旧鉱山の採掘場
夜明け間もない時刻。
朝靄がかかり、北の山の初秋はかなり冷える。
「ヴォルフは身体強化かけていくでしょ? 一応防護結界は二人分かけるね」
アリシアがなんてことないように言うと、まるで身体に沿ってぴたりと膜が張られたような感覚で、寒さから遮断された。
「いつも思うが、魔法の多重行使は、便利だよな」
「うん。これが自然だったから何とも思っていなかったけど、こうしてレーヴェルランド以外の誰かと旅をすると実感する。でも、魔道具で結構代替出来てるんじゃない?」
アリシアが、ヴォルフの左手中指を見た。
ヴォルフは今、銀髪蒼眼で隻眼を装っている。本来の黒髪紅眼から、その色を変える魔道具を使っているためだ。
魔道具とは、魔鉱石に魔法術式を刻み込み、使用者の魔力を流すことにより、その効果を発揮する道具である。
魔法術式は、魔法師や魔道具師が法則に基づいて刻んだ術式で、一般化されているものから特殊なものまで様々だ。中でも容姿を変える魔道具は、犯罪に使われる可能性が高い為開発が制限されており、更に術式も複雑な上、使用者に結構な魔力がないと発動しないため、かなり特殊な魔道具と言える。
ヴォルフの持つ、瞳と髪の色を変える指輪型魔道具は、帝国の筆頭魔法師であるエドウィンが改良に改良を重ねて作った一点物で、微量な魔力で効果を維持できる優れもので、魔鉱石も最上級の物を使っている。
市販品の魔道具だと、ランプや調理器具、上下水道に関わるものや、冷暖房など、使用者が魔力を流せば一定時間効果が持続するものが多く、術式も単純で程度の低い魔鉱石でも不自由なく使える。
また、アリシアの腕輪やヴォルフのウエストポーチのようにストレージ機能のある魔道具は、その魔鉱石の質や刻まれた術式により、大きく容量と機能を変える。二人の持つ物はどちらも最高級品であるため、微量な魔力使用にも関わらず、容量も機能も素晴らしい一品だ。
「まあ、そうなんだが、魔道具は仕込みありきだろ? 結界1つにしたって状況によって使い方も変わる。そうやって無詠唱で使えるのも、便利だしな」
そう言いながら、ヴォルフは自分に張られた結界を確認し、短く詠唱して自身には身体強化をかけた。
アリシアはそれを横目で見ながら、目の下まで顔を覆う布を引き上げる。
「行くぞ」
「ん。先行する」
道のない木々が立つ山中へと、二人はアリシアを先頭にして走り出す。途中の森林限界線までは、それなりに木々もあり、視界も悪い。
「来る」
「ああ。先頭の2頭は任せた」
「了解」
木々の間を走り抜けつつ、途中で魔獣に出くわす。
クマ型魔獣のオウルベアが5頭だ。
アリシアはヴォルフに頷き、先頭の2頭に向い双剣を抜き対峙した。
ヴォルフはアリシアを追い抜き、後方の3頭を相手にする。まずはすれ違いざまに、大剣で1頭の首をはねた。そして、意外と素早い動作で襲ってくる2頭の、片方は心臓を一突き、そしてもう1頭は振り向きざまに腹を横薙ぎにして、胴体を真っ二つにした。魔獣の血が飛び散るが、結界に阻まれてヴォルフは綺麗なままだ。
振り返ると、アリシアが相手にしていた2頭は、大きな傷もなく倒れている。
1分にも満たない、あっという間の殲滅だった。
「身体強化しているとは言え、すごい馬鹿力」
アリシアもヴォルフを見ながら、呆れたように言った。
「お前こそ、オウルベアの頭蓋骨っていうのは、結構硬いんだぞ?」
アリシアが屠った2頭は、眉間を一突きされて絶命していた。
「魔法も使ったよ」
電撃魔法を剣に纏わせたらしい。
相変わらず魔法の使い所が上手い。
なかなかの高級素材となるため、胴体を真っ二つにしたもの以外は、ストレージに収納しておく。
残った1頭は、アリシアが「なんだか汚い……」と言いながら、焼き払って処分した。
この後も、何度か魔獣の襲撃を受けながら難なく倒して、二人は森林限界線を越え、ゴツゴツした岩肌や茶色くなった枯草が覆う山の中腹へと到達した。
時刻は、昼下がりの頃。
「多分、ここからしばらく西に向かった辺りに、鉱山道の入り口があるよ」
アリシアは地図を取り出して、太陽と山の頂を眺めながら言った。
「そうだな。だがこの辺りは、だいぶ見晴らしがいい。視力強化して、相手から発見されないようにして近づくぞ」
「認識阻害かけようか? 発見されにくくなると思う。ヴォルフとは離れられないけど」
そう言ってアリシアはヴォルフに並び、その手を取る。アリシアの魔力が二人を囲うように覆ったのを、ヴォルフは感じた。だが、それがどう認識阻害になっているかはわからない。
「どういう仕組みなんだ?」
「う〜ん。こうして二人の周りに光を曲げて透明に見えるように布を廻らすみたいに……で、その布に周囲の背景を映している感じ? 遠目なら分からないと思う。近くだと魔法の気配とかで気づかれちゃうと思うけど」
首を傾げながら、そう説明したアリシアに、なんとなく意味を理解したヴォルフは
「やはり便利だな、多重行使」
と、呟いた。
本気で魔法の二重行使を身につけるか、と考えながら、アリシアに促され歩き出す。
小一時間も歩くと、前方やや低めの場所に壁で覆われた場所が見えてきた。整備された登山道も確認できる。
「おい、あれだよな?」
元の魔鉱石鉱山の坑道入り口は、割と標高が高めの見晴らしのいい場所にあった。登山道の終点にあるその場所は、魔獣の襲撃に備えて囲いを作り、内には領軍や鉱夫が滞在宿泊する為の設備もあり、小さな集落のようでもある。今となっては鉱夫達は居ないものの、領軍は、この場所に集まって来る強力な魔獣が万が一にも領都に下りてこないよう、登山道を中心に巡回警備をしつつ、討伐しているのである。
当初ヴォルフとアリシアは、日中に集落地近くまで登り、日が暮れる頃に坑道周辺の内部の様子を窺う予定だった。
「認識阻害かけていれば、集落には結構近づいても大丈夫そうだな」
「うん。でも、先にもう少し高いところから、全体を把握してもいいかもね? 行くよ」
そうして二人は、集落を迂回するように山を登っていく。
途中、集落に近づく魔獣が見えた。
「……アリシア、地竜だ」
上級上位魔獣の地竜が3頭、坑道入り口に向かっている。
アリシアは立ち止まるとヴォルフを促して、身を伏せた。
「気配を消して、やり過ごそう。領軍の出方も見たいしね」
「そうだな」
岩場の上に伏せた二人は、文字通り高みの見物だ。
「領軍も気づいたみたいだね」
「ああ、だが様子がおかしくないか? 領軍以外の奴らも出て来たぞ?」
明らかに統一された装備の兵士の他に、黒っぽい防具をつけた装備にばらつきのある戦闘員が同行している。アリシアとヴォルフが目を凝らす。
「民兵? 鉱夫では無さそう。領軍以外の戦力があるってことか。冒険者とか傭兵って雰囲気でも無さそうだね。手に持っている武器も変わってる」
「⁉……あれは」
アリシアの分析を黙って聞きながら、じっと領軍兵士と民兵らしき戦闘員を見ていたヴォルフが、思わずといったように声を上げた。
「知ってるの?」
「知ってるなんてもんじゃないな。なるほど、そういうことか」
アリシアがヴォルフを振り返って見上げるが、ヴォルフは忌々しさを隠さない表情で、彼らから目を逸らさずに答えた。
「ふうん。詳細はまた聞くとして。上級上位魔獣3頭を相手に、領軍とあの集団合わせて30くらい? 大丈夫かな?」
アリシアも再び地竜と兵達に視線を向けた。
心配しているらしい彼女に、ヴォルフは尋ねる。
「ちなみにお前は大丈夫なのか?」
「もちろん。一人でも全く問題なし。ヴォルフは?」
「一対一なら問題無い。2頭でも梃子摺りはするが何とかなるな……3頭となれば魔法師の助けがいるか。ま、逃げていいなら、問題なし」
「なんていうか、ヴォルフは、普通の人間にしてはかなり強いよね。そして、自分の力を知っていて、ちゃんと退却も選べる」
「それが出来ないと、生き残れない環境にいたからな」
苦笑を浮かべて答えたヴォルフを、アリシアはチラリと横目で見たが、すぐに視線を戻した。
「そう……あ、始まったよ」
領軍と民兵達による地竜討伐が始まった。
民兵が何やら筒状の魔道具を構えて、そこから強力な火炎を放射し地竜を攻撃する。硬い鱗で覆われた地竜も、さすがに火炎を防ぎ切れずブスブスと焦げ臭い匂いが辺りに漂った。痛みで連係どころでなくなった竜たちに、今度は領軍が効率よく攻撃を加えていく。
「攻撃系の魔道具だ。あの地竜の鱗を焦がすなんて、なかなかの火力だね」
「そうだな。武器系の魔道具開発は、国の許可がいるんだが、あのタイプは初めて見る」
アリシアの感嘆にヴォルフが答えたが、その表情は厳しい。
「てことは、無許可で開発? 他にも、あれも厄介そうな魔道具だね? なんかいろいろきな臭い感じ」
電撃系の捕縛用魔道具らしきものを指差して、アリシアが続けた。雷のような電撃をバチバチとさせ、地竜の足元に纏い付かせて足止めする。そこに領軍の攻撃を集中させ、1頭倒した。
「問題は、領主がどこまで把握しているか、だな」
残り2頭との戦闘を見ながら、ヴォルフが渋い顔で呟く。
「うん。状況からしてディングは黒だろうけど、領主はなんとも言えないね。どうする?この隙に忍び込む?夜まで待つ?」
アリシアが立ち上がりながら一応そう確認するが、すでに忍び込む気満々だ。ヴォルフにも異存はない。
「地竜に対峙している分手薄だな。行くか」
「了解」
二人は認識阻害魔法をかけたまま走り出す。討伐隊の後方からまわりこみ、堂々と坑道入り口を囲む集落に潜り込んだ。
討伐に集中している領軍達は気づかない。
二人は集落を突っ切り坑道に入り込んだところで、周囲に人がいないことを確認し、アリシアが認識阻害を解除した。
坑道内は明かりが灯され、奥へと続いている。坑道の入口手前には二階建てのやや大き目の建物があり、人の気配もあった。
集落が領軍の駐屯地だとすると、入口に建つ建物は、先程の民兵達の宿舎だろうか。
「領軍じゃない、あの民兵達って、何者?」
まるで迷路のように枝分かれした坑道内を、地属性魔法で探りつつ、気配を辿り奥へと進みながら、アリシアは小声でヴォルフに尋ねた。
「旧メッシーナ国、王家直属の元暗部組織の生き残り。独特の武器を使うが、武器のどこかに鈴蘭の刻印をいれている。滅ぼされたメッシーナ王家の無念を晴らすべく、奴らを根絶やしにした帝国元皇帝の命を未だに狙っている」
淡々と他人事のように告げたヴォルフに、アリシアはため息をついた。帝国元皇帝とは、ヴォルフのことだ。そして、旧メッシーナの暗部組織の件は、魔鉱石の調査と一緒に出されたもう一つの依頼だ。
「そっか。恨みをかってるんだね、ヴォルフ」
「まあ、お互い様なんだが……なかなか執念深い奴らだ。と言っても、国が滅亡してまだ10年ぐらいだ。もしかしたら、俺達が知らないメッシーナ王族に連なる者がいたのかも知れないしな。ま、こんな連鎖は早々に断つに限る」
軽く肩を竦めて見せたヴォルフは、一見普段と変わらないように見えるが言っていることは物騒だ。アリシアには上手く言語化出来ないが、なんとなく纏う雰囲気もいつもの彼とは違う。
あの民兵達……いや、メッシーナ暗部組織の生き残りとやらを、おそらく1人残さず始末するつもりなのだろう。
「……血濡れ皇帝か。決して大袈裟じゃないんだね」
アリシアは、ヴォルフのこれまでを想いながら思わず口にしていた。
人は多くの顔を持っているが、アリシアが知るのはヴォルフの一面だ。
アリシアの中でのヴォルフは、冷静に国を導いて行ける統治者としての彼と、家族や近しい人間に情を持って接する彼だ。アリシアに対するヴォルフは、いつだって彼女を気遣い守ろうとしてくれ、時々熱を持った視線を向けてくる1人の男だ。肩を並べ、時には互いの背を預けて戦える、心強い仲間でもある。
でも、このヴォルフは初めて見る。
戦場で初めて彼と出会ったときですら、こんな感じではなかったと思う。
「帝国は、変わる。それでいい。そして、負の遺物を処分するのは俺の役目だ」
やがて見えてきた地中に造られた広い空間のやや手前で足を止め、気配を消して窺いながら、ヴォルフはアリシアに言い聞かせるように静かに呟いた。




