それでは皆様さようなら、もう会うことはないかもしれないけれど
本当の『ルクレツィア』は、元いた世界へと帰ってきた。
なお、こちら側にいたルクレツィアは、『痒い?』と呟いたがために体に何かしらの出来物ができてしまったのか!と慌てる女王により、引き摺られるようにして連れ帰られた。
残ったのは、こちら側で過ごすはずだった本来の『ルクレツィア』。
「貴女に、新しい名前を授けるわ。『リネーア』として、この瞬間から生きていきなさい」
「はい、王妃様」
「リネーア、君は側妃の養女となる。……そして、これから君の家族だった人たちとのお別れをしようと思うんだが」
「……はい、陛下。けじめを、つけます」
アリソンが迂闊なことを言わなければ。
ロザリアが願わなければ。
妖精は隣人さんとして親しまれている存在でもあるが、彼らの本質はとても恐ろしいものだ。
人とは異なる存在で、迷わせたり連れ去ったり、『悪戯』として扱うには手に余る行為を繰り返す。それが、彼ら。
「せめてルクレツィア様が愛されていたのならば、私はこんな感情なんか抱きませんでした。でも……」
ルクレツィアが帰り、ゲートが閉じられた後。
ファリエルから告げられた、ルクレツィアがノーマン侯爵家で受けていたとてつもない扱いの数々。
繰り返している期間がたった五年とはいえ、それを99回。リネーアが逃げようと走り、手を伸ばした回数もそれくらいだっただろうか。
しかしリネーアは、『死』を繰り返しているだなんてことは、なかった。逃げようとして振り出しに戻る、これの繰り返し。年齢が巻き戻ることも無く、ただ、走り続けただけ。
迷路を繰り返しているだけ、とでも言えばいいのだろうか。
一方のルクレツィアは毎回『死』を迎え、時が遡っていた。人とそうでないものの魂を入れ替えた歪みがここでもどうやら発生していたらしい。
入れ替えた妖精は、ケタケタと笑っていた。何たる無様だ、と心から愉しそうにし、そしてヒトの世界を見て愉快だ愉快だ、と時には笑い転げていた。
女王の娘がこんなにも無様!と甲高く笑う彼らを見たリネーアは、どうにかして逃げようとする。その度にルクレツィアは死ぬ。
一体何をどうしたらこの繰り返しから抜けられるのか、という焦りも高まっていく。
「やめなさいよ!」
甲高い声。
あぁ、これは確かロザリアの声だ。
冷めた目で、リネーアは声の方に視線をやる。
罪人として引きずられてやってくるロザリア、そしてアッシュ。更にノーマン侯爵夫妻、兄であるエリオ。
明らかに怒り狂っているロザリアと、すがるようにこちらに視線をやってくる夫妻と兄である人。
ここは、神殿の中にある罪人を裁くための部屋。
部屋全体が『己の罪を認め、黒に染った心が白になりますように』という願いを込めたという意味で、白に染まっている。
壁も、床も、全て白。
窓は逃走防止のために、かなり高い位置に小さな窓があるくるい。恐らく子供の頭が通るか通らないか、くらいの小さな窓。しかしはめ殺しになっているのだろう。内からも外からも開きそうには無い。
「ルクレツィア……!今更戻ってきて、何がしたいの?!」
「……」
「何とか言いなさいよ!アンタがこっちに帰ってきたから、虐めがいのあるルクレツィアもいなくなったじゃないのよ!」
「……」
「何とか言いなさいよ!おい、言え!!」
令嬢らしい言葉遣いはどこへやら。
ロザリアはふーふーと荒い息で、歯を剥き出しにしてリネーアに対して怒鳴りつけてきている。
既に『リネーア』として生きていくことをあっという間に決めたのだから、ルクレツィアという名を呼ばれたところで反応なんかするわけもないのだが、ロザリアを始めとした面々はそれを知らない。
だから、必死にルクレツィア、ルクレツィア、と名前を呼んで許してもらおうと懇願してくる。
「ルクレツィア、お父様が悪かった!」
「ルクレツィア、お母様を許してちょうだい!悪気があって言ったわけではないのよ!ただ、ロザリアと一卵性双生児なら、もっともっと可愛いと、だから、それで!」
「ルクレツィア、お兄様を許しておくれ!」
シナリオのように繰り返される謝罪の言葉。
そんなもの、要らない。
彼らがひたすらに虐げていたのは、ここにいるリネーアではない。
元の世界に戻った『ルクレツィア』であり、あの『ルクレツィア』はそもそも彼らが手の届くような存在では無いのだ。
ロザリアが歪んだ願いを込めてしまったから、妖精がイタズラを全力で行ったにすぎないのだから。
「……わたくしは、もうルクレツィアではございません。それに、あなた方が本来謝らなければならないのは、もうここにいない『ルクレツィア』様にではないのですか」
淡々と返すと、全員が揃って黙り込む。
あぁ、図星なんだろうなと思うけれど、それだけ。助けたいとか、何も思わない。
「ぎゃあぎゃあと喧しい者共だ」
ここにいるのはリネーアだけではない。
神殿の関係者、国王夫妻、王立騎士団がそろい踏みだというのに、ノーマン侯爵家の全員が喚き散らす。
そして、アッシュも媚びるようにリネーアへと視線を必死にやってくる。
「る、ルクレツィア!」
「……どちら様でしょうか」
「そ、そんな」
呆然としてしまったらしいが、リネーアは別にアッシュと婚約なんかしていない。
あくまで、婚約をしていたのは『ルクレツィア』だし、彼女の成り立ちから考えるに婚約者になれたのは当たり前のこと。
リネーア自身は魔法がとても不得意だから、属性が何であれ恐らく王太子の婚約者なんかには選ばれないと、リネーア本人が一番思っている。
今更、この人たちが何をどう懇願しようとも、リネーアには響いたりしない。
心が揺さぶられることも、ない。
「ロザリア、貴女、とんでもないことを企ててくれたわね」
「ルクレツィア……っ!」
ギリギリとリネーアを睨んでくるロザリアだが、ファリエルの呟きに、眼光を更に鋭くさせた。
「まぁ……何とも醜いこと」
「はぁ?!」
ファリエルは、侍女が差し出してきた特殊な手袋を両手にそれぞれ装着しながら、蔑みきった眼差しをロザリアへと向けた。
「消える存在に言葉をかけることは、無駄極まりないけれど」
「ファリエル、噛まれないように気を付けて」
「ありがとうございます、陛下」
にこ、と笑うファリエルは、侍女が差し出した虫かごのような物に手を突っ込んだ。
途端に中から『イタイ!イタイ!』と悲鳴が聞こえてくる。
「え……?」
恐らく、ロザリアは声の主に心当たりがあるのだろう。
真っ青になってがたがたと震え始めてしまった。
「ヤメテー!!」
ファリエルが鷲掴みにしていたソレは、一匹の妖精。
「妖精さん!」
「ヤメテー!!イタイ、イタイ!!」
ファリエルの手の中でじたばたと暴れる妖精の声なんか無視して、ファリエルはぐぐ、と手に力を込めていく。
「ヤ、メ」
「お前が、ロザリア嬢を唆さなければ。いいえ、まず夫人が余計なことを言わなければ」
「待ってください、王妃様!妖精さんは悪くないの!」
「ファリエル、これを」
「ヤメ、テ」
「全ての引き金を引いたのはアリソン夫人だけれど、実行したのはロザリア嬢と……お前」
ぎち、と奇妙な音がファリエルの手から聞こえた。
「ッ、ァ」
はくはくと妖精が口を開け閉めしながら、次第に顔を真っ赤にしていく。
まさか、とロザリアが顔を青くするが、きっとロザリアの予想は当たっているのだろう。
ファリエルは微笑んだまま、手の中にいた妖精を容赦なく握りつぶした。
「っ、あ、ああああぁぁぁぁぁぁぁ!!」
妖精さん!妖精さん!と叫ぶロザリアだが、ファリエルは何も躊躇しなかった。
更に、握りつぶした妖精をぺしゃり、と床に投げ捨て、続いてレイナードが火魔法を使って跡形もなく妖精を燃やし尽くした。
「あ、あ……」
呆然としたロザリアだが、神官が音もなく移動し、ロザリアの背後へと立つ。
呆然としたままだったものの、ふっと影が被さったのが気になったのだろう。ロザリアはかたかたと震えながらも振り向いたのだが、見上げた先にいた神官、そして大司教の姿に目を見開いた。
「禁忌を犯したものに、罰を」
静かに告げられたその言葉に、『え?』とロザリアが呟く。
「女神様に、心からの謝罪を捧げましょう」
「罪人、転生すること決して叶わず」
淡々と告げられる内容は、一般には知られていない『呪文』。
死を前にした人には生まれ変わりを願い、また会えるようにという意味を込めた祈りを。
だが、禁忌を犯した者については、何があろうとも生まれ変わることのない、ある種の呪いを。
「待って、よ」
ロザリアの言葉は届かない。
「禁忌を犯した罪人よ」
「永遠に」
「消え去るが良い」
一言一言、集まった大司教始め神官たちから次々に告げられる、淡々とした声音で唱えられる呪文。
言葉を紡ぐごとにロザリアの足元に魔法陣が広がり、形を成したその瞬間に、足元から純白の炎が一気に立ち上がってロザリアの体を包み込んだ。
熱くはないらしいが、ロザリアの全身に紋様が広がっていく。腕や足だけではなく、顔全体にまでみるみるうちに広がっていった。
「いや、いやよ!だって、私はちょっと願っただけよ!?」
慌ててロザリアはリネーアを向く。
「お願い助けて!ねぇ、私は貴女の姉妹よ?!」
「はて……」
リネーアは、一言だけ呟いて首を傾げた。
「わたくしには……姉妹など、おりません。だってわたくし、天涯孤独なのですから」
にこ、と微笑む姿は、ロザリアが放った『不細工』という単語とは無縁なほどに愛らしく、突き放しているにも関わらずどこまでも見惚れてしまう姿だった。
「種族の違うもの同士の魂の入れ替えなんかするから、こうなるんですよ。二卵性として生まれたわたくしたちは、姿が違っているのなんか当たり前。己の美的感覚だけでわたくしを不細工だと言うのは構わないけれど、禁呪を使ったことは理解しないと」
それと、とリネーアは続けた。
「禁呪を使えば、代償も払わなければいけないでしょう?」
「あ、あぁーーーーーーっ!!」
時すでに遅し、ではある。
ロザリアの身体中を、禁呪を行ってしまった者に対しての烙印が覆い尽くした。
「うそ、うそよ……」
呆然と呟くロザリアに対して、レイナードが笑みを浮かべて告げた。
「大丈夫だよ、しばらくは何も起こらないさ。……しばらくは、ね」
その言葉の意味を知るアッシュは、呆然とした。
ノーマン侯爵夫妻は、問答無用で国から叩き出され、アッシュとロザリアは一代限りの爵位を貰い受けているのだが、アッシュにもそのうち呪いのように絡みついてくる、ロザリアが起こしたことのものへの罰。
リネーアは泣き崩れる元両親や兄、アッシュをただ、見ているだけだった。
「……さよなら」
小さく呟かれた言葉は、彼らには届くことなく、その部屋の中に溶けて消えていったのだった。




