?奉? ?奈
今日一日でハッキリした事は、詠奈が少しその気になって動くだけで世の中は大混乱に陥るという事だ。そしてこれらはまだ序の口というか……彼女に静める気が無かったからこうなっただけ。世の中を混乱させる事が嫌ならきっとその権力で無理やりにでも世間に沈黙を強いただろう。
「ん……そこ……足……もっと強くぅ……」
「お疲れ様だな。勝手に誘拐されたり、総理に労いの言葉を贈ったり。あの団体は潰さなくていいのか?」
「今は……妄想に取りつかれた団体だからわざわざ手を下す程でもないわ。幸い、ろくでもない手段に手を染めてくれていたお陰でネガティブキャンペーンもばっちり。この国がたった一人に権力を集中させているとか……頭にアルミホイルでも巻かなきゃ信じられないでしょう」
今回、詠奈は仕事をした。仕事の為に今まで見て見ぬフリを、誰にも追及出来なくなっていた私腹を肥やした金の生る木を枯らした。今まで彼女に言わせれば自分が腐っていたから生き残っていたにすぎないお金の流れを跡形もなく滅した。その事を、どうとも思っていない。
「ああ…………君と楽しく過ごしたいだけなのに、この国は問題だらけ……少しその気になるだけでこんな簡単に壊れちゃって……情けないわ」
「いいよ、お前のやってる事滅茶苦茶だけど、見てて何が起こるか分からないって意味では楽しかったから……こんな事言ったら、普通は怒られるんだけどな。一緒に居る内に麻痺してきちゃったみたいだ」
そして暮らしている内にマッサージも上手くなってしまった。整体の効力について求めるなら俺なんかよりもっと本職の人間を呼びつければいいと思うが、そんな事は分かった上で俺に任せてくれているので精いっぱい頑張っている。
「やっぱり……民主主義は不完全ね。外交は簡単ではないけれど……ほんの少しマシな頭をしているだけで国はまだ成長の余地があるのに。ここまで見事に無能がのし上がるなんて、素晴らしすぎて涙が出そう」
「まあそう言うなって。頑張ってる……頑張ってる、のかな。ちょっと言い切れないかも」
「頑張っていてもそれが何? 政治家はやるかやらないかでしょ。少なくとも、私がやればもう少し成長するわよ」
股関節周りのマッサージに移行する。女性にとって大事な場所が近いから少しドキドキするけれど、それはおかしい。もうとっくに一線は踏み越えているのだから。
そう自分に言い聞かせて手を止めない。
「じゃあ、やるのか。これから」
「…………さあね」
「何でやらないんだ?」
姿勢の関係で詠奈と見つめ合う事に。素朴な疑問は言うべきか悩んでいたつもりが、つい口に出てしまった。
「政治は問題だらけなんだろ。お前は退屈が嫌いなんだから、やるんじゃないのか?」
「…………滅私奉公は趣味じゃないの。国を立て直すのは結構だけど、後続を育てられる気はしないわね」
「後続って…………それは、子供―――」
「君との子作りがまさか世の中の為の物だと思っていたなら心外ね。私、ただ君の赤ちゃんが欲しいだけよ。もっと君との繋がりが欲しいだけ。別に私との相性が良い必要はないの。一人で問題なく生きていける程度には物を教えて、それで十分よ。元々私が腐っていたのは、後続が育ってくれる事を期待しての行動なんだから」
つまりは監視、もしくは象徴として生きるつもりだったのだろう。自分の子供に役目を継がせる気がないなら独裁をする意味もない。我儘なようでそれも詠奈の気遣いだ。やっぱり彼女は自分一人がどうにか出来るからというより自分が居なくなった後を見据えて行動しようとする節がある。
「お前が買った人に政治家適性のある奴は?」
「そういう意味では神輿だった友里ヱは一番向いているとも言うけど……本人はもう懲り懲りみたいだし、やる気のない事をやらせる理由は今の所見当たらないわね。ただ、誰かが政治家として立候補したい時に票が欲しいならその時は神輿になってもらうわ」
「…………誰かって、居ないんだよな」
「そこまで気になるなら君がなってみる? 国なんて幾らでも立て直せるから多少壊してくれてもいいわよ」
「流石にそれは言いすぎだろ!」
「言いすぎも何も、国の資源は殆ど私が動かせるのよ。あんまり無知なままでも困るけど、本気で目指そうという気があるならサポートするわ」
この手の話題において冗談という概念はなさそうだ。乗せられて政治家を志そうという気にもならない。簡単に明らかになる腐敗に憤る反面、国をどうしたいというビジョンが俺にはなかった。所詮はモノ言いたいだけの一般人だ。俺なんてそんな大した人間じゃない。
詠奈に拾われてからも、きっと。
「俺は…………俺はいいよ。やりたい事、見つからない。真面目に考えようとすると分からなくなる」
「じゃあ、これからは一緒に考えましょうか。二人の未来の話だものね。旦那様?」
珍しく詠奈はマッサージの最中に寝てしまった。就寝準備は一通り済ませているから問題はないのだが、置き去りにされたみたいで俺が寂しい。静かな寝息を立てる彼女に布団をかけて、俺は眠気が襲ってくるまで椅子に座ってのんびりしている……屋敷に時計がないから、こういう時間の使い方にも躊躇がない。気持ちに余裕が生まれるから、俺は好きだ。
「ん?」
電気スタンドの足元に手紙が挟まっている。一つ屋根の下で暮らしていると彼女にだけ宛てられていても存在自体は把握しているのだが、それだけは知る由もない。
「…………」
見るべきじゃない、という理性と。見たい本能がぶつかっている。詠奈は眠っていて、盗み見たとしても気づかれないだろう。常に監視されているような生活だからこそ、こういう一瞬の隙間のような悪行には抗いがたい魅力があった。
少しだけ。少しだけ。
手に取って、中を覗く。難しい内容なら戻せばいい。
『約束を果たす時が来たのではないか? その気持ちが本物か、よく考える事だ』
「…………?」
ただそれだけ。手紙と呼ぶのもちょっとどうかというくらいのシンプルな文言。良く分からなかったので元の場所に戻した。あれだけじゃ良く分からないから、恐らく何かが一緒に入っていたに違いない。ただ、それを探そうと物音を立てたら殆ど泥棒だ。詠奈も気が付くだろう。
―――
そういえばと引き出しの上に立てかけてある写真立てを見て思い出した。今は俺と詠奈のツーショットが飾られているが、俺が来た時には別の写真が飾ってあったと思う。それが何だったか知る機会には恵まれなかったが。変わった写真だったので見た目は覚えている。
女の子が二人写っていて。片方が『やくそく』の文字で体全体を隠されていたのだ。幾ら昔の俺でも気にならない道理はない。確かに聞いたと思ったが、詠奈は隠れていない方の子を自分であると言って憚らず。
もう片方の子については意地でも触れようとしなかったから、尋ねるのをやめたのだ。