呼吸して心を落ち着けると、アリシアの隣に座って、彼女を抱き寄せた。
「はあ……怒鳴って悪かった。っていうか、すごく焦った。理由があるんだろ?」
「聞こえたの……ヴォルフが、マリアと二人で、その、結婚の話をしていたのを」
「結婚? ああ、付き合って欲しいっていうあれか? その場ではっきり断ったぞ? 近くにいたのか? 聞いていたなら知ってるだろう?」
「……最後まで聞いたわけじゃないけど、それはわかってる」
「じゃあ、なんで? 俺がどれだけ心配して、探し回ったと思ってる?」
「ごめん、なさい」
申し訳無さそうに謝るアリシアを許したくはなるが、それでもヴォルフは、これだけは言っておかなければと、彼女の頬に手をやり、視線を合わせる。
「二度としないでくれ。頼む」
「……彼女の言葉を聞いて、湧き上がってきた感情に、怖くなって……」
紫色の瞳が揺れる。
自分の感情がヴォルフに漏れてしまうのが、嫌だった……と、アリシアはヴォルフに言えず、黙り込んだ。
ヴォルフの手は、彼女の頭を宥めるように撫でる。
「俺のことを信じられなかったか?」
「違うよ。そうじゃなくて……信じられないのは、多分、私」
「アリシア?」
「私は、レーヴェルランドの女王であることをやめるつもりはないから……ヴォルフを多分、一番には出来ない」
「知ってる」
「でも、彼女に求婚されているヴォルフを見るのも、ヴォルフが彼女と親しく話しているのを見るのも嫌で……ただそれだけで、彼女のことも嫌で、嫌いだと思った。そんな風に感情だけで嫌悪感を抱く自分信じられなくて、思わず」
ヴォルフが大きくため息をついた。
アリシアの肩が、ビクリと小さく上がる。
「アリシア」
「……うん」
「お前を嫌な気持ちにさせるつもりはなかった。悪い。だが、お前はもっと我儘になっていい。俺だけがそれを許してやれる。
こんなふうに、黙って逃げられるのは、心臓に悪い」
「ごめん」
「だが、妬かれるのは、悪くない気分だ」
「妬く……」
妬く、つまり嫉妬だ。
自分の愛する人が、別の誰かに言い寄られたことに……その誰かが、自分よりもヴォルフのことを大事に出来るのかも?と思い、そしてそんな二人が穏やかに寄り添う姿を想像して……
不安や劣等感を覚えて、妬み・恨み・怒りがごっちゃになった。
愛する人への独占欲や承認欲求の強さが生み出す感情。
アリシアはヴォルフと出会うまで、独占欲という感情を知らなかった。
生まれながらの女王であった彼女には、能力も含めて多くのものが与えられると同時に、多くの者達を平等に思い遣るという感情が当たり前だったからだ。
だから、かつてノルドの地でヴォルフとフェルナンと共に夕食を共にした際、給仕の女性がヴォルフに夜の誘いをかけたあの時、アリシアは彼女を嫌だと思うその感情に、酷く戸惑ったのだ。あれが多分、アリシアが独占欲を自覚した最初。
今、ヴォルフとアリシアは、あの頃よりずっと親密な恋人同士という関係だ。
だから彼に対する独占欲を、はっきりと自覚はしている。
でも、今まで嫉妬という感情を自覚出来なかったのは、ただただヴォルフがアリシアを一番にしてくれて、それをずっと態度と言葉で伝えてくれていたからなのだ。
「私、ヴォルフが一番大切な男性だって、伝えてなかった?」
女王としてではなく、個人としてのアリシアが一番大事に思っているのは、ヴォルフだ。
嫉妬されて嬉しそうなのは、アリシアがヴォルフにそれを伝えられていなかったからだろうか?
「いや、知ってる。ただ、お前が思わず感情的になるほど、俺を想ってくれているのが嬉しいだけだ。お前との繋がりが切られたときは焦ったが、こうやって嫉妬してくれたのなら、もういい。
愛してる。前にも言っただろう? 俺にとって女はお前だけで、お前にとって男は俺だけだって」
ああ……あの時の、ノルドで聞いたヴォルフの言葉だ。
あれから変わらず、そしてこの先もずっと二人は互いの唯一なのだ。
「うん。ごめんね、ヴォルフ。もうしない」
「ああ、思うことがあるなら、俺には全部話せ。お前からの感情は全部ちゃんと受け止めるから」
「……うん。ありがとう」
腕の中に抱きこんだアリシアの背を、ヴォルフは優しく宥めるように軽くたたく。
アリシアは甘えるように頬を彼の胸に着けて、そっと目を閉じた。
やがて、静かな寝息が聞こえてくる。
そんなアリシアを見て、ヴォルフは長いため息をついた。
……繋がりを切られた。
意識すれば、なんとなくアリシアがどの辺りにいて、彼女の、快・不快・喜怒哀楽なんかの感情がぼんやり感じられていたのに。
どんなに強く意識しても、まるでそれを感じられなくなって、ヴォルフはすごく焦った。
今それは、いつの間にか戻っていて、彼女の気配を確かに隣に感じることが出来る。
繋がりについてもだが、レーヴェルランドの不思議について、ヴォルフは充分理解も出来ていないし、改めてアリシアにその詳細を尋ねたこともない。
必要なことは、アリシアがその都度教えてくれるし、女王として行動するときは、ちゃんと彼女はそうと知らせてくれる。
だから、今はまだ、問題ない。
ただ、近い将来、ヴォルフはアリシアをちゃんと妻にしたいと考えている。
彼女は、仮初で妻という呼び方を許してはくれているが、結婚については頑なに了承していないのだ。
あくまでも恋人。
おそらく、レーヴェルランドの制約に関わる問題なのだろう。
アリシアにとっての唯一の男がヴォルフだということを疑う気は全く無いが、時々ドロリとしたアリシアへの執着が表に出そうになるのを、ヴォルフは結構な自制心を持って抑えている。
アリシアの全てを暴き、何もかも自分のものにして、閉じ込めておきたいという欲。
だが、彼の愛したアリシアは、女王でもあって。
かつて皇帝であったヴォルフだからこそ、その役割を知り、理解して、隣に在ることを許されている。
今回アリシアに繋がりを切られた時、一瞬、ヴォルフの欲が度し難い程に膨れ上がった。
アリシアよりも歳上で包容力のある大人であり、彼女の拠り所でも在りたいヴォルフが、彼女には見せたくない一面だ。
だがアリシアが初めて見せた嫉妬という感情に、なんとかヴォルフの欲は宥められ、彼女に知られることなく落ち着いた。
「そろそろ、俺のコレも限界かもしれないぞ?」
ヴォルフの呟きは、眠っているアリシアには届かない。
だが今は、やっと見つけた恋人を腕の中におさめて離さずにいることで、彼の平穏は保たれているのだった。
ずっと書いてみたかったエピソードです。気に入っていただければ嬉しいです。




