ガダル・ガジャ国王の寵姫
「シェリル殿だ」
「初めて見る顔だが、一体」
「陛下のハレムに最近入ったお方だ。なんてお美しい」
「陛下が見初めて、ハレムに連れ帰ったらしい。帝国出身の元騎士だそうだ。なんでも国王自ら求婚されたとか」
「サルマンド王のご寵愛が深いのね。羨ましいこと」
夜会のざわつきの中、人々が噂をするのは国王が共に連れている美しい女性のことだ。
ガダル・ガジャの中でも有力な家や豪商が集められたこの夜会に、今夜国王でもあり南部地域の首長でもあるサルマンド・ユージーン・カジャが、妻ではない女性を伴って現れた。
頭に薄絹のベールを被ってはいるが、隠しきれない美貌や所作の美しさが人の目を惹きつける。
その女性についての様々な噂話を耳に入れながら、会場の片隅で酒杯を傾ける二人の男がいた。
「いいのか? セフィロス。お前の妻なんだろう?」
「もちろん、良くはありませんよ。でも、平民出身の冒険者には、どうしようもないことだ。ただ、今日は妻と話せると聞いてきたので」
一人はこの国一の商会の商会長、もう一人はその商会に度々護衛として雇われているS級冒険者であるセフィロスだ。左眼を眼帯で覆ってはいるが、蒼銀の髪に金瞳の体格のいい美丈夫が正装で立っているため、会場の隅ながらもチラホラと視線を集めている。
「よりによって国王陛下に目をつけられたのは、運が悪かったな。推薦状が仇になっちまった」
「いや。アンタのせいじゃない。こっちから頼んだことだったからな。まさかこんな事になるなんて思ってもみなかったが……」
目を伏せたセフィロスにかける言葉を無くして、商会長は国王と並び立つセフィロスの元妻に目を向けた。
遡ること15日程前。
アリシアは、テイラーの死因と南部首長国の王の動きを探るため、ガダル・ガジャの冒険者ギルドにセフィロスとの面会を申し込んだ。
ギルドからはすぐに連絡があり、落ち合う場所を知らされる。そこは現在セフィロスが拠点としている小さな一軒家だった。
アリシアがその家を訪ねると、セフィロスは以前と全く変わらない様子で彼女を迎え入れてくれた。
「久しぶりだな。3年になるか? またいい女になったじゃないか。あ、適当に座ってくれ」
アリシアはセフィロスに促されるまま、テーブルを挟んで彼の向かいに腰掛ける。
軽口を叩くセフィロスに、変わらないなと思いながら、いつもの無表情で答える。
「どうも。同じ台詞を前にも聞いたよ。セフィロスは変わらない」
「変わらず男前で、若いってことだろ?」
「……本当に、変わらない」
やや呆れて答えたアリシアに、セフィロスは言葉を切って、アリシアの瞳を覗き込んだ。
「あの男はどうした? 別れたのか?」
ヴォルフのことを尋ねられたアリシアは、即座に否定する。
「別れてないよ。今は、北部にいる。今日は女王の仕事で来た」
ヴォルフはアリシアの半身だ。互いに唯一と決めている。この男も、それを知っていて軽口を叩くのだ。
だからセフィロスもすぐに、わかっている、というように頷いた。
「テイラーの件だな」
「そう。セフィロスには感謝を」
テイラーの遺体の周囲に保護のための結界をかけてくれていたことに、アリシアは感謝する。
「テイラーとは昔縁があったからな。残念ながら、俺が駆けつけたときは遅かったが……」
もう8年程前になるが、テイラーとセフィロスは一時期男女の仲だった。
セフィロスはアリシアの同類だ。アリシアがヴォルフのことを感じ取れるように、魔力を交わらせた者同士、セフィロスもテイラーの最期を感じ取ったのだろう。
「お陰様で、綺麗なままで葬ってあげられた」
「お前のことだから、テイラーに起こった事はそこそこ情報もつかんでるんだろ?」
「それでもお前程じゃない。セフィロス、アレは何?」
魔法封じの魔道具はもともとあった。それは手枷のような形態で罪人に着けるものだ。だが、テイラーの傍らに打ち捨てられていたものは違う。あれは聖石の力を押さえ込むものであり、近くで発動すればある程度の範囲に影響を及ぼすものらしい。
「ガジャには優秀な魔道具師がいてな。聖石の対抗策を研究していたのさ。ベルハルト王国がカルディス帝国を退けたあの戦争以来な」
「うちの戦士たちは、南部では魔獣討伐や護衛依頼しかこなしていなかったはず」
「そうだな。だが、テイラーはソロで目立ち過ぎた。目を付けられていたのさ。お前達にその気がなくても、3年前、小国が傭兵を雇って勝ち目のない戦争に大勝利だ。ガダル・ガジャの国王はそこそこ切れ者だ。お前達の真実を何も知らなかったからこそ、脅威に思ったんだろう」
アリシアは、しばらく考え込むように目を伏せる。そして、確認するように、セフィロスを見た。
「テイラーは、裏でガジャが絡んでいた依頼を、おそらく知らないうちに受けていた?」
「もしかしたら、それもあるんだろうが。テイラーが最近付き合っていた男が、サルマンド・ユージーン・カジャの側近でな。一度忠告はしたんだが……」
「そう。いろいろ、ありがとう」
おそらくだが、テイラーはセフィロスの忠告を無視したのだろう。それでも、彼女を気に掛けてくれていたセフィロスに、アリシアは感謝した。
「まあ、俺もお前達の同類だからな。人よりもコッチよりなだけだ。ついでにお前が俺の子を産んでくれるなら、全面的に協力するぞ?」
「産まないよ!」
まるで気にするなと言うように、言葉遊びのような口説き文句を続けたセフィロスに、アリシアはいつものようにピシャリと断った。
「ハハハ……まあ、気長に口説くさ。それより、気をつけろよ。ガジャの宮殿に潜り込むんだろ?」
急に変えられた話題は、今日アリシアがここにやって来た本題だった。
「うん。ガジャの国王を見極めたい。あとは例の魔道具のことも探らないと」
「そうだな。だが、アリシア、決して油断するな。お前の行動と力は、この大陸の運命を左右することを自覚しろ」
「わかってる。セフィロス、これ見てくれる?」
アリシアはそう言って、一枚の紙を取り出し、セフィロスに渡す。彼は、それを受け取ってざっと目を走らせた。
「王宮ハレムの護衛官を募集か」
「そう。これに応募しようかと思って。ただ、王宮内の警備なだけあって、身元の保証と推薦状が必要で、どうにかならないかと相談に来た」
セフィロスは「高くつくぞ」と言いながらも、そんなアリシアの為にいろいろと相談に乗ってくれた。
結果、カルディス帝国の貴族子女で騎士をしていた女が、セフィロスと出会い駆け落ちして結婚、こっちで職を探しているという触れ込みで、彼が懇意にしている商会長から推薦状を取ってくれることになったのである。
もちろん、「カルディス帝国に身元を照会されてもいいように、根回ししとけ。レーヴェルランドの者だと絶対に悟られるなよ」とも念を押された。
こちらはレオンハルトに連絡することにする。
かくしてアリシアはシェリルと名乗り、その後王宮で行われた選考試験で、無事にハレムの護衛武官として採用が決まった。
しかし全く予想外だったのは、その数日後、セフィロスがいきなり王宮から呼び出され、アリシアと離縁するように命じられたことだった。
さすがに状況がわからず、聞き入れられないとセフィロスが反発すると、破格の金額での慰謝料の提示と、従わなければガダル・ガジャでの冒険者活動を禁止すると言われ、アリシアと一度二人で話をさせてもらうことを条件に、この命令を了承したのだった。
それがこの夜会の後に設定された為、セフィロスは推薦状を用意してくれた商会長とここにやってきたわけだ。
そして今、アリシアと二人でいるこの部屋の外には多くの警備兵を置かれ、半時間までと時間制限までされた上で、セフィロスとアリシアは向かい合っている。
バルコニーに面したガラス扉の向こうに視線を向けると、庭のガゼボでは、国王が茶を飲みながらこちらを覗っていた。
セフィロスは、防音結界と、唇が読まれない程度に認識阻害魔法をかけた上で、口を開いた。
一応、それらしくアリシアの右手を握りつつ、という芝居付きだ。
「驚いたぞ? 随分と国王に気に入られたらしいな。すごい警戒だが、あの王には妻子もいるだろ?」
「私も何が起こったのかよくわからないよ。ハレムの護衛武官として採用された筈なんだけど、いきなり求婚されてハレムに入れられた。多少やりにくくなったけど、情報収集は出来るからしばらくはいるつもり。ただ、サルマンドの熱量が困る。ホント、妻が4人もいるのに、何なんだろうね。夫を愛してるから、と断ってはいるんだけど」
「その仮の夫に、多額の慰謝料と脅しが来て、お前と離縁しろと命じられたぞ。これがお前と話が出来る最後の機会だって言われてな。お前の目的が達成したら、さっさと撤退だな。お前の男に怒られるのは覚悟しとけ。アイツはかなり狭量だぞ」
「わかってる。ヴォルフを裏切ることはないよ。大丈夫。助けが必要なら呼べって言われてるし」
「聖石の事はバレてないか?」
「自分の身体強化魔法だけなら、聖石は現出しないからね。他の魔法は一切使えないことにしてる。結構不便だけど、誰もいない場所なら問題ないから、多分大丈夫」
「そうか。じゃあ俺は、慰謝料貰って、泣く泣く妻と縁を切らされた夫でも演じとくよ」
「うん。いいんじゃない? 手切れ金で良い物でも食べて? 私も、夫に見放されて哀しみに暮れる妻でも演じとく。せめてサーモン料理くらいは強請ってもバチは当たらないよね?」
「……ずいぶんと安い哀しみの暮れ方だな。だが、本当に気をつけろよ? 特に王の妻達には、油断するな」
「わかってる。セフィロスも気をつけて。国王の本気具合がわからないけど、視線を合わせて人の感情を読む特殊な魔法の使い手だから」
「なるほどな。まあ、俺達には効かないだろうが、気をつけておく。そろそろ、戻った方がいい」
「うん。じゃあ……」
アリシアが立ち上がる。セフィロスはアリシアの右手を取り、彼女の前に跪いて顔を上げ、結界と認識阻害を解除した。
二人がそのまま見つめ合っていると、庭に続くガラス扉が開き、国王が入ってきた。
「話し合いは終わったようだな、シェリル」
国王の声にシェリルと呼ばれたアリシアが、彼を見る。セフィロスは、彼女の手を離し、頭を下げ目を伏せた。国王は一瞬セフィロスに視線を向けたが、すぐにアリシアの側に寄り、彼女の肩を抱き寄せる。素直にそれを受け入れたアリシアもまた、軽く目を伏せた。
「はい。もう、行きます」
アリシアは、入室してきた護衛に囲まれ、国王に連れられ、部屋を出ていった。




