④もう終わりだと信じてた
殺して、とお願いすることは、そんなに悪いのでしょうか。
……あぁでも、この人たちからすれば……意味の分からない言動なのよね。
笑いながら物騒なことを言う私は、さぞかし気持ち悪いことでしょう。そんなことを考えるようになったきっかけを与えた要因が、自分たちだと思いもせず。
蔑ろにされ続ければ、いくら私とはいえど心が疲れてしまいます。ううん、もうとっくに壊れてしまった、と言った方が良いかしら。
気味の悪いものを見るような目で見られ続けるのは、ちょっともう遠慮したいわ。
死にたい理由、
「……あ、死にたい理由は私だけまともな世話をされないことや、家族の枠から私だけ除け者になっている状態が嫌だとか、ロザリアに殿下を奪われるのをもう見たくない、とかではないですから。だって、そんなことは良くあるいつものことですし。それに、このまま食事の提供がなく餓死させられるとしても、二週間……くらいでしょうかね。とっても苦しいだろうけど、死ねるは死ねるので……殺していただけないなら放っておいていただけますか?」
「ま、待ちなさい!い、いつもの、こと?あな、あなた、なにを、え?」
ぱくぱくと、夫人は口を開けたり閉めたり。ご混乱なさっているみたい。
いやだわ、今、夫人がやっているようなことを私がやろうものなら、夫人は烈火のごとく怒り狂い、マナーがなっていない!とご愛用の扇で後頭部を叩くし、髪を引っ張った挙句にそのまま引き倒してお腹を蹴るわ背中を踏みつけるわ、散々するというのに。
自分はやるのね……。他人には厳しく、自分にはとことん甘く、の典型例かしらこれ。
「な、な、なんと、いうこと、を」
「あ」
いけない、うっかり全て口に出て、しまって、いた……のね。夫人の目がまるで鬼のようにつり上がっているわ。私が死にたいと言った時の悲壮なお顔の仮面はどちらに?
美人が怒ると、とっても迫力があって怖いけれど、でも……。
「本当のことなんですから……仕方ないじゃありませんか」
淡々と告げるが、夫人は私の台詞に怒っているだけ。やはりお願いしても、殺してくれそうにない。さっきの言葉で割と煽れたと思っていたし、さくっと殺してくれるのでは、とほんのり期待をしたけど無理でした。
やっぱり演技だった。それが分かっただけでも収穫なのです。えぇ。
殺してもらえないのであれば、自死してしまおう。今まで繰り返した私は、どうしてこんな簡単なことをしなかったのかしら。
自死してしまえば、もっと早くこのよく分からない繰り返しの人生から抜け出せた可能性があるのに、私は……どれだけ期待していたというのかしらね……呆れて笑ってしまいたくなる。
心が壊れているだとか、頭がおかしくなったとか、何とでも言えば良い。
その原因を作ったのは、家族であるあなた方と、婚約者と、王家なんだから。
────あれ?
今、強烈な違和感があった。
私、何を、思ったの。王家って、だって……王妃様と陛下は、私を、とても大切、に……して、くれてい、た?
大切……?
考えたいのに、思考が白く塗りつぶされていくような、奇妙な違和感が私をすっぽりと包み込んでいく。
でもその違和感は一瞬で消え去った。あまりに自然に、さっきの違和感はなくなっている、と思う。おかしい、と考えることも出来ないし、違和感が何だったのかも分からない。違和感を抱くことがあったのかどうかすら、分からない。
そんなことよりも、今は私の想いを叶えたい。それが最優先として、私の体を突き動かす。
こちらを睨みつけていた夫人に対して、私は興味は返さない。興味すら、もう、持てないのだから。
「あなたも私に対して死ねだとか言ったくせに、自分の手は汚したくないんですものね。そうよね、殺人者には誰だってなりたくないわ。なら、別の方法で、もう終わりにいたします」
言い終わるやいなや、私は駆け出した。
誰か、助けて。
何度も何度も、私はただひたすらにそう願っていました。
御伽噺なら、かっこよくて素敵な王子様がどこからともなく助けに来てくれて、連れ去ってくれて幸せに過ごすの。
庶民の間で大流行の恋愛小説ならば、隣国の素敵な王子様が、家族を、皆をまるっと断罪して、地獄のような世界から私を救い出して幸せにしてくれるはずなの。
繰り返しすぎて、そんなことすら考えられなくなっていきました。あまりに多すぎるわよ、99回って。
でも、もう全てを終わりに、します。
ふふ、とっても呆気ない。こんな簡単なことを、私はどうして選ばなかったの?
「ルクレツィア!!」
夫人の叫び声は聞こえた。止めるでもなく、ただこちらに慌てて手を伸ばしただけで、何もしようとしない。できない、とも言えるのかしら。
そういえば、丸一日何も食べていないけれど……どうしてこんなに体が軽いと感じてしまうのかしら。
空腹に慣れているだけだとばかり思っていたけれど、他に何か要因がある……?
けれど、動かないままの夫人が動いてこちらに来る前に。
あと、もう少しなの。
駆ける、というには短い距離だけど、追いつかれないように素早く移動をした。
私は、いつも何かあったときの護身用に、魔力を込めた短剣をベッド横のサイドテーブルの引き出しに忍ばせておりました。
命を狙われるかもしれないと思っていたけれど、いつも何も無かった。自死すら選ぶこともなかった。
記念すべき100回目は、違う。
99回も繰り返すだなんて、本当に……本当に、私は馬鹿だったわ!こんなことを繰り返させたのは運命の女神の仕業なのか、あるいは他の何かの力が働いたのか。
そうさせた『何か』があるとしても、もう良いの。これで解放されるはず。
今まで自死を選ばなかった理由を聞かれたら、私はこう答えるでしょう。
『ほんの少しでも、砂粒程度の愛してもらえる可能性があるならば、それに賭けたかった』と。
御伽噺の奇跡が、万が一にも起こり得るかもしれない、だなんて……今思えば、何て途方もない願いなの?そんな奇跡なんか起こり得るわけがないのに。
たとえそうだとしても……私は、信じたかった。『家族』を、信じていたかった。
引き出しを開け、短剣を手にして鞘から抜く。
──ふふ、綺麗な装飾だわ。さすがの細工が施されているわね。
「さようなら、こんなクソみたいな世界!」
迷うことなんかしない。
私は、私の喉をかき切った。
「いやぁぁぁぁぁ!!ルクレツィアーー!!」
どうしてあなたがそんな悲鳴をあげるのかしら。疎んでいた存在がいなくなるのよ?喜んでほしいくらいだと言うのに……。
「お嬢様!!」
「誰か!!治癒魔法を使える人を呼んできなさい!!」
「早くして!!」
「……ざ…、…ぁ…みろ」
ふは、と奇妙な笑いともなんともつかないものが、口から零れた。
ごぶごぶと、口からも血が、首筋からもどぶどぶと血が流れ、溢れる感覚がある。
ナイフをぐぐ、と押し込む。これを思い切り引けば噴水のように、もっともっと血が溢れるはず。
泣きたくなるほど痛いけれど、それよりも解放される喜びの方があまりにも強くて、私はきっと今、笑っている。
あの夫人が、信じられないと言わんばかりの顔でこちらに駆けてくるんだもの。私を抱き抱えようとするけど、血が凄すぎてたじろいだ。
そうね、貴女ご自慢のドレスが汚れてしまう。
「ルクレツィア!」
……まぁ、治癒魔法をかけてくださるの?そんな無駄なことをしなくても良いのに。
そもそも、この夫人が使える治癒魔法なんてたかが知れている。こんな途方もない怪我を治すほどの治癒力は無い。
「ルクレツィア!!駄目です、死んではなりません!!あな、あなたは!わたくしの自慢の、娘なの!!」
泣きながらわたしを治療しようとしている。
ねぇやめて?
やっと、地獄から解放されるんだから。私は、ようやく自由になれるのよ。
〈駄目〉
え?
頭の中に聞こえた、聞いたことのある声。
この声、確か……巻き戻る前に、『今度は大丈夫だから』って……聞こえ、た?
〈今は、死んじゃ、駄目〉
「……ど、して」
周りの音が全て消える。
夫人が発動させている治癒魔法の光は見えるけれど、私には届いていない様子。
夫人の治癒魔法が効いていないにも関わらず、私が切りつけた場所にあったはずの痛みはあっという間に消えている。
私は、確かに首を、……切った。
それに、短剣までいつの間にか遠くへと移動している。短剣は今しがたまで首筋にくい込んでいたのに。
そして……間違いなく、どくどくと脈打つたびに血が、溢れていた、はずなのに。
「……痛く、ない。傷が……ない?」
何で、どうして。それだけしか考えられない。
嫌よ。
私は、私を、終わらせるんだから。
〈貴女は『特別』なんだから〉
私の考えに呼応するように聞こえる声。
とても軽やかで、可愛らしい声だけど……誰の声なのか分からない。
「……え?」
確かに私は切りつけて、さっきまで激痛が走っていて、ずっと、痛くて。
それなのに、痛くないのはどうして?
〈わたくしの大切な愛し子、今回は本当に大丈夫なのだから……もう少しだけ生きてちょうだいな〉
「あなた、だれ……ですか……」
我ながら、頭の悪い質問だと思ったわ。でも、それしか聞けないじゃない。
何でこんなことをするのか、よりも、『こんなことをするのは誰』なのかが気になった。それに、愛し子って……何?
〈時が来れば、何もかも分かるわ。それを早めますからね〉
ちらりと視線を動かせば、私の血によって散々なほど血まみれになったはずのドレスにも、血は付いていない。
首を切る前に時間が戻されたということなのだろうか。夫人の治癒魔法なんかではないことだけは、間違いない。
夫人が治癒できるのは小さな切り傷とか、日常で負ってしまった軽い怪我くらいだもの。
ロザリアがとてつもなく些細な切り傷や、転んでできた傷をよく治してもらっていたようだけど、本当にその程度。重症であれば、教会の神官に依頼をするか治癒魔法士に依頼をするしかない。
だから、自分でここまでやれば終わりだと信じていたのよ。
「それなのに……死ねない、の?」
涙が溢れてきてしまう。
終わりになると、ようやく解放されると思っていたのに。終われないだなんて、ひどい。
「本当に、もう、嫌なんです……」
〈勝手なことだとは分かっているわ。でも、これには理由があるの。お願いよ、わたくしの愛し子〉
懇願する声が聞こえないわけではない。
けど、私の死にたいという願いは、どうなるの……?
「……誰か」
────助けて。