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約束縛

「…………」

「町を見下ろす気分はどうかしら。支配者の席は意外にも身近な所にあるのよ。お義母様も私達がこんな場所に居るとは思わないでしょう。ね、指輪をしてきて正解だった。お陰様でトラブルには巻き込まれなかったから」

「え? 回避できたの間違いだろ」

「お義母様との遭遇をやり過ごす為なんて一言も言ったつもりはないけど。私は警察と違って起きてから対応するつもりはないわ。真にトラブルの回避はそもそも起こさない事。私が一人で出歩けば誰かが殺しに来る事は君も把握していると思うけど、指輪をしていれば大丈夫。少なくとも今日はね?」

「な、なんで?」

「私の婚姻は外交に大きな影響を及ぼすのよ。幾ら私を殺したい奴が居ても、政府や利害の違う工作員に邪魔されるリスクは考えられる。君も気付かなかったでしょう?」

 詠奈は得意げになって指輪を天に翳す。太陽の光が反射して、視界の中で煌めいた。

「そう、何かあってからでは遅いの。会社にしろ社会にしろ、もっと狭い範囲で言えばゲームもかしら。未然に防ぐ事は評価されず、軽視されやすい。でもやらないといけない。何かあってからでは遅いのよ」

「死なないお前も、死ぬのが怖いんだな」

「死体は醜いのよ。年老いても私は相応の美しさを維持する自信があるけれど、死体はどうしようもない。だってもうそこに私の意識はないんだから。死体の話をするなんて妙だけど。どちらが先かというだけよ。私はそれが嫌だから死なないだけ」

「…………」

 詠奈は人間の事をどうとも思っていない。極論価値があるかどうか。それはまるで物を見るような見方であり、俺には正直理解しにくかったけど……この景色だと思えば納得出来る。

 見下ろした町に人の姿は見えない。見えたとしても豆粒みたいな大きさが動いているだけだ。心の中までこんな世界が広がっているなら、他人の事なんて気に掛けられないだろう。

「本当はもっと、見栄を張るつもりだったわ。高いレストランにでも招いて、適当にエピソードを話して。その方が身体は満足するだろうし」

「まじか」

「だけど、君には映画で申し訳ない事をしてしまったし…………こんな地味な場所でも、君にならいいかなって考え直したの。私の価値感を強いるつもりはないけど、知っていてもらいたかった。君はその程度で私の事を嫌いになるなんてあり得ないって信じたの」

「そ、そんなの当たり前だろ!」

 枝の上で向かい合う。指輪をはめた方の手を取って、その漆黒の瞳を覗き込んだ。この指輪は俺が選んだものじゃないけど、確かにここには約束がある。大きくなったら結婚しようなんて、そんな幼馴染のようなロマンはないけれど。お金がこの縁を繋いでくれた。

「その…………指輪選んだら、改めて言うつもりだけど。俺と結婚……してほしいな」

「こんな所でプロポーズ?」

「……さっきの話聞いてさ。お前は我儘かもしれないけど結構全体的に物を見てるんだなって思った。偉大なのかな。分からないけどちょっと思うんだよ。お前を本当に……甲斐性とか俺にはないけど。赤ちゃん産ませていいのかなって」

「甲斐性? 男が稼いで初めて女は寄ってくるとお義母様にでも言われた? 私は気にしていないわ。みんなの仕事を手伝っている事くらい知っているし、君は怠惰になれる程無欲でもない。大体そんな物気にしていたら私も夫なんて見繕えないわ。私以上に誰がお金を稼げるの?」

「それは……そうだな」

 詠奈より権力を持っている人間がそもそもいない。仮に釣り合うとしてもそれこそ中東の富豪とかそのレベルになりそうだ。いや、それでも国は動かせまいが。

「さっきも言った通り、私の婚姻は外交問題になるわ。けどそれはそれでこれはこれ。私の幸せを犠牲に世界が幸福になるなんて許さない。私は私よ。私だって君の赤ちゃんが欲しい……その他の事なんて後で考えればいいわ。トラブルは起きてからじゃないと対処できないから」

「さっき未然に防ぐ事が大事みたいな話があったような」

「私の妊娠は別にトラブルではないし……外交問題という意味ならそうだけど、さっきも言った通り私を天秤にかけた時はどうでもいいから」

 避妊もしていない時点で今更よ、と詠奈は目を細める。なんて可愛い笑顔だろう。ここには楽しめる食事もアトラクションもないけれど、この景色と大切な人が居るだけで満足した。

 思わず抱きしめていると、詠奈が耳元で悪戯っぽく囁いた。

「ねえ、学校でもこれを着けていっていいかしら。まだ卒業してもいないのに君の手籠めにされていると思うと興奮するの」

「や、やめてくれ。話がややこしくなる。せめて冬だ。手袋の中にならいいから」

「……妥協すると後で酷い目に遭うわよ?」

「え?」


「…………ふふ」
















 山を下りた。

 思い出のエピソードがあれ以上詳しく語られる事はなかったけど十分だ。あれが彼女の原風景であると分かればそれだけで。後は俺が勝手に調べる。

「まだ歩く? それとも帰ってしまう?」

「ん…………回り道して帰ろう。二人きりの時間って、ベッド以外なんて新鮮だし」

「そう。それもいいわ。じゃあ行き先は任せるわね」

 母親との遭遇について危険視しなければいけないが、それでももう少しだけ夢の様な時間を。好きな人と過ごしたいと思うのは間違いない筈だ。何処へなりともと言われても、俺の幼少期に自由はなかったから思い出の場所なんて早々ない。昔は活気のあった商店街も今はその半分ほどの活気で、半ばシャッター通りになっていた。

「……時代は変わるんだよな。マジで子供の頃の記憶だけどさ」

「ここは……」

「お前も利用した事あるのか? 高級食材なんてないと思うけど」

「美味しいなら安くても構わないわよ。ここは利用した事ないけどね…………」

 その割には興味をひいているのか目線が泳いでいる。良く分からない。商品に惹かれているのではなく、お店に惹かれているでもなく―――なんだろう。分からない。

「君は買い物も命じられていた事があるのよね? 誰か知り合いがいたりする?」

「…………居ない事もないけど、何だか顔を合わせづらいな。昔の俺とは違うからさ。お前との事情を説明するのはややこしいし」

「結婚相手でいいでしょう?」

「高校生で結婚相手がいるのが問題だからな? 不純異性交遊って思われちまう」

「不純なんて失礼しちゃうわね。私達は心の底から愛し合っているのに」




「あ~ややややや! もしかして景夜君かー?」




 出来るだけ声をかけられないように顔は向けないつもりだったが、豆腐屋のおじいさんの目は誤魔化せなかったようだ。声を掛けられて無視もバツが悪い。詠奈の手を引いて今更気づいたように近づく。

「あ、どうも。久しぶりです」

「大きくなったねー! えっへへへへへ。あー大丈夫かい? 怪我とか、お母さんに酷い事言われてない?」

「あ、はあ、うん。まあ、…………はい」

「隣の子は?」

「えっと、まあ。はぁ。その……」



「初めまして。景夜君の彼女です」


 

 声が上手く出ないのを詠奈がフォローするように挨拶をする。おじいさんはしゃがれた声で笑った。

「彼女か! あの母さんが許したなんて凄いな! 景夜君、悪いこたあ言わない。早く独り立ちするんだよ!」

「あ、はい。まあその。ひとり、はい。ええ…………」

「貴方は景夜君が母親に邪険に扱われていたのを知っていたんですね」

「お嬢ちゃん。最近は聞かないけどちょっと前まで有名だったんだよ。あの怒鳴り声、可哀想で見てられなかったなあ……最近は家出でもしてるんかい? 夜な夜なずっとキーキー聞こえるよ」

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