カルディス帝国の皇帝 2
ヴォルフガインが、クラウスやアマリアと執務室を出て私室に向かって歩いていた時だった。
皇城のパブリックスペースを出ようとしたところに、一人の男が立っている。
「お帰りをお待ちしておりました。皇帝陛下。アマリア殿下、本日も麗しいお姿を拝見できて光栄です」
「……」
男は、胸に手を当てて頭を下げ、最敬礼をとっている。
しかし、覚えのない顔にヴォルフガインは紅瞳を鋭くさせて、その男を見た。
歳の頃は、30歳くらいか。整った顔立ちの背の高い男だ。本人は穏やかに笑顔を見せているが、立ち姿にどことなく隙のなさを感じる。
ヴォルフガインの武人としてのこれまでの経験が、目の前の男に対し警鐘を鳴らす。
「ウィンスレッド殿、何故こちらに?」
左隣りから、アマリアが男に尋ねた。単純にどうしてここにいるか疑問に思っている声だ。どうやら顔見知りではあるらしい。
だが、ヴォルフガインは左腕をスッと横に伸ばし、彼女を庇うように前に出た。
「俺に何用だ?」
アマリアは彼を知っているようだが、ヴォルフガインは初対面だ。
ヴォルフガインの留守中に皇城に現れ、アマリアと言葉を交わしたということだろう。アマリアの声音に特に好意も嫌悪も感じないが、今この男は、この場所とタイミングで、彼らを待っていた。
それが、ヴォルフガインの警戒心を煽る。
皇城内のプライベートスペースの手前なのにも関わらず、警護の騎士も見当たらない。
「陛下にお目にかかるのは初めてでございますが……」
男はにこやかに微笑んで、顔を上げ言葉を続けようとした。
「クラウス、アマリアを守れ!」
ヴォルフガインは自身の側近に命じつつ、素早く剣を抜いた。
クラウスはアマリアの手を引き、自らの背にアマリアを隠す。
ウィンスレッドと呼ばれた男も、おそらく隠し持っていた剣を抜き、ヴォルフガインに斬り掛かった。
ヴォルフガインはそれを難なく受け止めて、男に目を走らせる。
ピンクブロンドに榛色の瞳の穏やかな笑顔を貼り付けて、独特の素早い剣さばきで、男はヴォルフガインに斬りつけてくる。覚えがある動きに、ヴォルフガインは確信を得て言った。
「メッシーナの亡霊か……まだ残っていたとはな」
男は、一転、表情を変えた。憎しみとも恨みとも取れる壮絶な笑みを浮かべて、ヴォルフガインを睨みつける。
「……我……そ…め」
そして、剣で応戦しながらも小声で何事か呟いた。
しかし、それを言い終わらないうちに、ヴォルフガインの剣が男の首を刎ねる。
アマリアの押し殺した小さな悲鳴が、聞こえた。
「メッシーナ国の元暗部組織だろう。クラウス、バルトロメウスを呼べ。あと、片付けを。護衛騎士の死体もあるはずだ。丁重に弔ってやれ」
「ああ、ヴォルフ、後はこっちでやっておく。アマリア殿下を頼む」
クラウスは、アマリアをヴォルフガインに託し、そのままこの場を去っていった。
ヴォルフガインがアマリアを気遣うように、腕を取る。
「大丈夫か?」
ヴォルフガインはアマリアの顔を覗き込む。目の前で顔見知りの男の首を刎ねたのだ。初めてではないとはいえ、女性の身には衝撃的な場面だろう。
だが、彼女は気丈にも顔上げ、ヴォルフガインの視線を受け止めた。
「はい。申し訳ありませんでした。お兄様の留守中に、珍しい商品を扱っている商人と聞いて、謁見を許しました」
「いや。無事ならいい。だが気をつけてくれ。俺は敵が多い」
ヴォルフガインは息をついてアマリアを軽く抱擁すると、肩を抱いて、彼女の私室に向かっていった。
アマリアを私室に送り、自身の寝室へと戻って来たヴォルフガインは、軽く湯を使ってから、寝台に横になる。
ヴォルフガインとアマリアの血縁上の父は、カルディス帝国の皇帝ユーリッヒ帝だった。
彼は政治的、経済的、軍事力的に後ろ盾を得るため、多くの妻を娶っていた。正妃である皇后には隣国メッシーナの王女を立て、国内の有力な貴族から側妃を何人も召し上げていたのだ。
後宮は当然、皇帝の寵を得ようと水面下で熾烈な序列争いがあり、皇帝は節操なく後宮の妃達の部屋に通ったので、皇子や皇女も多く生まれた。
ガイネス辺境伯の三女だったイリスも、皇帝に召し上げれた一人で、第五妃としてそれなりに皇帝から寵愛を受け、皇子と皇女を一人ずつ産んでいた。
それが、ヴォルフガインとアマリアである。
イリスは賢い女性で、過ぎた欲は持たず、実家の辺境伯が皇帝の庇護を受けられるように立ち回り、また子供達には愛情を持って育てていた。
しかし、アマリアを産んで間もなく、イリスの病が発覚し、彼女は実家である辺境伯領での療養を望み、皇帝の許しを得て後宮を退去することになった。
イリスは第七皇子であったヴォルフガインと第十二皇女であったアマリアを連れて後宮を去り、辺境伯家で穏やかに暮らしていた。
そこに事件が起こる。
帝都の皇城が何者かに襲われ、皇城にいた皇帝、皇后、側妃達、第一皇子を始めとする成人した皇子達、嫁入り前の成人した皇女達、そして学園入学前の皇子皇女達が全員殺害され、権力の中枢にいた者達も多数殺害されたのだ。
そして、その後……
生き残った皇子達のそれぞれの実家、皇后を殺された隣国が、それぞれカルディス帝国を我が物にしようと動き出す。
第七皇子であるヴォルフガインの実家である辺境伯は、その地理的位置と、イリス達が辺境伯領にいたこともあり、皇位争いには興味がなく距離を置いていた。しかし、否が応でもこの争いに巻き込まれていく。
辺境伯家で母や妹と共に暮らしていたヴォルフガインの下に、何度となく刺客が差し向けられていることは、知っていた。
辺境伯家は強固な守りと優秀な騎士が多く、またヴォルフガインも身を守るために訓練を重ねていたこともあり、事なきを得ていた。
だが、それもいつまでも続くわけでは無かった。
ヴォルフガインが10歳になった頃、辺境伯領軍が隣国メッシーナとの小競り合いに出撃していた折、領地に荒れ狂う地竜の群れが襲ってきたのだ。
それは、メッシーナ国と第四皇子が結託し、辺境伯一家と側妃イリス、ヴォルフガインを亡き者にする為に、謀られた暗殺計画だったのだ。
この事件で、辺境伯と嫡男が隣国の敵に殺され、辺境伯の妻とイリスも、ヴォルフガインとアマリアを逃す為犠牲になった。
兄妹を託されたバルトロメウスは、イリスの姉の嫁ぎ先であった、もう一つの隣国ザカリアに二人を連れて亡命したのだった。
ザカリアは小国だが、平和で豊かな国だった。
母イリスの姉はザカリアの侯爵家に嫁いでおり、兄妹に同情し、二人を自分達の子供同様に育ててくれた。
また、従兄弟にあたる侯爵家の嫡男クラウスと同年だったヴォルフガインは、互いに親友であり良きライバルとして、ヴォルフガインは武をクラウスは智を極めていったのだ。
だが、ヴォルフガインは辺境伯や母を亡き者にしたメッシーナ国と第四皇子の事を決して忘れてはいなかった。
あの後、カルディス帝国は第四皇子が皇帝を名乗り、メッシーナ国は帝国の政治に干渉し始めた。
それまで皇帝の継承権争いで、帝国内のそれぞれの皇子を支持していた貴族は謀殺されたり没落し、第四皇子派とメッシーナ国干渉による暴政と腐敗により、帝国は荒れ、国民は疲弊していた。
更に、溜まってきた国民の不満を反らし、尽きかけてきた財源を賄うために、他国の陰謀論をでっち上げ、ザカリア国に宣戦布告することなくいきなり侵略してきたのである。
ヴォルフガインが13歳の時だった。
ザカリアは急襲され、王族は皆殺しとなり、カルディス帝国の属国となった。ザカリアの主だった貴族も粛清対象となり、叔母の嫁ぎ先であった侯爵家も例外ではなかった。
ヴォルフガインは、この時、戦い抜くことを決意する。
自分と妹を愛情を持って迎えてくれた侯爵家、ヴォルフガインを護り鍛えてくれたバルトロメウス、従兄弟であり親友のクラウス、そしてたった一人の家族である妹アマリアを守るため。
辺境伯家が愛し、大事にしていた民達の為に、自らが旗印となり、カルディス帝国を取り戻す、と。
そこから、ヴォルフガインの戦いに明け暮れた年月が始まる。
時代は、乱世だった。
大陸の北西部に位置するカルディス帝国の周辺国は、帝国やメッシーナ国の不安定さにつけ込むように、また北部地域の飢饉により、周辺国は争いが絶えなくなっていた。
最初は、侯爵家の領軍兵と辺境伯家の生き残りが集まり、次々と帝国兵を討ち、自軍を増やし、民衆を味方につけ、皇帝の後継に名乗りを上げた。
その2年後にまずは革命を成功させ、現皇帝を廃し、ヴォルフガインは、若干15歳でカルディス帝国皇帝となる。
その後も、メッシーナ国を始め、帝国を脅かす他国を侵略し、帝国領土とすることで、国土を拡大してきた。
裏切った者達や、元第四皇子派やメッシーナ国の王族は、残らず殺し、禍根を断った。
帝国国内は、ヴォルフガインと共に戦ってきた者達から貴族に召し上げ、充分教育された、軍事、経済、政治に明るい者をトップに立たせ、不正を許さなかった。
「あれから、12年か……思えば、これまでの人生の約半分を戦いの中で過ごしてきたのか」
なにせヴォルフガインの通称は、血濡れ皇帝だ。
先程の男も含め、どれだけの人間を、直接的に間接的に殺してきたのだろう。
ヴォルフガインは、必死で戦ってきた。
裏切りや暗殺の危機も、何度もあった。
だが、本当に大切な者達を守るためなら、いくらでも冷酷にも残酷にもなれた。
皇帝になってからは、今度は国民を守り豊かにするため、という大義名分も出来た。
そうしてずっと戦ってきた。
国の安寧のためや政略の為の、情人や妻を持つことも勧められたが、女と会ってみても、寝てみても、自分の中で大事にしたいと思う女は現れず、心を動かされることもなかった。下心を持って近づいてきた女を、この手で殺してしまったこともある。
父親のように正妃の他に多数の側室を迎えるなんてことは、もっての外だった。
別に後継を作って皇位を継承させたいとも思わない。
血の繋がりが何だというのか?
出来る奴がやれば良いと思う。
「俺は、きっと何かが欠けているか、壊れてしまったのかもな……戦うことで、自国を守ってきたと思っていたが、今回はやり過ぎたってことか……」
それが敗戦という結果になったのかも知れない。
ベルハルト王国への侵略は、他の周辺国にベルハルトを奪われることにより、帝国攻めへの足掛かりとなることを防ぐためだった。
ベルハルト王国は、貿易や流通の起点となっている豊かな国だ。今は、なんとか周囲との均衡を保っているが、隙あらば手に入れようとしている国は多い。
そのため遅れを取るわけにはいかなかったのだが、今回帝国を退けたことにより警戒され、しばらく侵略されることはないだろう。
ましてや、あの女性戦士達が庇護するなら、簡単に堕ちることもない。
「さて、この後はどうするかな……」
―皇帝としてこの先も生きるなら、戦いを手段にしないことだ―
(あの女に会ってみるか……いや、まずは探すところからか)
眠るために寝台に横になったというのに、ヴォルフガインに眠気はなかなかやってこなかった。




