後日譚 8 ベルハルト王国とエデン
北部を出てカルディス帝国に入ってからの旅路は、野宿も多かった。飛竜を使わずに移動しているためだ。また、街に滞在する時は、冒険者ギルドで簡単な依頼を受けたりもする。
ルーウェンも、各地の冒険者ギルドに何度か訪れて、話を聞くことも出来た。
各地の魔獣の特徴を記した書物を手に入れたり、実際に討伐してみたり。ギルドの仕組みなどは、一部シャウエンにも取り入れてみたいとも考えている。
また、国の在り方に始まり、その土地毎に生きていく人々の知恵やルール、営みなどを、実際に見聞することも出来た。
ヴォルフ達と知り合ってまだ1ヶ月半程だが、ルーウェンは10年分位の経験を得たような気がしている。
一行は、カルディス帝国を経て、ベルハルト王国へと南下してきていた。
彼らは今、夕食を取るためにアリシアを先頭に王都の通りを歩いている。
ルーウェンがいろいろな街を旅してきて感じることは、何と言っても各地の料理のバリエーションの多さが素晴らしい、ということだ。
地域ごとに多種多様な味付けで、同じ素材でも調理方法で随分と印象が変わる。
この旅で、ルーウェンはスパイスや調味料も結構買い込んだし、レシピを尋ねることも多かった。
「ここの王都に美味しいサーモン料理の店があるんだ」
アリシアは二人を振り返りつつ、先導していく。珍しく浮かれている様子で、本当に楽しみにしていたようだ。
彼女を眺めるヴォルフの表情も、緩んでいる。彼も初めて訪れる店だと言っていた。
ルーウェンは、何度か名前があがったサーモンを思い浮かべる。
「アリシアさんが好きな魚ですよね? シャウエンでもたくさん獲れますよ」
シャウエンでは、シンプルに塩焼きにしたり、味噌漬けや粕漬けにして食べるのも美味しい。
そういえば、こちらでは塩焼き以外は、全く違う調理法だよなあ、とルーウェンは思う。
「本当? 楽しみだな。でもここの料理は特別」
「ブレないよな。まあ滅多に来られないんだ。好きなだけ食え」
珍しくあからさまに嬉しそうな顔をしたアリシアに、ヴォルフが少し呆れたように笑った。
やがて、一軒の建物の前に到着すると、一行は扉を開けて中へと入る。中々広めで、シンプルで上品な内装の店だ。
三人に気が付いた従業員が、こちらへと向かってきた。
「いらっしゃいませ……あれ? あの、お嬢さん、前にもいらっしゃいましたよね? え〜と……」
年の頃は20歳半ばくらいの感じの良い若者が、アリシアを見て記憶を辿っている。
アリシアも彼を見て、初めて訪れた時を懐かしく思い出した。
「うん。3年半位前かな」
「やっぱり! サーモン好きの、レオンの彼女さん!……あ、すみません、どうぞ」
ポンっと、拳で反対側の掌を打った青年が、スッキリした笑顔で答えたが、すぐにヴォルフの胡乱げな視線に気がついて、笑顔を引っ込める。
そして、いそいそと2階の個室に三人を案内した。
広めの丸テーブルに腰掛けたところで、アリシアが青年を見上げる。
「ウィル、だったよね? レオンは向こうで幸せそうだよ。もう一児の父。私も結婚したしね、今日は夫と客人と来たよ」
夫と客人のところで、ヴォルフとルーウェンに視線を順に投げたアリシアに、青年は申し訳なさそうに頭を下げる。
「本当にすみませんでした。今日もサーモン料理スペシャルコースにしますか?」
以前、アリシアに出した料理もしっかり覚えていたらしい。
すごいなあ、とアリシアは単純に感心したが、ウィルにしてみれば友人の王子殿下と滅茶苦茶美人の彼女が、一緒にやって来たのだ。そう簡単に忘れたりはしない。
「私は、それで。ヴォルフとルーウェンはどうする?」
アリシアの声に、ウィルは少し畏まって、男性陣にメニューを渡し、説明を始めた。
「レオンの彼女、ね」
ウィルが退室するやいなや、ヴォルフが無表情でボソッと呟く。
ルーウェンは、あれ?と首を傾げた。
この夫婦は仲が良い。
ヴォルフもアリシアも珍しい位の美男美女なので、とにかく異性からの視線を集めがちだし、声を掛けてくる者も多いのだけれど、いつも適当にあしらっているというか、そういう輩を全く相手にはしていない。少し本気っぽい者達も中にはいるが、二人共取り付く島もないので、こんな風にヴォルフが嫉妬心を表に出すのを、ルーウェンは初めて見た。
従業員の青年の一言が、随分と気に入らなかったようだ。
「終戦後に、食事に一緒に来ただけだよ。とっておきのサーモン料理を食べさせてもらう約束だったから」
対するアリシアは、どこか懐かしそうに答える。ヴォルフが苛ついたように目を細めるのを見て、ルーウェンはそっと視線を外した。
終戦……3年半程前のベルハルト王国とカルディス帝国の1日戦争のことだろうか?とルーウェンは考えを巡らす。
「アイツ……お前もサーモン料理に釣られやがって」
小さな舌打ちと共にこぼれたヴォルフの台詞に、ルーウェンは合点がいった。
ヴォルフは、単純にアリシアの以前の恋人に嫉妬したわけじゃなく、その相手は彼の知己なのだ。
「あの、お二人の知り合いですか?」
ルーウェンは、つい興味が湧いて尋ねていた。
アリシアはそれに苦笑しながら頷く。彼女がこんなにわかりやすく表情に出すのは、珍しい。
「そうだね。レオンは、ヴォルフの義理の弟」
「え? あの、よく、わからないのですが」
は?と首を傾げたルーウェンの頭の中に、いろいろな状況が思い浮かぶ。
そんな彼に、ヴォルフが溜息をついて言った。
「まあ、気にするな。いろいろあってな。結果的にそうなった。つまり、コイツにとっても義理の弟だな」
「はあ。ヴォルフさんの妹さんの旦那さんって事ですね?」
どうやら、そのレオンという人物は、アリシアと付き合っていた?が、後にヴォルフの妹と結婚し、更にヴォルフとアリシアが結婚したことで、今では二人の義理の弟になったらしい。
いろいろ複雑だ。
ヴォルフは、アリシアとレオンが付き合っていた事を知らなかったのかもしれない。
(あ〜ヴォルフさんの気持ちが少しだけ理解できるかも?)とルーウェンが少々共感したところで、ヴォルフが続けた。
「ああ……で、この国は、どうだった?」
あからさまに逸らされた話題に、ルーウェンはホッとしてそれに乗った。
「大きくはないですが、整備された港もあって、南北を結ぶ要所とあって、いろんな人々が行き来して、多様な文化が混じっている国でしょうか? 肌の色や髪の色など多くの人種が混在していて、文化も違うのに、上手く融合している、というか……」
「そうだね。この国の国王はとてもバランス感覚が良い穏やかな賢王だよ」
「この規模の国だから、目も届くんだろう。王族や貴族と民との距離感も近い。身分とかあまりこだわらないしな」
ルーウェンの感想に、アリシアもヴォルフも同意した。
ルーウェンは更に自国を思い浮かべて続ける。
「そうですね。なんとなくベルハルト王国の規模は、シャウエンの各領地に近い気がします。五大貴族の其々の自治領が、この国の領土と同じ大きさ位ですし。
ただ、多様な文化様式については、うちとは明確に違いますけど」
「そうなんだ……」
「うちは地域によって特性があるんですけど。月家と星家は少し特殊かな?」
「特殊?」
「はい。星家の領地はシャウエンを囲うようにそびえる山々を領地としているのですが、おそらく国でも一番厳しい環境にある為、強い者が尊ばれ、力のない者は住みづらい場所かと。
月家は学問が尊ばれ、研究者が多い領地で……」
「ルーウェンは月家に縁があるの?」
「……いえ。そうだったら、よかったんでしょうけど」
「そう」
なんとも複雑な表情で答えたルーウェンに、短く返したアリシアの声に被せて、ノックと共に料理が運ばれてきた。
見た目も匂いも食欲をそそる皿達に、三人の視線が集中する。
「美味そうだな」
「うん。本当にお勧め」
ヴォルフの機嫌も直ったようだ。
その日は美味しい魚介料理に、三人共満足して食事を終えた。
そしてそれから5日後、一行はベルハルト王国とガダル・ガジャ首長国連邦の国境に立っていた。
「これが大陸の南北を隔てる結界……」
国境に沿ってどこまでも広がる特殊結界を、ルーウェンも当然視認することが出来る。
なんとも不思議な感じのする結界だが、通り抜けには問題ない。
だが冒険者夫婦は、それを越えようとはしなかった。
「そう。これを越えると、私は身体強化以外の魔法が使えない。だから、この先には行けない」
「そうなんですか? 僕の魔法も?」
ルーウェンは試しに短く詠唱して、指先に光を灯してみた。確かにいつもより魔力を多く消費はする感じだが、発動自体は問題なさそうだ。
「この結界は、一部の属性の魔法師と魔道具の力を無効化する結界だ。全員に当てはまる訳じゃないが、俺もそれなりに力を制限される。
だから、悪いがこの先を行くなら、別の護衛を紹介する。腕が良いのが一人いるからな」
「いえ。もう充分です。僕はこの旅でたくさんのことを学びました。それに、そろそろタオの怪我も良くなる頃ですよね。一度戻ろうと思います」
ヴォルフの提案に、ルーウェンは首を横に振った。
本当に、二人のお陰で、短い期間で満足いく旅が出来たと思う。
家族に約束した期限まで、まだまだ時間はあるけれど、ヴォルフ達にシャウエンを案内する約束もある。
そろそろ引き揚げ時だろう。
それにタオの事も気になっていた。
「そう。じゃあ、明日の早朝、この街を立とう。スーリーを呼ぶよ」
そうして、ルーウェンの大陸北部から西部、中央諸国を周遊する旅は、終わりを迎えたのだった。
「アリシア姉様、おかえりなさい」
「先生、ご無事で何よりです。そしてヴォルフ殿、アリシア殿、どうもありがとうございました」
北部の国バジャルタのドワールに戻ってきた三人を迎えたのは、マルシアとすっかり元通りに動いているタオだった。
ルーウェンは早速タオと話し込み、いろいろと確認しているようだ。アレコレ尋ねながら、タオの手足を動かしている。
アリシアはマルシアを抱擁し、背に回した手を軽く叩くようにして妹を労った。
「マルシア、留守中ありがとう。タオも、すっかり回復したね」
「はい。もともと鍛えていた方だったから。それに姉様の施した初期治療も良かったです」
マルシアは大好きな姉に褒められて嬉しそうだ。
そこへルーウェンがやって来た。
「マルシアさん、本当にありがとうございました。あれだけ重傷だったタオが、後遺症なく2ヶ月弱でここまで回復するなんて、あなたは本当に素晴らしい腕を持つ薬師だ」
「いえ、私は姉様達と違って、強くはないから、これくらいしか……」
ルーウェンがマルシアの手を取って礼を言うと、マルシアははにかんだように笑いながら、否定した。
そんな妹に、アリシアは真面目な顔で言い聞かせる。
「マルシア、いつも言うけど、人には向き不向きや個性がある。お前は、薬師として一流だし、誇っていいんだよ? 私達は、いつもお前に助けられている。それにマルシアは別に弱いわけじゃないから」
ルーウェンもそれにおおいに同意する。皆、自分に出来ることをやればいいのだ。強くないからなんて、マルシアが引け目を感じる必要はまったくない。
「そうだよ。あなたの薬は、本当によく効いたと。タオに使った薬のこと、ぜひ僕にも教えて欲しい」
「え? 薬に興味があるんですか?」
彼の言葉に、マルシアはぱあっと表情を明るくしてルーウェンに詰め寄った。彼がマルシアの作る薬に興味を持ってくれたのが、嬉しいらしい。
ルーウェンの鼓動がドキリと跳ね上がったが、それを表に出さないよう、真剣な表情で彼は続けた。
「怪我の回復を促す薬、身体に毒となる細菌を殺す薬、免疫力を上げる薬……僕でも作ることが出来るだろうか?」
「その位でしたら、薬草や材料の知識と、レシピと調剤方法を叩き込めば……1週間位でなんとかなるかも?」
「え?」
どうやらルーウェンは本気で薬の調合を知りたいようだが、叩き込むという台詞と1週間という期間に、驚いたように目を瞬かせた。
彼としては、材料と調合法が記されている書物を読み、不明な点を教えてもらう位の認識だったのだ。
「1週間? マルシア、かなりスパルタなんじゃ?」
アリシアの反応を見ると、1週間でも相当厳しそうだ。
だが、ルーウェンはこの貴重な機会を逃すつもりはない。どれも自国には無い薬だったからだ。この薬を作ることが出来れば、怪我が原因で命を落とす人を減らせるかも知れないのだ。
「やるよ! 必ず習得する。例え3種類でも、きっと皆の役に立つから!」
するとそれまで様子を見ていてヴォルフが、アリシアの横に立った。
「そんなに大変なのか?」
ルーウェンがやる気に満ちているのを見ながら、ヴォルフがアリシアに尋ねる。ハッキリ言って、薬剤の調合を習得するということがどれだけ大変なのか、さっぱりわからない。
「まあね。薬って簡単に言うけど、材料の薬草や素材の知識、薬効作用や副作用、合併症とか、禁忌とか。更に、計量、精製、調剤に至るまで、かなりの知識と技術がいるんだよ。
例え3種類だろうが、1週間で習得するには、寝る間も惜しんでやるくらいじゃないと」
マルシアに向かい合っていたルーウェンが、それを聞いてアリシアを振り返る。
「やります。僕の国にはこれほどの効果のある薬は無いから。タオの話を聞けば、それがどんな貴重な知識と技術かよくわかります。僕にとっては専門外の分野だけど、頑張って身につけて、国に帰って薬師に伝えることは出来るはずだ」
マルシアもまた、アリシアを見た。
「姉様、どうでしょう?」
1週間で詰め込むにしても、ここでは無理だ。知識を得るための書物も無ければ、薬草畑、調剤する為の道具もない。
「……マルシア、エデンに連れて行くということだよね?」
「はい。許してもらえますか?」
マルシアの真剣な眼差しを見て、アリシアは決める。
「エデン?」
ルーウェンが首を傾げて呟いた声に、アリシアは答えた。
「私達が生まれた土地。ヴォルフと私の家もそこにある。行ってみる?」
そういえば、アリシアは山岳地帯に住む少数民族の出身だとヴォルフが言っていたのを、ルーウェンは思い出した。
シャウエンでもそうだが、そういう土地に住む人々は、排他的というか、他の土地の人間に対し警戒心が強い所がある。
「いいのですか?」
ルーウェンは、アリシア達に迷惑にならないか?と、確認する。
「うん。といっても、山間の盆地にある小さな町だよ。これと言って特別なものは、何もないけど」
「行きたいです!」
「外からの人間は、エデンまでしか立ち入れない。過去にいろいろあってね。制約があるんだよ。それでもいい?」
「はい。ちゃんと決まりは守ります。僕達を連れて行って下さい」
そうして、ルーウェンとタオを連れて、アリシア達は翌日、一度エデンへと戻ることになったのである。




