第一話 ある日、炊飯器が擬人化しまして
その日、私はとても疲れていた。中小企業の経理部に勤めていたが、産休や退職した同僚の穴埋めに追われ、残業した帰りだった。すっかりお局扱いもされていたが、仕方ない。そういうもんだと思っていた。
「は?」
あまりにも疲れていたので、幻を見たのかもしれないがリアルだった。頬をつねると痛い。
一人暮らしのワンルームマンションに見知らぬ男がいた。
最近断捨離にハマっていたので、インテリアはシンプルにまとめていた。故に男の存在が際立ってしまう。そもそも部屋に男がいる状況は●●年ぶりなので、奇妙でもあった。お一人様アラフォー女としてその点も枯れていたのかもしれないが……。
男はイケメンだった。アイドルやミュージシャンのような派手なイケメンではなく、身近にいそうな好青年といったタイプ。黒目が人懐っこく、犬のようで可愛らしい。肌はもちもちとし、アラフォーの私より綺麗だな……。
それに何か良い香りがした。ホカホカと良い匂い。ご飯が炊ける時の匂いじゃないか。この匂いが嫌いな日本人はいないだろう。なぜか男は炊飯器を持っていたのも謎過ぎるが、私の警戒心は急速に落ちていく。
「あなた一体どなた? 間違って家に入ったのね。わかった、送っていくからとりあえず外に出て、交番に行きましょう」
私も伊達に会社でお局やっているわけじゃない。状況を察知し、仕事のようにテキパキと対処しようとしたが、男はとんでもない事をのたまった!
「僕、実は炊飯器君なんだ」
「は?」
「信じて貰えないかもしれないけど、炊飯器が擬人化した存在なんだ」
「はー?」
信じられない。
もしかして目の前にいる男は精神疾患だろうか。その割には目は正気だし、特に不健康そうな表情も見せていない。むしろ、表情はどう見ても普通。
「ほら、見てよ」
男はシャツを捲って腹も見せてきた。心臓部から腹にかけてメカだった。それこそ炊飯器と似たような素材で私は腰を抜かしそうになった。
見た目は普通の青年。しかし、中身はそうでもない?
「まあ、ドラえもんでも来たと思ってね。ねえ、お姉さん、しばらく僕を預かって?」
上目遣いで甘い声も出してきた。
果たしてこれに逆らえるアラフォー独身女がいるだろうか。その上、彼はとても良い匂いがする。
客観的に見たらとてもファンタジーな状況。もしかしたら私の頭がおかしくなってしまったのかもしれないが、この良い匂いに全部誤魔化されてしまった。
特に愛国心のない私でも腐っても日本人なのか。炊きたてのホカホカご飯の香りは、素晴らしい。そうとしか思えなくなり、この頭おかしい状況も飲み込んでしまった。
「わかった。じゃあ、一緒に生活しよう」
「わー、ありがとう!」
炊飯器君は子供のように笑い、私はさらにキュンとしてしまうのだが。
「っていうか、お腹減った。あなた、炊飯器なら、何か美味しいものを作れるでしょ?」
私は会社で部下にするように指示した。
「うん、美味しいご飯作るよ!」
そして炊飯器君はテキパキとキッチンで動き、白米、鯖とほうれん草の和物、味噌汁を作ってくれた。
普段さほど自炊をしない私。味噌汁はインスタント、ほうれん草は冷凍、鯖は缶詰めのだったが、炊飯器君はキッチンにあるもので、ささっと作ってしまった。
しかも美味しい。ご飯は炊きたて。特にツヤツヤな白米が星のように輝いて見えた。
「という事でよろしくね?」
「ええ、よろしく」
こうして炊飯器君との奇妙な生活が始まった。やはり頭がおかしくなったのかもしれないが、美味しいご飯を食べていたら、余計にどうでも良くなった。