倫理涵養もまだ遠く
「ねえ沙桐。ちょっと………………いい?」
早速神木を焚きつけようと外に出ると、足音を察したのだろう、士条末吉が扉から小さく顔を出して俺に声を掛けて来た。仕込みのキャスト以外が積極的になるとは思ってもいなかったので身体が少し動揺してしまう。
「な、何だ?」
「………………ちょっと、話があるの。部屋に入ってくれる?」
「……?」
深紅君以外はハッキリ言ってノーマーク。起きたトラブルに対してリアクションをしてくれる人員でしかないし、友里ヱさんの話に乗るなら俺が守らないといけない人間だ。詠奈はそんな事知らないだろうから容赦なく殺しに来るとして、果たして守れるかどうか、という枠。能動的に行動してくるとは思わなかった。
「俺が犯人かもしれないぞ。大丈夫か?」
「…………沙桐は多分、違うでしょ。さっきも、梧助けてたし」
「……それで判断するのもどうかと思うけど、信じてくれるのは嬉しいな。でも部屋に入るのはやっぱり気が引ける。郡代とはカレカノなんだろ。俺が行ったら勘違いする」
「カレカノじゃない」
「え?」
実際はイジメっ子といじめられっ子。いや梧と違って見せかけの交際関係という訳でもない。それ自体は事実らしい。ただその……付き合ってる限りはイジメないという脅迫があるだけで。
事情には詳しいが映画中の俺はそんな話を知らない。あんまり間を持たせると不自然な行動を取ってしまうから、一先ず彼女の部屋に入って、違和感をやり過ごす。
「…………犯人、誰だと思う?」
「誰って…………士条も犯人がこの中に居るって思ってるのか? それだと最初に地下室に閉じ込められた事の説明がつかないぞ。詠奈と俺が後から来たじゃないか。俺だって顔見た訳じゃないけど、でもあそこに全員居たんだから、外部の人間としか考えられない」
「でもそれにしては……見つからなかったし。少なくとも湊谷は……誰かが殺した」
「…………これは最上深紅君が言ってた事だから、信じる信じないは勝手にして欲しいんだけど」
死神の話を士条に共有すると、彼女は怪訝な表情で俺の肩を掴んだ。
「本気で言ってる…………?」
「俺に言われても、本にそう書いてあるらしい。深紅君に嘘を吐く意味はないから、まあ本当だと思う」
英子は自分は無実だと言っていたし、不当に閉じ込められたら殺意だって湧くだろう。左京は精神的に追い詰められて不安定な所を友里ヱさんに刺激されて逆上していたから殺意は湧いていた。多少無理やりでも筋は通るが、しかしこの考え方では詠奈と命琴に説明がつかない。
舞台裏を知る俺に言わせると、殺す気があるかないかと言われたらありまくりな仕込みの人間が全滅していないので死神の存在は映画上の演出、ブラフだろう。
―――まあ儀式の存在はマジだったけど。
あの部屋に理由もなく行くのは不自然だからどうなっているかは確認していない。そういう行動を繰り返していたらきっと深紅君に疑われていただろう。
「…………それだったら、私が死んでないのは……変だよ」
「?」
「郡代……ぶち殺したいに決まってるじゃん」
追い詰められていくにつれて建前は剥がれて本音が見えてくる。一方で追い詰められている状況で出た行動を本音と呼ぶのは酷すぎるという話もあるが、士条のそれを嘘とは呼びたくない。友里ヱさんも同じ顔をしていたから。
「私、アイツに虐められてた…………付き合えば虐めないなんて、嘘。彼氏だからってずっと踏み込んでくる…………嫌なのに」
「あー………………」
「犯人はそんなのじゃなくて、誰かだよ…………湊谷なんかじゃなくて、アイツを殺してくれたらよかったのに……」
「その―――悪い。俺はイジメどころかそこまで関わりもないから何とも言えないんだ。話ってのはその……愚痴を聞かせたかったのか? なら俺は帰るよ。大丈夫、誰にもバラさない。お前ともこれまで絡みがあった訳じゃないからさ。じゃあ」
ここは防音ではなく、下手に騒いだらみんなに聞こえてしまうだろう。静かに部屋を出ようとした時、身体が進まない事に気が付いた。
「離してくれって」
「犯人が誰にも分からないなら、郡代を殺したいの。協力して」
「人殺しの片棒を担ぐのはごめんだっ―――」
それ以上の言葉は許されない。背中を強く押し付けられる硬質な感触があったかと思うと、布団に向かって顔を押し付けられ声を出す事も許されない。視界には映らずとも、腰を刺された事は肉体が分かっていた。
「~~~~~~~~! ッ゙ッ゙ッ゙!」
「犯人は沙桐じゃないと思うから、利用させてもらう。ごめん。でもアイツを殺す最後のチャンスだから」
人間の身体は訓練でもしていないと強すぎる痛みに耐えられる設計ではない。これは映画だ。殺して回る殺人鬼は露骨に俺を避けてくれるから、攻撃されるなんて思ってもみなかった。
心の準備なんて、出来る筈もなく。
「詠奈ちゃん! 行っくよー!」
「ええ、いつでもどうぞ」
良く晴れた草原の一角でバドミントンをしているのは、ついさっき目覚めたばかりの霧洲命琴と王奉院詠奈。事情を聴いた彼女は尺と出番の都合で退場させられた事を残念がりつつも、撮影が終わるまで暇だと言って詠奈をスポーツに誘った。
わざわざスポーツウェアを用意させる辺り、詠奈の方も満更ではなかった。
「貴方は意外と運動神経がいいのね」
「運動は好きなんだよ~! 足の速さは特に、必要だもんね」
「私も運動は嫌いではないわ。プロポーション維持にも必須だから、嫌いだと中々辛いでしょうね」
「うんうん! 詠奈ちゃんくらいスタイルいいとそういうのも大切だよね! いいなあ……羨ましいなあ…………詠奈ちゃんともっと早く友達になれてたら良かったんだろうな…………」
「―――私達、友達だったの?」
「え? 私はそう思ってたけど……ち、違った?」
シャトルの軌道がぶれていく。
王奉院詠奈に友達は居ない。
居たが、その人は運命の相手だった。この世の何よりも価値があり、全てを与えても良いと思えたそんな人。特別な力なんて要らなくて。特別な血筋なんて要らなくて。特別な才能なんて要らなくて。ただ、与えさせてくれるなら。
「…………友達、そうね。友達なのかもしれないわ。でも、やっぱり疑問は尽きないと思うわ。貴方も私もお互いの事は何も知らないでしょう?」
「でも友達! だって詠奈ちゃんとの時間は楽しいから!」
「………………」
詠奈はシャトルをわざと真上に打ち上げると、緩やかな軌道を描くそれをキャッチした。
「命琴。貴方は私の事を知りたい?」
「え? うん! 大好きな人の事って知りたいって詠奈ちゃんも言ってたじゃん! 私、詠奈ちゃんの事大好き! えへへ~♪」
「…………貴方みたいな子は、私の事を知ったらきっと嫌いになるわよ。友達をやめたくなる」
「だったら知らなくてもいいけど!」
市井の感覚は心得ている。私の存在は認められない。それを心の中で確信していても―――ほんの少し、過去に縋るような寂しさがあった。
「…………続きをしましょうか」
「詠奈様」
打ち上げたシャトルをキャッチしながら剱木八束が音もなく割り込んでくる。命琴は事情も分からず首を傾げていた(八束はキャスト)。
「暇潰しがてら身体を動かしていたのだけど、問題があった?」
「景夜様が―――刺されました」