⑮おかえりなさい
「ルクレツィア、わたくしはね、本当に貴女をただ、取り返したかったの」
「……永いこと気づかなかったくせに、ですか」
ハッ、と蔑むような嫌な笑い声が零れてしまう。
ダメだ、止められない。
これでは単なる八つ当たりでしかない、そう理解しているけれど、でも嫌なものは嫌だった。嫌悪感がむくむくと膨れ上がって、そうして今吐き出しまくっている。
「ねぇ……分かりますか?私が、何百年繰り返したか」
「えぇ」
「どうして、もっと早くに……っ、助けて、くれていたら……!」
あぁダメだ、私の情緒は何もかもおかしくなってしまっている。
向こうにいた時は我慢できていたであろう感情も、言葉も、我慢できない。許せない。
言わなければ、私が我慢し続けていれば、きっと皆が笑って過ごせるはずなのに。
「何もかも、言い訳になる。それでも、わたくしは言わせてもらうわ。ルクレツィアが過ごしたあの年月……えぇ、ざっと495年の時間は人間の時間の長さ」
「知っていたのなら!」
「こちらで、何年だと思う?」
「え、……?」
私は、思わず勢いが止まってしまった。
495年は、495年でしょう……?流れている時間の、一体何が違うというの……?
「こちらにいたルクレツィアは、毎日逃げて、逃げて、逃げ続けることを試し続けた」
「…………待って、ください」
「そうしているうちに、あのルクレツィアが逃げることを試す間隔は、次第に長くなっていった」
「……うそ……」
「あの子はただ、出口を探して走り回っていただけ」
「え……?」
何となく、何が言いたいのか分かった、ような気が、したけれど、でも……信じたくない。
ダイアナ様の目が、雰囲気が、温度が下がったような気がした。
「あの子が試した『脱走』一回が、貴女の五年よ」
それなら、私のやり直しは……。
「あの子が逃げる度に、……繰り返しが、されて、いた」
「……分かってきた?」
嘘でしょう、という私の声。
そしてほぼ同じタイミングで聞こえた、嘘だろう……?と呆然としたルーカスの声。
私とルーカスは何故だか、どちらからともなく顔を見合わせてしまった。
そして私はこの人を知らない。でも、今だけは、何となく気が合っていると分かる。
「あの子が脱走を試みなければ、私の時間は繰り返していなかったけれど、……時間の進み方がそもそも違うから、タイミングがただ違うだけで、あの子が脱走しようと試みる度に、私は……五年経過して、死んで、繰り返してを……ずっと……?」
「そうよ、ルクレツィア」
こちらにいたあの子の体の時間は、人が歳をとるかのごとく、普通に進んで行った。
けれど、こちらの世界とあちらの世界はそもそも進み方が違う。こちらの世界の方がゆったりしていることに加えて、あの子が脱走を試みた時にだけ私は死に戻りしていて……。
きっと、あの子の過ごした時間は、脱走を試みようとしていただけで、普通だったんだろう。
私は、そもそも時間の進み方の早さの違いで、全く違う状態になってしまっていた。
そして……あの子は、脱走を試しながらも……こちらの皆には愛されていた、のね……。『私』の気配が魂に匂いのように染み付いていたから……。
「あ、の」
「なぁに、ルクレツィア」
「私が、色々と向こうで凄まじい勢いで冷遇されるようになったの、は……、えぇと……」
「続けてちょうだい」
言ってもいいのかしら、と呟けばダイアナ様から促されてしまう。嫌な予感がしているけれど、それでも確認せずにはいられない。
「あの子の存在が薄れて、『私』という『異物』を本能で、向こうの家族が、そもそも世界が、違うと、認識したから……?」
こくり、とダイアナ様は頷いた。
気付きたくなんか、なかった。
でも、嫌な予感は等しく当たる。
繰り返す度、私への扱いは酷いものになっていっていた。
辿り着いた最後は毎回『死』だけれど、初めのうちこそ私は普通に過ごせていた。虐待じみた行為は、最初はなかった。
……ロザリアからの扱いは確かにいつも酷かったけれど、回数を重ねる毎にどんどんと酷くなっていって、婚約者を奪うだけでは済まなくなって、そして常に何もかもを奪われ、壊されていった。
顔が同じでないのが嫌だから、から始まったロザリアのワガママによる取り替えで、私は……疲れ果てて、何もかもいらないと……そう思わないと精神を保てなかったけれど。
「そっかぁ……私、本当の意味で、いらない子…だったんですね……」
ぼろ、と零れ落ちた涙は、止まらない。
「だから、愛されたいっていくら願っていても……愛されるわけなんか、なかったんだぁ……」
ぽた、ぽた、と落ちた涙は床に落ちてじわりと染みになって拡がっていく。
次から次へ、ぽたぽたと、落ちていく涙は止まってくれそうにない。
「お、おい、ルクレツィア……っ」
「いらない子なのに、殺されなかったのは……本物のあの子が、居たから……本物の帰ってくる場所は、残しておかなければいけない、から……」
ルーカスの慌てたような声が聞こえてきたけれど、涙は止まってくれそうにないし、言葉だってとめどなく口からぽろぽろと溢れ出てくる。
「自分の子じゃないなら、そりゃ……酷い扱いを、受けます、よね……あ、あはは……」
「ルクレツィア」
いつの間にか、ダイアナ様は私の目の前へとやって来ていた。
ドレスの裾が、下を向いた私の視界に入ってくる。
「わたくしには、貴女が必要です。……大切な大切な、わが子だもの」
「っ……」
この言葉も、嘘なんかじゃない。……多分。
「わたくしの大切な存在が、人間界にいると分かって、わたくしは言葉通り錯乱したわ」
「…………え?」
行儀が悪いとは知りながら、ぐず、と私は鼻水をすすった。
顔を上げると、ダイアナ様も泣いていた。
「さく、らん?」
「当たり前でしょう?我が子がいないだなんて、目の前の子が紛い物だと、信じたくなかった。本物だと信じていたものが違っていて、わたくしの宝物は全く異なる場所にいる、だなんて……」
あ、とルーカスが呟いて、こちらに歩み寄ってきた。
いや、さっき顔は見合わせたけど、そんな遠慮なしにこっち来ないでもらいたいんですが。
「ダイアナ様、もしかして……神界が荒れたのは……」
「そうよ、ルーカス。わたくしが錯乱して、荒れに荒れてしまったから。保てていた均衡まで保てなくなったけれど、これではいけないと気持ちを落ち着かせたわ。そして、落ち着いてから、早急に貴女を探したの、ルクレツィア」
時間の進み方が違っていたから、気付くのにも遅れが発生した。
あの子が私ではないと、分かってくれてから、この人は……私を一生懸命、親として、探してくれた……?
いいや、信じない。
簡単に、信じたりなんか、するもんか。
「ルクレツィア、疲れたでしょう。お腹も空いたでしょう。良いの、お休みしましょう?」
「おやすみ……」
「えぇ。向こうで貴女は、何もかもを死に物狂いで頑張っていたのだから、帰ってきたらお休みしてもいいじゃない。ゆったりと、何もしない時間を過ごしたっていいじゃない」
私の状況はさておいて、休みたいか、休みたくないか、と問われれば当たり前だけれど……休みたい。
ダイアナ様に聞かれているからとか、こちらに帰ってきたからとかではなく、ただ、休みたい。
でも。
「私は、……」
「貴女のことは、誰にも否定なんかさせないわ。たとえ、わたくしの存在が滅びようとも」
「っ、え」
それは、どうなんだろう。
ちらりと視線を動かしてみれば、真っ青な顔でオロオロとしている従者たちがいる。
……思っていたより、ここに皆が、集まっているのね……。嫌そうな目を私に向けている人もいるけれど、それならそれで良いわ。彼らにとって私は紛い物でしかないだろうから。
「ルクレツィア、何度も謝罪ばかりでごめんなさい。でも、しっかりと謝らせてほしいの。……貴女がいなくなったこと、見つけるのが遅くなって、貴女が心を砕かれそうになってしまったこと、……母親失格だとは分かっているけれど……ごめんなさい」
深く頭を下げるダイアナ様を見て、どよめく従者たちがいるが、私は……どうしたら、いいのだろう。
少しだけ困惑して一歩後ろに下がってしまったら、ルーカスがそっと背中を押した。
「な、何……です、か」
「ダイアナ様に、声、かけてやれ」
「え、と」
謝られてしまったら、許すしかないのだろうか。
でも、今すぐ『許します』とか『お母様』だなんて、言えるような精神状態ではない。
「今は、まだ……分からない、ですけど」
ただ、嘘を言っていないことだけは、分かるから。
「ここに戻してくれて、ありがとう、ござい、ます……?」
「……っ、おかえりなさい、本当の、わたくしのルクレツィア」
何がいいのか分からないし、帰ってきたことが正しいのか、私にとって良いことなのか分からない。
それでも、きっと、あんなところに居るよりかは遥かにマシだとは……思う。
しかし、大きな問題がひとつ。
ぎゅうぎゅうと抱き締めてくれているダイアナ様に申し訳ないけれど……
「(……私の死にたい、っていう心の拠り所は……どうしたら良いのかしら……?)」




