32.一緒に歩いていく私たち
最後に、とお願いしてルーカスに付き合ってもらって、王都を良く見渡せる丘へとやってきた。
大きな樹があって、その下でゆっくりとお弁当を食べることは、とても楽しかったという記憶がある。これはきっと、『私』ではなくてかつての『ルクレツィア』が持っていた、家族が仲良かったころの記憶だろう。
魂の入れ替えによって、『ルクレツィア』の記憶は染み付いているかのごとく離れてくれない。
元の世界に戻れて、きちんと神界に馴染んだことで、人間だったころにまだ『家族』が機能していたころの微かな記憶は残っている。
その中にあった、この景色。
「……」
「へぇ、結構綺麗に見えるんだな」
「そうね……」
魂の入れ替え、だなんて高度な呪いを、ロザリアが唆されたとはいえ手を出さなかったら。
そのコンプレックスをばねにして、自分の力で……王太子妃とまではいかなくても、王子妃なんかを目指していれば、きっと彼らはまだマシだったのだろう。
「結局、ノーマン侯爵家は、もうなくなった」
「?」
「ロザリアがほんの思い付きで、やってしまえ、くらいの軽い気持ちでやり始めたことだけれど、異物を愛せなかった侯爵や夫人も巻き込まれて、……ああ、そういえばお兄さま、とかいう人もいたわね」
「……ルクレツィア」
ぽつりぽつりと零していく私を気遣ってか、ルーカスはそっと背中に手を添えてくれる。きっと、彼ならこうしてくれるんじゃないか、って思っていた。
こんなことを考えているんだから、私も大概なのかもしれないけれど……いつしかこの手が、心地いいと思えるようになってきているのはきっと、ルーカスが私のことを諦めないでいてくれているから。
「……何人もの人生を狂わせて、申し訳ないと思ってしまうけれど……私は……」
ただ、とりとめのない言葉だけれど、ルーカスは黙って聞いていてくれる。それが、どれだけ私の気持ちを救ってくれているのか、彼は知らないかもしれない。
「私はね……彼らに対して『ざまぁみろ』としか思えないの」
ああ、うっかり零してしまった。
嫌われても、これが本当の気持ちだから、言わずにいられなかった。
「……ごめん。でも……」
「いや、そりゃそうだろ」
「え」
慌ててルーカスの方を見れば、何を今更抜かしてるんだ、とでも言わんばかりの顔でこちらを見ている。私、一応あなたの前だからとっても、とーっても気を遣ったんですけれども!?
「こっちだってな、いきなり婚約者の中身入れ替えられて、何かわけのわからんことを言いまくっている不審者の相手をずっとしてたんだからな! 俺だってとばっちり食らってる!!」
「……それもそうね」
ノンブレスで叫んだルーカスの言葉に私は、ついうっかりハッとしてしまう。
それはそうなんだけど、そこまで気が回ってなかったのよ……! でも、そっか。ルーカスも同じ気持ちだったんだ。
「大体な、ダイアナ様だってとばっちり食らってるんだからな!?」
「……それもそうよね」
「魂が交換されて、ぐちゃぐちゃに引っ掻き回されて、神界の住人でさえも見抜けない、ダイアナ様ですら見抜けないまま、長い時間を過ごしているんだ。……ああ、お前はもっと長い時間を一人で耐えたんだったな」
「……」
「もっと早く、周りを説得できていれば、お前のことをもっともっと早く助けてやれたんだ。だから……」
「待って」
ルーカスの言っていることも理解できるけど、ルーカスだけの責任じゃない。
「やらかした馬鹿のせいで、こうなっちゃったんだから。だから、あの、ええと」
「慰めるのへたくそだもんなぁ、お前。昔もそうだった」
ルーカスの手が伸びてきて、不意に私の鼻をむんず、と掴まれる。女性の顔に何てことしてくれてんのよコイツ!?
「んむ!?」
「あっはっは、間抜けな顔」
唐突だったから驚いたけど、とりあえずルーカスがいつまでも鼻を掴んだままだったから、私は遠慮なく彼の腕をばしり、と叩く。
「いって!」
「人の顔に何てことしてくれてんのよ!」
遠慮なく叫んだ私に、ルーカスがふっと表情を緩めて、どこか安心したような顔になっている。……もしかして、相変わらずの彼なりの配慮、っていうやつかしら。でもね、鼻は痛いの。ちょっとじんじんしているのよね、全くもう!
「お前、どうせさっきの恨み言吐き出して、俺に嫌われるとか何だとか、おかしなこと考えてたんだろう」
「……悪い?」
「それって」
「勿体ぶらないでよ、さっさと言って」
「多少なりとも、俺のことは異性としてきちんと認識してくれている、っていうことだからな、分かっただけでも収穫だ」
「は、はぁ!?」
確かに私はルーカスに嫌われたくないって思って、ぐちゃぐちゃした感情を全部吐き出して、それでも嫌わないでいてくれるのか分からなかったから、試すようなことをした、っていう自覚もあるけど……。
「は、はっきり言わないでよ! 恥ずかしい!」
「やったのはお前だから、俺はフォローしませーん」
「ちょっと、ルーカス!」
「受け止めてやるから」
「……え」
笑っていたルーカスが、ふと真顔になって、私にきちんと向き直る。
そして、その場にすっと膝をついてから胸に手をあて、私に対してもう片方の手を伸ばしてきてくれた。まるで、お手をどうぞ、と言われているようで、思わず見入ってしまった。
「だから、もう怖がるな。……それから、俺の……いいや、俺やダイアナ様、神界の皆が、お前を『愛している』っていうことも、受け入れてくれ」
「……それ、は」
「もうそろそろ理解しているんじゃないか? ルクレツィア、お前が帰ってきてから、しばらく経った。確かに、あのニセモノに対して心酔している馬鹿どもが、お前に対して酷い物言いをしていたことも事実だ」
……そう、だ。
私は、かつての侍女長や、恐らくかつてのルクレツィアを贔屓していたメイド、使用人、彼らの悪意を受けることが嫌で――。
どうして、元の世界に帰ってきてもなお、私はこんな想いをしなければならないのか、と何度も叫んだ。誰にも聞こえないように、誰にも悟られないようにしながら、こっそりと。
「……」
「ルクレツィア、どうか」
「……人が変われば……周囲は必然的に変わる。だから……とでも言いたげね。ごめんなさい、可愛げのない返答しかできなくて」
「いいや、構わないさ。それほどまでにお前の心を、我らが傷つけてしまった、ということに他ならない」
身体的な傷であれば、治せる。心の傷は――治せるのかどうか、いいや、常に私を蝕むだろう。私が変わる、と心から決めなければ……この感情をどうにかするだなんんて出来っこない。
「確かに、私は……『またか』って、思っていた。不貞腐れていた、っていう方が正しいのかもしれないけど」
「そうなって当然だ」
「だからね、私……思ったの」
「?」
「あるべきところに帰ってきたんだから、いつまでも不貞腐れていないようにしよう、って。でも、最初があれだったでしょう? ……まだ私は……色々引きずっているのかもしれない」
ルーカスは、そのまま私なんかの言葉を聞いてくれている。私も、そのまま言葉を続けていく。
「それでも、時間は止まってくれない。もう、元に戻ったんだから、いつまでも不貞腐れたままなんかじゃいけない、って……今、やっとそう思えたのよ」
だからね、と言いながら私はルーカスの手に、自分の手を重ねた。
「ルクレツィア……!」
「その代わり、私……あなたにとっても頼るわ」
「勿論だ」
「だったら……愛情を感じたから、って体が痒くなっても、喚いている場合なんかじゃない、わよねぇ」
思わず苦い顔になるけれど、それでもルーカスは私に対して微笑みかけてくれる。
「そうだな。だが、きちんと支えよう、未来の女王陛下」
「……やだ、もう痒い」
「それからもう一つあるんだが」
「何?」
これ以外に何があったのだろうか、と首を傾げていると、ルーカスは私の頬にそっと触れてきた。……何かしら。
「もう、『死』を選ぼうとしないでくれ。……お前にとっては99回のやり直しをしてきていて、皮肉を言えば記念すべき100回目のやり直しの最中だ。これを、最後にしてほしい。最後の1回だから、目一杯足掻いて、生きてくれ」
「ああ、そんなことなら……」
「俺と、一緒に」
私が頷きつつ答えようとした言葉にかぶせるように、ルーカスが真剣な表情で言う。
「そ、れは」
婚約者なんだから当然、と続けたかったけれど……真剣さや言葉の重みが、何だか私が想像しているものとは異なっている、ような気がする。
それでも、私はルーカスの手を離したりなんかできない。
「……良いか?」
「私は……あなたを頼りにしているんだもの。それに、あるべき姿にもどったんだから……あなたが所謂王配になってくれる、っていうことでもあるんでしょう?」
「お察しの通りだ」
ようやく、ルーカスの表情が緩んで、何やら不敵な表情になった。
「そうと決めたら、俺はお前を徹底的に支えてやる。それから、アレルギーがどうとか、だなんて気にならないくらい愛情注いで、お前に幸せで笑っていられる未来を送ろう」
「…………こういうの、愛が重い、っていうんでしょう。知ってるわ」
「長年探し求めた相手が帰ってきて、ようやく隣に立ってくれるんだ。遠慮なんか誰がするか」
そう言い切ったルーカスを見て、思わず目が真ん丸になってしまい、どちらからともなく私たちは笑う。
――この人のおかげで、私は未来へ歩いていける。それはきっと……とっても素敵なことなんじゃないかしら、って……思うの。




