⑫ルクレツィア
心の準備をさせてくれたことには、……えぇ、それには感謝いたします。
私の返事なんかお構いなしにその日が来てしまったことに関しては、死ぬまで恨み言を言わせていただきたく存じます。
と、心の中でギリギリとハンカチを握りしめ、引き裂くまでに至ったけれど、何とか心を保ったままやってきた、運命の日。
私は、本来の世界に帰る。
そしてもう一人の『ルクレツィア』は、こちらに帰ってきて、名前を変えて、王家の保護下へと入る。
側妃様はこのことについて、理解がとても早かったこともあって、『ルクレツィア』はそちらの家の養女として手続きをし、王宮にて王妃様つきの使用人として過ごしていくそうだ。
彼女には私が帰るべき世界の知識があるから、ヒトの世界に障りがない程度に物語として伝えるような役目を与えるのだ、と王妃様が仰っていた。
「ルクレツィア……」
どんな人なんだろう。
ロザリアやアリソン夫人は、彼女を不細工だと言っていたけれどそれはあくまで彼女たちの主観でしかないだろうから。
好みはあくまで人それぞれ。
もしかしたら、彼女たちからすれば美人でなかった、というだけかもしれない。
私はゆっくりと深呼吸をして、定刻になる前に王妃様や陛下の元へ……聖域へと、向かう。
今日、この時に聖域にゲートが開かれるそうだ。
結局……王妃様はどのようなお方だったのだろう。何となく曖昧になってしまって聞けなかったけど、聞いておけば良かったかな……と思っていると、光が溢れてくる。
「ルクレツィア、少しだけ頭を下げていてちょうだい」
「は、はい」
「あと、出来れば目も閉じていてね。すごく眩しいから」
「はい」
言われた通り、少し頭を下げ、視線は自分の足元へ落とす。
どのくらいの光なのか分からないけれど、軽く目を閉じていた。
そうしたら、目を閉じていても眩しいと感じるほどに、とてつもない光が溢れたのが分かる。あまりの眩しさに、ぎゅっと目を固く閉じた。
「お待たせしました、ファリエル」
「お待ち申し上げておりました、女王陛下」
光がおさまり、穏やかな女性の声が聞こえる。
「その子が、わたくしの『ルクレツィア』ね」
「はい」
「……ねぇ貴女、お顔を見せてちょうだい」
何となく逆らえない。
その人の言葉には、そういった雰囲気があった。
私は、目を開き、ゆっくりと顔を上げる。
そこに居たのは、とんでもない美人で気品も迫力もある、女性だった。
薄い翠玉色のストレートの髪は腰まであり、髪飾りをつけていなくてもそれそのものが宝石のように眩く輝いている。目も同じ翠玉色。
肌は白く、けれど爪はほんのり桃色で血色がとても良いことが見てわかる。唇もぷっくり艶々な色気があり、化粧をしているのかどうか分からないけど、絶世の美女とはこのことか、というくらい。目の覚める美人が目の前に立っていた。
「あ……」
「お帰りなさい、わたくしのルクレツィア」
目を潤ませて両腕を広げてくれたその人に吸い込まれるように、私はふらふらと歩いていく。
そうして、すっぽりと腕の中に収まってしまった。
「あ、あれ……?」
ぼろぼろと涙が溢れてくる。
「あ、あの、ごめんな、さい」
「良いのよ、わたくしのルクレツィア。……何度も何度も、途方もないやり直しをさせ続けてしまって、ごめんなさい。謝らなければならないのはこちらの方よ」
はっきりと言うこの人の腕の中は、とてつもなく心地が良い。
死にたい、という想いすら掻き消えてしまいそうな程に、心が穏やかになっていくのが分かってしまうくらいだ。
でも、私は…………。
「分かっております。これだけ繰り返され続けたら、心が疲弊するのも当たり前のこと。……どうやって過ごしても、誰にも文句なんか言わせないわ、わたくしのルクレツィア」
「………え………」
そんな言葉がかけてもらえるだなんて、思ってもみなかった。
「貴女の母だけれど、自己紹介が遅れてしまったわね。わたくしの名はダイアナ。元々の造りは少し違うけれど、ヒトへの多産の神として存在しているわ」
「造りが、違う?」
「元々は樹木の神だったの」
うふふ、と笑いながら言われた内容に思わず目眩がしてしまう。
え、えぇと……。
つまりこの人……あ、いや違うわね。女神様……でも女王陛下って言われて……あれ?
「ルクレツィア、少し落ち着きなさい。貴女の名も『森の女王』という意味があるのよ」
「……え?」
「わたくしの子だもの。由来があって当たり前だわ」
にっこりと笑って、続けて言われた内容に思わずぽかんとしてしまう。
名前に意味がある、とは聞いたことがある。子供が祝福を受けられるように、とか。
神の名を模して付けて、その神のような素晴らしい人になれますように……とかも聞いたことがある。
「あ、の……なら、『ルクレツィア』は……」
「もう一人の子ね。いらっしゃい、ルクレツィア」
呼ばれて、聖域の光の中から一人の女の子がやってきた。
私と同い年くらいの、とってもかわいい女の子。どこが不細工なのかは、分からなかった。
艶やかな翠玉色の髪に、ぱっちりした二重瞼の少しだけつり目の意志の強そうな栗色の目。
私は、彼女とは違う黒髪に翠玉色の目。
ただ、私と彼女は共通して少しくせっ毛で、身長も体型もほぼ同じ。
ロザリア曰くの不細工なんかじゃ、ない。目の前のルクレツィアは、美人でないだけでとても可愛らしい。小動物のような愛らしさがある。
ロザリアが美人系だったから、同じようにあってほしかったんだろうと思うけれど、持って生まれた顔はどうしようもない。
「貴女が、本当のルクレツィア……」
「……貴女がロザリアの本当の姉妹の、ルクレツィア」
二人で、驚いてしまった。
私たちは、声もほぼ同じだった。
「もっと早く気付けば良かったけれど……魂が違っているだなんて想像もしていなかったの。ごめんなさい、二人とも」
一旦私の体を離して、ダイアナ様が頭を下げた。
私とルクレツィアはぎょっとして、慌てて手を振る。
「そんな!」
「女王陛下は悪くなんか!」
「いいえ。我が子の魂の輝きが分からないだなんて、母失格です」
私たちは互いに顔を見合わせる。
気付いて、きっとこの神様はずっと探し続けてくれたのだろう。けれど、『ルクレツィア』のことは決して蔑ろになんかしなかった。
優しく、慈しんでくれていた。
自分の娘ではないのに、見守り続けてくれていたのだと思う。
……少しだけ、羨ましい。
「気付いて……ほしかったけど、でも……そもそもこんなことをロザリアが考えなければ……妖精が手を貸さなければ、ここまでの歪みは生じなかったと、思います」
ぽつりと私がこぼした言葉に、『ルクレツィア』も激しく同意をしてくれて、隣でうんうんと頷いてくれている。
そして、『ルクレツィア』が更に言葉を続けてくれた。
「私は、とてつもない果報者です。ルクレツィア様に全て押し付けて、ぬくぬくと暮らしておりました!だから、もしも女王陛下が悔いる気持ちがあるならば、ルクレツィア様に今までの愛情をたっぷりと注いであげてください!」
──それはちょっと待ってほしいなぁ。
思わず遠い目をしてしまった私を、王妃様が見て『めっ』という顔をしていらっしゃる。
だってしょうがないじゃないですか、心の準備ができてない上に、愛されろだなんて私にとってはよく分からないことをしていただけるだなん、て。
あれ。
「……痒い?」
ぽそ、と呟いた言葉に、弾かれたようにダイアナ様が顔を上げる。
そして真っ青になって慌てて私を抱き締め、どこにそんな力がありました?!と言わんばかりの力で私を聖域の光の中へと引きずり込んだ。
「あれーーーーー?!?!」
「大変、急いで神界に戻って治療しますわよルクレツィア!!」
「ルクレツィア様、お元気で!!」
ちがーーーう!!『ルクレツィア』、感動の別れみたいに締めくくらないで!!
というか今からどこに行くんですか!と叫びたかったけど、光が眩しくて目を閉じるのに精一杯で、何も言えなかった。
心配されているのは分かるけれど、ダイアナ様、とっても苦しいです……。
そして、こんな私を心配してくださって、ありがとうございます。
心の中でお礼を言って、引きずられるままに私は『元の場所』へと強制的に戻っていった。




