家族会議の後、王宮へ
屋敷での殺人未遂の一件と、王妃がやってきてあっという間にルクレツィアを保護した、という一件は、仕事中のシドへと早々伝わった。
兄であるエリオ、そしてルクレツィアの双子の片割れのロザリアは、自分たちの母親がまさかそんなことをするだなんて、と化け物を見るような目でアリソンを見ている。
アリソンはガタガタと震えているが、事情があるにせよ殺そうとするだなんて……と目で訴えかけてくるロザリアやエリオには、バツの悪そうな表情を浮かべた。
ロザリアは、ここに弟のクライヴがいなくて良かった、と心の底から思った。クライヴもルクレツィアのことを馬鹿にしていたが、殺すだなんて発想にはなるわけもない。クライヴが昨年から全寮制の学校に行っていることには感謝したが、シドの言葉に対するアリソンの反論には、ロザリアもぎょっと目を丸くしてしまった。
「何ということをしてくれたんだお前は……!」
「だ、だって、殺してくれと懇願したのはルクレツィアですよ!」
「だからとてお前がやれば、ノーマン侯爵家から殺人者が出ることになるんだぞ!意味を理解した上でやったんだろうな、アリソン!」
あ、と呟いても遅い。
既にアリソンは、王妃や王妃の側近たちの間では、子殺しをやりかけた殺人未遂の犯罪者なのだから。
目の前で繰り広げられた、ルクレツィアに魔法を思いきり打ち付けたアリソンの狂気じみた目に、その日中に何人ものメイドや従者たちは退職を願い出たという。
奥様の意にそぐわぬことをしてしまえば、ルクレツィアお嬢様のように殺されかねない。
私たちは、死にたくないんです。
そんな声の数々に対して、執事長は彼らが辞めないようにと引き止めにかかったが、『お願いですから辞めさせてください!命は惜しいんですから!』と懇願されてしまうと、どうしようもできない。これが一人や二人なら、まだどうにかできたのだが、少ない人数でもなかった。彼らの勢いはすさまじく、全員を引き止めることなど、できはしなかったのだ。
「……クソッ……」
シドは忌々しげに呟いたが、ロザリアを王太子妃にするための適性検査には、出向かねばならない。
王太子であるアッシュ、そして当の本人のロザリアが熱烈に要望したからだ。しかし、王妃が言っていたという内容も気になっている。
「王家と婚約する、本当の意味……」
シドが侯爵としての跡取り教育を受けていたときだったか、あるいは更にそれより前に、父から聞いたことがあるような気がする。
どうして、王家と婚約することが重要なのか。それは、血の問題だけではない。もっと根本的な、その人でなければならない、何か大切なことがある。
アリソンも、王妃の言葉の意味を考えていたが理解できなかった。
どうせルクレツィアが自分のお気に入りだから。ロザリアが王太子妃候補になると、お気に入りのルクレツィアを可愛がれなくなるからだ、とギリギリと爪を噛んでいた。
アリソンは、知らない。彼女の実家は、貴族階級であるものの、高位貴族ではなかった。
だから、教育の種類が、そもそも最初の前提から何もかもが違うのだ。根本は同じだが、高位貴族が常識として教えられることと、下位貴族が教えられることに違いがあることも知らない。
知らないのは最大の罪であるが、ルクレツィアが産まれるまで、ノーマン侯爵家から王太子妃候補が選出されたという記録は残っていない。
疎んでいるルクレツィアだが、王太子妃候補に選出されたことは間違いなく家の誉。
では、どうして、ルクレツィアは王太子妃候補になれたのか。
そもそも、それから考えねばならないが、アリソンが考えるわけもなかったのだ。教えられていないから、調べようとも、しないから、分からないまま、何もかもが最悪の未来へと向かっているとも知らず、時は過ぎていったのである。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ルクレツィアが王宮に保護され、一ヶ月が経過した頃。
ノーマン侯爵家のロザリアに対して、王太子妃となるための適性検査が行われる日がやってきた。
アリソンも同席し、娘が成功させるのをただ、ひたすら願う。
「では、始めます」
宰相の声とともに、適性検査が開始される。
まずは教養試験。これは、さほど問題はなかった。いつも家庭教師に習っているようなことや、学院で勉強していることが出題される。
マナーもきちんとしているし、礼儀作法に問題は無かったのだが、語彙力の低さは指摘を受けてしまった。
「どうしてよ……!」
悔しそうにしているロザリアに、試験官となった王宮勤めの職員は淡々と答える。
「ルクレツィア嬢は、五ヶ国語を読み書き、どちらも可能としております。王太子妃として外交はとても大切な公務ですが……この程度しかないのであれば、お任せできません」
「まぁ、そこは誰かに対応してもらうしか……」
「しかし、王太子妃お一人での公務もあるのですよ?」
「これから死ぬ気で覚える他、ありませんなぁ」
ロザリアの気持ちなどお構い無しに、その職員以外、大臣たちはあれやこれやと言い放つ。
外国語に興味が無いわけではないが、特に必要性を感じていなかったから、追加で話せるようになろうとは思わなかった、というのがロザリアの言い分だが、侯爵家令嬢にしてはあまりにも意識が低いのでは、と更なる追撃を受けてしまう。
「……そなたら、学問の適性検査だけで判断はできぬぞ」
レイナードの鶴の一声で、大臣たちはぴたりと口を閉じ、そして改めてロザリアへと視線をやった。
「次の検査に合格せねば、婚約どころか……だろう」
「そうですわね、陛下。準備を進めなさい!」
ファリエルは待機してくれていた家臣に指示を出す。
言われるがまま、何人かが恭しく巨大な水晶玉を持ってきた。
黄金の台座に載せられた、直径にしておおよそ五十センチほどはあるであろう、大きな水晶玉。
重さがあるのか、もしくは大きさ故に取り落としてしまうことを恐れてなのか、二人がかりで運ばれてきたそれは、とても透き通り、上質なものだと分かる。
「ロザリア嬢に資格があるなら、正しき光を放つはずよ」
正しき光とはなんなのか。
ロザリアはよく分からないままに水晶へと手を翳した。
しかし、何の変化もないまま、時間だけが過ぎていく。周りはじっと水晶玉を見つめ、変化が起きるのかそうでないかをただ、見守っている。
「(何よ……何なのよ……!)」
少しして、水晶はぽわ、と紅く光る。
これが何を意味するのか、ロザリアはよく分からなかった。けれど、光ったことに対してとても嬉しくなった。もしも何の反応も示さなかったら、と。とても怖かったのだ。
だが、周囲の反応はロザリアの喜びを、あっという間に奈落の底へと叩き落としてしまった。
「……火属性、か」
ぽつりと誰かが、そう呟いたのをきっかけに、ぽつり、ぽつりと溢れてくる、明らかに落胆している声の数々。
「ルクレツィア様と双子ならばと、期待はしたが……」
「殿下はどうしてロザリア嬢を……意味をご理解されておらんのか!」
「いかんいかん、火属性は駄目だ。加護をしてくれている聖域を焼き尽くしてしまうだろう」
「女神様のお怒りに触れてしまうことになる」
「せめて風属性であれば……」
「いいや、仮に適性があったとしても、だ。愛し子に選ばれるかどうはわからないですよ」
ロザリアには分からない単語があちこちで飛び交う。
確かにロザリアの得意とする魔法の属性は、『火』。それが何だというのか。
ルクレツィアの属性は『水』。
あんなもの、植物に水をやるしか能のない魔法じゃないの!とロザリアは憤慨する。
火属性ならば、万が一の有事にも対応できるし、寒い時に暖を取ることだってできる。
火がなければ煮炊きだって出来ない。家庭を支えるべきとても大切な魔法だ。そう思っているから、ロザリアにとって大臣たちの言葉は苛立ちしか感じられなかった。
「……アッシュが、この話を聞いてもなお、ロザリア嬢を王太子妃候補にするというならば……我らは考えなければなりません。皆様、お覚悟はよろしいわね」
ファリエルの重い声に、全員が神妙な顔をして頷いた。
レイナードは、頭を抱えて大きくため息を吐き、ファリエルにちらりと視線をやる。ふるふると首を横に振られ、また更に大きなため息を吐いた。
「(何なの……?)」
ロザリアも、付き添いのアリソンも、ただならぬ雰囲気に顔を見合わせる。
これはまさか、王太子妃候補になんか名乗りをあげない方が良かったのでは、とまで思いたくなるほどの、空気の重さがそこにはあった。
「結果を待たれよ、ロザリア嬢。そして、ノーマン侯爵夫人は、ノーマン侯爵と共に後日、登城せよ」
ずしりと重みのある声で、レイナードはそれだけ告げ、立ち去っていく。
アリソンは一体何なのよ、と思うけれど、不満が言えるような立場でも、雰囲気でもなかった。
そして、ファリエルもレイナードに続いて場を立ち去る。
早く、早く、愛し子の治療にまた尽力せねばならない。どうか、目を覚ましてほしい。
ファリエルの今の願いは、それだけだった。