理由があれば人を殺せる
「ロープ、持ってきたぞ。俺が先に降りるからそれなら怖くないだろ」
館内には引き籠った一名しか居ないので堂々と獅遠にロープをねだってきて、今に至る。二人で裏方を務め続けるのも随分大変だろう。彩夏さんは本当に料理以外で関与する気がないらしい。だがその料理も食べていたのは実は人肉だとか、それどころではない。薄々勘付いていたが、想定していた道筋からはズレているようだ。
誰が悪いとかではなくて、当然である。映画はキャスト全員が合意した道筋。誰が死ぬ、誰が生きる、状況が良くなったり悪くなったり、全て承知されているから都合よく転がっていく。一部しか事情を知らない映画なんて歪むに決まっている。その辺りも含めて詠奈が興味本位だった事が良く分かるだろう。
「深紅君、ロープは頼んだからな。見ててくれよ」
「任せてください。落とし穴の役目はこれだけで果たせていますから何もないと思いますが……」
「なあ景夜。お前こういうロープで降りるのやった事あるのか?」
「ないけど……やるしかないだろ」
ロープを離さないようにしっかり持って、足は穴の壁にひっかけて降りる。この雨だ、穴に流れ込む大量の水はそれこそ滝のようで、頼りにしている壁を溶かしながら奥へと流れ込んでいる。それだけじゃない、時間を掛ければかけるほど手とロープの間に水が流れてきて手が滑る。言い出したまでは良かったけど、大して訓練もしていないような男では自分の身体を支える事も満足にいかない。途中からは殆ど滑車に乗ったように滑り続けていた。
「いだだだだだだだ!」
手袋を貰っておくべきだった。加速がついたら手の擦過も止められないので気合いで踏ん張って持ち手を交換するくらいしか思いつかない。肩の筋肉に疲労がたまって、力を出そうと思っても出し切れない自覚が生まれて来た頃。
上から介斗が降って来た。
「や、ば……!」
自分の体重さえまともに支えられないのに、上からもう一人がのしかかったら耐えられない。
「「うわあああああああああああああああああああああ!」」
ロープから手も離れて、俺達二人は広い穴の中を自由落下する。この浮遊感は覚えがある。遊園地のジェットコースターが落下する時だ。身体が重力から解放されたと思いきや、急速に引きずられていく。走馬灯とやらが見える暇もなく唐突に死は訪れる。深さ次第では死なないが怪我はきっと免れない。今度もまた生きていることを願って―――頭から着水。
「ごぼっ!?」
そう、着水だ。雨の勢いが強すぎて穴の中には水が溜まっていた。考えてもみれば当然なのだが雨の事を考慮していなかったので心の準備が出来ていない。カナヅチではないが、今は殆ど溺れていた。間もなく着水したのは介斗だろう。二人して溺死は笑えないが、驚いて空気を吐いてしまったのでもう体内に空気が残っていない。身体が、沈んでいく。
「――――――! ―――!」
肺に水が入る事だけは阻止したいが、息を止めるのも苦しい。一度溺れたら助かる見込みなんて薄いのに、それでも言う事を聞いてくれない身体が憎い。自分の喉を閉める手さえ力が緩んできた時、不意に視界の外から唇を奪う影が現れた。
「…………! んっ……!」
抵抗する力などなく、強引に連れていかれる。もう片方の手には苦しそうにもがき苦しむ介斗の首根っこがあった。水に視界を歪まされて良く見えないが、八束さんだ。黄色い合羽を着ているのは分かる。
剱に生きた人魚に連れられ俺達が打ち上げられたのは、穴の底から続く階段だった。八束さんが空気を持ってきてくれたお陰で、俺は呼吸を荒くする程度で済んでいる。介斗は溺れていたので、追加で水を吐き出させていた。
「げほッ! げほッ! おええ……ぶぇぇあ!」
「や、八束さん……生きてたんですね!」
「あれしきの潜水に耐えられないようでは処分されてしまいますから。それにしてもまたどうして……」
「助けに来たんですよ……大丈夫そうですけど」
彼女は俺達が助けに来た事の見当もつかないくらいには平気そうで、首を傾げるくらいには余裕があった。素面なのか演技なのか見分けがつかなくて困るけど、指示はあったと思う。
「何を追ってたんですか?」
「足跡が見えたものですから。私は介斗君を診ていますから奥の方へ」
「奥?」
ロープは全く長さが足りなかった。途中から途切れていたのをよく覚えている。戻る方法が見つからないが、果たして奥に進めば方法が生まれるのだろうか。階段を上り切った先は壁であり、何やら漢字だけで構成された呪文が描かれている。
足元には、優子にとてもよく似た死体。
「……え! 優子!?」
偽装にしては置く意味がない。こんな場所にあっても誰も見つけられないからだ。断定は出来ないがじゃあ館にいる優子は優子じゃない……?
脈絡のない推理だがその可能性はある。詠奈が暗殺対策にいくつもの人間を整形させているのと同じだ。そして優子に整形していたなら外部犯且つ犯人が中にいるという状況も納得が行く。
「そ、そういう事ですね!」
筋書きを理解した。後はこれを深紅君に伝えればいい。問題はここから力一杯叫んでも雨音に消される事であり、俺達はどうにかして上に戻らないといけない。
階段を戻ると、落ち着きを取り戻した介斗が八束さんと話している所だった。
「ち、違う! そんなつもりじゃなかった!」
「残念です」
「どうしたんだ?」
「お、俺が剱木を見捨てようとしたって言うんだよ。違うよな! 景夜!」
「なんだ、事実じゃないか」
俺が代案を出すまで尻込みしていた男が今更見栄を張っても無理だ。忖度も気遣いもなく吐き捨てると、介斗は態度を一変させて俺に掴みかかる……
よりも早く、八束さんに蹴飛ばされた。
「失礼。守るように命じられていますので」
「な、なんで……うぐぅああああああ!」
腕を蹴られて、なんと骨折したらしい。水の中に沈みつつある穴に痛ましい叫び声がこだまする。
「……俺が守るという発言を信じてみたかったのですが、簡単に見捨てられてしまったようですね」
「八束さん……」
「守られる感覚を知らないものでして、仮にも友人であるのならそれを教えてくれると期待しました」
「ちが! ちがああああああ! いいぐぐううあああああああ!」
八束さんはその場に屈むと、俺を背負い込むように抱えて水の中へと戻っていく。そのまさかかだ。ロープは途中で足りなくなっているが、この人は自力で登るつもりである。
「ま、待ってえ八束ぁ! 置いていくなあ! 助けてくれええええ!」
「……申し訳ないですが、貴方を斬る事は出来ません。景夜さんを助ける事とは天秤に掛けられないのです」
叫び続ければ海鳴のように遠くまで響くかもしれない。わずかな希望さえも豪雨はすり潰して、介斗は助かる見込みのない穴の底で放逐される。
「さようなら」
八束さんは柔らかい土の壁に指を突き立てると、爪先を突き刺しながら這うように登攀する。
途中からはロープを使って登ってきた。長さが足りなかったと思われないようにする為だ。最初は聞こえた叫び声も今はすっかり届かなくなって久しい。
「剱木さん! 無事だったんですね。介斗さんは!」
「…………」
「……そうですか」
雨の中でバツが悪い表情をするだけで泣いている様に見える。深紅君はそれ以上追及せずに引っ込んでくれた。関係性から、介斗は自らを引き換えにして八束さんを助けた様に見える。そうとしか思えない脈絡は今までの積み重ねで生まれていた。
あんなに死ぬ事を怯えていた男が命を投げ捨てるなら、それは好きな人の為であろうと。
「そうだ深紅君。穴の底に死体があったんだ! 参加者の死体だけど、聞いて驚かないでくれ。優子の死体だった!」
「それって……」
「あの優子は偽物だ! アイツが犯人なんだよ!」