紙上半神話体系
コロナでダウンしてました。
あれがピクニックかどうだったかはともかく、楽しい時間だった。詠奈もストレスを発散出来たようで思い残す事はない。表に回って帰ろうとすると、玄関で獅遠に止められた。
「詠奈様。申し訳ございませんが今はお通しする事は出来ません」
「何かあったの?」
「詠奈様にせめてもの命乞い……いえ、話す順番が違いますね。指示に従い面会は全てお断り申し上げました。その方々が遺していった賄賂……手土産? どう表現すべきか私には分かりませんが、爆弾を渡そうとする不届きものがおりました」
「えっ……!」
空想とは言うまい。過去の歴史において国のトップを殺害せんとする試みは無数に行われてきた。だからボディーガードという概念があるのだし、だから直接的な贈り物も拒否される。余程今まで何もされた事がない代表が居れば例外になるかもしれないが、そんな奴は居ないだろうし、居ても他国に倣うような気がする。
詠奈が空を見上げて口笛を吹くと、森の中が一斉にざわめいて中から何百頭ものカラスが市街地の方へと飛び出していった。決してまぐれではない。この山に留まった事のあるカラスは詠奈の顔を覚えており、どういう感情か分からないが言う事を聞くようになっている。
「爆弾は?」
「既に無効化済みです。現在は監視カメラからの情報を元に絞り込んだ犯人を捜して八束さんが対応に向かっています。ですが爆弾が一つとは考えておりません。爆弾は時限式でしたが、時間差があまりに大きくとても狙って詠奈様を殺せる設定はされておりませんでした」
「陽動、という訳ね。でも彼らに立ち入りを許したのはほんの一部よ。まさかと思うけど、全ての部屋を探しているの?」
「万が一がございますから。今しばらくお待ちくださいませ」
「詠奈。獅遠は単に心配してるだけだから従っておこう。ほら、お前だって天候操れたりするだろ。同じ様なテクノロジーを使わないってどうやって保証するんだ?」
「あれは―――腐った大人には使いこなせないわね。ほら、いかがわしい本に人の意思を操るアプリ、みたいなのがあるでしょう? 仮にあれがあっても答えは変わらないわ。女の子の心は女の子にしか分からないのよ?」
「…………?」
俺の危惧を杞憂と流した詠奈だったが屋敷には入らないでくれるようだ。好きな子の爆死する姿なんて見たくない。噴水の縁に二人で座ると、彼女はたまたま庭の手入れをしていた下働きの子を呼びつけて地図を用意させた。
「私を調べた成果はどう? 少しは分かってきた?」
「え?」
「千癒に資料を用意してもらったのでしょう。咎めるつもりはないわ。どれくらい私の事が分かったのか気になってるだけ」
てっきり詠奈自身も報復の準備をするかと思ったのに、彼女は敵意に興味がなかった。それよりも気になるのが俺の動向なのはちょっと、余人を以て代えがたい人にしては暇人が過ぎる。
地図で二人分の膝を隠すと、誰にも見えないように手を繋いだ。
「んっと…………お前っていうか、王奉院ってお化けみたいな存在だなって……分かった」
「へえ?」
「いつも現れるんじゃなくてさ……なんかしれっと居たんだよ。お前の家系っぽい存在。栄えある裏に王奉院? でもどんな資料を見てもちょっとしか言及されない。居る事自体が気のせいだったみたいに……居ても居なくても困らないみたいな? でもその割にはお前の家系が居る間は色んな事が安定してた。内政とかそうだし、戦国時代なら、戦の結果とか。あの時代って日本だけでも外国と自国が成立している様なもんだったじゃないか。藩とかでさ。ふらふらと仕える主を簡単に変えられる時代でもない。お前の働きが有能なら猶更……なのに変わってるから、お化けなのかなって」
「ふふ。成程。それを一括りにしてお化けね。まだまだ調べるのは時間がかかりそう」
「的外れだったかな」
「当たらずとも遠からずね。お化けではないけど、私達には『妖』の血が流れているのよ」
…………?
「あや、かし? え、人間じゃないって事か?」
「そう言われているのよ、私もお父様からそう聞いた。本当かどうかは……言うまでもないわね。もしも私が妖怪ならきっと遺伝子が違って子供が作れないでしょう」
「まず妖怪なんかいないと思うんだけど……」
ロマン主義なのか現実主義なのかはっきりして欲しい。己に特別な血が流れていると思うのは結構だと思うけど、違う生物同士なら遺伝子が噛み合わないから子供が出来ないとか、偉く科学的な話をするじゃないか。
―――所でこれは何をしてるんだ?
心ここにあらずという訳ではないのに、視線がずっと地図に向いている。
「お化けが居るなら居るかもしれないでしょう。確かに現実的ではないけれど……これでも結構気に入っているのよ。現実的にはあり得なくても、そういう血があるなら私がこうなっているのも納得と思わない? 神話に名を連ねた者の多くは神様や動物の血を受け継いでいたり、星の加護を受けているのよ。仮に本当に血が繋がっていたとしても薄すぎて殆どないも同然程度でしょうけど……」
「それだろ。妖怪がもし本当に居ても何千前の話だ」
「違いないわね。妖怪なんて生き残ってる筈ないし……居たらだけど…………」
詠奈は地図を丸めて床に放り捨てると、身を翻して玄関の方へ歩き出した。
「え、あ、ちょ」
「獅遠。私の行動制限を認めましょう。執務室まで連れて行ってくれる? 景夜も一緒に」
「はい?」
「八束が戻ってくるのが遅すぎるわ。多分実力行使せざるを得なくなっている。私がきちんと権威としてあの子のお掃除を助けてあげないとね」
「―――承知しました」
獅遠は玄関を開くと、階段に座ってロボット掃除機をマニュアルで動かしていた聖が叫び声を上げながら横へ飛び退いて気まずそうに背筋を正す。何だか詠奈に目をつけられる回数が多い割には迂闊だ。俺もちょっと庇い切れないかもしれない。
目の前で姉が膝から崩れ落ちそうな中、詠奈は鼻でふんと笑って横を通り過ぎた。
「いいわ。サボらないようにね」
王奉院詠奈は殺せない。
それを知らしめるようにこの屋敷へ爆弾を入れた実行犯は逮捕され、国内における指折りの宗教団体を抱える政党は解体された。詠奈の権力によって通された都合の良い法案は全て形式上残っているだけで廃案、議員一人一人が抱える弱味が他の政党及びマスメディア全てにばら撒かれテレビや週刊誌、ネットのネタは尽きる事がない。
文字通りの解体だ。詠奈という上からの権力によって余さず一切を白日の下に。そしてそれは謎の場所からのリークではなく、他の議員からの暴露や文書の発見という形で為された。
一応詠奈を擁護すると、ここまでするつもりは毛頭なかった。彼女がしようと思っていたのは飽くまで隠蔽のずさんな利権を潰す事。一つや二つで済まなくても本体が無事ならそれで良かったろうに、詠奈を殺そうと画策してしまった。
これこそ、誰も詠奈に逆らわない理由だ。彼女の権力に頼ってしまった奴等は次から彼女の傀儡になる。一度彼女に敵視された存在を同じ様に叩かないといけない。これは警察でさえ同じ。
そして俺が調べた時みたいにこれは詠奈の手柄にはならず他の全員に手柄が分配されるようになっている。美味い汁が吸えるのだ。詠奈の機嫌を損ねれば警察単体では手を出せないような人物も簡単にひっとらえる事が出来る為に、一部有効活用もされているだろう。
政界の腐敗を報じるニュースの傍ら連続殺人事件が報じられているが、これは詠奈の偽物がそこかしこで死んでいるという事件だ。珍しく顔写真は乗っていない。ただし全員が動物に顔を食い荒らされているとの事で身元は判明しないそうだ。
―――同じ顔の死体が見つかる事を避けたのかな。
詠奈の顔はクラスメイトも良く知る所にある。きっと混乱を避けたのだ。彼女なりに。
「攻撃を仕掛けて来たのに殆ど全面降伏に近いなんてがっかり。もっと苛烈に反抗してくれるものと思っていたのに」
詠奈が不満そうに口を尖らせながらステーキを切っていると、八束さんが傍から一通の手紙を差し出した。
「これは……………………」
「少しはお楽しみいただけるかと」
「なんて書いてあるんだ?」
「王奉院詠奈を預かった。返してほしければ四〇兆円用意しろって書いてありますねー……ぷ。う。あはは。あははは! これ、こ、これ何処に?」
「総理官邸に」
「あははは! え、詠奈様簡単に! 攫われる訳! あはははは! あ、相手は!?」
「国から子供を取り戻す会です」