㉔彼女の平謝りと、彼か抱いていた違和感
「……ごめんなさい……! 本当にごめんなさい! まさか寝ている私を運ぼうとしてくれていたとは知らず!」
「いや、まぁ大丈夫なんだけど……」
「でも、その……ごめんなさい」
「謝れるようになったのは前進か?」
「貶してる?」
「褒めてる。てか、お前ほんっっっとに眉間にシワ寄せまくって寝てたんだな、何、癖?」
「……癖というか」
「さっさと直せ。さっきは普通に寝てたんだよ、お前」
「嘘!?」
「本当だ」
「そうそう簡単に直るもんでもないでしょう?」
なぁ、とルーカスがアンナに問いかければ、アンナはうんうん! と何度も頷いている。
けれど、私のその後の言葉で二人揃って『はぁぁぁぁ』と深く溜息を吐いているし……仲良しね、二人とも。
とはいえ、さっきの私の言葉は開き直ったように見えるかもしれないけど、寝てる間のことはどうしようもないと思うの。
前の世界では……あれは、そうね。虐待、と言われるようなことが日常茶飯事に行われていた。
食事を抜かれる、勉強をサボったといって手のひらを……いいや、手のひらだけではなく背中や太ももと思いきりムチで打たれる、婚約者に無視されたと報告すれば私の性格がひん曲がっているからだ、とよく分からない指摘を受ける。
婚約者が他の女とイチャコラしていたら、嫌な顔にだってなるでしょう?いくら家同士の結びつきとか色んなことを考えた上の婚約だとしても、れっきとした浮気だもの。
そういえば、あの王太子殿下と……私の双子の片割れって、どうなったのかしら。
私から婚約者を奪いたい、というよりは私のことをからかって見下して、羨ましい、という単語を引き出したいような雰囲気ではあったものの……家同士が定めた婚約をひっくり返さんばかりの馬鹿みたいなことをやらかした人たちを、許すなんてことできるわけない。
「…………ルクレツィア」
「…………」
「おい、ルクレツィア!」
「はっ」
「何考えてるんだ?」
「あー……えっと」
「?」
いつの間にか考え込んで、しばらく黙り込んでしまった私の顔を、ルーカスがじっと覗き込んでいた。
ようやく見慣れた顔だから、前みたいにぎょっとして後退ることはなくなったけれど、本当に綺麗な顔立ちをしている人よね……と思っていたら、『ほら、続き』と促されてしまう。
「あの、私……というか、入れ替えられてた『ルクレツィア』の双子の片割れ?がいたでしょう?」
「あぁ、何か居たな」
「何か、って……」
「俺は基本的にルクレツィア、というかお前を探しまくっていたから、お前以外興味を持ってなかったんだが……そもそもその片割れとかいう奴は、お前を含めてもう一人を貶めた奴だろう?」
「……まぁ、それ。うん、そう」
「そいつがどうした?」
「今、どうしてるのかな、って思ったのよ」
考え込んでいるルーカスを観察していると、割と面白いなぁ、と思う。
多分……『そんなヤツ居たか?』とか、『誰だっけ……』という副音声がしっくり来るような顔をしているから、思わず私は吹き出してしまった。
「……どうした?」
「いや、何だか……あまりにもどうでも良さそうで」
「どうでも良いさ」
吹き出してから、ふとルーカスを見れば、すごく真剣な彼と視線が合う。
「……どうでも、って」
「何回でも言う、俺は、お前以外どうだっていい。だから、気付けたんだ」
すっとルーカスの手が、私の頬へと伸びてきて、とてもとても、優しく触れられる。
壊れものを、大切に取り扱う様に。
宝物の、ように。
「あ、の」
「今は名前を変えている、お前と認識されていたあの女」
「……」
誰だっけ、と思う。
ルクレツィア、という名前だけれど、それだと私と彼女が混同してしまうから、という理由で、ファリエル様が早々に彼女の名前を変更するという手続きをした、とのこと。
確か名前は……。
「リネーア、だっけ」
「何かそんな感じの奴」
「もう、ルーカス」
「……馴れ馴れしかったんだ、俺に」
「それは……」
それはそうじゃないの、と言いかけて、ルーカスの顔色が少し悪くなっているのが分かる。
少しだけ心配になって、こっそりとアンナに『お茶、用意して』とお願いすれば、駆け足で走って行ってくれた。
きっとアンナのことだから、気分が落ち着くようなお茶を選択してくれるでしょう。そして、お菓子も用意……してくれれば良いな、と願いながら、ルーカスと隣になるように座って、そっと彼の背に手を添えた。びく、と一瞬ルーカスの体が揺れたので、思わず離すとルーカスから『元に戻してくれ』と言われる。
これはつまり……触れても良いっていうこと?
そう予想して、そっと再び触れた。
「……ああ、やっぱり、違う」
「違う、って」
どこかホッとしたようなルーカスの声に、今度は私が困惑してしまう。
一体どういうことなのかしら……。
「お前だと、安心できるんだ。触れられても、その場所からルクレツィアの魔力がじわっと流れ込んでくるような感じがある」
「……そうなの?」
うん、と頷いてルーカスは迷いながらも言葉を続けてくれる。
「きっと、それは俺たちという種族の特性なんだろうと思う。けどな、あいつは……リネーア、だったか。あいつに触れられた時は……言葉で言い表すことが難しいんだが……嫌悪感、に近いかもしれない」
「嫌悪感……?」
「ああ」
単に『私』じゃない人が触れることが嫌とか、そういうわけではないようなルーカスの様子に、私もつられるように難しい顔になってしまった、とほぼ同時。
ぺた、とルーカスの手が伸びてきたかと思えば、私の頬に触れた。
「な、何?」
「お前はどうだ?」
「どう、って」
思い返してみても、私はあまり他人に触れられることが多くはなかった。
それに、触れ方が……。
「ルーカス、ちょっと」
「ん?」
「……」
頬にあったルーカスの手を握り、そのまま彼の手を私の両手で握る。
「……おい、ルクレツィア」
「こっちの方が、私には馴染みがあるというか」
「……どういうことだ?」
「こうやって触れられることはあっても、ルーカスが私の頬に触れたみたいに、大切になんかされたことはないわ」
はっきりと言い切った私を見て、ルーカスはぎょっと目を丸くした。
……ああ、言いたくなかったけれど、彼に対してはこんなにもするりと言えてしまうのね。
「……婚約者、だろう?」
「婚約者みたいな扱い、受けたことなんてないわ」
自嘲気味に呟けば、ルーカスの手が強張っているような感覚になった。
どうして、と言わんばかりの顔で、私を凝視している。
――私は、思わず苦い表情を浮かべた。
「どうして、なんて……言わずもがな、でしょう? あの人たちは、私を……本当のルクレツィアの代わりにいたぶることこそが、何より楽しかったのだから。それがまさか手を噛むだなんて、思ってもいなかったんでしょうね」
「あー……」
小さな声で、そうだよな、と呟いているルーカス。
でもね、それは貴方の罪なんかじゃない。それを企んだ張本人が何もかも悪い。壮大な姉妹喧嘩は他人を巻き込まないようにしてやっていただきたいものだわ。
何だかすごく微妙な顔をしているルーカスを少し観察していたけれど、彼の手を改めてきゅ、と握ればようやくこちらをきちんと見てくれた。
「悪い」
「ううん。……まぁそのだから、あなたがしてくれるみたいに、頬に触れてくれるとか甘いこと、されたこともないわ。優しくされたことだってない。だからかしらね、その、甘くされると、こう、もぞもぞするというか、痒くなるというか」
「アレルギーかよ。人間でもないのに」
「種族が違えど、そういうのってあるんじゃない? 種族が違うからない、だなんてそれは決めつけでしょう?」
きっと、その時の私の顔は『にま』と効果音が付きそうなほどの笑顔だっただろう。
見たルーカスが、思わず硬直している。とっても貴重な顔なんだと思うわ。役得、っていうのね、こういうのは。
――いつの間にか、私の心を溶かしてくれた大切な人になってしまったんだもの。
こちらに帰ってきて、ずっと、ずっと寄り添ってくれた人。
大切に想わなければ、いつか罰が当たりそうで。手放すだなんて、考えられない。
「……お前、人間臭くなったな」
「何とでもどうぞ、どっかの馬鹿が入れ替わりとかいうふざけたことをしてくれたおかげ、よ」
「本当、本質は全然変わってないところに余計なオプション付けてからに……!」
「ふふ」
暗い表情だった私たちは、何でもない会話をして、また笑い合った。
とても穏やかな時間だったけれど、そういえば、とふと思い出した。
「――あ」
「どうした?」
「ダイアナ様から、『ルクレツィア、最近頑張ってお勉強していたから息抜きでもどう』、って一日お休みをいただけることになって」
「早く言えよ、いつだ」
「いつでもどうぞ、って……」
「……予定、確認しておく」
「うん」
出かけるなら、この人しかいないもの。
ダイアナ様をお誘いしたけれど、『そこはわたくしではないでしょう?』といたずらっぽく微笑まれたことは、内緒にしておこう。
「何だ?」
「何でもない」
また、何でもないやりとりをして、握っていたままだったルーカスの手を、私は離した。
お出かけの日の予定を確認しよう。私の予定も、ルーカスに共有する必要があるから、お茶を持ってきてくれたアンナにお願いをした。




