㉕お出かけ日和、時々、遭遇 2
「それでは行ってまいります」
「はい、気を付けて」
にこにこと手を振ってくれているダイアナ様に、私はほんの少しだけためらって。でも、何か一歩を踏み出さなければ、と思っておずおずと手を上げる。そして。
「……い、って、きます。……母様」
「……え」
周りでは『姫様のツンデレが直った!』『いやあれはまだだ!』『物凄く照れている!』『姫様、頑張りましたね!』と、あちこちから色んな言葉が飛んでくる。
お願いだからちょっと黙ってほしい。
あとついでに、本当に恥ずかしいんだから、やめて……!
「ルクレツィア……今……」
「い、いいいいいい、いってきます! 転送装置、作動開始!」
「ダイアナ様、行ってきまーす」
「あなた本当にそういうところよ!?」
感動して抱き着きに来ようとしていたダイアナ様を振り切らんばかりに声を張り上げた私だけれど、ルーカスはしれっとダイアナ様に笑顔で手を振っている、って、何で!?
私だって、私だって何か色々なかったらそうしたい!
アンナはとっても生温かい目でこっちを見ていて、『姫様が……頑張ってる』と、ほろほろ涙を零しているし……何なの、本当にもう、何なの!
「そういうところ、って俺はダイアナ様と普通に話すし」
「ああもう、あなたね!」
「ルクレツィア、いってらっしゃ~い! 帰ってきたらお母さまとお話ししましょうね~!」
「女王陛下、であれば書類の処理を……」
あれこれ聞こえてくる中、私とルーカスは転移装置が作動したことによって、眩い光に包まれてしまう。
お互いに何かあってはいけないからと手を繋いでいたけれど、そこに自然とぐっと力がこもる。もしも、転移の間にはぐれてしまったら、嫌だ。
「……ルクレツィア」
「……ん」
どうか、どうかはぐれないでください。
固く目を閉じて、必死にそう祈っていたら、不意にルーカスから声がかけられた。
「……あれ」
「到着したらしい」
恐る恐る目を開ければ、何となく見慣れた造りの建物。
ああ、ここは……と思っていると、ぱたぱた、と複数人の足音が聞こえてきて、部屋の扉が開かれた。
「ルクレツィア!」
「王妃殿下……ご無沙汰しております」
私を呼んでくれる、とても懐かしい声。
泣きそうになることをぐっとこらえ、かつての王太子妃教育で習っていた、王族への礼をすっと披露すれば、ファリエル様は嬉しそうな、けれど少しだけ泣きそうなお顔でこちらを見ている。
「……あの、王妃殿下?」
「……良かった……貴女が、笑っていて、くれている……!」
「え……?」
ファリエル様の言葉に、どうしたものかとルーカスを見上げれば、彼もこっちを見ていた。
「ルーカス……」
「元の世界に帰ったばっかりのお前は、常に気を張っていたからな。今は緩んでる、ってことだよ」
「……え」
繋いでいない方の手で、私は自分で自分の頬に触れてみる。
何がどう変わったのかは分からないけれど、私は……そんなにも張り詰めていて、顔が怖かった?のだろうか。
自分では何かを意識したつもりはないし、向こうに戻ってから……ああ、感情大爆発させて、色んな人を困らせたっけ。でも、こちらでもそれはやった……けど…………元・母親に私を殺させようとか色々企んでみたくらいかしら?
「ルクレツィア」
「……はっ」
「余計なこと、今は考えなくていいから。……ほら」
ルーカスが、私と繋いでいた手を一度離して、背に触れたかと思えば、軽くとん、と押し出してくれる。
「わわ……って、あ……」
「……ルクレツィア」
ファリエル様の目には、涙があった。
瞬きをすれば、きっと今にもあふれ出しそうなくらいに、目一杯たまったそれを見て、私も何故だか胸がじわりと熱くなるような、そんな感覚になってしまう。
「ファリエル……様」
「なぁに、ルクレツィア」
「あの、お騒がせ、を」
「良いの」
ふ、と微笑んでファリエル様が微笑んだ。ぽとり、と涙が溢れ、そのまま落ちていく様子を見ているがままに、私はファリエル様にぐっと引き寄せられて、抱き締められてしまった。
「……っ」
「もっと、早く気付いてあげられていたら、って、何度も何度も考えて、しまって」
「……はい」
きっと、これはファリエル様なりの懺悔なのかもしれない。
でも、そんなものはいらない。
ファリエル様が謝ることなんて、何一つだってない。もしも、私がきちんと周りを頼って、相談できていれば、ここまでややこしいことにはならなかったんだろうと思う。
けれど、あの時の私はそんな余裕なんて一切なかった。
ただただ怖くて、死にたくなかったから、違う行動をしようと躍起になっていた。でも、実際蓋を開けてみればそもそも、私がここの世界の住人ではないということも分かって、本当のお母さまのことだって分かった。
私が、『異物』としてこの世界に認識されていた。
それと同じ。
『あの子』も、異物と認識はされていたけれど、決定的な違いがあった。
私は愛されていなくて、『あの子』は、私が本来いるべき場所で、目一杯の愛情を貰っていた。
色んなことが天地の差だったから、私はとても嫉妬した。羨ましいと感じた。私だって、『それ』が良いと、ほんの少しでも願ってしまった。
私は、『愛される』ことを知らないまま、何回も何回も死んで、繰り返して、心が疲弊していったのに、『あの子』はただ逃げようとしただけ、だなんて――。
「けれど……本来あなたが、愛されるべきだったの。それだけは……分かって」
「……っ」
もしかしたら。
入れ替わらなければ、『あの子』にとってこの世は単なる地獄だったに違いない。いいや、地獄だった。
ダイアナ様は、会ったとしても関わっていけないと、そう言っていた。
それはそうだろう、と思う。
私は、『あの子』の家の何もかもを破壊した張本人なんだから。ただそれでも、ひとつだけ言えることがある。
――もう、私は、私を奪わせたりしない。
「ファリエル様……私を、支えてくださって、本当にありがとう、ございました」
「ルクレツィア……」
「私、もう……『私』の場所を奪わせたりなんかしません。……だって」
ルーカスを振り返れば、何だ、と言わんばかりの彼と視線が合う。
「私にとって、譲りたくないものが、場所が、いっぱいできてしまったので」
もう一度、ファリエル様の方を向いて、宣言する。
「だから、ファリエル様。どうか……『あの子』とは、会わせないでください。私と、ルーカスを」
「……ええ、そうね」
何かを決めたような、そんな顔でファリエル様はしっかりと頷いてくれる。更には、近くにいた近衛兵だろうか。その人を見て、何かを合図している。
「ファリエル様?」
「……ごめんなさいね、実は……」
困ったようなファリエル様の口からは、恐ろしいことが語られた。
『あの子』が、今、この王宮にいる。
「――え?」
「……人間界の王妃よ」
ルーカスがそう呼びかければ、ファリエル様はすっと膝をついて頭を下げた。
「はい」
「……名を、リネーアと変えた……アレか」
「……はい」
「何故、このタイミングで」
「我らも意図しておりませんでした、が……」
ぴく、とルーカスの眉が上がる。ああこれは、とても怒っている。そう、すぐに分かるほどの雰囲気が彼を覆っていた。
「……面会を、望んだのです。ロザリアが、……リネーアと」
「何だと!?」
ルーカスがそう叫んで、ぐっと私の体を引き寄せ、彼の腕の中へとすっぽりと抱き込んだ。な、何!?
一体全体、いきなり何すんの!?
「……呪いをかけた者が、何故今更……そしてあの娘も何を考えている!」
「ちょっとルーカス、少し落ち着いて……ね?」
私の言葉に、少しだけ落ち着いてくれたのか。ルーカスは大きく溜息を吐いてから、改めてファリエル様と向き直っていた。
「……すまない。だが、会わないよう配慮をしていただけると助かる」
「勿論でございます」
深々とファリエル様は再度頭を下げ、そして近衛兵に指示をする。とはいえ、こんな広い王宮の中ですぐさま出会うことになるだなんて……私も、ルーカスも、全く想像していなかった。




