変化した関係
さすがに今日一日は移動してきたので、アリシアを気遣い、鉱山に行くのは明日にするか、とヴォルフはフェルナンに宿の紹介を頼んだ。
すると、案内がてら夕食を奢ると言われたので、三人は基地を出て街の繁華街へと向かっている。
「見ての通り、女の子には面白みのない街だけどな。郷土料理の上手い店がある。ちょっと店の雰囲気はなんだが、まああんまり気にするな。あと、ヴォルフ、お前のことはガインで良いのか?」
「ああ。頼む」
先に宿に寄り部屋を押さえると、三人はその足で食堂へと向かう。宿から数分のところにある、賑やかな酒場兼食堂といった感じの店だ。
「いらっしゃい。あらフェルナン、今日は見慣れない方を連れているのね」
フェルナン達が店に入ると、色気のある美女から声をかけられる。身に纏っている物も、なんというか胸の大きさと腹部の細さを強調する服だ。
フェルナンが口角を上げて、二人を紹介する。
「ああ。友人のガインと連れのアリシアだ」
「あらぁ、イイ男。それに、嫌だわ、こんな綺麗な娘連れてきて! 店の女の子達が霞んじゃうじゃない」
シャロンが、ヴォルフとアリシアの容姿を褒めながら、フェルナンに言った。
「いやいや、シャロン姐さんの色気には敵わないよ」
「フェルナン、お前が言うな。アリシア、行くぞ」
デレっと彼女に返したフェルナンに、ヴォルフは呆れたように突っ込むと、アリシアの背に手を回す。
「こういうところ、フェルナンはデリカシーないわよねえ。ごめんなさい、お嬢さん。どうぞこちらよ」
シャロンは眉を下げてアリシアを見ると、アリシアは小さく首を振ってシャロンに答えた。
「ありがとう、シャロン」
席に案内されながら、フェルナンが適当に料理を注文していく。シャロンはそれを聞いて、皆が席に着くのを確認してから厨房に引っ込んだ。
「お前な、いくら飯が美味いからって、連れ込み宿を兼用している店にコイツを連れてくるか?」
ヴォルフはジトリとフェルナンを見ながら言った。アリシアはぐるっと周囲を見回して、ああやっぱりそういう場所なんだ……と妙に納得する。
「別に構わないだろ? この辺りはそういう店が多いしな。アリシアちゃんも腕に覚えがありそうだし、俺達もいるから、トラブルにはならんだろ」
しれっと答えたフェルナンに、確かにアリシアがトラブルに巻き込まれることは無いだろうが、別の面倒事に巻き込まれそうだと、ヴォルフは肩をすくめる。
そして、それは早速やって来た。
「はい、お待たせ。エール三杯ね〜。こっちは、おつまみよ。ねえ、フェルナンさん、こちらのお兄さん素敵ねえ」
「俺の悪友、ガインだよ」
エールを持ってきた給仕の女性が、それをテーブルに並べながらヴォルフを流し見ると、さり気なく身体を寄せ、豊満な胸を彼の腕に押し付けた。人工的な甘ったるい匂いが、ヴォルフの鼻を擽る。
「ガインさん、食事の後、良かったらデザートに私はどう? サービスしちゃう」
「……悪いが間に合っている」
囁いた女に、ため息をこぼして答えたヴォルフが、視線を感じて隣を見ると、アリシアの瞳が何か言いたげにこちらを見上げている。それに苦笑して、ヴォルフはアリシアの髪を一房取り、口づけた。
「そぉ? じゃあフェルナンさんどうかしら?」
それを目で追っていた給仕の女性は、あっさりとフェルナンに向き直ると、彼を誘う。
「ミナちゃん、ついでみたいに言わないで〜」
情けない声を上げてそう言ったフェルナンを、ヴォルフは冷たい目で見て嗤った。
ミナが立ち去ると、今度は頼んだ料理を持ったシャロンがやってくる。
大鍋料理をテーブルの真ん中に置き、それぞれの器によそって三人の前に置いてくれた。
「はい。当店の看板メニューよ。どうぞ」
促されて、アリシアは一口口に入れる。身体が温まる複雑な味わいの出汁に、肉や野菜がごった煮のように浮かんでいる。思わず顔を綻ばせたアリシアを見て、他の小皿料理を並べながらシャロンが微笑んだ。
「アリシアさんお味はいかが?」
「美味しい。これは?」
「猪肉の鍋料理なの。根菜類やキノコと合わせて煮込んだのよ。お口に合ってよかったわ」
「たしかに上手いな」
ヴォルフも出汁を掬って飲みこむと、軽く目を瞠る。二人の様子を見て、シャロンはヴォルフに言った。
「ふふ……かわいいお嬢さんね」
「ああ、自慢の妻だ」
シャロンの言葉に、ヴォルフが穏やかな笑顔でアリシアを見ながら答えた。
ヴォルフはこれ以上余計な客引きは無用とばかりに、シャロンにさり気なく二人の関係を伝えておく。
(なんだよ。ヴォルフのヤツ、ベタ惚れじゃないか)
フェルナンは、初めて見るヴォルフの様子に戸惑いを隠せない。こんな奴だったか?と、いつもの容姿とは違うのも相まって、どうも現実感がないが、なんとなく面白くないのは事実だ。
「ちぇっ……ガインは仲間だと思ってたのに。あ〜あ」
フェルナンがぼやいてエールを飲み干し、追加をシャロンに注文した。。
夕食は綺麗に食べ切ったものの、フェルナンがエールを飲み過ぎて潰れてしまったので、ヴォルフはシャロンに彼を託して、アリシアと二人宿に戻ってきた。
順に湯を浴びて、フェルナンから貰った地図を見ながら、明日のルートを確認する。
「鉱山が閉山されているってことは、そこに行く道も閉鎖されているよね?」
「もしくは、領軍専用になっているか、だ。どちらにしろ一般人は通れないかも知れないし、忍んで行くつもりだから使えんな」
「だとすると、山中を行くことになるね。街道はきっと魔獣を警戒して巡回もしているだろうから、少し離れて進んだほうがいいかも」
「ああ……こんな感じか?」
ヴォルフが地図を見ながら、線を引いていく。それを目で追ったアリシアが頷いた。
「これだけ街道から離れていれば、魔獣と交戦しても領軍には気付かれないね」
「そうだな。ところでお前、登山は大丈夫か?」
「それはこっちのセリフだよ。レーヴェルランドは中央山脈に囲まれてるんだよ?」
「そうだった。仮に山中泊になるとして、装備は?」
「大丈夫。数日間なら問題ないと思う」
「俺も問題ないな。じゃあ、決まりだ。明日の早朝出るぞ?」
「うん…………あ、ヴォルフ」
明日の予定が決まり、それぞれのベッドに横になろうとしたところで、アリシアがヴォルフに声を掛けた。
ヴォルフは、ベッドに腰掛けるとアリシアに向き合う。
「どうした?」
アリシアはヴォルフの前に立つと、手を伸ばして彼の左腕に触れた。
「今日、食堂でヴォルフを誘った女性がいたよね。ヴォルフは行きたかった?」
菫色の瞳が、ヴォルフをじっと捕らえる。戸惑いとか迷いが混じるその視線に、ヴォルフはアリシアに、まるで子供に向けるような優しげな表情を向けて、言葉を選びながら答える。
「…………お前は? お前は、俺があの誘いに乗っていたら、どう思ったんだ?」
アリシアは目を伏せて、あの時のヴォルフとミナを思い起こした。
「私、嫌だと思った。そんなこと言う権利は無いし、彼女の仕事をどうこう言うつもりもないけれど、ヴォルフに触れたのも、嫌だと思った」
アリシアのその答えに、「よく出来ました」と、満足したようにヴォルフが笑う。
「そうか……なあ、俺はお前にちゃんと伝えてなかったな」
アリシアの両手を取り、握り込むと、ヴォルフはアリシアの俯いた顔を覗き込む。
「伝える?」
ヴォルフともう一度視線を合わせて、アリシアは首を傾げた。それに頷いて、ヴォルフは続けた。
「俺は、お前が好きだ。あの戦場で初めて出会ったときから、お前に惹かれて焦がれる気持ちをずっと持ち続けてきた。皇都で再会して、お前と言葉を交わして、共に過ごすうちに、無自覚に恋に落ちたんだと思う。情けないことに、レオンハルトに指摘されて気がついた」
「ヴォルフ、あの……」
穏やかに話すヴォルフに、その言葉の意味を理解して、アリシアは何か言おうとするが上手く言葉にならず、言い淀む。
「無理に言葉にしなくていい」と、ヴォルフは視線で伝えて更に続ける。
「一緒に旅に出たのも、お前と共に在るためだ。今、お前とこうして同じ時間を過ごせることに細やかな幸せを感じている。けどな、お前はどう思っている? 俺と一緒にいるのは、嫌じゃないか?」
優しく問われたアリシアは、尋ねられた問いに首を横に振った。
「嫌なわけない。ヴォルフと一緒にいるのは、安心する…………でも」
まだよくわからない……と、戸惑うアリシアの思うところをヴォルフは正確に拾ってやる。安心させるように、そっと彼女の手を握り直した。
「大丈夫だ、アリシア。お前のことは、ちゃんとわかってる。だからゆっくりでいい。ちゃんとその気持ちに向き合ってみろ。
俺達が互いに惹かれ合うのは、必然だ。この先俺にとって女はお前だけで、お前にとって男は俺だけになる。
だから、一時的な快楽の為にその辺の女を抱くとかは、俺には必要ないんだ」
少し卑怯な言い方をして、ヴォルフはアリシアを囲い込む。ヴォルフ自身のことは断言できるが、アリシアの気持ちは彼女のものだ。だけど、ヴォルフはアリシアを唯一と決めている。今更逃がしてやるつもりはないし、アリシアの様子を見る限り、彼女の唯一もヴォルフで問題ないと思う。自覚は全く伴っていないようだが。
「でも、私……」
言葉を懸命に探すアリシアを敢えて遮って、ヴォルフは笑う。
「もちろん、お前の気持ちが定まらないうちにどうこうしようとかは、考えていないから安心しろ? ただ覚えておいてくれ。俺の気持ちはこの先ずっと変わらない。ちゃんとお前を待ってやれる。ああ、でも、もう少しスキンシップを許してくれると嬉しい」
おそらくアリシアも初めての感情に戸惑い、ヴォルフとの思いの差に、ちゃんと応えられないことにもどかしさを感じているのだろう。
だから、少しずつその差を埋めていけばいい。
「スキンシップ?」
ヴォルフは握っていたアリシアの手を離して、自身の両腕を広げる。
「お前は俺に触れたいと思うか? 俺はお前にならどう触れられても構わない」
「うん」
アリシアが頷いて、ヴォルフの左手を取ると掌を彼女の頬に当てた。ヴォルフの掌に伝わる柔らかで滑らかな肌と、温もりが愛おしい。
「俺は、そうだな…ここに、口づけてもいいか?」
ヴォルフが親指でアリシアの唇にそっと触れる。
「……うん」
菫色の瞳が、熱に浮かされたようにとろりと緩む。ただそれだけで、アリシアの整った美しさに艶が滲んで女の顔になる。ゾクリ、とヴォルフの欲が刺激された。
左手をアリシアの首の後ろに回し、右手を腰に回して彼女を引き寄せる。ヴォルフの両足の間に挟まれるように膝をついて顔を上げたアリシアに、ヴォルフは覆い被さってその唇を奪った。
重ねるだけの口づけから、深く貪るように。
やがて理性を総動員して、ヴォルフはアリシアの唇を解放する。ぼんやりとヴォルフを見上げるアリシアの頬をそっと撫でると、彼女をベッドへと促した。
「可愛いな、アリシア……さあ、今日はもう休むぞ」
素直にベッドに横になったアリシアは、なんだかまだぼんやりしている。
「……うん。お休み、ヴォルフ」
夢見心地のままそう言った彼女の為に、部屋の明かりを落とすと、ヴォルフも自分のベッドに横になる。
「ああ、お休み、アリシア」
数時間前までとは確実に変わったアリシアとの関係性に、ヴォルフは満足して目を閉じた。
 




