いつか過去が己を殺す
栄華を極めた生活も良いけれど、やっぱり俺と詠奈では生まれた場所が違う。元が庶民だとこういう素朴な遊びに人一倍楽しさを覚えてしまうのは間違いではない筈だ。
「ブランコ、楽しい?」
「後ろの庭に欲しいかもしれない!」
「そう、検討しておくわね。確かに子供を遊ばせる時にも使えるかもしれないし」
俺はハイになって立ちこぎまで始めそうな勢いだが、詠奈は至ってゆっくり地面を蹴って一定のリズムを保っている。楽しそうかと言われるとそうは見えないが、けっして退屈もしていないと思う。詠奈には堪え性がない。つまらないと思ったらすぐにやめる。
「なあ。もし別の場所でも俺達は出会えたって思うか?」
「君は随分意味のない仮定が好きなのね。その可能性があるならまだしも、母親に縛られていた君が他の場所へ行く可能性なんてなかったじゃない」
「いや、そうとも言えないよ。例えば買い物中のお店とか……誰かを助けてる最中とかだったら考えられる」
「そういう仮定なら確かに……でも、ロマンチックな事に運命の出会いは実在するのよ。非現実的な事は言いたくないけれど、君とは条件が一致したの。だからどんな事になっても出会っていたと思うわ」
「そう……なのか? だったら嬉しいな! 俺はお前と友達になれたあの日に人生を変えてもらったんだ! 今日の運勢とか、ラッキーアイテムとか開運とか何もかも上手く行かなくて信じてなかったけど、お前に出会えたって事で全部チャラ! お前の親に感謝したいくらいだよ! 娘さんと出会わせてくれて有難うって!」
「それは叶わないと思うけど、でも私も感謝しているわ。少なくとも君にとっては魅力的な女性として育ててくれたんだもの。勿論私なりに色々頑張って来た結果もあるけど、まずは元手に感謝しないとね」
「とう!」
誰も居ないからこそやろうと思った。ブランコからお尻を離して目の前に飛び込む。綺麗に着地出来たと思う。漕ぎ手を失ったブランコは慣性のままに揺れ動いて静かに収まっていく。気分が高揚してついついやってしまったが、終わってみると大したことをしていない。周囲の視線が気になる程度には恥ずかしいと思ったが、幸い高校生二人が遊んでいるだけの光景をわざわざ笑う程の暇人は居なかった。
「久しぶりに遊ぶとなんで公園って楽しいんだろうな!」
「最近は声のでかい人の苦情を受けて遊べない公園が増えているそうね。ここも、実は君が私に買われてからすぐくらいにそうなっていたのよ」
「え? じゃあ遊んじゃ駄目なのか?」
「ごねて要求が通ると思っているなら、私には無駄だから。年金を空っぽにしたり、財産を差し押さえたり―――それでまた元に戻ったのよ。思い出の場所を穢さないで欲しいわね」
「さ、流石に行動力が凄いな……」
「当然。私が家のお金だけにかまけているだけだと思った? 思ってくれてもまあいいけど、無防備な女性は迫りやすいというし」
流石にスカートでは俺と同じ真似はしないようだ。漕いだその足でブレーキをかけて砂埃を巻き上げる。急速に速度を抑え込まれたブランコは余韻もなく静止した。
「実を言えば、公園で遊んだことがないの」
「え!? …………あ、ああ。あの広い庭で遊んでたからって事か?」
「遊んだこと自体が……ああ、春が来てからはした事もあるわね。でも両手で足りる程度。楽しいかどうかの判断もつかないくらいの経験よ。私の思い出の場所に行く前に、どうかしら。君が私に公園の楽しさを教えるっていうのは」
「た、楽しさを教えるっていうのはどう……すればいい? やっぱりお前に伝えるならプレゼンしろって事か?」
「ビジネスの話をしているの? 遊んでくれたらそれでいいのよ。鉄棒とかどう? 何か出来る?」
「逆上がりが出来る……と思う! 小学校の時だから今できるかは分からないけど
」
「やってみて」
「仕方ないなー……出来るかな?」
鉄棒、昔は楽しかった記憶があるものの、今見ると変哲のない棒でしかない。握っていても楽しい気持ちが湧いてこないというか、そもそも今の自分が逆上がり出来るイメージが沸かない。身体が大きくなったから? 長い事触っていなかったから?
「で、出来なくても笑うなよ。久しぶりだからな」
「笑わないわ。さあ、やってみて」
「うーん」
やってみてと言われてやってみる。結構な行いだけど、逆上がりってそんな見て面白いかと言われたら面白くないと思う。動き的に凄いことをするわけでもなし、小学校の頃なら人気者だったかもしれないが……
詠奈が見たいと言っているなら見せてからその後は考えよう。してもいないうちからあれこれと考えるのは時間の無駄だ。
「ほっ!?」
地面を蹴った瞬間、懐かしい記憶とは対照的な身体の重さを実感した。あの頃のように軽やかには出来ない。でも一発成功した方がかっこいい気がする。
そんな動機で踏ん張って、無理やり鉄棒を回っていく。腰は頑丈な方だ。空中で無理やり下半身を持ち上げて一回りさせるくらい造作もない。
「ど、どうだ!?」
「余裕とは思えなかったわね」
「久しぶりにやったからだよ! 本当はもっと余裕だし!」
「私もチャレンジしてみようかしら。逆上がり」
「……鉄棒した事くらいはあるよな。学校で、体育でやるんだし」
「もしかして私を侮っているの? 大丈夫、見てて」
スカートでやっていいのか、とは思わない。スカートの女子は大抵鉄棒に布を巻きつけて逆上がりどころか何回転もぐるぐるやっていた記憶が確かにある。だが詠奈にそんなイメージはない。
「ふぬっ」
足は持ち上がったが身体が持ち上がらなかった。
「ふぬっ」
腰は持ち上がったが足が動かなかった。そんなことあるか?
「ちょっと待って頂戴。私は出来るから。ちょっと待ってね」
「やったことないだろお前。もうそんな感じがしてきた」
「楽しくないわ」
「手伝うから理不尽な判定をやめろ! 俺が腰を支えて持ち上げれば一周できるだろ? 判定を下すのはそれこそ待ってくれ」
「自分で言うのもなんだけど、私は重いわよ」
「知ってるよ。夜に首と腰をホールドされてるからな。だったら尚更問題ない。支えるのなんて簡単だ」
ただ、一つ気がかりなことがある。
「お前は言う。俺には未来が見える」
「へえ?」
「面白くないって」
その後も公園にあった遊具で手当たり次第に遊んだ。分かっていたが詠奈は運動がそれほど得意ではない。雲梯で息を切らせて身体を震わせながらぶら下がって硬直する彼女の姿はちょっと見るに堪えないくらい面白かった。
意外にも楽しんでくれる素振りがあったのは動物を模したスプリング遊具とシーソーだ。後者は向かい合う必要があるせいで俺の方は全く集中出来なかった。好きな人にじっと見られている事もそうだけど、歩くだけでもゆさゆさ揺れていた胸がもうテコの原理で動くからもうぶるんぶるん……ダメだ。眼福だけど、見抜かれる。
「囚われのお姫様ね」
「お前から一番かけ離れてるよ」
満足したのはグローブジャングルだろう。拘束とはかけ離れた行動力を持った詠奈は、まるで捕まることを望むように中で座って俺に回させた。
「マジで公園で遊んだ事ないんだな。お前もちょっと変わってる」
「破れ鍋に綴じ蓋?」
「俺とお前の身分は相応じゃないと思うけど……まあ確かに」
普通じゃないから俺は孤独だった。親の言う事を守り続けたことが普通じゃない? バカな話かもしれないけど、詠奈が来るまで友達がいなかった事実がそれを証明している。誰も異常には近寄りたくない。特に……異様な短気で常にヒステリックを起こしているような女性には。
そういう意味だと、彼女の屋敷にそういう女性はいない。皆落ち着いている。春だけは少し騒がしいけど元気で明るい範疇だ。
彩夏さんは優しくてお気楽だし。
八束さんは冷静で従順だし。
獅遠は忠実で気さくだし。
聖は大人しくて怖がりだし。
友里ヱさんは軽薄を装った真面目だし。
俺は一人一人の事を全部知っている。お風呂まで入っているし一線も越えちゃったので普通知ってはいけない事も知っている。みんな違う。あの人とは違う。
「景夜ぁ! アンタどこに行ってたの!!!!」
「ひっ……」
あの。人。