閑話休題 幼い日の叱られた記憶と、未来への決意
あの頃、もっともっと、会話をして、お互いを知っていれば良かった、とルーカスが思ったのはルクレツィアが妖精界に帰ってきてからすぐのこと。
ああ、そういえば出会いはどうだったか……と、ルーカスは目の前で読書をしているルクレツィアを眺めながら、思う。
もしも、きちんと自分が守っていれば、あんなことなんて起こらなかったのでは。そして、起こってしまったあとでも、もっともっとダイアナに言葉をかけ続け、ルクレツィアの捜索に時間を費やしておけば――。
「(今更、だな)」
「……ルーカス?」
「ん?」
「どうしたの? 人の前で百面相してないでよ」
相変わらず辛辣な言葉だが、ほんの少しだけ頬が赤くなっているのだから『ああ照れ隠しなんだな』とルーカスは察する。
実際その通りだが、うっかり指摘してしまえば間違いなくルクレツィアは怒るだろう。だから、あえて黙っておくことにしてから、幼い頃の記憶を辿ってみた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「初めまして、ルーカス・アルトゥール・フェレラーと申します、王女殿下」
「……初めまして、ルクレツィア・リリ・トゥエ・トイテンベルク、です」
ぎこちない挨拶を交わす二人。
妖精界の女王の後継者、すなわち王太女たるルクレツィアと、その婚約者に指名されたフェレラー公爵家長男であるルーカスと、最初の出会い。
『気合を入れておめかししなきゃね!』と、起き抜け早々にヘアセット、メイク、着替えを済ませたルクレツィアは、言葉通りきらきらと輝いていた。
「王女殿下、お会いできたこと、光栄にございます」
「あ……、え、ええと、ありが、とうござい、ます?」
婚約者候補、として顔を合わせることが初めてなので、ルクレツィアはがっちがちに緊張していた。
しかも相手がフェレラー家のルーカス。
最近、ルクレツィア自身が同い年くらいの令嬢を集めたお茶会に参加したり、将来の練習として自分が主催となってお茶会をするようになってから、彼の話はとてもよく聞いていた。
緊張するな、という方が無理だった。
「(……どうしよう、何話したら良いの!? 誰か助けて!!)」
おろおろしているルクレツィアを見て、ルーカスはひっそり微笑んでいた。
そして、それを見守っているルーカスとルクレツィア専属の使用人たちは、同じように微笑ましそうに見つめている。
「……王女殿下」
「は、はい!」
「……お茶会も良いですけど、折角ですし散歩でもしませんか?」
「……はい!」
ルクレツィア自身、本を読むことも好きだけれど、王宮の中庭を散歩することも大好きだった。なので、ルーカスからのお誘いにはぱっと笑顔を浮かべ、いそいそと座っていた椅子から降りてルーカスのところへと歩いていく。
緊張はしたままだが、このまま座りっぱなしでいるよりは笑顔でいてくれているのだから良いか、とルーカスはルクレツィアに手を差し出した。
「……へ?」
「さ、お手をどうぞ」
「……はい」
緊張しているだけの表情だけではなく、少しだけ顔を赤くして、そして嬉しそうにふにゃりと微笑んだルクレツィアの表情の破壊力はかなりのもの。
少しだけつり目で意思のはっきりした顔立ちをしているから、先ほどまで緊張してるままだと、少しだけ印象がきつく見えないこともない。だが、こうして嬉しそうに笑うと、纏っている雰囲気ごと柔らかくなっている。
ルーカス自身、『王女だから』と少しだけ身構えていたところもあるが、それを見て持っていた印象を変えた。
きっと、これから距離を少しずつ縮めていけば、良いパートナーになれるに違いない、と思っていた。
そして、ルーカスのその読みは見事に的中する。
「ルーカス、こんにちは」
「ルクレツィア、こんにちは。今日の王太女教育はどうだったんだ?」
「今日はね……」
定例にしているお茶会の場で、ルクレツィアは嬉しそうにルーカスに今日何をしていたのかを報告している。
最初に出会って、お互いに改めて自己紹介をしてから中庭を散歩して、咲いている花の種類を説明して、お互いに好きな植物があるのかないのか、本当に細やかな会話を繰り返し、互いを知っていくことでルクレツィアもルーカスの前では自然に微笑むことが出来るようになっていた。
「じゃあ、王太女教育は順調なんだな」
「ええ。でも……」
「でも?」
「ちょっと疲れる、っていうか」
「それは仕方ないよ、ルクレツィアは次期女王なんだから。あと、俺もきちんとルクレツィアを支えられるように勉強してるから、安心してほしい」
ぽん、とルーカスの掌が頭に乗せられ、ルクレツィアはまた嬉しそうに微笑む。
ああ、この人が婚約者で本当に良かった、と心から思いつつ二人が見つけた中庭の、大きな木の根元にある場所へと揃って歩いていく。
ちょうど子供二人がすっぽりと収まって、座れるような木の根元に、いつものように並んで座った。
「ここ、本当に落ち着く」
「良い感じのサイズ感だよな」
「……いつまでここに入れるのかしら……」
「もし窮屈になったら、また別のお気に入りの場所を、二人で探せばいい」
『二人で』という単語に、ルクレツィアは嬉しそうに笑って頷く。
「ルクレツィア、今日はちょっとだけ悪戯しないか?」
「……ええ……? お母さまに叱られるじゃないの!」
「大丈夫だって! ……多分!」
「多分!?」
王女という身分故に、そもそも悪戯をするだなんて思いもつかないルクレツィアだったが、ルーカスに誘われるがままついうっかり悪戯をする、というお誘いに乗っかってしまった。
勿論、普段から悪戯なんかすることのないルクレツィア。
友人とのノリと勢いのままルクレツィアを巻き込んで、そこそこの悪戯を仕組んで、すぐさまダイアナにばれてしまったために、二人揃って正座をさせられて結構な勢いで雷を落とされてしまった。
「……ルーカスの馬鹿」
「……ばれないと思ってたんだけど…」
「……二人とも、わたくしのお話を聞いているのかしら!?」
「ごめんなさいお母さま!!」
「すみません陛下!!」
ぎろりと睨まれ、慌てて謝罪をした二人を見て、ダイアナはとても大きな溜息をついて、ルクレツィアと視線を合わせるようにしゃがみ込む。ドレスが汚れることだって気にせずにそうして、ダイアナはルクレツィアとこつん、と額を合わせた。
「ルクレツィア、誘われたからって簡単に乗っちゃいけないでしょう?」
「……ルーカスが大丈夫、って」
「ダーメ」
「……はぁい」
少しだけ唇を尖らせ、渋々……という感じで頷いたルクレツィアを見て、渋々でも了承してくれたことで今回は許そう、とにこりと微笑んだダイアナ。
さて次は、とダイアナはルクレツィアの耳をす、と塞いでから、とても凄味のある笑顔でルーカスに向き直った。
「……ルーカスは、ちょぉっと……わたくしと、きちんとお話しましょうねぇ……?」
「は、はひ……」
さすが女王の風格だ、と言わんばかりの迫力に、ルーカスは思わず顔面蒼白になってしまい、ついでにルーカスの側近も『あちゃー』という顔をしている。
「(まぁ……初代陛下の肖像画にがっつり落書きしたら……現陛下に叱られますよね……。ドンマイです、ルーカス様)」
心の内でそっと伝えてから、後日改めてルーカスには特大の雷が落とされることになった。勿論、フェレラー公爵にもしっかりとこの事実が伝えられ、公爵自ら謝罪に来て、ルーカスは改めて叱られたうえに、落書きを消して状態回復を行わなければ、ルクレツィアは一週間休みなしでのスケジュールを、ルーカスも幼いからと免除されかけていた騎士団訓練に強制参加を確定させる、という罰を伝えられたことで、二人が泣きながらきちんと状態回復をしたのは言うまでもない。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「(思い出したら頭痛くなってきやがった)」
「…………ルーカス、顔色悪いけど?」
「あー……」
「何か用事でもあるなら、今日はもうお開きにしても……」
「い、いや、問題ない」
まさか、小さい頃にルーカスがルクレツィアを巻き込んで悪戯をやらかして、ダイアナにとてつもなく叱られて、わんわん泣きながら初代陛下の肖像画を綺麗にしたことを思い出してました、だなんて『今』のルクレツィアには言えるわけもない。
「ちょっとその……嫌なことを思い出した、っていうか」
「ふぅん?」
そうなの?と軽く聞いてきただけで、ルクレツィアはまた手元の本へと視線を戻す。
きっと、読書好きなのは小さい頃から変わっていない、ルクレツィアはルクレツィアだな、と改めて思って、ルーカスは香りのいいお茶をゆっくりと飲んだ。
「(あー……今日も平和だわ、俺の記憶以外)」
会話がなくても、居心地のいい空間。
そんなものはきっと、このルクレツィアとしか生まれない。だから、リネーアなんかとでは到底無理で、ずっと感じていた居心地の悪さが分かったことで、とてもスッキリした。
だから、取り戻す。
ルクレツィアとの、時間の全てを。
これは挟んでおきたかった。
小さい頃のやらかし話でございます。




