⑬簡単に割り切れる感情じゃない
展開の慌ただしさ、すみません……。
ここからゆったりめにあれこれ書いていきます!
痒い、と呟いた途端に私は物凄い勢いで恐らく人の世界から離れて、これまた恐らく元いた?世界にやってきた……らしい。
見た感じは人の世界と丸っと同じだけど、雰囲気は全く違う。
まず、魔力の密度が物凄く濃ゆい。
息をする度に体の中が重たくなるような、そんな重量感のある空気がここを支配している。
とはいえ息苦しいとかは、全く感じなかった。むしろ私には丁度いいくらい。
「ルクレツィア、もう何ともない?人間界が肌に合わなかった?痒いだなんて、まるで人間特有のアレルギーみたいよ?」
「え、えぇと……大丈夫、です」
美人に勢いよく迫られると、迫力がとてつもないのよ……。
私の……本当の、お母様。そして、この世界の……女王陛下。ダイアナ様、というらしい。
「あ、あの……」
「なぁに?」
鈴を転がしたような声とは、きっとこんな声なんだろう。
ころころと可愛らしく、聞いていてとても心地良くて、うっとりと眠くなってしまうような感覚にすら思えてしまうのは、私がこの方の声を聞いていたいと思っているから、なのだろうか。
「私、は……え、っと」
「ゆっくりでいいわ、わたくしの可愛いルクレツィア」
……まただ。
背中がぞわぞわとしたむず痒さに襲われ、こう……掻きむしりたいような感覚が、やってきた。
痒くて掻きむしったとしてもこれは、解決するのか分からないけど、何よこれ。
「え、と……わ、私はいつから……その、入れ替えられて、いたんでしょうか……」
「ルクレツィアったら~」
「え」
「お母様に対して敬語なんか使わないの!」
めっ、と可愛らしく言われて思わずぽかんとしてしまう。
いやだって、私はダイアナ様の記憶がほとんど無くて……ですね?
記憶が混濁している可能性もあるけど、その辺りも良く分からない、と……素直に話してもいいものかどうか、判断しかねる。
「すみません……」
「まぁいいわ、仕方ないもの。でもそうねぇ……どこから話したものかしら。貴女が入っていた『ルクレツィア』が五歳になったあたりね。その頃の記憶はあるかしら?」
「多分……?というか、分からないんです、が」
「……そ、そう……よね……。こちらの世界の貴女はまだこーんな小さな子供だったんだけど……魂の取り替えがされてから、もう何もかもがぐちゃぐちゃよ」
こーんな、と言いながら、恐らく私の当時の身長の高さを手で示しているダイアナ様。
それと、ロザリアが主導でやったという、取り替えの儀式。別の意味であの子の才能は凄いけど、嫌な才能でしかないわ。
妖精の子と人間の子を取り替えるという、あまりにも馬鹿げた行為。普通ならば考えつかない方法なんだろうけど、妖精に唆され、ロザリアは禁呪に手を出した。でも、『女王』という存在のこの方は、どうして魂そのものが替わっていることに気付かなかったの?
「……もう一つ、いいですか」
「なぁに?」
「どうして、こんなことになるまで分からなかったんですか」
「何を言っても言い訳にしか聞こえないでしょうけど……。最初のうちは、まだ双方の『ルクレツィア』の魔力の残滓とでも言うのかしらね。残り香があったから誤魔化されていた、とでも言いましょうか」
「誰がどういう存在なのかを判別するための……所謂マーカーの、ような?」
「えぇ、そうよ。それと、入れ替えられた本人たちも、自分の魂が入れ替わっていて、他の器に入れられている?だなんて気付くわけがないのよ。見えている世界は、本人たちにとっては今までと変わらないんだから。ただ、そうねぇ……」
「ただ……?」
「ロザリアとかいう子が使った禁呪の影響と、魂だけを入れ替えた影響が相反して歪なものを生み出してくれたおかげで、まず貴女を探すことにも、とっても苦労したのよ。こちらにやってきたルクレツィアは、入れ替わりに気付いた時には、錯乱してしばらくわたくしたちも声がかけられなかったくらいなんだから」
「それは、まぁ……」
そうでしょうね。
私は私で、何がなにやら分からないまま繰り返して、死んで、また同じことの繰り返し。魂が入れ替わっている、だなんて誰が思うの?
私の行動が間違っていたんだと思って、どうにか良い方向に向かうように足掻いて、とても必死だったけれど、何もかも諦めて記念すべき大台に乗ってしまった百回目。全てを投げ捨てて、自分から死を選ぼうとして、結果として今に至っているわけで……。
「……必死になって、あちこちの世界を探したわ。そしてようやく見つけた貴女は、全てを諦めて死を選ぼうとしていたの」
「……面倒になったので、もう良いか、と思って死のうと、しました」
「で、でもルクレツィア、元の場所に帰ってきたのだから、思いきり楽しんで生きてみない?」
違う。元の世界に帰ってきたから良いとか、そういう問題ではないの。
別の意味で諦めて、早々に受け入れてしまえばもっともっと楽になるのかもしれない。ただ、あちらで私が受け続けた心の傷は、簡単には消えない。
「私は、今の状況を受け入れることなんか、到底できません」
「ルクレツィア……!」
「こちらに来ていた子は、私のような繰り返しをしていたのですか?」
「……それ、は……」
「違いますよね、きっと」
ぐっと言葉に詰まってしまうダイアナ様を見れば、あの子の状況は何となく想像出来る。
入れ替わりが起こっていることを理解したあの子の錯乱っぷりは、本人でないから私には分からない。でも、あの子はきっと、私のような惨めな死を繰り返したりなんかしていない。
首を落とされる感覚も、魔法で焼かれる感覚も、仲が良かった人に突き放され、絶望しか待っていなかった私とあの子は、違う。
だから、私が元の世界に戻る時にあっけらかんとしていたんでしょうね。
「元の世界に戻していただけたことは、感謝いたします。けれど、そう簡単に割り切れるものでないということは、理解してください」
「……っ、そう、よね……」
いたたまれないような、嫌な空気がじわりとこの場を支配していく。
向こうの世界で心の準備をする時間が欲しいと言ったものの、早々にあれこれ聞かされた私のメンタルは割とギリギリな状態なことに変わらない。
併せて、今まで張り詰めていた気が、ぷつりと切れた。
「それと……しばらく私のことは、ほっといていただけませんか……。疲れ、ました」
何とか頑張ってこれだけ言ったまでは、覚えている。
ぷつん、とスイッチが切れてしまったように、私はへたりこんでしまった。
「ルクレツィア!」
「あの夫人に攻撃されて、死にかけて、……目が覚めた後ですぐに、ここに、いるんですよ……こっちは……」
「……っ、ごめんなさい……!あぁどうしましょう……誰か、誰か来てちょうだい!」
「…………おなか、すいた」
水は、自分で生み出して飲んだ。
私は目が覚めてから、まだ何も……食べてないんです……よねぇ……。
ぽろりと零れた私の呟きはしっかりダイアナ様に聞かれていて、ぎょっとした顔をされてしまう。
美人は何をどうやっても、美人なのはズルいわ……。
「る、ルクレツィア、お腹が……すいたの?」
私は問われるままにうん、と頷く。
神界の住人だろうが、人間だろうが、どうにかしてエネルギーの摂取は必要になると思うんです、私。
「ええと……あまり重たくない食事が必要ね……」
オロオロとしているダイアナ様を、許したわけではない。感情の整理も出来ていない。
ただ、『腹が減っては戦は出来ぬ』という言葉が頭を過ぎ去り、ここまで張り詰めていた精神も何もかも今はぷっつりと切れてしまって、動くことが出来なくなってしまったまま、ダイアナ様に支えられて座り込むことしか、出来なかった。