追いかけるヴォルフ
「初めてお目にかかるヴォルフガイン殿」
ヴォルフは、ベルハルト王国の国王を訪ね、その執務室に通された。
ベルハルト国王コンラートは、帝国の元皇帝ヴォルフガインが退位した後のその後を知る、数少ない人物の一人である。この国では、国王と王太子の二人だけが、真実を知っていた。だがその国王も、元皇帝本人とこうして出会って話すのは初めてだ。
「俺は一介の冒険者だ。ヴォルフでいい」
とても一介の冒険者には思えない威厳を持って、そう言ったヴォルフに、コンラートは小さく笑みを溢す。
「……そうですか。ではヴォルフ、女王陛下はお元気ですか」
アリシアを思い出しながら穏やかにコンラートが尋ねると、ヴォルフもまた、口元に笑みを浮かべつつ肩を竦めて答える。
「ここしばらく会ってないが、無事ではあるようだ」
「そうですか。して、私に尋ねたいこととは?」
どうやらヴォルフはアリシアと別行動中らしい。今日は、コンラートに尋ねたいことがあるから、と面会を申し込まれたのだ。
ヴォルフはコンラートをまっすぐに見据えると、口調を改めて、言葉を続けた。
「俺が知らないレーヴェルランドについて」
コンラートは少々疑問に思う。
「貴方は現女王と恋仲だ。私が貴方以上に知ることなど……」
だが、ヴォルフは首を横に振って、言葉を続ける。
「女王の聖石と神について。あとは陛下の知る南部の情報を」
「……なるほど」
アリシアは、ヴォルフにそれ程詳しくは、レーヴェルランドについて明かしてはいなかったらしい。
だが、彼が何事もなくここにやって来たということは、おそらくヴォルフがそれを知ることを女王が認めているということなのだろう。
コンラートの脳裏に、かつてのレーヴェルランド女王であった妻ハーミリアの姿が浮かんだ。
「コンラート、セシルの為に、私の代わりに覚えておいて。聖石を失くせば、私がレーヴェルランドの女王だったことや、女王の子としてレーヴェルランドで育てているセシルのことも、全て忘れてしまう。だから、貴方にちゃんと覚えていて欲しいの。セシルのことや、レーヴェルランドのこと、女王だった私のことも。それが私が聖石を捨てて、貴方に嫁ぐ条件よ」
かつて、ハーミリアが愛おしくて、どうしても手放せなかったコンラートは、ハーミリアの女王としての記憶と力、そして二人の第一子であるセシルを捨てさせることになっても、彼女が欲しかった。
20歳の時にハーミリアと初めて出会ったコンラートは、4歳年上の明るくて、前向きで、おおらかで、愛情深い彼女が、どうしようもなく大好きで、彼女とずっと共にいたかったのだ。互いの立場を知りながら、別れを告げられず、ハーミリアを追いかけるようにして交際を続け、4年経ってもそれは変わらず、いよいよコンラートがベルハルト王国の王位を継ぐことになって二人で出した結論は、ハーミリアが聖石を捨て、ベルハルトに嫁ぐということだった。
二人の結婚を機に、ハーミリアは女王であったときの記憶を全て失ってしまった。二人の最初の娘であるセシルのことも。それでも、その全てをコンラート一人が背負うことになっても、この数十年コンラートはこの選択に後悔はなかった。セシルを手元で育てられなかったことだけが心残りであり、申し訳ないと思ってはいるが。
ハーミリアとそして二人の息子達、3年前にはセシルの息子も迎え入れ、コンラートとハーミリアは幸せだったのだ。
今、目の前にいるヴォルフガイン元帝国皇帝は、彼と同じ様にレーヴェルランドの女王を愛しながらも、皇帝の地位を捨て、女王の側にいることを選んだ男だ。
選び取った道は違っても、アリシアとヴォルフにもまた、幸せになって欲しいとコンラートは思う。
コンラートは目を伏せ、遠い記憶を思い出しながら、言葉を紡ぐ。
「レーヴェルランドにとっての神とは……この大陸の創造主のことで、女神だったそうです。
女神はやがて命尽きる時に、この大陸の平穏を願い、当時の巫女の一族だったレーヴェルランドの民たちに、女神の力と願いを託しました。その大き過ぎる力が大陸の混乱を招かないように、いくつかの制約をつけて。
聖石とは、女神の残留意識と力が、巫女たちに分けられた証で、祝福と呼ばれています。聖石に込められた神の意識や力を分散してそれぞれの身体に宿していて、女王の聖石はその主軸根幹となっているのです。
また女神の制約を元に、彼女らは独特の文化とシステムを作り上げました。
レーヴェルランドの民達が、その数を大きく増やしも減らしもせず、長い歴史を生き抜いてこれたのも、その制約と祝福があったからでしょう。
彼女らにとって、神は祈る対象ではなく、もう存在しない女神の力と意識を継ぐもの、分身のような感覚なのでしょうな」
「神はもう存在していない、だから私達がいる……か。なるほどな」
ヴォルフは、先日のリーリアの台詞の意味を理解した。なるほど、どうやらヴォルフは、アリシアの掌の上にいるらしい。そして、ベルハルト国王を訪ねてきたことは、どうやら正解だったようだ。
「あと、最近の南部の情勢が知りたい」
アリシアがこのひと月程、南部に留まり続けているのが、気にかかる。
「南部は3年前の戦争以来、レーヴェルランドについての情報を集めていました。可能な限りは対処しましたが、どうやらテイラーというS級冒険者がレーヴェルランドの戦士であることを知り、南部で活動していた彼女をマークしていたようです」
「テイラー、だと?」
聞き覚えがありすぎる名前に、ヴォルフは顔を上げた。大陸に三人いるというS級冒険者のうち、アリシアとセフィロス以外の一人が、テイラーという名だったのか、とヴォルフは初めて知った。
「はい。彼女は、先の戦争にも参加していました。ですが、約1ヶ月程前から、消息不明だそうで。
あと、ガダル・ガジャが最近レーヴェルランドを警戒していることと、なにやら軍を動かす準備をしているらしいと」
「不穏だな」
アリシアは、どうやらただならぬ状況に巻き込まれているらしい。
ヴォルフは念の為、ベルハルト王国の意志を尋ねる。
「一つ確認しても? ベルハルト王国はレーヴェルランドを庇護する気があるか?」
「もちろん。我々程彼の国に恩がある国はないでしょう」
迷いなく頷いたコンラートに、ヴォルフは満足して立ち上がる。
どうやら忙しくなりそうだった。
数日後の夜、ヴォルフはガダル・ガジャのある一軒家を訪ねていた。
「やっぱり来たか」
ウンザリしたようにヴォルフを迎えたのは、もう一人のS級冒険者、セフィロスだった。
「やっぱり……ときたか。待たせたか?」
ヴォルフが片側の口角を上げてそう答えると、セフィロスは肩を竦めて、ヴォルフを中へと招き入れる。
「いや。おおむね予想通りだ」
そう言って、顎で近くの椅子を示す。
どうやらそこに座れということらしい。
「相変わらず、気に食わない男だ」
ヴォルフが小声で溢すと、セフィロスは横目でジロリとヴォルフを眺めて、言い返す。
「お前もな。ずいぶんと強くなったようだ。ますますイヤな男だ。3年前と変わってなければ、アリシアは俺が貰っていこうかと思っていた」
アリシアの名とセフィロスの台詞に、ヴォルフはやはりな、とため息をついて、若干面白くなさそうに続ける。
「……アリシアも来たんだな」
ヴォルフの確認に、セフィロスは内心「相変わらず嫉妬深いヤツだ」と嗤って、彼を更に煽ってやる。
「もちろん。言っただろ? 俺とアリシアは唯一の同類だって。アイツの真の理解者は俺だからな」
「言ってろ。で、アリシアとガダル・ガジャの近況はどうなってる?」
ヴォルフは、腹は立てているらしいが、挑発に乗っては来なかった。3年前に比べると、少しは余裕も持てるようになったか……と、そのままセフィロスは続ける。
「ガジャの首長サルマンドが、最近ハレムに入れた女に求婚している。寵愛も深いそうで、あと2カ月ほどで結婚式だそうだ」
「……アリシアだな? で、レーヴェルランドと軍の動きはどうなってる?」
「揺らがないのも、面白くないな。なんで俺が、わざわざそれをお前に教えてやらなきゃいけないんだ?」
当たり前だ。アリシアはヴォルフに待っていろと言った。それに女王として動いているとも。
ならばこれは心変わりなどではなく、何らかの作戦遂行中だ。
ヴォルフに出来ることは、アリシアの助けになること。
「俺は、アリシアを守るために来た。お前にアリシアを害する気が無いなら、ここで協力したほうが得策だ」
だから、ヴォルフはセフィロスに手を組むことを提案した。
「一理あるな。だが、どう考えても俺にメリットはない。だから、そうだな。お前が俺に勝ったら、協力しよう」
どうやら、理由付けが必要らしい。素直じゃないヤツと言ってやりたいが、ヴォルフが逆の立場なら、同様に返すだろうことも理解できた。
それにヴォルフも確かめておきたかった。
セフィロスと自分の、どちらが強いのかを。
「まあ、そうなるな。いいぜ望むところだ。いい憂さ晴らしにもなる。あ、後もう一つ、俺が勝ったら、お前のことも全部話せ」
「何?」
ヴォルフが付けた条件に、胡乱げにセフィロスが睨みつける。
「お前がこの大陸にいる理由をな」
セフィロスの気配が、獰猛なそれに変わる。
「ほう。では俺が勝ったら、お前はアリシアを手放せ。それが条件だ」
ヴォルフは、アリシアを手放せない。だからこの勝負、なんとしてもヴォルフが勝てばいいだけだ。
「いいだろう。じゃあ、行こうぜ」
ヴォルフはそう言うと、セフィロスと戦う為に、共に家を出た。




