乙女の恥じらいは万にあり
デートの約束をした。
だがしかし、相手は王奉院詠奈。普通の女の子とは訳が違う。いや、俺はちょっと我儘な女の子くらいだと思っているけど、一般的に普通の女の子は命を狙われない。
だからデートに際し、護衛はどうしても必要なのだが、それでは空気がロマンチックにならないと思った。命の方が大事なのは分かっているけど、一度でいい。二人だけで何処か出歩いてみたい。
「八束。仕事は済んだかしら」
地下の処刑施設の傍には様々な催しを行う為のスタジオがある。そこで彼女のフィットネスに付き合っていると、音もなく八束さんが入ってきていた。
「はい。詠奈様から頂いたリストの物は全て排除しました」
「そう、ご苦労様。首はどうしたの?」
「詠奈様を嗅ぎ回る団体にそれぞれ寄贈いたしました。後は警察が取り締まるでしょう」
全く物理的に危険を排除するのが詠奈のやり方だ。八束さんは得物が刀という点からも、文字通り懐刀に等しい。ここは音が響きやすいようになっているから足音も大層響くのに、八束さんの足音は相変わらず存在しなかった。
「しかし詠奈様。本当に必要ないのでしょうか。景夜様との時間を壊されたくないのは分かりますが、命には代えられませんよ」
「それ、貴方が言うの八束? 私を殺す事は誰にも出来ないわ。だから大丈夫…………だいじょう、ぶ」
詠奈はぐっと腕を伸ばしながら腰を逸らして俺にウィンクをしてくる。『心配しないで』と言っているような気がしたが真意は不明だ。確実なのは刺客に対する危機感の欠如。
「……さて、貴方はいつも仕事が早くて素晴らしいわね。どうかしら景夜。予定がないならこの後にでも行かない?」
「俺に予定があったらお前も知ってるだろ。お前は俺の御主人様なんだから」
「それもそうだけど、私にだって負い目はあるのよ」
詠奈はまだ怪我の事を気にしている様だ。あれから一週間、怪我は回復したと言っても良い。刺し傷がその程度で回復するなんて傷が余程浅かったのか、それか彩夏さんが処方してくれた薬が効いたのか。
だからもういいのに、完璧主義みたいに気にしてしまって仕方ない。
「あのなあ詠奈…………! 俺は、もう全然大丈夫だからこうして……お前の運動に付き合ってるんだろ……! あーっう。身体は固くない方だけど、流石に久しぶりにやると効くな……」
俺は実際の体力よりも先に精神的な余力がなくなるタイプだ。走れないと思いだしてもまだ走れる。動けないと思い出しても少しは動ける。精神的な余力のなくならないような運動は存外、長続きしたり。
ナイトプールで水着の皆とシちゃったのはそれが良い方向に転がったから動けたのだ。余力以前に興奮がおさまらなくて、それでついつい……あれ以来、様々な予定が重なって機会はなかったが、怪我が治って久しぶりに入浴した時は以前よりも抵抗が無くなってしまった。二日前の事だ。
勿論俺が最初に手を出したのは詠奈で、入浴を終えて着替えてからは繋がったまま寝室まで行った事は記憶に新しい。あれは本当に元気になったという意味も込めて頑張ったつもりだった。
後日、多くのメイドから『ヘンタイ』と罵られて迫られる事になったが、あれも精神的な余力が満ちていたから…………いや、怪我のせいで実質的な禁欲みたいになっていたからかもしれないが。
「私の思い出の場所に行きたいんだったかしら」
「そうだよ。何もないって……言わないよな? 幾らお嬢様でも思い出の場所くらいあるって信じたいんだけど」
「そうね。勿論思い出の場所はあるわ。でもその前に、お互いの思い出の場所に足を運ぶのもいいかも」
「お互いの…………ああ」
あの公園か。
出会ってから俺達は大きくなって、詠奈に買われて今に至る。人生の全てがそこで始まった。それまでの人生は、生きていなかった。今はそう思ってもいい。だって俺は、これ以上ないくらい今が幸せだから。
「―――さて、運動はこのくらいにして、お出かけの準備をしないとね。景夜も更衣室に来てくれる?」
「お、おお」
筋骨隆々でもないとタンクトップは正直似合わないと思う。でも詠奈が見たいと言って聞かなかったから仕方なく俺も着替えたが、ようやく元の服に戻れると思うと、ほっとする。
―――詠奈のスポーツウェア姿が見られたから、実はお得なのかな。
ウェア自体が肌に沿った衣服だから身体のラインがくっきりと浮き上がるのもそうだが、そもそも腰から胸の下にかけて露出しているので引き締まったウエストがモロに窺えてしまう。お風呂でいつも見ているじゃないかと言われたらそれまでだけど、気分が微妙に違う。
黒いスポブラに収まっているが、とてもそうは思えないくらい張りつめた生地と突っ張った胸の丘陵。元々の下着でもI字の谷間があるような詠奈だから、少し屈むだけで吸い込まれそうな幽谷がそこに生まれる。
「景夜。飲ませて」
いまいち煩悩を振り切れないまま更衣室に向かうと、詠奈がわざわざ水筒を開けて待っていた。靴下を履かせるようなもので、気にするような指示じゃない。水筒を持って詠奈の口に注ぎ込む。
「これって絶対自分でやった方が加減とか分かると思うんだよな……」
飲んでいる時には喋れない。
水筒を閉じると、詠奈は俺の手を引いて備え付けられたシャワー室に招き入れる。
「お互いいい汗を掻いたと思わない? お出かけの前に汗を流さないといけないわね」
「詠奈。悪い事は言わない。お互い何もしない方が良いと思うんだ。体力的にさ」
「本当に?」
「うひっ……!」
気づけば詠奈は俺の手を導いてブラの上から指を入れさせ、もう片方の手を俺の身体からずっと下に伸ばした。
「そ、そういうのはデートの後って話を……したと思うんだけど……!」
「運動して疲れたからかしら、私、今凄く興奮しているの。火照った身体を冷ますのが君の役目だと思わない?」
指が一本、二本。服と肌の下に滑り込まされていく。
「…………せ、せめて本番は」
「身体の中もじっくり、掻き回すように洗わないと綺麗にならないわ」
ぎゅ~っと掌を閉じるように力が籠められる。彼女はそれを合意と受け取ると、シャワーの蛇口を捻った。
「一回だけで許してあげるから、激しいのお願いね?」
お出かけの準備と言ってもそれをするのは殆ど俺だ。詠奈に服を着替えさせるのも俺だし、髪を梳かすのも俺。靴を選ぶのも俺だし、靴下を履かせるのも俺だし、下着を履かせるのも俺。
代わりに詠奈は俺の服装を何もかも着替えさせてくれるから釣り合っているかと思いきや、婚約指輪だけは存じ上げなかった。
「そんなの買ってませんけど!?」
「え? それじゃあ君は私以外の人と結婚するの?」
「そういうんじゃないけど…………財力の関係があるから俺が買うのはまあ……でも、せめて選びたかったな……」
しょんぼり肩を落とす俺を見かねて、詠奈は手を繋ぎながら上目遣いに俺を見上げた。
「心配しないで。本物は二人で選びましょう。これはちょっとした護身用というか。恐らくトラブルがあるからその回避のために必要なの」
「トラブル…………?」
「少し前まで私の脳は腐っていたけれど、今はもう大丈夫。だからこの読みも当たるわ。これ以上君と私の家族計画に支障を来したくないの。分かって、景夜」
「ま、まあ……千ページ以上ある計画に問題があるのは不味いもんな。分かった、我慢するよ」
両手を繋いで上向きに唇を重ねる。お出かけのキス、といった処か。コンコンと扉がノックされて、やってきたのは春だった。
「詠奈様、門は開けておきました! 景夜様とのデート楽しんでくださいね!」
「有難う、春。未来の旦那様―――ううん、世界一かっこいい人と―――ええ、大好きな人とのデート、楽しんでくるわ。それじゃあ景夜。エスコートお願いね。入り口まででいいから」
「お、おう」
シャルウィダンスと誘うように緩やかに手を重ねた詠奈を引いて部屋を出る。階段を一段、一段と踏みしめて降りていく。エントランスホールには価値金上位二十名のメイド達が一列に並んで見送りの用意をしていた。
「くれぐれもお気をつけくださいませ」
「行ってらっしゃいませ~沙桐君! 詠奈様!」
「二人共ちょーがんば。応援してまーす」
「これがもう普通じゃないけど……」
「車を使わないからこれくらいはね。気にしないで行きましょう?」