㉓平和な日常がやってきた?
「さて姫様、どれくらい髪を……」
「思い切って短くしちゃうのって、ダメかしら」
「駄目です!」
髪を思いきり切りたい私と、あまり切りたくないアンナ。
かれこれ、このやりとりは三回目となってしまったけれど、私は髪をすっきりと短く切ってしまいたい。
「姫様、女王陛下だって御髪が長いでしょう?」
「……そうね」
「というか、こちらでは髪が長いのが当たり前で……」
「その慣習をぶち壊しても良いんじゃないかしら」
「駄 目 で す」
アンナが、珍しく譲ってくれない。
思わずジト目を向けたけれど、『姫様、お行儀が悪いです』と一蹴されてしまった。
アンナ……適応性がとっても高かったのね……。自分で言うのもなんだけど、今めちゃくちゃ我儘なこと言っているのに、それを受け止めるところは受け止めつつ、スルーしても問題ないところは華麗にスルーしている。すごいわね……って、感心してるばあいじゃない!
「でも、髪の長さなんて大した問題じゃないと思うけど……」
「駄目ですよ、いくら姫様の言うことと言えども、これだけはいけません。特に王族であれば、長い髪が慣例となっておりますし、女王陛下のお言葉もあって……せめて腰までは長さを残しておいてくださいね」
腰まで……と思って自分の今の髪の長さを改めて確認する。
あれから、歩くことが困難なので、というところで一旦、少しだけ切ってはおいた。そこからどこまで髪を短くしてもいいのか、というやりとりを繰り返しつつ、出てきた長さのラインが腰まで、ということね。
まぁ……まとめてくれるなら……有り……?
「ふむ」
私は自分の髪をわし、と掴んでから見つめ、これだけ粘っても譲ってもらえることではないか……とこっそり溜息を吐いてから、腰までなら……と長さを考えてみる。
どんな髪型が……と考えようとしたところで、過っていく人間界での日々。
「………………」
「姫様? どうかなさいました?」
「……いや、ちょっとしたトラウマが」
「はい?」
「アンナ、とりあえず腰辺りになるように切ってくれる?」
「え、ああ、はい。かしこまりました」
綺麗に手入れをされた鋏をすっと取り出して準備をし、髪の絡みがないようにと何度も丁寧に長すぎる髪の毛を櫛で梳いてくれる。そして、長さを確認するべくアンナは私に『立ってくださいな』と言ってくる。
言われたとおりにしてみると、背後に回ってしゃがみ込んでから切る位置で何かしらのマーキング的なものをしているぽい。
「よし、と。それでは姫様、お座りくださいませ」
「はーい」
髪を切るために用意されていた椅子に座れば、どこからともなくしゅるりとケープのようなものが出てきて、私へくるりと巻き付いた。
「(こういう髪を切るスタイル的なところは人間界と同じなんだけど、このケープってどこから出したのかしら)」
そして、少ししてからしゃきしゃきと心地いい音が聞こえてくる。
ああ、切られているんだな、と思うけれど別に惜しくはない。伸ばそうと思えばまた伸ばせる。手入れは……さすがにアンナにお願いしようかしらね。
ざっくりいくなら、この前みたいにぐっとこう……髪を鷲掴みにして、掴んだところからばっさり!っていうのもありかな、とか考えていたけれど、アンナにはお見通しかしら。
……髪を切る音って、どうしてこんなにも心地よく聞こえるんだろう。
一定のリズムで聞こえてくるシャキシャキという音。
そして時折櫛で髪を梳いてくれる感じ。
……寝そう。
今日は何も授業はない、お休みの日で。
部屋には良い感じに太陽の光が注ぎ、開いた窓からは強すぎないほど良い風がふわりと入り込んでくる。
これ、寝るなって言っても寝るわ。
こっちの世界に体も馴染んでくれたおかげで、私はきっと今、色々調子が良い。
「姫様ぁ、もう少しで終わりますよ~」
「…………」
「あれ、姫様?」
アンナの声だって、すごく心地よく、聞こえて、きて。
「……ありゃ、寝ちゃってる」
ほんの少しだけ呆れたアンナの声には、笑いが含まれていた。
決して、嫌なものではなくて、見守ってくれるようなそんな、温かいような感じのもの。
「終わったら……片づけておきますね。執事長とか呼んだら姫様をベッドに移動できるかなぁ……」
アンナが、何か……言ってる。
何もかも心地いい。
そう思いながら、私の意識はすっと深くまで落ちていった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「切り終わったけど、私じゃ姫様運べない……」
しゃきしゃきという一定のリズムと音が心地よかったのか、すっかり寝てしまったルクレツィア。そして髪を切り終えたことで、予定通りの髪の長さになったのでそろそろ起こしたいアンナ。
しかし、あまりにもルクレツィアが気の抜けた表情ですよすよと寝ているので、起こすに起こせなかった。
幸い、ゆらゆらと揺れることもなかったため、問題なく髪は切れたのだが切り終わった後のことをついうっかり失念していたのだ。
「……えーっと、とりあえず、掃除……?」
切り終わった後の髪を風魔法ですっと一箇所に集めたアンナは、用意していたゴミ袋にすいっと入れてから零れないようにきっちりと袋を縛って、腰につけていた魔法石を使い、魔法石に記憶されていた転移魔法を作動させて王城の中にあるごみ捨て場へと転移させた。
城の使用人には、日に三度、これを使って掃除を終えた後のごみを指定の場所へと転移させている。ゴミが大量にあったとしても、魔法石のおかげで問題なくゴミを運べるから便利だ、と使用人たちの間では好評だった。
なお、回数制限があるのは当たり前として、利用できる範囲も限られている。
あくまで城の中で、しか使えない。
外に持ち出されて悪用されてはいけないから、ということもあるが、他の魔法と作用しあって何かしらの副反応のようなものが出ても困る。
とまぁ、それは置いておいて。
すっかり後片付けも完了したアンナは、ルクレツィアに着用させていたケープも取り去った。
ちょっと体を動かしてもルクレツィアは起きることなく、椅子に座ったまますよすよと眠っているし、これまで眉間にしわを寄せて眠っているところを多く見ていたから、眠りを邪魔したくはない。
「うう……姫様……良い感じに都合よく起きてくれないかな……!」
「……んむ」
むにゃ、と何やら寝言を言ったらしいルクレツィアは、へにゃ、と更に表情を崩して眠っている。
「(珍しく熟睡していらっしゃる!! でも、このままだとお体が固まっちゃうし……起きてバランス崩して姫様が転んじゃうのも良くないし……)」
起こしたくないからと、アンナが静かにおろおろしていると、ルクレツィアの部屋のドアがノックされた。
「わわ、はぁい!」
急いで走っていき、扉をそっと開ければ、そこに立っていたのはある意味待ち望んでいたルーカスが。
「ルクレツィア、いる?」
「しーっ!」
「むぐ!」
おっす、とかるーく声をかけてきつつ普通の声量で挨拶をしてくるルーカスの口を、そこそこ容赦なくぱぁん!と両の掌で覆う様に塞いだアンナ。
身長差的に結構勢いよく飛びつかんばかりに来たため、音もそこそこ響いた。
ルーカスは一体何後事か、と部屋の中を器用に覗いてみれば、アンナが必死になる理由もわかった。
「(あー……)」
「(ダメです)」
分かってくれた、とうんうん頷いているアンナを見て、ルーカスもつられて頷く。
一旦両手を離させてから、そっと小声で話しかけた。
「……つまり、寝てる、と」
「はい」
「一体何でまた……」
「髪を切っていたら……多分、鋏のリズムとかそういうので……」
「……ああ」
確かに理解できる、と頷いてくれるルーカスと、ルクレツィアの安眠を妨げたくないアンナ。
とりあえず見てほしい、と『ほらあれ』ととても穏やかな寝顔のルクレツィアを指させば、理解してくれたらしく『あー……』と更に納得してくれる。
「……起こしたくないわな」
「はい……!」
とはいえ、今ルクレツィアの姿勢はずるずると、じわじわと崩れてきている。
このままいくと椅子からずり落ちてしまうのは目に見えているから、どうにか……とアンナが考えていたところで、アンナの肩をルーカスがちょんちょん、とつつく。
「?」
「俺が運べば良いんじゃない?」
「……!」
そうだ!とアンナもすぐさま理解したらしく、いそいそとルーカスの背中側に回って、ぐいぐいと室内へ押し込んだ、
「……寝室って、繋がってる?」
「はい!」
あそこのドアからです、と指さして、アンナはそちらを開けようと先にするりと室内へと入っていった。
足音をあまり立てないように気を付けつつ、そろりとルクレツィアに近付けば、すーすーと一定の寝息が聞こえてくる。
そういえば、ルーカスも聞いたことがある。
こちらに帰ってきてから、ルクレツィアはいつも難しい顔でしか寝ていない、と。
「……やっと、お前こっちに馴染んできてくれたのかな」
自然と嬉しくなって、笑みが浮かぶ。
そしてルーカスはルクレツィアを抱き上げようと体を近づけて、抱き上げようとした瞬間。
「……ん」
「……え」
不意に、ルクレツィアがぱっちり目を開けた。
「………………え?」
「……おはよう?」
「何で、ルーカスが、ここに?」
さっきまでの穏やかな寝顔はどこへやら。
一瞬で物凄い顔になったルクレツィアは、おもむろに手を伸ばしてルーカスの襟をがっちりと掴んで一言、こう告げた。
「何で、ここに、いるの」
「いやその、ルクレツィアがめっちゃ安らかな顔で寝てて……」
「今にも死にそうな、って感じの表現でしてんじゃないわよーー!」
「あいた!!」
べちん!と結構いい音がしてルーカスは頭を押さえているところに、アンナが『ベッドのご準備が……』とにっこにこで歩いてきたものだから、勝手にルクレツィアの中で『まさか皆が狙ってこの状況を!』と一瞬で警戒心バリバリになっていたルクレツィアだったが、アンナの必死な説明により、ルーカスに平謝りをすることになるのは、あと五分後のことである。




