感情は二の次
ロザリアの結果は、当たり前だが不合格だった。
どうして、と泣き叫ぶロザリアだったが、すぐにこう叫んだ。
「ルクレツィアを王家が贔屓しているからよ!あんなグズが私を差し置いて選ばれるだなんてあってはならないんだわ!」
しかし、さすがのアッシュもこれには否としか言えなかった。
王妃にこれでもかと叱られ、アッシュは自分がいかに浅はかで楽な方に逃げていたのかということを思い知ったのだが、時すでに遅し。
ルクレツィアは家で迫害され、母親に殺されかけてしまうというとんでもない事件が起こってしまった。
それに加えて、アッシュは王妃からこう問われた。
「我が王家、我が国がどうしてここまで平穏無事でいられるとお思いですか?」
「へ?」
王妃の言っている意味が分からずに、アッシュは目を丸くしてしまう。
何故、と言われても国そのものが豊かであるからだろう。そして、気候が荒れたとしてもそれに対する対応能力がとてつもなく高いから、災害時の復旧も早い。
貴族が諍いがあるのは、これは当たり前のこととしても、そもそも国そのものが穏やかで人が良いから、という理由しか思いつかなかった。
「えぇ、と」
「……呆れた」
はぁ、と王妃ファリエルは溜め息を吐いた。そこまで呆れられることなのか、とアッシュは困惑するが、次いだ王妃の言葉にぎくりと硬直する。
「『王家は、生み出すものを伴侶とせよ』。……聞き覚えが無いとは言わせないけれど?」
「あ……」
『生み出すもの』という表現だが、高位貴族ならばこの意味がきちんと分かる。
この国、フルヴィア王国には古からの言い伝えがある。
フルヴィア王国を建国した王は、女神を伴侶とした、というものだ。
その女神は加護として『豊穣』の力を持っていた。
民が飢えないよう、女神が祈ったとおりに五穀がたっぷりと豊かに実った。そして、土地そのものに対してこの加護を使い、国の未来を平穏無事を祈り、末永く幸せになった、という言い伝え。
実際のところ、真偽は不明ではある。しかし、何かを生み出す力を持っているものを王家の伴侶として迎えること、と遺した祖先の言いつけを守り、実際にフルヴィア王国は栄えてきた。
過去、それに反した王族もいたそうだ。
魔力を持たない者を伴侶として迎え入れた。迎え入れた理由はたった、一つ。『愛しているから』。
それだけの理由で王族の伴侶たる資格のないものを王家に招き入れたことで、何が起こったのか。
驚くほど、みるみるうちに国が衰退していった。
迎え入れられた本人曰く、『子を生すことは生み出すことでは無いのか!』ということらしいが、他には?と問われれば何も出来ていなかった。
そもそも、王族に嫁いだのであれば世継ぎを作り、生み出すことは当たり前。王女であっても王子であっても、どのような形であれ子を産むことは当たり前。それが出来なければ、王宮内で肩身が狭い思いをするのも当たり前のこと。
では、『生み出すもの』の定義は何なのか。
ルクレツィアであれば、使用魔法の属性は『水』。恐らくこれが一番分かりやすいだろう。
水がなければ作物は育たない。そして、何よりも水が無ければ、人も生きられない。水が命を育み、豊かにしていく。
土属性もそうだ。作物を育てる上で重要な存在。種を撒き、豊かな土壌があればこそ実りは得られる。
風属性も、同じことがいえる。そもそも空気、もとい人の生きるために必要な酸素。風=そよ風というだけではない。物によっては風により花粉を運び、実りに繋がることもあるが、それは風媒花。更に蒲公英は風によって種が飛ばされ、到着した場所で芽吹き、また花を咲かせる。
ロザリアの『火』属性は果たしてどうか。
生み出す、というところにおいては確かに重要なものなのかもしれない。
だが、重要度で言えば他の属性からすると、若干、ほんの少しだけ、劣ってしまう。
今回王太子妃候補に選ばれたルクレツィアを始めとした令嬢は、属性が水、風、土、とそろい踏み。
この中にロザリアを入れたところで三人と比較されれば、恐らく惨めな思いをするのはロザリアの方だ。
「で、ですが……ロザリアの火属性の力だって、とても大切な属性で」
「あと、貴方もう一つ忘れているわよ」
「何を、ですか」
「そもそも、火属性の人をあの『聖域』に連れていくつもり?豊穣の女神が祀られている、あの、聖なる領域に」
火を使った農法もある。火がなければ、煮炊きができない。パンも焼けやしない。
それはそうなのだが、聖域に入るための条件をどうやらアッシュは綺麗さっぱり忘れていたようだ。
「あ……っ!」
「昔、火属性の伴侶候補が中に入った瞬間、聖域を焼き尽くさんばかりの火災があったという記録があります。王家史の授業で、貴方は学んでいるはずですが?」
うっかり忘れていた、で済まされない大切な話。
それまでの王家の伴侶たる存在が、たまたま水や土属性などが続いていたこともあり、火属性でも問題ないだろうと判断し、婚約の儀を執り行うために入った。
その瞬間、聖域で火災が発生したのだ。
どうしてだ、と騒いでいた家臣たちの頭に直接聞こえてきた、『熱い、助けて』という悲痛な叫び声。
女神の悲鳴だ、と誰かが呟き、慌てて火属性の本人を聖域から引きずり出したところ、最初から何も無かったように消えた炎。
一体何が、と慌てていると大司教が呟いた。もしかしたら、かつての祖である女神が消えてしまった要因に火が関係しているのかもしれない。
火は駄目だ。聖域が燃えてしまっては、本来通りの儀式を行うことが出来ない。
だから、禁止項目が増えた。正しく教えて後にも続けていかねばならない知識のはずなのに、一番伝わらなければならない本人がうっかり、忘れていたという。
これでは王太子としての存在価値そのものすら危うい上に、人としてどういう行動をしているのだ、と問い詰められるロザリアとの関係性。ルクレツィアへの対応の酷さ。
「そ、っ……あの、それは、あの……!」
「ロザリア嬢にはお前が自分で伝えなさい。不適合だった、とね」
愕然としたアッシュだったが、彼はそのままロザリアを始めとしたノーマン侯爵家の人間に何があってどうなったのかを伝えた。
そうして、ロザリアが癇癪を起こした、ということだ。
侯爵夫人たるアリソンは怒りのままにシドに訴えかけようとしていたのだが、シドは顔面蒼白になっている。どうやら彼はきちんと覚えていたようだ。
アッシュの態度も、一時の気の迷いだと思い込んでいたが故に妻と娘を止めなかった、らしいのだが、侯爵家の主がそれでいいのかと、報告を受けた貴族議会は騒然とした。
「まさか、妻の教育をきちんとしていないとはな」
「ルクレツィア嬢だけがまともだった、ということか?」
「殿下の行動も、若気の至りで済ませて良いものでは到底無いだろう。陛下も王妃様も、子育てをどう考えていたのやら」
あちこちで囁かれる言葉は、当事者たちにはぐさぐさと刺さる。
そのような状態になってからようやく、ノーマン侯爵家に関わる全員が、アッシュが、ルクレツィアに謝ろうと王宮へ押しかける、というとんでもない事態を引き起こした。
「……………………………嘘でしょう」
それを聞いたルクレツィアは顔面蒼白となってしまった。
一応まだ家族の人たちがそんな馬鹿なことをしでかしたとは、王太子たるアッシュまでもがおかしな行動をしている、と思うと吐き気が込み上げてくるのを感じた。
「ルクレツィア嬢、大丈夫……ではないだろうな……すまん」
「い、いいえ……けれど、どうしてそんなことが……?」
シドは、貴族としての誇りは一応、ある。プライドもそこそこに高いことだし、惚れ込んで結婚して甘やかし放題とは言っても、アリソンに対して侯爵夫人としての教育をしていなかったとは考えられないのだ。
「考えたくはないのですが、何か原因が……?」
「あぁ、ある」
迷うことなく頷いたレイナードは、すい、とルクレツィアを指さしたのだ。
「これは、ルクレツィア嬢が何度も何度も人生を繰り返していたことにも関係がある」
「え、……」
どうして自分が、と思うけれど、ルクレツィア自身にはなんの心当たりもない。
困惑し、ルクレツィアは手の中にあるグラスに注がれた水をじっと見つめる。どうして、何で、と繰り返しているだけの自分が嫌でたまらないが、繰り返しすぎて面倒になっているもう一人の自分がこう囁いてくる。
『別に私は悪くないんだから開き直りなさいよ』
──そうできたら、どれだけ楽か。
楽になりたかったから死を選ぼうとしたら、今回で終わりだからと生き永らえさせられているのだ。
頑張って、また前向きに考えようとしても心は疲弊しきっている。
そんな状態で何をどう頑張れというのか。無理がある、嫌だ、とまた感情の波が押し寄せてきかけた時だった。
「ルクレツィア!」
ノック無しで思いきり扉が開かれる。
「え」
「ファリエル、ノックくらいはした方が良いよ」
「ルクレツィアが目を覚ましているのでしょう?ノックは後よ、あーと」
「君ね、王妃なんだから」
入ってきたのはにっこにこの満面の笑顔のファリエル。お付きの侍女の顔がそこはかとなく引き攣っているのは、ルクレツィアは見なかったことにしてしまったらしい。
なんか、すみませんと心の中で謝ってからファリエルへと視線をやる。
「王妃様、すみません。ご迷惑、を」
「ルクレツィア、もう起き上がれるようになったのね!あぁ良かった、お水も飲めるのね!迷惑なんかじゃないから、そんな暗い顔しちゃダメよ?」
明るい声で言うファリエルと比較して、ルクレツィアの顔色はずっと悪い。
回復し続けてくれたことや、家のことで迷惑をかけてしまった。その想いがルクレツィアの中をひたすら巡っていた。
「ルクレツィア、本当に大丈夫なの。だから、お顔を上げてちょうだい?」
ね、と明るく言われ、おずおずとルクレツィアは顔を上げる。
視線の先には慈しむように微笑んでくれているファリエルと、レナードの姿。
ほんの少しだけホッとして、水をちびりと飲んだルクレツィアの様子に、ファリエルは首を傾げた。
「レナード、ロザリア嬢とアッシュの話の顛末は聞かせた?」
「いいや、まだ最後まではいっていないよ」
「もうさっくり言っちゃえば良いのに」
随分と砕けた口調で話すファリエルに、ルクレツィアはきょとんと目を丸くする。
こんなファリエルは見たことがない。
今までの99回でも、恐らくここまで砕けている様子を見せたことはないのだ。
しかし、あの二人の顛末とは……?とルクレツィアは首を傾げる。
「あの二人が結婚することになったけど、離縁は許可されていないし、生き地獄を味わうことになったんだから」
「え?」
聞いた途端に素っ頓狂な声を出してしまったルクレツィアは、きっと、何も悪くない。




