傭兵の雇い主
その日の未明、まだ夜も明けない時間に、町の外れに建つ大きな屋敷を訪ねてきた者達がいた。
寝室に遠慮がちに呼びに来た護衛の男に、寝衣にガウンを羽織っただけのこの屋敷の主人が、機嫌悪く尋ねる。
「何事だ?」
その声に恐縮しながら、男は答えた。
「冒険者の夫婦が、「ゼッダの宿で、ディング様に雇われた傭兵に襲撃されたから賠償金を払え」と押しかけて来まして。この時間に非常識だと追い返そうとしたのですが、「俺達は夜中に襲われたんだ」と聞かず……」
どうやら、雇いの傭兵達が町に来た冒険者を襲ったらしい……強者の見極めも出来ずに格上のものを狙ったのだろう。自分達で始末するか、処分してしまえるなら勝手にすればいいが、返り討ちにあったらしい。
「……誰だその無能共は?」
「ガーシュ達6名です」
腕は悪くないが、素行は褒められない奴らだ。魔鉱石採掘場の魔獣討伐に雇い入れたが、時々町にやってくる旅人や、ランクの低い冒険者を襲っては、身ぐるみ剥がしたり、娼婦や奴隷に落としたりして稼いでいるらしい。
鉱夫に手を出さなければ、文句は言わないし、ギルドに目をつけられない範囲で上手くやれとは言ってはあったが…………
「チッ、面倒を起こしやがって。その冒険者夫婦とやらは、何者だ」
早朝から騒ぎを起こしたガーシュ達は気に食わないが、あの男達をあっさり返り討ちにして、この場を吐かせた腕を持つ冒険者には、興味が湧いた。
「メセナのギルドに出した依頼を受けて、昨夕町に到着した冒険者パーティーで「紫紅」と言ってました。男は剣士で、女は剣を持っていますがどうやら魔法師のようで」
「ほう。わかった、会おう」
剣士と魔法師の、しかもなかなかの腕を持つ冒険者パーティー。ディングにとって、縁を繋いでおいて損はない相手だ。
玄関のホールに、早朝にも関わらず身支度を整えて現れたディングに、冒険者の夫婦が向き合った。
ディングは後ろに数人の護衛を連れており、冒険者が立ち襲撃者達を転がしているホールの周囲にも、屋敷の護衛や魔法師達が部屋を囲むように何人か立っている。
だが、冒険者の二人は、その状況に全く頓着する様子はなく、隻眼の男は平然と、女は顔を布で覆い目元しか見えないが、その菫色の瞳に動揺の色を見せることなく立っていた。
「待たせてすまない。ディングだ。君たちは? 一体ここに何の用だ?」
たいした度胸だ、とディングは内心感心しながら、口を開いた。
「先程俺たちの宿の部屋に、コイツらが押しかけてきてな。銀貨8枚も払ったのに、安眠を邪魔された挙句、こんな手間まで取らされていい迷惑だ。よくよく聞けば、コイツらはアンタに雇われているそうだな? 落とし前つけてもらおうかと、連れてきた」
冒険者の男は臆することなく、ガーシュ達をディングの前に押しやった。
大きな外傷はなさそうだが、二人を脅えたように見るガーシュ達に、それなりの拷問でもされたか、と見下ろす。
「それは申し訳ないことをしたようだ。しかし、私が命令したわけではないよ。だから、責任は彼らに取ってもらおう」
どちらにしろ、面倒事を起こした上、あっさりと情報を吐くような無能は不要だ。
ディングが身振りで護衛たちに合図すると、
「ヒッ頼む助けてくれ!」「ディング様!」「ギャア!」
とみっともなく騒ぎながら、ガーシュ達は絶命した。
わざわざ凄惨に見えるように始末したが、冒険者達はチラリと視線を流しただけで、表情や顔色一つ変えない。
その様子にディングは満足げに微笑む。
なかなかに修羅場も経験しているらしい。
「さて、この場ではなんだから、奥の部屋にどうだね? 客人方にはお詫びを用意しよう」
「……成る程。使い捨ての駒だったわけだ。話を聞こうか?」
ディングは冒険者の二人を連れて、玄関ホールを後にした。
「どうぞ、かけてくれたまえ」
豪華な応接室に案内し、二人にソファーを勧める。部屋の様子にも臆することなく、二人は自然な様子で腰掛けた。
「さて、君たちの名を聞いても良いかな?」
「ガインだ。彼女は俺の妻で、アリシア」
男が名乗り、妻を紹介した。
「あらためで、私はディングという。領主に頼まれて、この鉱山町を管理している者だ。
雇っている者達が迷惑をかけたようで、すまなかった。私が命じたことではないが、賠償もさせてもらおう。金貨10枚だ」
彼らの目の前に、金貨10枚を並べて置く。
「ほう? ずいぶんと太っ腹だな」
ガインはそれをたいして興味もなさげに眺めると、ディングに向かって目を眇める。
法外な賠償金だ。裏があるのか?とその目が言っていた。
「君達を敵に回すのは、どうやら愚策のようなのでね。「紫紅」と言ったか? どうだい? 私に雇われないかね?」
「せっかくだが、俺達はメセナのギルドで依頼を受けてここに来ている冒険者パーティーだ。雇いたいなら、ギルドに依頼を出してくれ。個人的な雇用契約は結ばないと決めてるんでな」
男は、ディングの申し出をあっさりと袖にする。そういうところも好ましい。
ますます二人が欲しくなったが、ゴリ押しはしない。
「そうか、それは残念だ。だが我々なら、ギルドに雇われるよりも、いろいろと優遇してあげられると思うがね。まあ、すぐに決めなくても良い。今の依頼が無事に終わった時にでも、また訪ねてきてくれたまえ」
「ずいぶんな自信だな。じゃあ、用も済んだし、俺達は帰る。邪魔したな」
冒険者達が金貨を受け取り、席を立つ。
「フフ……また会おう、ガイン、アリシア」
部屋を出て行く二人の背に向かって、ディングはそう呟いた。
「嫌な奴」
ディングの屋敷を出た途端、アリシアがボソッと言った。
「だな。だが、銀貨8枚が金貨10枚に化けたと思えばいい。アイツらは可哀想だが、まあ、同情の余地はない程度のことは、してきてるんだろうしな」
ヴォルフもそれに同意する。
「それもだけど、あの男の魔法師に眼をつけられた。潰していい?」
「ああ。アレか? まあ、いいんじゃないか?」
アリシアが後方に視線を走らせ、ヴォルフに尋ねた。彼もその気配に肩を軽く上げて、頷く。二人の後ろに小さな仔猫がついてきていた。
アリシアがその仔猫に向かって指を向けると、次の瞬間仔猫は脅えたように縮こまった。だがそれに構わず、アリシアの魔法が仔猫を氷漬けにする。そして、彼女が近づこうとしたところで、氷の中の仔猫は、真っ黒な炭のような石になってしまった。
「ホント趣味悪い」
おそらく、魔法の眼の媒体となった黒石が仔猫を喰い、術者の魔法師との繋がりを消したのだろう。
「長居は無用だな。さっさと依頼先に向かうか」
ヴォルフは興味をなくしたように、アリシアの肩を抱くと、町に向かって歩き出す。
「……偽名を名乗ったのも、悪くはなかったかもね」
「別に偽名ってわけじゃないだろ?」
アリシアが歩きながらポツリと言った言葉に、ヴォルフが片眉を上げる。確かにそうだが、ヴォルフの冒険者登録名ではない。
先程のディングとのやり取りで、ヴォルフはガインと名乗り、「紫紅」はギルド側であることを宣言した。ディングはそんな自分達に、法外な賠償金を出し、今後の契約を望んできた。
「「紫紅」は何の実績もないパーティーだし、メセナのギルドは私達の素性を他に漏らしたりはしないから、ディングが私達について簡単に情報を得ることは出来ないだろうけど」
通常名のある冒険者やパーティーは、自分達で冒険者ランクやパーティーランクを名乗るが、ギルドは本人達が望んでいない限り、勝手にそれを他に明かしたりはしない。ランクは、いい依頼を受ける為の信用となるが、時にはトラブルを呼び込むこともあるからだ。
「ああ。だから、ヤツがそれを知る頃には、諸々の悪事も詳らかにされて、牢に入る。問題ないだろ」
ヴォルフはニヤリと獰猛な笑みを浮かべる。どうやら彼も、それなりに怒ってはいるらしい。
二人はそのまましばらく歩いて、町の中心の通りに入る。そこには、朝食を求める住民達相手に、いくつかの屋台が並んでいた。
「あ、ヴォルフ、あの屋台の肉饅頭美味しそう」
アリシアは彼と並んで歩きながら、早朝の通りに並ぶ一件の屋台に目を向けた。
「朝食食べそこねたからな。まあ、いいんじゃないか? おい、それ4つくれ」
ヴォルフも空腹を覚えて、アリシアに釣られて肉饅頭屋の前に立ち止まり、蒸し上がった肉饅頭を指差した。
「兄さん、毎度。小銅貨6枚だ」
「これで。釣りは要らない」
ヴォルフは大銅貨1枚を店主に渡して、そう言った。
「気前いいねえ。じゃあ、飲み物2つをつけるよ。温かい茶だ。毎度」
二人はそれを受け取って、店の前の狭い飲食スペースで立ち止まって、熱々のうちに食べ始める。
口の下まで布を下ろしたアリシアを通行人の視線から遮るように、ヴォルフは彼女の前に立った。
見下ろすとハフハフと言いながら肉饅頭を頬張るアリシアが可愛らしい。
未明からいろいろと騒がしかったが、なんとなく彼女のその姿に癒された感じだ。
「ゆっくり食えよ? お前何気に食い意地張ってるからな」
そういうヴォルフは、大きな口であっという間に饅頭2つを食べてしまってから、やっと1つを食べ終わったアリシアに、残りの1つを半分にして渡してやるのだった。
小銅貨10枚で大銅貨1枚。大銅貨10枚で銀貨1枚。銀貨10枚で金貨1枚。金貨10枚で白金貨1枚となる感じです。
小銅貨1枚100円くらいの価値です。