私的な晩餐
翌日、カルディス帝国皇城にベルハルト王国第二王子の一行が到着した。
和平会議との触れ込みであり、実際はアマリア皇女とレオンハルト王子の婚姻であることは、まだ国民には公表されてはいない。
だが、ベルハルト王国の使者であるレオンハルト第二王子が馬車の窓から顔を出し手を振ると、その穏やかで優しそうな整った容姿に、皇都の民達は歓迎の声を上げて、一行を迎えた。
彼らの馬車の後方には、魔法師のローブを羽織り、目から下をベールで覆ったアリシアも、護衛として付き従っている。レオンハルトは、「女王が護衛なんてとんでもない!」と言い張ったのだが、アリシアにあっさり却下されていた。
「来たか……」
入城した一行を、皇帝ヴォルフガインと皇女アマリアが揃って出迎える。
その様子に民達は、先の敗戦でも寛容な対応をしたベルハルト王国に敬意を払い、これからも両国の和平が続くことを願ったのだった。
謁見の間に案内されたレオンハルトは、初めて顔を合わせるヴォルフガインと対峙していた。
「初めまして、皇帝陛下。この度はお招き有り難うございます。ベルハルト王国第二王子であるレオンハルト・サリード・ル・ベルンハルトと申します」
レオンハルトは礼儀に則り、視線を下げて礼を取り皇帝に挨拶の口上を述べる。
「遠路はるばるご苦労であった。顔を上げてくれ、レオンハルト殿。カルディス帝国皇帝ヴォルフガイン・ゲオルグ・フォン・カルディスだ。道中不自由は無かっただろうか?」
ヴォルフガイン皇帝の紅い瞳が、レオンハルトをまっすぐに見つめる。
黒い艶のある髪、整った精悍な容貌、一見細身に見えるが高身長に武人らしくバランスの取れた体格、25歳ながらも帝国を統べる威厳を醸し出す堂々とした風格。
さすが大国の皇帝だ、とレオンハルトは笑顔の下で感心した。
だが、レオンハルトも堂々としたものだ。相手から敵意を抱かせない、穏やかで優しげな微笑みを浮かべ、カルディス帝国の面々に友好的な印象を与えている。
「各地で丁寧にもてなしていただきありがとうございました。お陰様で無事にこちらに到着いたしました」
「それはよかった。だがまずは、旅の疲れを癒してくれ。後ほど私的な晩餐に招待する」
「はい。楽しみにしております。それでは一度御前を失礼します」
そうして、公的な初謁見はあっという間に終了したのだった。
「今晩、レオンハルト王子と私的な晩餐の予定だ。お前も参加な」
ヴォルフガインに執務室に呼び出されたアリシアは、帝国と王国の親睦を深めるという私的な晩餐会に、強制招待されていた。
てっきり、まずはアマリアとレオンハルトのお見合いだと思っていたアリシアは、意外だという風に首を傾げる。
「私も? なんで」
「なんで、じゃないだろ? 向こうもそのつもりだろう。レオンハルト王子とセシルという護衛が参加すると言ってきた」
どうやらお見合いだけではないらしい。きっと、両国の和平に関する本音の話し合いをするつもりなんだろう。
もしかして、帝国側はヴォルフガインの退位の話も出すのかも知れない。ならば、話し合いに参加するセシルの身分も明かしておかなければと、アリシアは口を開いた。
「ああ。セシルはレオンの実の姉だからね」
「姉? レーヴェルランドからの護衛じゃないのか?」
ヴォルフガインは、そういえばよく似た容姿だったと、二人並んだ姿を思い出す。その時は、他人同士だと思っていたから、意識していなかったのだ。
「そうなんだけどね。セシルは、ベルハルト国王夫妻が婚約前に産んだ女児なんだ。その後彼女は、レーヴェルランドで育っている。
ベルハルト王国の王妃は、レーヴェルランドの先々代女王だ。本人の記憶はないし、公にもしていないから、この話はごく内輪で留めておいてほしい。でも、ヴォルフの側近達と皇女殿下は知っておくべきだと思うから」
「…………いろいろ納得がいったが、レーヴェルランドの謎は深まったぞ」
要するに、ベルハルト王国とレーヴェルランドの縁は、先々代女王の頃かららしいが、じゃあ、レオンハルトとアリシアも血縁関係にあるのか?とか、王妃の記憶がない?とか、先代女王候補の件はベルハルト王国も知っているのか?とか、ヴォルフガインの頭に新たな疑問も湧いてくる。
「前に、特殊な文化を持つ少数民族だって言ったでしょ?」
しかしヴォルフガインの疑問は、アリシアの一言に一蹴された。彼女に答える気はないらしい。
この分だと、晩餐会で予想外の話も飛び出しかねない。二国の間で、レーヴェルランドを抜きに出来ない話が出てくる可能性もあると、ヴォルフガインは考える。
「お前は絶対参加。こっちはあと、アマリアとクラウスだ」
「仕方ないか。ドレス持ってきてないけど?」
アリシアも理解はしているのだろう。渋々というふうに頷いた。
「心配するな、既製品になるが用意した。侍女も控えている。支度してこい。時間になったら俺が迎えに行く」
「了解」
アリシアは、着飾ることにあまり興味はないらしい。彼女を見た侍女たちは、それはそれは喜んで、嬉々として準備を張り切っているというのに。
まあ、楽しみにしておくか、とヴォルフガインは侍女を呼び、アリシアを託した。
侍女達から、アリシアの支度が整ったと知らせを受け、自身も晩餐用の正装で彼女の部屋を訪れたヴォルフガインは、思わず目を瞠って感嘆の声を上げる。
「ほう。見立て通りだな、よく似合ってる」
ヴォルフガインがアリシアに用意したドレスは、黒の精緻なレースで仕立てた、身体のラインに沿った細身のドレス。膝上から足首までスリットが入り、光沢のある同色の生地でスリット部分の内側が覆われている。デコルテには、ダイヤをあしらったネックレスが輝き、細い首を強調している。
美しい人形のように整ったその顔の、陶器のような肌には薄く化粧が施され、菫色の瞳が際立ち、艷やかな薄紅色の唇が艶めかしい。淡い金髪は複雑に編み上げられ、18歳という実年齢より大人びて見える。
ヴォルフガイン好みの仕上がりだった。
「……どうも」
ヴォルフガインの称賛にもアリシアの反応は薄い。自分の容姿に、あまり興味がないらしい。
ヴォルフガインは小さく苦笑して、アリシアの手を取り自身の腕にかけさせ、会場に歩き出した。
「この晩餐で、レオンハルト殿に退位のこととその後のことを話すつもりだ。彼の了承が得られれば、明日にはアマリアとの婚約を発表する。あと、セシル殿のことはクラウスとアマリアには話してある」
「わかった」
「お前のことも。俺と旅に出ることを話すつもりだ」
「…………そう」
先程からアリシアは無表情で、ヴォルフガインの言葉に短く返事をするだけだ。
「なんだ?乗り気じゃないのか?」
「そういうわけじゃない。アマリア殿下とレオンが上手くいくと良いと思って」
アリシアにとってドレスは女王でいる為の武装のようなものだ。女王として振る舞うときは特に、周囲の者に感情を読まれないよういつにも増して自然と無表情になるし、必要最低限のことしか話さない。
そんな彼女を知らないヴォルフガインが戸惑っているのも感じたが、アリシアが全てを説明してやることはなかった。
会場に入ると、晩餐の準備が整っていた。
それぞれ席に着き、中央にヴォルフガインが座る。
「レオンハルト殿、ようこそ。この場は私的な場で無礼講だ。紹介しよう、妹のアマリアと、最側近のクラウスだ」
アマリアとクラウスが、それぞれ軽く会釈する。
「ありがとうございます、陛下。
アマリア皇女殿下、クラウス殿、初めまして。今晩はよろしくお願いします。私のことはどうぞレオンハルトと。こちらは、私の姉で、現在はレーヴェルランドに籍のあるセシルです」
レオンハルトもにこやかに挨拶し、セシルを紹介した。セシルもまた、軽く会釈をする。
アマリアが華やかに微笑んだ。
「レオンハルト様、お会いできるのを楽しみにしておりました。私のこともアマリアとお呼びください。セシル様も、ようこそ帝国へ。歓迎いたしますわ」
「クラウスです。レオンハルト殿下、セシル殿どうぞよろしくお願いします」
クラウスがそう言うと、ヴォルフガインは次にアリシアを見た。
「あと、アリシアにも同席してもらう」
「部外者感が半端ないんだけど…………」
相変わらずの無表情でポツリと言ったアリシアに、アマリアとレオンハルトが反応した。
「あら、女王陛下は思いっきり当事者でしてよ?」
「僕も同意見だね。皇帝陛下の様子といい、アマリア殿下の今の言葉といい、一体君は何をやらかしたんだい?」
「別に私は何も…………ヴォルフに巻き込まれただけで」
アリシアはチラリとヴォルフガインを見たが、彼はサラリと話題を変えた。
「早速だが、アマリア、レオンハルト殿、二人の婚約について異議は無いだろうか?」
「レオンハルト様、こちらからの一方的な申し出にお応えいただきありがとうございます。アリシア女王陛下からレオンハルト様のことは伺っております。私は殿下と、王国と帝国の平和のために手を取り合って努力していきたいと思います」
アマリアは、レオンハルトに真摯に向き合うと決めている。この結婚も政略ではあるが、彼の印象はとても良かったし、アリシアからの後押しも信頼出来た。
「アマリア殿下、私も女王から貴女が聡明で、国や民を大切に思われる方だと聞いております。私はまだまだ未熟ですが、この帝国で両国の平和のために働けるなら幸いです」
レオンハルトも、母国の為にと受けた縁談だったが、アマリア皇女の人となりにも、この旅で知った帝国にも好感が持て、前向きに臨むことが出来そうだった。
「それは僥倖。アリシア、お前もよかったな」
ヴォルフガインにとってアマリアは、たった一人の大切な妹だ。今回、時代の流れもあるが、自身の都合で決めた部分もある退位。その後の重責を、妹に負わせることになることを申し訳なく思ってもいる。
しかし、レオンハルトは理性的な平和主義者だ。国を愛し、為政者としての責任感もある。アマリアの伴侶として、今後の帝国を維持していく為に、これ以上の人物はいないだろう。
アリシアも二人が上手くいくと良いと願っていた。
縁談はこのまま進められそうだった。
「そうだね。二人が同じ未来を見てるから、安心した。おめでとう」
アリシアも小さく微笑みを浮かべて、二人を祝福した。
それを満足気に眺めていたヴォルフガインは、もう一つの話へと続ける。
「そして、レオンハルト殿には、俺から一つ報告と願いがある」
「なんでしょう」
「二人の婚約を発表すると同時に、俺は退位する。帝国の今後を、女皇となるアマリアとレオンハルト殿下に頼みたい」
カシャンと、食器が皿にぶつかる音がした。
「は?」
その不調法を謝ることもせず、レオンハルトは呆然とヴォルフガインを見ている。
「申し訳ありません。レオンハルト様、あの……」
アマリアが、彼を気遣うように声をかけた。
「いえ、アマリア殿下。すみません、ちょっと驚いて…………アリシア?君は知っていたね?」
「……まあ」
アリシアはおそらく、レオンハルトと合流した時点でこの話を知っていたのだろう。
少し気不味そうに目を逸らした。
「レオンハルト殿、彼女を責めないでくれ。俺が口止めしたんだ」
「…………」
レオンハルトだってアリシアの立場はわかっている。当然、気軽に国家機密レベルの話を出来ないことも、帝国皇帝から口止めされていることを、レオンハルトに勝手に話すことを出来ないのも。
でも、それを言わずに、「大丈夫だよ」とレオンハルトに言ったアリシアへ、今のは、ちょっとした八つ当たりだ。
それに、ヴォルフガインが彼女を庇うのも、少々面白くない。
だが、ヴォルフガインはそんなレオンハルトのことなど構わず、話を続ける。
「俺の側近達をそのまま二人につける。なかなか優秀で、きっと新皇帝と王配二人の力になってくれる」
「レオンハルト殿下、陛下が申し訳ありません。ですが、私共は誠心誠意お二人の力になるつもりです」
クラウスもこの無茶振りに、最側近として申し訳無く感じているらしく、レオンハルトに頭を下げた。
しかし、この騒動が収まらないうちに、ヴォルフガインは更なる爆弾を投下した。
「それと、退位後俺は、アリシアと大陸中を回るつもりだ」
「はあ⁉」
今度こそ、レオンハルトの本心が声になった。
最早予想外すぎて、頭の中が整理出来ない。
すると、セシルがアリシアにゆっくりとした口調で尋ねた。
「アリシア、女王の巡礼に皇帝陛下と行くつもりなの?」
「ヴォルフからの提案だったけど、これの結果、そう決めた」
アリシアが、額に紫色の聖石を現す。アマリアが驚いてそれを凝視したが、声を出すことは無かった。
「女王の巡礼?」
初めて聞く言葉にレオンハルトが尋ねる。答えたのはセシルだった。
「レーヴェルランドの代々の女王の仕事よ、レオン」
「そうか。アリシアと陛下が…………」
複雑そうな表情で考えに沈んだレオンハルトを、アマリアが心配そうに見つめている。
「レオンハルト様…………」
アマリアの呼ぶ声に顔を上げ、彼女に向かって微笑んだレオンハルトは、今度は表情を改めてヴォルフガインを見た。
「皇帝陛下、退位の件は驚きましたが、アマリア殿下と側近の方々が納得されているのであれば、僕に否やはありません。アマリア殿下を支えるべく力を尽くします。
アリシアの女王の巡礼に陛下が同行されることについては、彼女が決めた事。異を唱えるつもりはありませんが、アリシアはベルハルト王国や僕にとって、大恩のある尊敬すべき女性です。そしてレーヴェルランドにとってはかけがえのない女王でもある。
ですからどうか、アリシアが傷つくことが無いよう守ってください。お願いします」
レオンハルトのまっすぐな琥珀の視線が、ヴォルフガインの紅の瞳を捉える。
互いの本心を探るような二つの視線が交差した。
「レオンハルト殿、承知した。約束しよう。君も、妹と帝国を護ってくれ。頼む」
「お約束します。ヴォルフガイン皇帝陛下」
そうして二人は破られることの無い約束を交わした。