⑯心の拠り所になり得るのか
私が、元の世界に戻ってきて早半年。
そう、半年も経過したけれど、はっきりいって全くといっていいほど馴染めていない。
それから、あまりにも日々、のんびりしているせいか、お尻から根っこが生えてきてしまいそうなくらいには、ソファーでまったりしている、という暮らしぶり。
戻ってきて早々にあれだけの騒ぎを起こしたこと、そしてダイアナ様に楯突くような……いや、そもそもしっかりあの人が私を見失わなければ良かっただけの話なんだけど。
とにかく、騒ぎを起こした要注意人物として宮殿に幽閉に近いようにして閉じ込められている。
「理不尽よ」
閉じ込められているとはいえ、私は元の世界にいた頃よりも遥かに精神的なストレスがないように過ごせている。
遠巻きに見られることなんか慣れっこだし、陰口を囁かれないだけ、相当楽なのだから。
「……散歩でも行こうかな」
よいしょ、と呟いて椅子から立ち上がる。
私のために、と用意された部屋は、元いた世界のあの部屋を思い出さないようにと配慮されている。
ほぼ白に近い桃色の壁紙、カーテンはレース生地としっかり遮光をしてくれるドレープたっぷりの分厚い、壁紙と合わせた色味のカーテン。
デスクセットはダークブラウン、ソファーはダークグリーンの渋い色合いで二人がけのものが用意されている。
クッションはふわふわとした起毛の生地を使った、程よい反発のある良質のものが五つほど用意されているから、お昼寝をする時に抱き締めさせてもらっているし、ソファーに座る時に腕を置くのにも丁度良いわ。
そう、室内で過ごす分には、ここの環境は最高としか言いようがない。
ただ……使用人、というか王宮で働いている人達の目が、こう……ね。
あまり気持ちの良いものではないし、値踏みをするような、それでいて睨みつけてくるような…嫌な目線が向けられているのは、……気持ちのいいものではないわ。
「誰か、いる?」
りりん、とベルを鳴らせば、少ししてドアが遠慮がちにノックされた。
「あの…お呼び、ですか」
あぁ、またこの人か。
「散歩に行きたいのだけど」
「あ……はい。えぇと、日傘を用意します」
おずおず、なんていうものではない。
今来た侍女には完全に怯えられている上に、毎回同じ侍女がやって来る。
押し付けられているんでしょうね、きっと。
どうせ、『あの人間の世話はお前がやりなさいよ』とか言われたのでしょう。…私、人間じゃないって一応言われたばかりなんだけど。
ちゃんとダイアナ様が私のことを娘だと宣言もしてくれたけど、それでも信じてくれないなら、こちらから見限るのは当然のことだと思うわ。
「いらないわ、日傘。どこに行くかだけ、知っておいて」
「え?!」
「中庭を散策して、少ししたら戻ります。それじゃあね」
「あ、あの、姫様!?」
慌てる侍女を放置して、私はさっさと歩き始めた。
歩いていると、他の侍女たちが『ちょっとあれ』『やだ、何してるのよあの子は』と、ザワついている。
私が一人で歩いているから、何をやっているんだと言わんばかりの目も向けられてくる。
かつ、かつ、と背筋を伸ばして歩いていく。
中庭なら、もう何回か行っているから迷うことなく王宮内を歩いて進んでいくと、背後からドタバタと駆けてくる足音が聞こえてきた。
あぁ…またお小言かな。
「姫様、お出かけになるなら護衛、もしくは侍女をつけて下さいとあれほど申しております!」
出た、侍女長。
「一応、ダイアナ様から姫様だと言われておりますので、…まぁ…以前いらっしゃったルクレツィア様とは容姿だけは似ておられますが…」
「……」
「姫様、聞いておられますか?!」
「聞いてはいるわ」
「な、っ?!」
ダイアナ様の言葉を『一応』で片付けたわね、こいつ。
「今の言葉はダイアナ様の決定に対して納得がいかない、ということがよく分かりました。納得いかないのであれば、放っておいていただけませんか?」
「この…っ」
侍女長が、生意気な人間風情め…!と叫んだところで、ぶわりと暖かな風が吹いた。
あ、と思ったら私を侍女長から隠すようにして立っている、最近になってよく見慣れてしまった広い背中が見えた。
「……あ」
「あ、ルーカス…?様?」
「疑問符つけて話してんじゃない。普通でいいって言っただろう」
「いや、ですから。私はルーカス様?を知らないので」
「あまりにもお前が幼すぎたのか、魂が崩壊寸前だったから記憶が散らばっているのか…」
「…まぁ、どうでもいいんですが」
親しげに会話をしている私とルーカスの様子を見て、侍女長は可哀想なくらいに顔が真っ青になっている。
そう、こちらで生活するようになってからというもの、ルーカスは時間帯こそ違えど、私のことをすごく気にかけてくれている、らしい。
幼い私とルーカスはとても仲良しで、よく王宮で遊んでいたらしい。ちなみに、婚約者同士だった、とか何とかとダイアナ様から聞いている。
如何せん、私の記憶やらに関しては私が覚えていないことがいけないのかもしれないけれど、どうやっても思い出せない。
だから、少しでもきっかけを作れたら、と言いながらルーカスはこまめに通ってくれている、というわけです。すごく優しい人だから、私以外の婚約者を探そうと思えば、簡単に探せると思うのに…。
「ルーカス、様…。あの、これは、ですね!」
「ダイアナ様が認めた、この国の正当なる王女に対して……よくもまぁ、あんな態度が取れたものだ」
「…え、見てたんですか」
「ダイアナ様から言われてな。ダイアナ様曰く、本当ならずっと傍に置いておきたいけど、どれくらい時間がかかったとしてもルクレツィアに穏やかに過ごしてもらえる国だ、と思ってもらいたい……だ、そうだ」
「えぇ…?」
うっかり本音がぽろっと零れそうになったけれど、必死に堪えた。
…そんな面倒なこと…お考えにならなくても良いのに、と思ってしまう私は、きっと娘としてはダメダメなんだと思います。えぇ、本当に。
私の望みは、あの世界にいた時から変わらない。
何回目のやり直しだったとか、覚えていないけれど『諦め』を覚えた。
次に、『死にたい』と思うようになった。
死んだとしても、また新しくやり直すだけだろう、と予想はしていたけれど……今回が最後ならば、早々にこの人生なんか終わってしまって良いと、そう思っているのに。
それから、もう一つ。
ダイアナ様にもルーカスにも言っていないけれど、こう…ですね。優しくされてしまうと、物凄く痒くなってしまうのは、何なのかしら。
優しさアレルギーとか、聞いたことないけど……慣れてないから?と思った私は、ある日ぽり、と肌を掻いてから、はっと気付いた。
……向こうの世界にいた時には見たことが無かった、蕁麻疹が出ていた。
ぷつぷつとしていて、もしかして何かにかぶれたり、虫刺されかとも思ってみたけど、これが出るのは決まってルーカスやダイアナ様に優しくされたとき。
愛情を貰ったとき、とでもいえば良いのかしら。
……慣れていないんだもの、『愛情』を貰う、だなんて。
向こうにいた時に貰ったのは、人格否定から始まる罵りばかり。
愛情、だなんて辞書にしか載っていない言葉で、私には決して縁のないものだと思っているからこそ、受け入れられない。
「ルクレツィア、そろそろ慣れろ。少なくとも俺と、ダイアナ様はお前が死のうとか考える暇がないくらいには大切にしてやりたいのを、必死に我慢しているんだからな」
「他に向けてくれません?」
「駄目だ」
「えぇ……」
ダメかぁ……。
あら、侍女長さまを筆頭に、私とルーカスの会話に入ることが一切できずにオロオロしている人がてんこ盛りね。
でもね、自業自得だと思うの。
私は、少なくともここに溶け込もうとは努力したわ。本当に、最初のうちだけど。
拒絶したのは、……あの人たちなんだから。




