王太子は報告した
「は?」
国王夫妻は、息子の報告を聞いて目を丸くした。
「あなた、いま、なんと」
わなわなと震える王妃は、化け物を見るような眼差しを、息子であるアッシュへと向ける。どうしてこの息子は馬鹿なことを言い出すのか、しかもいきなり。そういう意味を込めて睨んだが、アッシュはどこ吹く風で胸を張ってから、自信満々に言葉を繰り返した。
「もう一度言います、婚約者をルクレツィアからロザリアへと変更してください。……ルクレツィアは本当に馬鹿でどうしようもない短絡的すぎる、役たたずなんですから。あれが将来の俺の妻だとか、冗談は本当にやめていただきたい」
はぁ、やれやれというオマケの言葉が聞こえてきそうなアッシュの態度と、驚愕に目を見開いている国王と王妃。我が息子は本気で今、この場で発言しているのかと、そう問いかけたかったが本気そのものらしい。
そもそも、どうしてルクレツィアとの婚約が成されたのか。本来の目的をアッシュは綺麗さっぱり忘れてしまったようだ。
「……本気なのね?」
「はい!」
アッシュは確か今年十六歳で間違っていなかったわよね、と王妃ファリエルは自然とジト目になり、隣のデスクで仕事をしていた国王レイナードと目を合わせ、早々頷きあった。
「では、そのロザリア嬢は何ができるの?」
「へ?」
ファリエルに問われ、アッシュはきょとんと目を丸くしてしまう。
「語学が堪能なのか?」
「え?」
次いで、レイナードにも問われ、更にアッシュはぽかんとした顔になってしまった。
これは恐らく、いや、間違いなくぱっと思い立ってから口にしているな、という結論に至り、国王夫妻はタイミングを合わせたわけではないが、同時に『はぁぁぁぁぁ』と深すぎるほどのため息を吐いた。
「え、あの、父上、母上?」
「ルクレツィアは、四ヶ国語を話せるわ」
「はぁ」
「ルクレツィア嬢は、諸外国の方々からの評判がすこぶるいい」
「へ?あれが?」
「加えて、もう王妃教育へと進みかけておりますが」
「はい」
「あなたが言う、そのロザリア嬢は、それに匹敵するくらいの優秀さは当たり前に持っているのでしょうね?」
両親から滾々と問われ、アッシュは狼狽えてしまった。
ロザリアとは、話していて楽しい。ルクレツィアと話すよりもずっと楽しく会話ができる。
……それだけだった。
でも、容姿は双子だけあってルクレツィアと同じ。ということは、ロザリアもやればルクレツィアと同じくらい勉強だって当たり前にできるんだろうと勝手にアッシュは想像して、すぐに表情を整えた。
「大丈夫です!」
「だから何が」
笑顔の息子の断言に、ファリエルとレイナードは同時にツッコミを入れる。
何に対しての大丈夫なのか、サッパリ不明。どうして断言できるというのか。王太子妃を選ぶということが、そもそもどういうことかを理解しているのか?と、畳み掛けるように問い掛けたかったが、そうしたところでアッシュがまともに答えられるとも思えないくらいの、馬鹿丸出しな反応だったから。
「アッシュ……何が、大丈夫なのか……聞いてもいい?」
「ロザリアはルクレツィアと双子なんですよ?王太子妃教育も問題なくこなすはずです」
「……あなたは、それをどうやって証明できるというのかしら」
あれ?とアッシュは思った。
王子である自分のいうことは、きっと両親ならば歓迎してくれるとばかり思っていたからだ。
実際、予想とは全く異なる反応で、訝しげな顔をファリエルもレイナードも崩さない。
おかしいな、と思いながらアッシュは父母の側近を見たが、側近たちまでもが同じく何とも言えない、こう……苦虫を噛み潰したような、微妙な顔をして全員がアッシュをじっと見ている。
「証明……?」
「話しているのが楽しいから王太子妃として推薦されても、どうやってそれを信じろというのよ……」
「ロザリアはノーマン侯爵家の令嬢ですよ?」
「だから?」
「彼女も優秀なはずです!」
「あのね、アッシュ」
王妃を心配するような側近の動きを止め、ファリエルは苦い顔のまま、幼子に言い聞かせるようにアッシュへと告げる。
「ロザリア嬢は、そもそも、最初から、王太子妃候補として名前が挙がっていないの。意味が分かる?」
「……何故ですか!」
「まぁ……」
「ねぇ……?」
レイナードとファリエルは、何度目か分からない目配せを互いにして、『そういうことだ(よね)』と頷きあっているが、アッシュには意味が分からない。
「他の家の令嬢はね、選ばれているの。ルクレツィアが選出されたときに」
「その中で、群を抜いて優秀だったのがルクレツィア嬢だったから、王太子妃教育を行っている。そして、彼女は教育係からも、王妃や私も一緒に出向いた公務の場でも、大変高い評価を得ている」
「……嘘だ」
「あなたに嘘をついて何の得になるというの。あなたは他の家の子たちとの仲を深めるのに夢中で、ルクレツィアの言うことなんか聞きやしなかったし、わたくしたちとも行動を共にしていなかったから知らないだけでしょう?」
「なら、父上と母上が呼びに来てくれれば!」
「一般家庭の親子ではないのだから、ほいほいとわたくしたちが行けるわけないと、はっきり指摘されなければ分からない?」
「婚約者同士の仲の良さも見せねばならんから、とルクレツィア嬢にお前を任せてしまった我らの落ち度ではあるのだが……お前、王家の一員という自覚はどこかに忘れてきたのか?」
アッシュに対しての両親からの淡々とした問い掛けに、アッシュはぐうの音も出なくなってしまう。
何度か両親と共に、そして婚約者としての顔みせなど色々な意味を込めて公務の一環としてルクレツィアと行動させられていたが、ルクレツィアの何もかもが鬱陶しかったアッシュは、彼女に対して酷い態度ばかりとっていたのだ。
本来であれば、公務の一環として、そこそこ頻繁に連れ出されるものだが、レイナードとファリエルはアッシュの態度のあまりの酷さに、『アッシュは勉強で忙しいから』と、連れ回すことをやめてしまった。ルクレツィアにも肩身の狭い思いをさせる訳にはいかなかったから、彼女に対しては王妃教育を進めるようにという決定が、会議で満場一致の結果として出されたのだ。
そも、アッシュに関しては王太子から外すべきでは?という意見が上がらなかった、といえば嘘になる。実際に数人の家臣からはそういった意見が上がっていた。それも定期的に。
我が息子可愛さ、といえばそれまでなのだが、関係性が改善するだろうと期待していたこともある。自分たちが無理やり一緒に居させたから、定期訪問であれば、また違った結果になるのではないか、と思ったのだ。
その期待は、結果として真逆に作用した。
ルクレツィアと週に一度会うように、と申し付けていたはずが、まさかルクレツィアではなくロザリアと親交を深めていたとは誰が予想するだろうか。
アッシュの側近からも報告が上がっていないということは、側近に対しての罰も必要だ。
王太子を止めることも側近の仕事だというのに、一体何をしていたのだろうか、自覚が足りなすぎる。そう思うとレイナードもファリエルも頭が更に痛んだ。
「……王太子ともあろう人間が、何ともまぁ……短絡的に動いたものだわ……」
「あ、の……母上?」
「我らの信頼を裏切っただけではなく、これまで尽くしてくれていたルクレツィア嬢に対して何と詫びれば良いやら……ノーマン侯爵家も、娘にどういう教育をしておるのだ!」
バンッ!とレイナードが執務机を叩き、アッシュはその音の大きさにびくりと体を竦ませた。
「ひ、っ」
どんどんと頭痛が激しくなってきた国王夫妻だが、そういえば婚約者を代えてほしいとアッシュが願い出てくる前に何かふざけたことを言っていたな、と思い出す。
「で?……ここまで言ってもまだ婚約者を代えろと言うのか、お前は!」
レイナードの迫力満点の怒号に、アッシュは背筋をぴっと伸ばして直立不動になる。
睨んでくる両親の迫力があまりに恐ろしいが、でも、ルクレツィアから言われたことを伝えなければならない。
「る、ルクレツィア、が」
「さっさと続けなさいな」
ファリエルを『まぁまぁ』と、レイナードが宥め、その部屋にいる全員が言葉の続きを待つ。
「婚約者を、代えれば良い、と」
息子の言葉に、国王夫妻は顔面蒼白になってしまった。
そんなにも衝撃なことを伝えたのか?とアッシュは目を丸くしたが、過呼吸気味になって椅子に座ったままとはいえ卒倒してぐらりと横に倒れたファリエルを、慌てて側近が支えにかかった。
「王妃様!誰か!!誰か王宮医を呼んで!!」
「お前……とんでもない馬鹿をやらかしたな……?」
レイナードですら、真っ青になってぐったりと疲れたように頭を抱えてしまったのだ。
「あ、の」
「…………出ていけ」
「え?」
「…………………出ていけ!しばらく我ら二人に顔を見せるな親不孝者が!!」
「え?!」
「殿下、今はお下がりくださいませ!」
「失礼いたします、殿下!」
国王の側近二人が、あれよあれよという間に部屋からアッシュを追い出した。
アッシュが呆然と扉の前で立ちつくしていると、王妃の様子を見るために走ってきた王宮医たちが、アッシュを無理矢理に扉の前からどかせ、室内へと慌ただしく入っていった。
「何で……?」
扉は容赦なく閉められ、中からは『王妃様、お気を確かに!』や、『誰か国王陛下の様子も見てくれ!顔色が悪くいらっしゃる!』と切羽詰まった声ばかりが聞こえてくる。
ただ、呆然と立ち尽くしていたが、少しだけ早く我に返った側近に促され、アッシュも部屋へと戻ったのだった。