㉒馴染みきった
「アンナ、いる?」
「はい、姫様!」
あの総入れ替えから、三か月が経過していた。
ようやく新しい使用人たちの顔を覚え、アンナにも自然と接することができるようになってきていたけれど、私の中で一つ問題があった。
「……ごめん、今日もお願いできるかしら」
「……やっぱり……今日も体調が?」
「うん……。ダイアナ様やルーカスには心配をかけたくないし、かといって……熱があるわけでもないから、お医者様の診察を受けるまでもないかな、って」
でも、とアンナが心配そうな声を出す。
分かる……けれど、ただただ体がだるいだけ。少し頭がぼんやりしているくらいで、日常生活や、私の王女教育に何か問題が発生したりしているわけでもない。
ただ、ここ一週間くらい、ひたすらに眠気に襲われたり、熱はないけれど体を動かすことが億劫だったり、が続いている。
この世界で飲まれている、という栄養剤を飲めばだいぶ楽なので、アンナにお願いしているけれど……アンナの顔色がさすがに芳しくない。
「姫様、夜は眠れておりますか?」
「ええ……きちんと寝ているし、夜中に起きることもないわ」
「さすがに、明日こそはお医者様を呼びましょう! ……心配、です」
「……そう、ね」
食事の量も少し減っているし、ダイアナ様も訝しんでいる。
勉強に追いつくことに必死なんです、と言い訳しているけれど……それもいつまでもつか。今日一日改善しなかったら、アンナの言う通りにしよう。
「アンナ、今日はダンスレッスンがあるから、動きやすい靴でお願い。それから、ドレスはシンプルなもの、を……」
「……姫様?」
ぐらり、と世界が揺れた。
おかしい、立っていられない。
「……あ、れ」
目を閉じて、開けて、どうにか視界を整えようとしてみたけれど、ダメだった。もう一度目を開けたその時、ひと際大きな揺れがぐわん、と私を襲う。
「(…………たすけて)」
口に出したつもりで、言えてなかったらしい。
アンナの泣きそうな顔と声が、最後に見た私の記憶に、残った。
「……! …………!」
誰、だろう。
私の名前を、呼ぶ声が聞こえる。
「ルクレツィア!」
はっきりとそう呼ばれ、はっと目が覚めた。
どくどくと、鼓動が、とてもうるさい。けれど、体の芯から冷え切っているような、奇妙な感覚に襲われていて、声の主を視線だけで探す。
「……ダイアナ、さま」
「良かった……」
ホッとしたようなダイアナ様の笑顔を見て、少しだけホッとした自分がいる。
けれど、まだまだ頭が重い。
「わたし」
「……ごめんなさいね、ルクレツィア」
「え……?」
「あなた、長く人間界にいたのに……いきなりこちらに連れて帰ってきてしまったでしょう? 体に負担がかかっていたの」
「ふた、ん」
頭がぼうっとしているところに、ダイアナ様が教えてくれたことがじわりとしみ込んでくるかのようだった。
体に、負担。
ああそうか、そもそも私は神界の住人だったけれど、あの入れ替わりで魂だけ人間界に住んでいた。そうして、心も体もこの神界に帰ってきた……ものの、段階を踏むでもなくいきなりだったから、体が完全に適応しないまま過ごしていた、と。
そこに加えて使用人たちからのいじめ。
別に人間界で受けたものに比べればとっても可愛いものだったけど、自分が想像していた以上に体には負担がかかっていたということかしら。……ああそうだ、心にも負担がかかっていたのよ……。
「王女教育なんて、まだまだ先で良かったけれど……私ったら……焦っていたのね……。ああもう……母親失格だわ……」
しょんぼりと肩を落としながらも、私の手をしっかりと握っていてくれているダイアナ様の手を、きゅう、と握り返した。
「……ルクレツィア?」
「……私だって、望んだ、です」
それに、と私はそのまま続けた。
「もっと早く言えていたら……こんな、ことには、ならなかった、んじゃ、ないかな、って」
「え?」
「……ごめんな、さい」
握っているダイアナ様の手を、少しだけ強く握った。
「栄養剤で、ごまかして、ました」
「……もう……」
この子ったら……と困ったような声が聞こえる。
どこか呆れたような、でも、仕方ないわね、と甘やかしてくれるような、優しい声に……私はほっとする。
「今日、言う、つもりで……」
「倒れちゃったのね」
「……ん」
きっと、本当は『はい』と返事をするべきなんだと思う。
でも今は、そうしたくなかった。ちょっとだけでいい、ダイアナ様に甘えたかった……のかもしれない。
「もう少し寝てなさい、何か体に優しいものを用意させるから」
「……」
こくん、と頷いてもう一度目を閉じる。そうすれば、すっと意識が沈んでいくような感じに襲われて、そのままぐっすりと眠っていたのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「……」
ぱち、と不意に目が覚めた。
ぱちぱち、と何度か瞬きをして、体を起こせるかどうかと、ぐっと腕に力を込めれば問題なく体を起こせた。
眠る前に比べて、何だかとっても体が軽い気がする。
何か、変わったことがあったのだろうか、と少しだけ考えて、ベッドから降りようと視線を動かせば、ぎょっとして思わず叫んでしまった。
「ええええええええええええええ!?!?!?」
「ルクレツィア様!?」
私の叫び声に、慌てた様子でアンナが部屋に飛び込んでくる。
ばん!と思いきりドアを開けて、アンナが飛び込んできてくれて、ポカンとしている私のところに駆け寄ってきてくれた。
「どうしましたか!」
「あの……」
アンナは私の言葉の先を急かすことなく、急ぎ足で駆け寄ってきてくれて、ベッドの傍にしゃがみ込んでじっと私のことを見上げてくる。
「髪が……伸びてるんだけど」
「え?」
私は髪をバッサリ切ってから、ざんばらになっていたのを整えてもらった。あれから少しは伸びていたけれど、まさかここまで伸びているなんて思うわけがない。
眠っている間に、いつの間にか髪がやたらと伸びて、……これどれくらいあるのかしら。べろりと布団を捲れば足首辺りまで伸びている髪の毛。
アンナの位置からはほぼ見えていないけど、髪が伸びているのは理解してくれているのか、ポカンとして私を見ている。
「姫様」
「……ええと」
「あの後、お眠りになって以降、何か……」
「したと思う?」
「……思わないです」
「あとほら、これ見て」
「へ?」
私が布団をべろっと捲れば、更に長く伸びた髪を見て、さすがに驚いたのかアンナも『ひええええええええええ!!!!!!』と叫び声を上げた。
まさかここまで伸びているだなんて思っていなかったらしい。
更に、そのアンナの叫び声を聞いて、どったんばったんと色んな人が駆けつけてくれる。
「姫様!」
「アンナ、姫様に何があったの!」
「大丈夫ですか!」
わいわいと騒ぐ皆に、大丈夫と手を振ってから、のそりとベッドから降りる。と、ずるりと長い髪が出てきたのを見た他の皆さまからも悲鳴が聞こえてきてしまう。
「あ、あの、大丈夫、なんで……ちょっと皆さん声のボリュームをおさえていただいて……!」
と、言ったのも遅かった。
ぱっと私の部屋に転移してきたダイアナ様が、アンナ以外の使用人の皆さまを各々の持ち場へと転移させた。指パッチン一つでそれをするんだから、さすがというか何というか。
「……さて、もう大丈夫みたいね」
「……あ、はい」
「体はどうかしら、ルクレツィア」
「ええと……すごくスッキリしていて、髪がとっても伸びてしまっているんですが……これは……」
ふむ、と私のことを冷静に観察したダイアナ様は、にこりと微笑んで私の頭を優しく撫でてくれる。
「良かった、きちんと馴染んだのね。こっちに帰ってきて、呼吸がしやすかったりしたとは思うんだけど……これで、もう心配ないわ」
「……はい」
「でも!」
ダイアナ様がびし、と私に対して指をさして、けれど微笑んでずい、と顔を近づけてきた。
「これからはきちんと色んなことを報告すること! 良いかしら?」
「……はい」
今回の件は私が悪い。
だから素直にダイアナ様の言葉には頷いておいた。
なお、この件はルーカスにもきっちりと報告されていたらしく、髪を切ってくれているところにルーカスが乱入してくるという珍事件が発生したのだけれど、それはまた別の話、なのかもしれない。
……何せダイアナ様からきっちり叱られていたので。まるで、幼い日の頃のようだな、と思って笑ってしまった。




