心に背けば破滅だけ
「剱木さんが戻って来たので、今こそハッキリさせるべきだと思います」
俺、八束さん、春、友里ヱさん、十郎、優子、神木、梧ヴァネッサ、深紅君、介斗。残るキャストは殆ど仕込まれた人間だけになってしまったが、ここに優子を除く(彼女は英子の血を浴びてから精神的におかしくなって引き籠っている)一同が会した。犯人はこの中に居るとでも言えそうな空間だ。
「景君、足大丈夫?」
「大丈夫です。走れないくらいで」
トイレに隠されていた鎮痛剤を打ったが、それでも重いハンデを背負ってしまった。友里ヱさんは何処からか段ボールを持ってきて足を置かせてくれたが、これも気休め程度。劇的な改善は望めない。
「ずばり、沙桐景夜さんと鍵を取りに行った時、何がありましたか?」
「剱木! 俺が拭いてやるって! 遠慮するなよ!」
「お気持ちだけで結構です」
豪雨と呼ぶのも温い、大瀑布も斯くやという程の水の壁。眉間を通して髪が垂れて水滴流しても八束さんは気にしていない様子だ。身体を触ろうとする介斗の手をすり抜けてタオルだけを貰い受ける。
「景夜さんから聞いていないのですか?」
「あの暗闇では目撃というのも難しいでしょう。ならば攫われた当事者から話を聞いた方が早いです」
「突然電気が消えたかと思うと、窓から何者かが入ってきて、訳も分からぬまま攫われてしまいました」
「そ、そう言えば窓が開いてたような……」
「僕も確認済みです。誰もあの部屋には入っていないので今からでも確認しましょうか。勿論、全員で」
「心霊的な話は私様にお任せ。多分まだ誰も『死神』には魅入られてないから大丈夫だけどね」
「巫女様をカメラで撮影! こんな所に居たなんて!」
「正体は内緒ね?」
春がずっとカメラを持っている事にもう誰も疑問を向けたりしない。そんな場合じゃないなんて誰もが分かっているからだ。最初こそ怪しまれたものの、ずっとカメラを持って歩き回っているお陰で今はむしろ疑われる立場ではなくなった。
「け、景夜! た、助けてくれた有難うね……階段、気を付けてよ!」
「お礼なんていいよ、梧。死体とあんな近くに居たらおかしくなるもんな」
再び二階へ。部屋中の物が切り刻まれた部屋は紙くずや木くずが山のように積もっているが、窓から差し込む光はライトがなくても良く見える。開きっぱなしの窓から滝のような雨が流れ込んで、絨毯には水たまりが生まれている所だ。
「つまり剱木を攫った奴は外に居るのか?」
「死神って線を考えないなら、犯人がこの中の誰かって考えるのは時間の無駄だったみたいだな」
「圀松さん。それだと説明出来ない事もあるのでそういう断言はやめてください。僕の見立て通りやはり犯人は複数……」
「え、深紅君ってばいつそんな事見立てたの?」
春は馬鹿にしているようだ。
「深紅君。末吉の例があるんだ。湊谷の件なら、アイツも恨みを買ってたかもしれないから共犯かどうかは分からないぞ。それぞれ別個の事件として見るべきなんじゃないか?」
「……いいや、共犯でなければそもそも閉じ込められないでしょう。わざわざずぶ濡れになる理由もないから今まで立てこもって来ましたが、つい先ほどまで剱木さんと景夜さんは外の納屋に閉じ込められていました。これはいよいよ周辺を探すべきかもしれません」
「因みに言っとくとあれだからな。道なりに進もうとしても土砂で道が塞がってた。無理やり抜け出すなら森の中を通るしかないからな」
「この屋敷の周辺なら問題はない筈です。玄関には傘もある……誰か、異論は?」
外は濡れるから嫌というお気持ちも、外に出るべき動機が生まれた今は閉じ籠る理由になれない。人があまりに多く死に過ぎた。一刻も早く出たいのは常人の心理だ。
「―――それじゃあ、外に出てみましょう。犯人が待ってくれているとは思いませんが、繋がる手がかりはあると思います」
二階から玄関まで移動。傘立てから生えた幾つもの傘を手に取ってそれぞれが外に出て行く。八束さんだけが館の物置から合羽を持ち出しており、動きやすそうだ。
「俺等は外出たから分かるけど、気合い入れて傘持てよ。雨が重いからな」
「きゃっ! なにこれ…………本当に重いじゃない!」
「や、八束さん! カメラお願いします! 片手はちょっと辛いです!」
傘が受ける雨の量が多すぎて、重量を感じる。これはもうそういう大きさだ。瀑布と言った理由が分かっただろう。その雨は音も凄まじく、殆ど叫ぶように喋らなければ隣の声も聞き取れない。
「犯人が何処にいるか分からないので! 全員で固まって動きたいと思います! みんな離れないで下さい! いいですね!」
深紅君が必死に声を張り上げる中で、八束さんが耳を食むような至近距離で囁いた。
「私が戻って来たのは、詠奈様からのご指示で貴方を守れと命じられたからでもあります。心配なきよう、誰がどのタイミングで襲って来ようとも、守りましょう」
―――それはなんと、心強い。
「因みに、八束さんに襲われた場合は?」
「ご安心を。首輪がある限り、私は貴方を斬りません」
雨もここまで激しいと視界を著しく制限させる。俺達が見える範囲は実際のそれよりも狭く、殆ど視界は歪んでいた。至近距離まで来なければ何も見えない。見えたとしても、やっぱり近づかなければそれが何か分からない。
「…………私も一歩違えばこうなっていたのでしょうか」
周辺を当てもなく彷徨うと、見つけて欲しかったかのように見つかる死体の数々。かくれんぼをしているみたいにそこら中に、耐えかねて館を飛び出した皆が変わり果てた姿で見つかってくれる。
「………………く!」
こちらで仕込んだ人間はいずれも偽装された死体だが、少し誤魔化し方が甘いようだ。本物の死体は様々な死因を迎えているのに対して、偽物はいずれも首を切られている。
ただ偽物と言っても死体自体は本物だから、深紅君にも気が付けない。
「おいおい……マジで勘弁してくれよ……詠奈が死んで、本当に……みんな死んじまうのか……?」
神木の諦観染みた発言に誰も言い返せないのが現状の全てを物語っている。何が起きたか分からないが、外に出ようとすれば死ぬ。あちらこちらで見つかる死体がそれを教えていた。首が折れていたり、後頭部を打っていたり、頭が破裂していた里、全身があらぬ方向に曲がっていたり。
逃げようとしていたことは分かるがそれ以上は分からない。みんな訳も分からず死んだのだろう。
「や、やだ! もう帰ろうよ! 籠ってれば安全だよ! 明日になれば雨は止むって! 今梅雨なんだよ!」
「そんな悠長に待っていたら、また誰か死んでしまうかもしれない。脱出するしかないんだ! その為には犯人を見つけないと……僕達もこんな風になる」
「おい八束! 何処に行くんだよ!」
介斗の悲痛な叫びに振り返ると、八束さんが集団を離れて足元を見ながら明後日の方向へと歩き出している所だ。
「な。何してるんだ! 剱木さん、戻ってきてください!」
「…………」
雨に遮られるだけなら良かっただろうが、ここは森の中だ。木々に打ち付ける水滴は、ジャミングのように声を打ち消してしまう。
「八束さん!」
俺も叫んだが効果はなかった。彼女は言われた事も守らないまま、何かを辿るように向こう側へと消えて行ってしまう。
「追いかけましょう!」
「八束ぁ! 待ってくれよお!」
介斗が走り出した瞬間、彼女もまた走り出す。こんな状況でも音が聞こえているのだろうか。背中を追って追従すると、ある地点で八束さんの姿が消えた。
「え!」
間もなく消える直前の背中に追いついた介斗が足を止めたので、俺達も並んでそこを覗き込む。落とし穴だった。それも深さは未知数で、底を照らしてもまるで地面が見えない。
「八束!」
「介斗さん無理です! ロープを館から持って来ましょう! この木にひっかけて……下りて行けばいいんです! こんなに深いと普通に下りたら怪我じゃすみません。恐らく死にます。だからもう、剱木さんは」
「ひっ、そ、そんな…………!」
「深紅君、決めつけるな。ロープは俺が持ってくるから待ってろ。八束さんは死んでないって信じるんだ。その眼で確かめてから死んだって言えよ」
「い、いいよ。俺、もう死に顔とか見たくないし! ぐちゃぐちゃになった八束なんて見たくない! 夢に出そうだ!」
「惚れたんだろ! だから俺に紹介しろって言ってきたんだろ! もし生きてて助けられたらお前に惚れてくれるかもしれないぞ、それでもいいのか!?」
「八束は女の子でか弱いから死んでるって! や、やだよ俺は! 死体を確認するとか無理! 絶対無理! 大体ロープだって切れたら戻れないじゃないか。行くならお前が行ってくれよお!」
下心による接触を、俺は否定しない。
俺は王奉院詠奈の事が好きだ。
一人の女性として、心の底から愛している。誰よりも強く、何よりも尊く。そこには純粋な愛情だけがある、とは言わない。男性としての劣情は多分に含まれている。下心がない瞬間なんて、多分一秒もない。言い方は悪いけど、詠奈と話している時はずっと興奮しているまである。
それは詠奈だけでなく、他のメイドに対してもそう。だから介斗の下心を否定することは俺には出来なかった。好みの女性をそういう目で見てしまうのは自然の道理だから。
「…………そっか。俺の見込み違いか」
だけどそんな好きな人に対して。生きるか死ぬかの危険も冒せないなんて残念だ。俺は八束さんの事が好きだけど、あの人が幸せになるなら別に詠奈の手から離れてもいいとは思っていた。それが介斗になるかもしれないと、ほんの少し思っていたのに。
「分かった! それじゃあ二人で行こう! 俺が先に降りるから、お前も来い! 八束さんがもし生きてたら謝れよ! 死んだと思ってたって!」
自分の好きな人をこそ斬りたいと思う衝動。全く以て救いがたい。
けれども、それも含めて剱木八束。
自分に都合の良い部分しか愛せない介斗には、それを知る権利もなさそうだ。