孤独な彼女は幻のような王で在る
「お金の流れが綺麗なもんじゃないってのは俺も分かるけど、全部潰したらそれはそれで問題が起きるんじゃないか。世間的に色々さ……」
詠奈の食事が終わってから暫くして。俺達は地下の大浴場に下りて湯船に浸かっていた。今日は俺の我儘でたくさん歩いたから、よく温められたお湯が身体に染みる。身体の疲れを察した彩夏さんが『ほぐす』という名目で俺の背中に密着しているから、ここに居座る感覚もまた代えがたい気持ちよさがあった。ほぐれているというより、全く逆の状態になっている気もするが、そんな細かい話は気持ちよさの前に吹っ飛んでいる。
詠奈との世間話は気を紛らわせようとする一時しのぎに等しい。聞きたくもない疑問という程でもないけど、彩夏さんがずっと握ってるのがどうかと思う。
「君の言いたい事が良く分からないわ。正しいお金の流れから一部を掠め取る動きを潰してどんな問題があるというの? ニュースが騒がしくなるという想定なら黙らせればいいだけ。マスメディアが大衆の味方である事が欺瞞だと、私を見ていれば分かるでしょう?」
「……詠奈って、あんまり全力で姿を隠す気ないもんな」
「そうね。あまり秘匿する気はないわ。かといって姿を公に晒す理由もないからこうなっているのだけれど。本当に大衆の味方であるなら彼らは私の存在を報じる筈よ。でも実際は、私の言う事を素直に聞いてしまう。ジャーナリズムなんて物があるなら、長い物には巻かれている場合ではないのにね」
この国は仮にも民主主義をうたっている。その裏にはこの国を掌中に収めたに等しい権力を持った個人が居るなんて眉唾話も良い所だ。だけれどそれが真実なら報じないといけない。だけど今は陰謀論止まりだ。地球が平面だったり、人間は宇宙人の子孫だったり、政府の研究したナノマシンによって国民は洗脳されているだったり。根拠もなければ突拍子もない話と同レベルでくくられている。
仕方のない事という反面、これが権力に迎合しているのでなければ何というのかという動きでもある。
「お金の流れを不正に弄るのは私もするけど、ちゃんと補填はしているのよ。自由とは責任。私用で使ったなら補填するのは当然でしょう。ねえ彩夏?」
「わ、私ですかー? 私のお金で買ったものだし、補填とかしませんよ!」
「何を買ったか気になっただけよ。漏らさなかったから私の負け。お金の流れを不正に変えた人からお金を取り上げたら一体どんな顔をするでしょうね」
「……ずるいって思うんじゃないかな。何となくだけど」
「不思議よね。ずるいのはそっちなのに私が上から更に手を加えたら不満を出すなんて。でも大丈夫。会計を正しく、一見して不備の無い財務諸表を出せるなら見逃すつもりよ。誤魔化しは一切駄目、いい加減な数字も駄目。それをするような所は片っ端から法人格を抹消して財産を差し押さえさせてもらうわ。さて、どれくらいが生き残るでしょう」
「まず全体数を知らないんだけど…………半分くらい残ったらいいな。あんまりいなくなったら……何にも信じられなくなりそうだ」
「お題目だけ立派で後は全部杜撰って一番駄目ですよねー。でも世の中って案外そういう所あるので、私は二割くらい残ったらいいなって予想しまーす!」
「国が綺麗になれば私の腐った脳みそも元に戻ると信じたいわね」
詠奈は俺の前に回り込んで、彩夏さんとサンドするように俺を挟み込んだ。うっとりした目を細めて、首筋にうりうりと顔を擦りつけている。詠奈なりに甘えようとしてくれているのだと思うと可愛すぎて声が出ない。
「おやおや~? 興奮しちゃってますねーっ」
「あ、あ! え、詠奈! お前の仕事は分かったけど、それって総理大臣が足を舐めてまで頼む様な仕事なのかな! そうは思えないんだけど!」
「…………あれは言葉の綾というか。私にだって足を舐めさせる人を選ぶ権利があるわ。凄く下から乞うてきただけで。それはそうと頼む様な仕事なのは間違いないと思うわ。かの国は国際的に殆ど何処とも緊張関係を保っているから、私を介さないと話が進まないのでしょう。それとは別の理由も、勿論あるけど」
「それは―――何だ?」
詠奈はつまらなそうにそっぽを向いたかと思うと、わざとらしくため息をついて、自分の肩を揉んだ。
「後で話してあげる。それにしても今日は沢山歩いたわね。君がいつも好き勝手弄ぶだけの胸は、重いと肩が凝るのよ?」
「ま、マッサージしろってか?」
「それは君の自由に任せるわ。マッサージするもよし、ムラついたからって私の口を使うのも良し……ふふ、それとも私が足を舐めてあげましょうか?」
「いや、そ、それは……」
「君は忙しくても他の子がいるけど、私は忙しい間お預けなのよ? 少し先の話にはなるけど、今、美味しい思いをしたっていいじゃない。お願い景夜。奉仕させて欲しい……」
詠奈が仕事に取り掛かる素振りを見るのは初めてだ。執務室に入るのもまだ二度目。詠奈に尽くされて俺はすっかり精気を吸い取られた。俺は自分では汚いと思っているのに、彼女はいつも当然の如く飲み下すから驚きだ。
『好きな人のなら飲めるでしょう』とは言うけれど、それとこれとは話が違う様な。ただ気持ちよくなっている時の俺が馬鹿なように詠奈も大概頭のネジがぶっ飛んでおり、『美味しくはないが愛おしくはある』とか。対義語にもならないような事を言い始める。
身体から湯気が引いた事も込みで、今の詠奈は相当落ち着いている。満足したとも言う。
「頼んでおいた書類が届くなんて、早いわね。八束は役に立つわ」
「あの人いつ寝てるんだよ。女の子なんだから美容の為にも早寝をだな」
「それを言い出したら樹海で生きていた頃なんて底辺なんだから十分じゃない。大丈夫、無理はさせていない……から」
椅子に座るのもおぼつかないぐらいガックガクになった腰を落ち着かせて詠奈はその場にふんぞり返る。俺から言わせれば強がりだ。さっきまで立つのもやっとだった。『たすけてえ。たちあがれなあい』とふにゃついた詠奈の可愛さは殺人級であり、お風呂に居た侍女の皆は普段見せない主人の顔に声を失っていた。
「この瞬間から取り掛かる訳じゃないけど、終わらせておきたい仕事があるから君はもう自由にしていいわよ。寝るなり、誰かを襲うなり、読書するなり好きにして」
「襲わないよ! じゃあちょっと書庫で本でも読んでるかな。お前を置いて寝たりしない。最初、お前に買われてここに来た時も言っただろ?」
「お前と同じ時間を過ごしたいって」
「………………」
詠奈はぎょっと目を見開いたまま動かない。改めて言うと、ちょっと恥ずかしい。
「とにかく終わるまでは起きてるよ。仕事頑張ってくれ。じゃあまた」
執務室から出ようとすると背後から声を掛けられた。振り返ると、詠奈はくしゃくしゃに丸めた紙を俺の足元に投げて拾うように命じた。
「これは?」
「その紙は『国から子供を取り戻す会』っていう妄想に取りつかれた団体がこそこそ広めてる告発文書よ。それとは名ばかりの寄付金を集う紙切れだけど、彼らは国に子供を取られたと思い込んでいる。国はその子供をスパイとして育成して世界中に潜り込ませるんですって。それ自体は良いんだけど、取られた子供の名前が乗っているでしょう。名前を見て」
「なま………………え?」
国に取られた子供として、俺の名前が記載されている…………?
「お義母様は私の存在を知る数少ない人よ。正体は知らないと思うけど、これ以上余計な真似をするようなら処分させてもらうから……一応、君に伝えておくわ。こんなお金に靡くような人が身内に居たら、これから生まれる私達の子供にも悪影響だし」