後日譚 11 不穏な足音
すみません。
きりのいいところまで、と思ったら、1万字を超えてました。
よろしければ、お付き合い下さい。
「おい、こっちだ!早く!捕まるぞ!」
手を繋いだ子供達が、裏路地を物凄い勢いで走り抜けていく。
冬の間解け切らない雪が、道の端に積まれて固まっており、吹く風は冷たい。だが、その凍えた空気が全く気にならないほどに、二人は必死だった。
「お兄ちゃん! もう走れないよ。逃げて!」
とうとう手を引かれていた子供が膝をついた。まだ5歳を過ぎたくらいの幼い子供だ。
ここまで身体強化を自身に掛けながら兄に着いてはきたが、限界だった。
「バカ! 止まるな。頑張って立て!」
お兄ちゃんと呼ばれた少年は、弟を助け起こそうと手を伸ばす。こちらは10歳ほどの少年だ。
追われている焦りからか言葉はキツイが、弟を置いてはいけないと、背に負ぶおうとして膝をついた。
だが追手の気配にハッと顔を上げると、掌を彼らに向ける。
すると、そこから電撃が矢のように相手に向かって放たれた。
「無駄だ。お前達、逃亡は重罪だぞ。懲罰は覚悟するんだな」
あっさりと電撃は弾かれ、やがて暗い道の向こうから、彼らより少し年嵩の少年達が現れた。
年の頃は、16、7歳といったところで、追手は三人だ。
兄弟の顔が、絶望で泣きそうに歪む。
その時、兄弟と追手の間に、スッと割って入った男がいた。
「幼い子供相手に、何をやっている? ああ、お前達もまだ子供か……」
スラッとした長身に、バランスの良い体躯の大人の男だ。
「ああ?なんだ、おっさん? 部外者は引っ込んでろ!」
追手の少年達は怪し気な顔をして、怯むこと無く、間に立った男に向けた視線を鋭くした。
子供呼ばわりされたのも気に食わなかったのか、返す言葉はおっさんときている。
そして、男の背後、兄弟達の前に屈み込む女がいた。
「大丈夫? 怪我してるね」
「……え?」
弟に向かって手を伸ばした女に、兄弟は一瞬状況を忘れて、ポカンと口を開けて女を見た。
「だれ? 女神様?」
「違うよ。通りすがりの旅人」
フードからこぼれる髪は、艶のあるまっすぐな黒髪。額に布を巻いてはいるけど、その下の小さな顔には、大きな菫色の瞳が輝いて、通った鼻筋、淡いピンク色の唇が、綺麗な造形で配置されており、陶器のような白い肌もあいまって、まるで完璧に整えられた美しい人形のような女だった。
「悪いが、妻があの子達を助けたいと言うんでな。怪我をしているようだし、どうやら必死で逃げて来たようだ。必要なのは金か?」
一方、女の後ろに立つ男は、兄弟達に背を向けている為良くわからないが、どうやら女の夫らしい。
この夫婦は、自分達を追手から助けてくれるようだ。
「何者だ? アレは俺達の仲間だ。余計な手出しはやめてもらおう」
「アレ呼ばわりで、仲間か? とてもそうは見えなかったが?」
男は皮肉げに唇を歪めて、追手の少年達に一歩近づく。
「それに金で済むなら、追ってなど来ない! 邪魔するんなら、お前も覚悟しろ!」
勢いだけはあるが、その男のただならぬ威圧感とその紅い瞳に、強がりながらも恐れをなした少年が、数歩後ずさると腕を上げて横に薙いだ。
すると鎌鼬のような風が湧き上がり、男に向かって行く。
だが、男は表情も変えず、軽く片手を払っただけで、それを素早く打ち消した。
「⁉ お前、何者だ?」
少年達の警戒心が一気に上がり、戦闘態勢を取るべく散開する。
だが、男はまるで意に返していないように肩を竦めた。
「さあ? お前らこそ何者だ?」
男からはまるで緊張感を感じない。だが、同時に隙も全くない。
考え無しに踏み込めば、たちまちやられてしまいそうだ。
「…………」
少年達の手に汗が滲む。
その時、彼らの間に走る緊張感など意に介さず、男の後ろから女の澄んだ声が聞こえた。
「とりあえず手当ては必要そうだね。行くよ?」
女は弟を助け起こし抱き上げると、兄に手を伸ばしその手を取る。
「お姉さん、助けてくれるの? どこに行くの?」
「うん。旅をしてるから、今泊まってるところだね。あ、私は、アリシアだよ」
アリシアと名乗った女は、腕に抱き上げた弟の戸惑う声に無表情ながらも答えて、二人を連れて歩き出す。
兄も繋がれた手を引かれて、彼女を見上げた。
「あの、どうして助けてくれるの?」
「追われていたし、捕まりたくなさそうだったから?」
女は夫や追手を振り返ることもせず、兄弟を連れてその場を去っていく。
いつの間にか、兄弟の周囲には寒さを感じないように結界が張られ、後方で始まった戦闘の気配すら遮られていた。
兄弟達は良くわからないまま、アリシアという旅の女と、裏路地を曲がって、追手の前から姿を消した。
兄弟が連れられてきた先は、この街で一番高級な宿だった。
兄弟達にそのことはわからないが、立派な建物だということは理解できる。兄の足が止まり、建物に入ることを躊躇すると、無表情だったアリシアは初めて小さく微笑んで、大丈夫だから、と二人を促した。
宿の従業員が、上客であるアリシアに頭を下げて迎えるが、彼女は一切気にせず兄弟を連れて自分の部屋へと迎え入れた。
「ここだよ。追手は大丈夫だから、どうぞ」
兄はその部屋の広さや豪華さに目を瞠る。弟はアリシアに抱かれたまま、あんぐりと口を開けた。
彼女は二人の様子に小さく笑うと、ソファに座る様に言って、弟を腕から下ろした。
「あの……ありがとう、アリシア」
温かいお茶とお菓子を前に置かれて、兄は初めてアリシアにお礼を言うことが出来た。
今だってよくわからないけれど、彼女から悪い感情は感じないし、騙そうとか痛めつけようとか、そんな事はされなさそうだと感じたのだ。
本当に親切心で二人を助けてくれたのだろう。
「うん。名前は?」
アリシアは感謝を受け取ると、首を小さく傾げて兄を見る。
まるで綺麗な人形みたいだ。
「俺はジエン、弟はグアン」
「いい名前だね。歳は?」
アリシアに間を置かずに名を褒められた。
ジエンは健やかに強く、グアンは輝くように賢く、この国ではそう珍しくもない名前だけど、父さんがそう願って贈ってくれた名前だったと、ジエンは久し振りに思い出した。
あそこでは、名前でなく番号で呼ばれていたから。
「ありがとう。俺は10歳、グアンはもうすぐ6歳。アリシアの名前はちょっと変わってるね。それに、その目の色、初めて見た」
ジエンは、じっとアリシアを見る。グアンも目の前に出された菓子に手もつけず、アリシアを目で追っている。
アリシアはその様子に、小さく息をこぼすとジエンに答えた。
「言ったでしょ、旅をしてるって。遠い国から来たからね。
この国の人達は、皆似たような色合いだよね。黒か焦げ茶の髪色と瞳の色だ。でも、シンシンの山を越えた向こう側の国には、肌の色も瞳の色も髪の色も、皆それぞれ違う色を持つ者達が住んでいるよ。
私はこの国で目立たないように魔法で髪の色を変えているけど、瞳の色はそのままにしているだけ。瞳の色を変えるのは、魔道具がないとちょっとばかり面倒だからね」
「魔法で?」
「そう……これが、もとの色だよ」
「⁉」
アリシアが髪に掌を滑らせると、艷やかな黒髪が、淡い金色に変わった。
兄弟が息を呑む。
黒髪のアリシアも綺麗だったけど、淡い金髪のアリシアはまるで……
「やっぱり、女神さま!」
グアンが、目を輝かせる。ジエンも言葉には出さないものの、同感だった。
ずっと前に絵本で見た女神様が、ここにいる。
「どうした? 髪、もとに戻したのか?」
ぼんやりと二人でアリシアを眺めていたら、扉が開いて、先程の男が入ってきた。
「あ、ヴォルフ。片付いた?」
アリシアが男をヴォルフと呼んで振り返るのに釣られて、ジエンとグアンも男を見る。
先程は背中しか見えなかったが、とても背の高い端正な顔立ちの偉丈夫だ。
男は、あの少年達との戦闘から戻ってきたとは思えない程、衣服も乱れていなければ疲れた様子もない。穏やかな様子で、アリシアに答える。
「ああ。程々のところで逃がしたぞ? 目印はつけておいた」
「うん。この子達は、ジエンとグアン」
「ああ、俺はヴォルフだ。よろしくな」
大した事なさそうに言って、アリシアもそれを信じて疑わない。
普通に二人の名を聞いて、自己紹介を返してきた。
部隊でも指折りの強さを持つ、あの三人の少年達を軽くあしらって来たような言い様に、ジエンはヴォルフの強さを垣間見た。
「あの、ありがとう、ございます。あの、ヴォルフの目も……」
そして、その瞳が紅いことに気が付いた。
「ああ、俺達は外国からの旅行者だからな。色合いがこの国の者とは違うんだ」
やはり、アリシアと同じ理由を答えたヴォルフに、髪の色は何色なんだろう?とも思う。
そして、外国にはどんな色が溢れているのか?と興味が湧いた。それに、外国って、どこの国だろう?
「外国って、どこから来たの?」
ジエンが口を開く前に、グアンが尋ねていた。
「ここから山を越えてずっと西。カルディス帝国って知っているか?」
ヴォルフは片眉を上げて答えたが、アリシアが会話を遮るように割り込んだ。
「ヴォルフ、この子達をお風呂に入れてあげて。綺麗になったら傷の手当をするから」
「わかった。こっちだ」
続きは風呂でゆっくりやれ、ということらしい。
ヴォルフは頷いて二人に顎をしゃくる。
兄弟は立ち上がり、素直にヴォルフに続いた。
「ヴォルフの髪も金色?」
「いや、俺の髪は色を変えてない」
風呂場は想像以上に広く、三人まとめて体を洗える程だった。
服を脱いで洗い場に入ると、ザブザブと湯をかけられ、ヴォルフに身体を洗うように促される。
その合間にも、グアンのおしゃべりは止まらない。
部隊では余計なことを喋らないよう躾けられているが、本来の彼はおしゃべりが好きで好奇心が旺盛な子供だった。
「そうなんだ。でも、きれいな髪。アリシアは女神さまみたいだけど、ヴォルフは魔王さまみたい」
「魔王って、おい、グアン」
多分、悪気もなく口にした言葉だったが、ジエンは慌ててグアンを嗜める。
「ジエン、気にしなくていい。」
ヴォルフは小さく首を横に振った。本当に気にしていないらしい。
「魔王っていうのは、あながち間違いでもないと思うぞ? ところで、お前達、これはどうした?」
ヴォルフがジエンの脇腹と、グアンの背中を指して尋ねた。
「……これは……その……」
「……」
途端に二人は黙り込む。
風呂に入れば見つかってしまうことはわかっていた。
だが、それ以上に身体のあちこちに残る古い傷跡や、先程の逃亡で出来た傷もあって、ごまかせるかも?と思ってもしまったのだ。
でも、ヴォルフの目は、じっとその部分を見ている。
子供の自分達の身体に残るそれは、決して大きな跡ではない。ただ、明らかに異形の跡だ。
流れる沈黙を苦しく感じていると、ヴォルフは大きく息をついた。
「……まあ、いい。傷は後でアリシアに見てもらえ」
兄弟の様子を見ていたヴォルフは、追求を諦めた。しつこく尋ねて、何も聞き出せなくなるのでは、意味がない。
傷口をキレイに流してやると、湯に浸かるのは今日はやめておけ、と二人にアリシアのもとに行くよう促す。
二人が浴室を出ていくと、ヴォルフは自身も汚れを落とし、浴槽に足を伸ばして浸かった。
身体が温まるほど動いてもいない。北部地方よりはマシだが、時々雪が舞うこの地方の夜はそれなりに冷える。
胸まで浸かった湯が、じんわりと身体を温めてくれる。
ヴォルフの脳裏に、先程見た二人の身体の傷跡が浮かんだ。
あの傷跡は、これまで受けたひどい折檻を想像させるが、その割に二人の様子からは過度な怯えなどは感じられない。
だとしたら、戦闘訓練などを日常的に受けていた可能性もある。追手の少年達の様子を見る限り、そちらの可能性が高い。
まったく、あんな幼い子供達に……と思う。
自分自身の過去もなかなか過酷だったとは思うが、彼ら程ではなかった。
もちろん皇家に生まれた自身と平民の子供とは、立場も環境も責任も違うが、幼い子供達があんな傷やよくわからない異形の跡を残すことことがあっていい訳がない。
この件は、アリシアとルーウェンに相談して対処した方がいい。きっとヴォルフでは行き届かない。ルーウェンにとっては、自国の未来を担う子供達のことだ。蔑ろには出来ないだろう。
どうやらここに来て面倒事の予感だ。
シャウエンに入ってからここまでは、まあ順調な旅だったが、この先はそうも言っていられないらしい。
どうやら女王の巡礼の意味とは、この国の第一皇子ライデンの封印問題では無く、こっちの方かも知れないなと、彼は思うのだった。
ヴォルフが風呂から上がってくると、兄弟は、アリシアに傷の手当てをされて、宿の子供用の夜着を着せられていた。
その後四人で共にした夕食で、アリシア達に外国の話を強請りながら、腹いっぱいにしっかりと食べた兄弟は、寝室に案内されベッドに入ると、あっという間に眠ってしまった。
アリシアは二人が眠るベッドに遮音の結界をかけてから、応接スペースへと戻って来る。自身の髪も黒髪に再び変えていた。
しばらくすると、ルーウェンとタオが部屋に訪ねてきた。
「遅かったな」
「ええ、流石に星家の誘いは、無下には出来ませんからね。ヴォルフさん達は、何があったんです? 子供を二人連れ帰ったとか?」
ヴォルフの一言に、ルーウェンが苦笑して答えた。シンシン家の接待は、どうやら第二皇子のお気に召さなかったようだ。
だが今はそれには触れず、ルーウェン達に子供達のことを伝える方が先だ。
「うん。それもあって、ここに来てもらったんだけど。ヴォルフ」
アリシアよりヴォルフの方が、状況を詳しく伝えられるだろう。そう思って彼女は、ヴォルフを見た。
「ああ、実は……」
ヴォルフはそれを受けて、ルーウェン達に今日起こった出来事を話して聞かせる。
追手の少年達のことや、風呂場で見たことも併せて伝えた。
3ヶ月近く前、ヴォルフ達一行がここシャウエンに内密に入国した後、タイヤーンの領地に戻ったルーウェンとタオは、一度天皇家に帰っている。
旅からの帰還報告と、ヴォルフとアリシアのことを伝え、共にシャウエンを旅する許可を得るためだった。
その間、ヴォルフとアリシアは、シャウエンの首都であるタイヤーンの皇都に滞在して、この国の旅装束を買い揃えたり、観光したり、食事を満喫したりしていたのだが、ルーウェンとタオが戻ってくると、状況が変わっていた。
気楽な周遊旅のつもりが、各領地の視察と調査に出る第二皇子の護衛業務になっていたのである。
いや、視察調査に同行するのはいい。寧ろ、なかなかただの旅人じゃ見ることが出来ない、地方自治や役人の様子なども知ることが出来る。
だが、一介のしかも異国の冒険者に、国や各家の事情をそこまで知らせてもいいものなのか?と、アリシア達は怪しんだ。彼らの冒険者としての実力を、国に取り込むつもりなのかと。
しかし、これはルーウェンの売り込みの成果だったらしい。
ルーウェンは、冒険者夫婦から得た恩や、各国特に北部連合での活躍、彼らの国や政治に関する考え方、冒険者としての実績などを、家族に熱く語って聞かせ、タオからの報告もあって、すっかり信用を得られたらしい。
ぜひ天皇家に招待をと言われたらしいが、先ずはこのシャウエンを知りたいという二人の希望を聞いてからと、ルーウェンが説得した結果、この視察調査が行われる事になり、そこに護衛という形で同行ということになったのだという。
皇族の視察調査と言いつつ、ルーウェンに同行するのは、タオとヴォルフとアリシアの三人だけだ。今までと変わらない。たまにライデンからの遣いの影の者達がやってくることもあるが、彼らにヴォルフとアリシアが会うことは無いので、詳しくは知らなかった。
まあ、三人とはいえど、護衛としての戦力としては有り余る程だし、魔獣はそこそこ出没するものの概ね平和なこの国では、ヴォルフ達がそこまで気を張る必要もない
それに皇族であるルーウェンの視察旅の護衛なだけあって、宿もよければ旅費の負担もなしだ。その土地の名物料理も堪能出来る。
これは流石にやりすぎなんじゃ……とアリシアが言うと、「アリシアさんに認めてもらわなきゃ、この国にマルシアを呼べないので。これは僕の下心込みなんですよ」と、素直に申告するルーウェンに少し呆れて、受け入れた。
視察調査は、ルーウェンの兄ライデンの指示で、海家の領地から始まり、大地家、湖家と順にまわってきた。残す所は、星家と月家の領地。
そうして一行は、今、ユーリャンとの境界に近い、シンシンのギールという街に滞在しているのだった。
この街は、シンシンの中でも三大都市に数えられるほどには大きい。
ちょうど今、この地に星家の領主が訪れている為、今日ルーウェンはタオと二人、領主のいるギールの別邸に招かれて来たのだ。
ヴォルフとアリシアがそこに同行しなかったのは、明らかに異国人の二人について、シンシンの当主からの不審を避けるためだった。
一通りヴォルフの話を聞いたルーウェンは、考え込むように目を伏せた。
「追われていた幼い兄弟に傷跡と異形、ですか」
「うん。それに、裏通りで追われてるのを保護したんだけど、魔法を使ったときの気配がおかしくて」
「追ってる方も、気配が変だったぞ?」
ルーウェンに答えたアリシアに、ヴォルフも同じ感想を持っていた。
夫婦の魔法の実力はもちろん、感度に対しても非常に優れていることを知るルーウェンは、続きを促す。
「気配が変とは?」
「そうだな、人間じゃなくて、魔獣かと思った」
「身体強化では感じないんだけど、攻撃魔法を使うときだよね?」
「ああ、そうだな。そもそも無詠唱だった。発動に準備動作は必要そうだったが……」
魔獣も戦闘のときに魔法を使う。それは彼らが持つ特性に合わせて、当然無詠唱で、戦闘時に自然に振るわれるものだ。
無詠唱で魔法を使うのはアリシアも同様だが、それは聖石由来だからで、魔法操作に長けているヴォルフでも、非常に短いながらも詠唱は必要としている。
先程の戦闘で、ヴォルフが片手で敵の魔法を払ったのは、もともと自身に結界魔法をかけていたからで、無詠唱だった訳では無い。
だから、少年達が無詠唱で攻撃魔法を使うのには違和感があったし、先程見た兄弟の身体にある異形に、嫌な予感しかしない。
「……身体に異形と、魔法行使時に魔獣の気配、ですか」
ルーウェンも同じ結論に至ったらしい。
タオも顔を顰めている。
ヴォルフは彼らの様子を眺めていたが、おもむろに立ち上がった。
「追手の奴らに目印をつけた。夜のうちに様子を見てくるか」
あくまで想像だけで、結論を出すわけにはいかない。兄弟はよく眠っているし、そもそも幼い彼らがどこまで認識しているかは不明だ。
なら、直接確かめた方が、早いだろう。
「私も行く。ルーウェン達はここに居て、あの子供達をお願いしていい? 明日の朝迄には戻ってこれると思うけど、別動が来るかもしれない。タオと二人で大丈夫?」
アリシアも立ち上がって、子供達の見守りをルーウェン達に頼んだ。
第二皇子が滞在する宿に奇襲を仕掛ける程相手が無謀だとは思えないし、ルーウェンとタオも相当の実力者なので心配はいらないとは思うが、ルーウェンの護衛としては気にするべきところだ。
そんな彼女に、ルーウェンは笑って答える。
「もちろん。イザとなれば、奥の手がありますからね」
「そうだね。じゃあ、行ってくる」
天井を指差して言ったルーウェンに、確かに彼と一緒にそこに現れた複数の気配の存在に、アリシアは「それなら安心か」と頷いて、ヴォルフと一緒に部屋を出ていった。
やはり、冬の夜は冷える。
二人共結界で外気を遮断して、同時に身体強化も行使しながら、ヴォルフのつけた目印を追って街の外れへと向かって行く。
「ここまでは、特に変わったことはなかったんだがな」
「うん。海家も大地家も湖家も、大いになる自然の恵みと程よい信仰心で、上手く統治出来てたね。どうしても貧富の差は出てしまうけど、まあ、許容範囲内というか仕方がない範囲だった」
「ああ。だが星家の領地に入った途端、不穏だ」
「星家の領地は、シャウエンを囲うように広がる、ちょっと特殊な感じだからね。皇都近くでは感じなかったけど、この辺りは何かがありそう」
「あの子供達は、怪我や古傷はあったが、栄養状態や精神的にはそこまで劣悪な環境に置かれていた感じじゃない。ただ、異常だ。逃げ出した理由も聞かないとな。ああ、ここだ」
街を出てしばらくのところにある墓地と思われる場所で、ヴォルフは身体強化を解いた。
こんなところで?と思いつつ、アリシアはヴォルフに続く。
が、ヴォルフは墓地に投げ捨てられた小さな塊を見て小さく舌打ちした。
「? ヴォルフ?」
「悪い。気が付かれて、対処されたか」
彼の視線の先には、丸めて捨てられた服の塊があった。
どうやら、一人の少年の服に付けた目印の小さな魔法陣に気が付かれたらしい。
正確には、微量にこめられたヴォルフの魔力に勘付かれたのだろう。
意外と鋭い感覚の持ち主だったようだ。ヴォルフは彼らの能力を、少々上方修正する。
「ルーウェン、大丈夫かな?」
アリシアが呟いたが、これは戦力を分散させるというよりも、単にこちらの追跡をかわす為だろう。
「ああ、心配はないだろうが、これ以上は無駄だな。宿に戻るか」
二人は来た道を戻り始める。
明日の朝を待って、兄弟に事情を聞くのが手っ取り早そうだ。
翌朝、ジエンとグアンが朝食の席につくと、更に二人男が増えていた。
一人は、背まで長く伸ばした艷やかな黒髪を一つに結び穏やかそうに笑う上品な青年で、ルーと名乗った。魔法師だそうだが、かなり整った容姿だ。
もう一人は、黒髪を刈り上げた強面だが精悍な面立ちの体格の良い青年で、タオというらしい。
二人はマジマジと新顔の二人を観察する。
「タオは強そう。ヴォルフとどっちが強いの?」
「私などヴォルフ殿の足元にも及びませんよ」
グアンの疑問に、丁寧に答えるタオの声は、予想より若いのかも?とジエンは思う。
ヴォルフとアリシアは旅人だと言っていたけれど、この二人は何者だろう?
その考えを読んだように、ルーウェンが口を開いた。
「三人は、僕の護衛なんだ。僕は今、国中を旅してまわっているからね」
「じゃあ、ルーが一番エライの?」
「⁉ まさか貴族!」
グアンが首を傾げて尋ねた声に、ジエンはハッとして、膝をついて頭を下げる。
「失礼しました。ご無礼を」
グアンは良くわかっていないようだが、とりあえずジエンに倣う。
そんな彼らに、ルーウェンは優しく言った。
「いや、構わないよ。ジエンと言ったね? ほら立って? ここで身分についてどうこう言うつもりもないし、寧ろ普通に話して欲しい。
ヴォルフさん達は異国人だから、護衛といっても僕の部下ではないし、彼らの客である君達にも、畏まって欲しいわけじゃないから。
それに僕は今、身分を隠しての、お忍びの旅なんだ。だから普通にルーと呼んでくれて構わないよ?」
そう言われてジエンは顔を上げると、ルーウェンの様子をうかがう。
そして、どうやら彼が本気でそう言ってくれたらしいと理解して、「じゃあ、ルー様と呼びます」と、グアンと一緒に立ち上がり、朝食の席に着いた。
「俺達の生まれた場所は、強くなることが偉いんだ。だから皆その為に、小さな時から身体を鍛えたり、鍛錬したり……魔法を使いながら、戦う方法を覚えるんだけど……2年前位に、強くなる実験みたいなことが始まって」
「実験?」
朝食を取りながらのルーウェンの質問に、ジエンは素直に答えていく。
アリシアに普通に喋ればいいからと言われて、使い慣れない言葉遣いじゃ無くて助かった、と出来るだけわかりやすいようにと話していく。
「15歳前の子供達に、魔獣の一部?みたいなモノを植え付けるって言ってた」
「え?」「植え付ける?」
ルーウェンとタオが同時に反応した。
ヴォルフとアリシアは黙ったままだ。視線でジエンに先を促す。
「俺達も親に言われて、手術をしたんだ」
「強くなりたかったから?」
アリシアが尋ねる。
ジエンはその問いにうつむいた。まるで、後悔しているように。
「俺達は、別にどっちでもよかったんだ。だけど、父さんが……」
「オレは行きたくなかった!」
ジエンの言葉に被せるように、グアンが叫んだ。怒っているようにも泣きそうにも見える顔で、じっとテーブルを睨んでいる。
そんなグアンの宥めるように軽く叩きながら、ジエンは続ける。
「手術をしたら、部隊ってところに入って訓練を受けなくちゃいけなくて、でも俺達、怖くなって、母さんに会いたくて、逃げ出したんだ」
「グアン、お父さんはどうしたの?」
アリシアは、敢えてグアンに向かって声を掛けた。グアンが顔を上げて、彼女を見る。
「1年くらい前に、強い魔獣にやられた怪我が原因で死んじゃった。死ぬ前に強くなれって言って、だから手術を受けることに……でも、訓練は辛いし、自分が自分じゃないみたいで、怖くなって」
アリシアがグアンに頷き、ルーウェンを見る。
「ルー?」
ルーウェンは首を横に振って、大きくため息をついた。
「初耳だよ。2年前から?」
それに頷いて、ジエンは続ける。
「俺達を追って来たのは、最初に手術を受けた戦士だよ。3番と7番、それと11番」
「そう。手術を受けたら、番号で呼ばれて、大人になるまでは外に出ちゃいけないんだ。でも、オレ達……」
「遠征実習中に隙を見て、二人で力を合わせて、頑張って逃げてきた」
なんとなく、概要はつかめた。
念の為、基地の一番偉い人とか、手術は誰がやっているのかも尋ねてみたが、それについてはどうもわからないらしい。
まだ部隊に入って1年未満の幼い子供だ。
そこまでの情報など知ろうとも、いや、それどころじゃなかったのだろう。
それにしても、脱走が成功したのは、かなり運が良かったようだ。
アリシアは、改めて兄弟に尋ねる。
「二人はこれからどうしたい?」
「母さんに会いたい」
「お母さんはどこにいるの?」
「家は、シンシンのイーリャにあるんだけど」
土地勘のないアリシアが、ルーウェンに視線で問う。
「ここからそう遠くはないですよ。半日ほど走った山の中腹です。ただ、追手に先回りされている可能性はありますね」
「そうだよね」
ルーウェンの台詞にアリシアは頷くが、兄弟達は複雑な表情だ。
ヴォルフはそんな兄弟を見ると、立ち上がる。
「とりあえず、全員で行ってみるか。動かないことには何もわからないしな」
「そうですね」
ルーウェンも賛同して席を立った。
準備をしてくると言って、一旦自分達の部屋へと戻っていく。
ヴォルフ達も出立の準備を始めたが、ふとアリシアが隣に立って、彼を見上げた。
「ねえ、ヴォルフ。これは悪意じゃないかも知れない」
「……そうかもな」
そんな事を、巡礼が始まる前に話したなと、ヴォルフは思い出す。
『悪意によって何かしらの変化の種が生まれて、それが芽吹くのはわりと直ぐだから……大きな災いにならないうちに摘み取れるように……』
アリシアは、確かにそう言っていた。
「でも、良くないモノの予感がする」
「ああ。少なくとも健全では無いな。だが、まずは知ることからだ。大丈夫、何があっても、半分持ってやる」
悪意ではないかも知れない。だが、子供の身体に魔獣の一部を埋め込むなど、全くもって健全な思考だとは思えない。
ハッキリ言って異常だ。
そうせざるを得ない事情があるのか? いや、ルーウェンの様子を見る限りそれも無さそうだ。仮にあったとしても、許されない生命への冒涜だと思う。
これから暴かれる事実が、アリシアの心の傷にならない事を祈り、もしその力を奮わなければならなくなったら……汚すなら自分の手を、とヴォルフは密かに決意するのだった。




