閑話 女王と王子の休日
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
ベルハルト王国のお話はこれで終わりです。
次章は、10月1日から連載を始めます。
次は帝国サイドのお話です。
皇帝ヴォルフガインがアリシアに堕ちるまで。
ここまで読んでいただいた皆様には感謝を。
ありがとうございます。
戦争が終って1ヶ月が過ぎた。
アリシア達は報酬を受け取り、ゼレンダ平原をもとに戻したり、戦士達の休暇中の自由恋愛を羽目を外さないようにと見守ったり、時々魔獣討伐依頼を受けたりして過ごしていた。
帝国軍はその後帝都まで完全撤収し、再度ベルハルトへ侵攻する動きもなく、戦後の話し合いでは、捕虜を帝国へと受渡し、代わりに多額の賠償金を支払わせて、終戦処理も終わっていた。
そうして、アリシア達がベルハルト王国を去る日も、明日へと迫っていた。
「アリシア、レオンハルト殿下が来てるわよ」
ミーシャがリュシアンと最後のデートへと出掛ける為にドアを開けたところで、レオンハルトと鉢合ったらしい。
後ろを振り返って、アリシアに声を掛ける。
アリシアはセイレーンが淹れてくれたお茶を飲みながら、レーヴェルランドへ出す報告書を最終確認していたところだった。
「わかった。入ってもらって」
レオンハルトは戦後、各方面への調整や戦後処理に忙しくしており、顔を合わせるのも久しぶりだった。
「レオン、どうしたの?」
地味な外出着で部屋に入ってきたレオンハルトを見上げて、珍しく質素な格好しているなあ、と思いながら、アリシアは声を掛ける。
「明日、君達はレーヴェルランドに帰るって聞いたんだ。良かったらこれから一緒に街に出ないかい? サーモンの美味しい店に行こう」
どうやら以前話に出た、「王都の美味しいサーモンが食べられる店」なるものに連れて行ってくれるらしい。
「行く」
アリシアは迷わずすくっと立ち上がった。
王宮の食事でも時々サーモンが出されたが、舌が肥えているはずのレオンハルトが、美味しさを保証する店だ。アリシアの期待値が上がる。
と、そこにセイレーンが現れた。
「女王サマ〜、お出かけですかぁ? 殿下、少々お待ち下さいね〜人前に出せるように整えますから〜」
そして、アリシアの腕をガッチリ掴んで、隣室へと引き摺っていく。
「え? 別にこのままでいい」
今日のアリシアの格好は、シンプルな白いシャツに黒色のスラックスで、髪は後ろで一つに縛っている。街に出るには問題ない姿である。
「駄目ですよぉ。レーヴェルランドに帰ったら、当分殿下に会うことは無いんですから〜。殿下の街歩き用の格好に合わせて、可愛くして行きましょぉ」
「それは楽しみだ。アリシア支度しておいで」
レオンハルトはアリシアが座っていたテーブルの向いの椅子に腰掛けると、二人の様子に笑顔で手を振った。
「わかった」
アリシアの格好はどうやら適切ではないらしい。仕方がないか、とアリシアはセイレーンに任せることにした。
「これが、街歩きの格好?」
アリシアが着せられたのは、クリーム色をベースに茶色のウエストリボンやボタン、袖や裾に簡単な刺繍が入った町娘がおしゃれ着にするようなワンピースだった。編み上げのショートブーツなんて、いつ買ったんだ?とアリシアが首を傾げる。
髪もハーフアップにされ、栗色のリボンが結ばれていた。
「殿下とのデートですからね〜。色合わせしましたよぉ。女王サマを年相応に可愛らしく仕上げてみました〜」
「デート?」
「そうですよぉ。一緒にお出掛けしてお食事するんですぅ。立派なデートですからね〜」
セイレーンがニッコリと笑う。
デートとは恋人同士がするものでは? と思いながら、アリシアはレオンハルトの待つ部屋へと戻った。
「待たせた、レオン。行こう」
振り向いたレオンハルトは、一瞬目を瞠ると、嬉しそうに微笑んで立ち上がる。
「すごく可愛らしくしてもらったんだね。良く似合ってる。アリシアは何を着ても綺麗だけど、今日はとても可愛らしいお嬢さんだ。手をどうぞ」
そして、アリシアに左手を差し出した。レオンハルトは王子様なだけあって、女性を褒める言葉はスラスラ出てくるし、エスコートも自然だ。
(可愛いなんて褒め言葉、いつ以来だろう? 結構嬉しいかも)
「ありがとう。レオンは女性を褒めるのが上手だよね」
レオンハルトはその言葉に、え?と一瞬動きを止める。
「それって、褒められてる?のか?」
深読みしたレオンハルトが小声でボソッと呟いた声に、もちろんと頷いて、アリシアはレオンハルトの手に右手を乗せる。
そうして二人は部屋を出て、お忍びで街に向かったのだった。
「……迷う」
王都で魚料理を食べるならココ!と評判の店で、殿下がすごい美人を連れてきた!とちょっとした騒ぎになったあと、奥の個室に通された二人は、出された飲み物を飲みながらメニューを眺めていた。
レオンハルトは時々お忍びで……と言っても、身分は隠してはいないのだが……この店にやってくるらしい。
王都の街なかにありながらその味はとても評判が良く、敢えて高級店にしてはいない為、少々裕福な市民だけでなく貴族達も時々訪れる有名店ということだった。
なんでも、今二人が座るテーブルの横に立っているレオンハルトの学生時代の友人は、この味に惚れ抜いて、弟子入りしたらしい。
メニューには、サーモンを始め近海で獲れる魚介類の料理名が、ズラッと並んでいる。
「アリシア、迷ったら店員のウィルにお勧めを聞けば良いんじゃないかな?」
アリシアのいつになく真剣な様子に、レオンハルトがクスクスと笑いながら、提案する。
「そうですよ、お嬢さん。お好きな魚は何ですか?」
レオンハルトの友人でウィルと名乗った彼も、ニコニコしながら、アリシアに尋ねた。
「サーモンが好きだけど、サーモン料理の種類が多すぎて、決められなくて」
メニューを見ながら、真面目な顔で言い切ったアリシアを見て、ウィルはレオンハルトに視線を向ける。
「レオン、綺麗だけど可愛いお嬢さんだな。よし、じゃあ特別に、サーモン料理スペシャルコースで」
「え?」
メニューから顔を上げたアリシアが、驚いた様子でウィルを見た。
ウィルは待ってて、と片目を瞑って部屋を出ていく。
「良かったね、アリシア。ちょっとずついろいろ出してくれるって」
「嬉しい。すごく楽しみ」
珍しく表情を伴って嬉しそうに顔を輝かせたアリシアに、レオンハルトはとうとう吹き出した。
「普段の君は迷う事なんてしないのに。それに、自分の好みを主張することもしないけど、サーモン料理だけは別なんだね」
「だって、女王が迷えば皆が困るし、人に注目されることも多いから」
「好きな料理を出された時くらいしか、素直に喜べない?」
レオンハルトは、アリシアの菫色の瞳ををじっと見つめる。その変化を見逃さないように。
アリシアは思案するように軽く目を伏せた。
「そんなことない、と思う。普段は表情に出さないようにしているだけで、ちゃんと感じてる。セイレーンやミーシャ、家族はちゃんとわかってくれている、と思う」
「そうか。君の周りに理解者がいてくれることを嬉しく思うよ」
(本当は僕もそうなりたかったけど……未練がましいな)
レオンハルトは小さく笑って見せたが、アリシアの周囲に理解者がいることにほっとしつつも、寂しさを隠せない。
明日、彼女と別れたら、きっともうこんな風に二人きりで会うことなんてないのだろう。だから最後にこうやって二人で出掛けたかった。
アリシアと過ごす今日のことを、大切な記憶にして、これからもベルハルトの第二王子として生きていこうと彼は思う。
「ありがとう。レオン。でも、貴方と二人でいるときは多分、割と地のままだよ? あまり意識してない」
伏せられていたアリシアの視線が上がって、レオンハルトのそれと合う。
彼女の言葉と、向けられた嘘のない瞳の色に、レオンハルトの胸にジワリと歓喜が沸き起こる。
「君にそう言って貰えて、本当に嬉しいよ。僕は君が……」
「お待たせ〜。最初は前菜盛り合わせだよ!」
レオンハルトが言いかけた言葉を遮るように、ウィルが料理を持って入室してきた。
大き目の皿に少しずつ盛られたサーモン料理に、アリシアが目を輝かせる。
(確かに。無表情だったアリシアが、今日は結構表情豊かだ。ウィルのタイミングは最悪だけど、アリシアが嬉しそうだから、まあいいか)
レオンハルトは苦笑して、料理の説明を真剣な顔で聞いているアリシアを眺める。
やがて上品に料理を口に運び、嬉しそうに笑顔になる彼女に、可愛いなあと見惚れながら、レオンハルトも昼食を楽しむのだった。
食事の後は街を散策しながら王宮に戻り、二人は王宮内の教会の鐘楼にやってきていた。
「うちの王宮で一番高い塔なんだ。ここから見る夕陽が綺麗だよ。最後にアリシアに見て欲しくて」
鐘楼の鐘つき場に立って外を見ると、地平線にかかった大きな太陽が、その周辺と眼下に広がる街並みをオレンジ色に染めて、沈みかけている。
「都会の夕陽だね。レーヴェルランドには無い景色だ。とても綺麗だと思う」
夕陽を見ながら立つ二人を同じようにオレンジ色に染めて、やがて太陽が完全に沈んでいった空は、徐々に明るさを消して紫色から夜の色へと変わっていく。街並みにポツポツと明かりが灯り始めた。
「アリシア、ベルハルトに来てくれて、この国を救ってくれて、ありがとう」
宵の街並みは、昼間とは違ったざわめきを伴って、人の営みを感じることが出来る。それをどこか愛おしげに眺めながら、レオンハルトが言った。
「レオン、過去の縁と神の意志が、私達をここに連れてきたんだよ。ベルハルトに来れて、良かった。こちらこそ、ありがとう」
アリシアはそんな彼を見上げて、穏やかな微笑みを浮かべ答えた。そんなアリシアに向き直り、レオンハルトは続ける。
「僕はね、君が好きだよ、アリシア。残念ながら、僕達の未来は重ならないけれど、僕は君のことを忘れない。君の幸せを祈っているよ」
「ありがとう、レオン。私も貴方の幸せを祈ってる」
戸惑うでも驚くでも照れるでもなく、真っ直ぐにアリシアが言葉を返したのを聞いて、レオンハルトはちょっと悔しくなった。きっとレオンハルトの好きの意味を、アリシアはわかっていない。
だから、この想いを彼女に知って貰って、覚えていて欲しかった。
レオンハルトは、アリシアの頬に手を伸ばし、彼女の唇に触れるだけの口づけを落とす。
「……え」
大きな瞳を瞠って驚いているアリシアに、レオンハルトは悪戯が成功したようにニヤリと笑う。
「君が僕を忘れないように。おまじない」
アリシアの顔が、月明かりの下でもわかるくらい赤く染まる。
ふいっと顔を横にそむけたアリシアが、ポツリと零した。
「初めてだったから……忘れない」
「光栄です。女王陛下。そろそろ部屋に送りましょう」
レオンハルトは幸せそうに笑って、そっとアリシアの手を取った。
レオンハルトの初恋の話でした。
アリシアにとっては、初めての男友達位の意識でした。
今日の出来事は、きっと美味しかったサーモン料理とセットで、アリシアの記憶に残ると思います。